悪意 1
1日目は清掃に専念したから、2日目は周辺の探索をしよう。
飲み水は小壺に移して、丸めた葉で栓をした。
朝陽が柔らかく草葉を照らしている。
朝露が乾くよりも早く行動したためか、小鳥が囀りあって、木々の間を木霊した。
こんな時に不謹慎だが、初体験に等しい自由にアシュレイは意気揚々と先を進む。
清らかな空気を吸いながらの探索は充実したものだった。
本邸の周辺にこそ柵が巡らされていたが、小屋の周りには何もない。
見下ろす先には街が見え、自在に降りられそうだ。
嬉々として探索を楽しんでいたが、2時間ばかり過ぎた頃、唐突に雨が降り注いだ。
まるでシャワーのように降り注ぐ雨粒に興奮しながら、大慌てで小屋へ飛び帰った。
するとそこへ待っていたのは、衝撃的な光景だった。
「……なに、これ……」
小屋の中は、ぐちゃぐちゃに荒らされていた。
昨日掃いて集めてあった灰が撒かれている。
整えてあった藁草が散乱し、昨日焼いた食糧の残りは無残にも床に転がっている。
惨状を目で追っているうちに、床に伏せて蠢くシャルを見つけた。
「おっ、お帰り……。散歩してたのかな? 僕も今来たんだけど、ネズミでも出たみたいで……」
アシュレイは目を疑った。
「ネズミ? これはネズミの仕業なの……!?」
シャルは懸命に藁草をかき集めている。
アシュレイは、一番最初に拾い上げたナンもどきをテーブルに上げた。
藁を集めながら、辺りを検分する。
煤を払って元の位置に戻しながら、直球で尋ねた。
「やったのは、カミールね?」
ぎくり、と俯くシャルの肩が震える。
「どうして隠すの?」
アシュレイは重ねて問い詰めた。
シャルが立ち上がる。
「これは違うんだ!」とシャルは必死に弁明した。
「カミールはアルダ様に頼まれたお使いの最中だよ。たまに、出るんだよ、ネズミが……。罠を仕掛けておくからさ、もう入ってこないように! だから、心配しないで?」
「シャルは優しいのね。安心して。アルダに言いつけたりしないわ」
アシュレイは微笑んで、シャルの努力を無駄にしたくない一心で、穏やかな声で宥めた。
シャルがホッとしたようにアシュレイを見上げた。
「ほんと? ああ、良かった!」
(やっぱり、庇っていただけなのね。……カミールめ)
「ごめんね。すぐに片付けるから」
肩の荷を下ろしたように笑うシャルを前に、アシュレイは奥歯を噛んだ。
すると外から嘲笑うような声が聞こえて、戸口に目を向ける。
シャルが「あっ」と声を上げた。
「アルダ様に言いつけないでくれるって? 随分と偉そうな口ぶりだけど、私がやったって証拠でもあるの?」
戸口の向こうに、カミールが立っていた。
どこかに隠れて、アシュレイが帰る時を待っていたのか。
正直者のシャルがひくり、と顔を引き攣らせる。
シャルも部屋を見て、咄嗟にカミールの仕業だと判断したのだろう。
その反応で、直接目撃したのではないんだな、とわかる。
「言い掛かりは止めてよね。きっと、ネズミの仕業よ」
ふふん、とカミールは高慢な態度で腕組みをしている。
アシュレイは黙って、拾い集めたナンの欠片に視線を向けた。
元は歪な楕円形だった。20センチほどに伸ばして焼いたものが、3枚、残っていたはずだ。
「どこが、ネズミの仕業よ? 齧った痕が一つもない。手で千切った凹みならあるけど。あと、肘の内側に粉が付いてる。ついでにネズミが粉袋を、生真面目に口を開いて取り出すと思う? 他にも理由が必要?」
アシュレイは矢継ぎ早に質問を投げかけ、カミールに詰め寄った。
カミールはぎょっとして組んだ腕を解いて、自分の肘を確かめる。
「ほらね、当たりだ。馬鹿ね、腕に粉なんて着いてなんかないわ」
「あんた……!」
カミールが目を剥く。
「仮にネズミの仕業なら、小屋中粉だらけになってるし、足跡だって残ってる。どうしてこんな馬鹿な真似をした?」
「馬鹿って、失礼ね! 面倒を見て貰ってる立場で……ちょっ」
アシュレイは皆まで言わせず、綿で織られた赤茶のワンピースの胸ぐらを掴んだ。
「こんな馬鹿な真似した理由を聞いてるの、聞こえない?」
「何すんのよ。離して!」
胸元を掴んだ手を引き剥がそうとカミールは引っ張ったが、アシュレイは離さない。
こちらの頬を張ろうとした掌を、今回は躱す。
「カミール、止めなよ!」
シャルの悲鳴が上がった。
「怒ってるのはこっちよ!」
「このっ」カミールはアシュレイの腕を掻きむしろうと爪を立てた。
サッと引いて距離を取る。
「だからどうしたっての。ああ、そうよ。私がやったわ。あんたが気に入らないからよ。あんたにさっさと、ここから消えて欲しいからね!」
カミールは開き直って、大声で言い募った。
分かってはいたが、反省の色が欠片もない。
「いいこと、私は今から貴女を殴る。歯を食い縛りなさい。今はこの体だから手加減しない」
アシュレイは宣言した。
「ははっ、何それ。やれるものならやってみなさい」
千春は178センチの長身で、事あるごとに手加減を要求された。だが、今は違う。
カミールは高慢な態度を崩さなかった。
警告はした。もう、躊躇いはない。
アシュレイは線が細く、パワーこそ足りないが動きは俊敏だ。
すっ、と上半身を沈めると同時に距離を詰め、懐に飛び込んだ。
見下ろすように斜に構えていたカミールの鼻の穴を見上げ、低くした姿勢から思い切り拳を振り抜いた。
「ぐうっ」
アシュレイの白魚のような腕では、大した打撃にならないだろうと踏んでいた。
だが、想像した以上の威力だったのか、左頬に拳を受けたカミールは数歩、よろめいた。
顎先を狙ったわけではないが、脳にも影響を及ぼしたらしい。
「この……~~」
壁に背をつけ、立ち上がろうとしながらカミールは何事か呻く。
「私が気に入らなきゃ、2度と来るな! たかが嫌がらせで、食べ物を無駄にするような人間は、吐き気がするほど嫌い」
「えっ、アシュレイ? カミール??」
瞬く間の出来事に、シャルは混乱している。
まさかアシュレイがカミールを殴ると思っていなかったのだろう。
2人を見比べて、何が起きたのか把握に時間を要していた。




