豆田探偵事務所①
グラザ達の後始末を警察に引き継いだ豆田は、すぐにカフェテラスをあとにした。
「あの……。豆田さん。これはどこに向かっているんですか?」
高速早歩きで移動する豆田のあとを追いながら、シュガーは質問した。
「私の自宅兼事務所に向かっている」
何かを気にしている様子の豆田は簡潔にそう答えた。
「自宅は、この近くなんですか?」
「ああ。もうすぐ見える。急がないと、間に合わない」
「何か用事があったんですね。ごめんなさい……」
シュガーは小走りしながら謝った。
「いや。用事ではない。コーヒーが冷めそうなんだ! それはもう一大事だ」
「え? それだけですか?」
シュガーは呆気に取られた。
「ああ。だが、もう大丈夫だ」
そう言った豆田は、ある民家の前でピタリと止まった。
「え? ここ……。ですか?」
目の前には、幅2メートルくらいの明らかに細い民家が一軒あった。
三階建を超える高さはあるが、ほっそりとしていて、とても人が住めそうな感じがしない。
玄関横の壁に『豆田探偵事務所』と書かれた看板がかかり、黒い傘のライトがそれを照らしていた。
「豆田探偵事務所……。ですか……」
「ああ。なんのひねりもない名前だが、分かりやすくていいだろ?」
そう言いながら、豆田はターコイズブルーの扉に手をかけた。塗装が適度に剥げたアンティーク調の扉は、上部がアーチ状になっている。
豆田に押された扉は『ギギギギ』軋んだ音を立てた。
「いい音だろ? この音も大切なんだ」
「音が……。ですか?」
「ああ。依頼人のヒントになる」
シュガーは訳が分からなかったが、詮索はやめた。分からない事だらけだからだ。
豆田はそんなシュガーの様子に構いもしないで、とっとと中に入ってしまった。
「お邪魔します……」
豆田に続いて恐る恐る中に入ったシュガーの目の前には、小さなスペースがあるだけで部屋は無く、2階へと続く階段だけがあった。
どうやら豆田はもう2階に上がってしまったようだ。シュガーは緊張しながら、階段に足をかけた。
「あれ? この階段……。何かおかしい」
違和感を感じながらもシュガーは階段を昇る。足場材が丁寧に敷かれた階段は、1段昇る毎に『ギシギシ』と心地良い音を鳴らした。
階段を昇り切ったシュガーの視界には、思いも寄らない光景が広がっていた。
「え? うそ!! 凄く広い!」
外から見た細長い建物の外観とは、全く釣り合わない空間にシュガーは驚愕した。
「だろ? お得な物件だ」
豆田は、帽子を壁に備え付けられたフックにかけながらそう言った。
「え? 外観と比べて、広すぎません?」
「はは。シュガー。流石【純人】だ。ここは、建築の【こだわリスト】ドルバランの最高傑作の1つなんだ。彼の作品は空間をも支配する」
「空間を支配するっていうレベルじゃなくないですか?」
そう言いながらシュガーは、広々とした室内を見渡した。
一言でいうならば、室内は上質なカフェのような空間になっていた。木材の温かさと黒いアイアン、点在する革製品のバランスが見事で、シュガーは初めて訪れた空間にも関わらず、安らぎを感じていた。
階段を上がってすぐの足元は土間になっていて、そこから幅広の階段を4段昇るとオーク材が敷き詰められたメインフロアになっていた。
メインフロアに向かって右手側には、革製の大きなL字ソファーとローテーブル、その両脇に大きなスピーカー。その反対側にはカウンター付きのキッチンがあった。
「シュガー。そこのソファーに腰掛けていてくれ、すぐにコーヒーを淹れる」
豆田はそう言うと、キッチンに入っていった。シュガーはメインフロアに上がり、言われるがままソファーに腰掛けた。
「このソファー。凄く柔らかい……」
程よい弾力のソファーに、シュガーは思わず口元が緩んだ。
豆田はその様子を横目で確認すると、棚の上に置かれた黒いヤカンを手に取った。
「シュガー。コーヒーを淹れるが、砂糖とミルクはいるか?」
「あ。甘い方が好きなので、両方頂いて良いですか?」
「分かった。では、甘めのカフェオレを淹れよう。コーヒーは少し濃い方がいいな」
そう言うと豆田は、ヤカンを火にかけた。
シュガーがソファの座面に馴染んだ頃、『カリカリ』と、コーヒー豆を挽く軽快な音が聞こえてきた。コーヒー豆の芳醇な香りが、シュガーの座るソファーまで漂ってくる。
「豆田さん。コーヒーがお好きなんですね」
「ああ。三度の飯より大好きだ。私は特にコクと苦みがあるコーヒーが好きなんだ。このコーヒーを気に入って貰えれば良いが、もし苦手だったら、また違うコーヒーを用意するし言ってくれ」
(あ。コーヒー以外の選択肢はないのね……)
シュガーはそう思ったが、今は黙っておいた。
キッチンで作業する豆田の眼光が急に鋭くなった。フィルターをドリッパーにセットし、挽いた豆をこぼさぬように丁寧にその中に入れる。コーヒーを淹れる事に全神経を使っているようだ。
(今は声をかけない方が良さそうね)
そう判断したシュガーは、コーヒーを待っている間、再度この空間を眺めた。黒いシーリングファンが見える天井は、梁が剥き出しでとても高い。どうやら、ロフトもあるようだ。
先程まで殺されかけていたのが嘘だと思うほど、穏やかな時間が過ぎていく。
(ワイル博士。 私、なんとか逃げきれました。でも、この後はどうしたらいいですか?)
博士や、残された人の事を思いシュガーの瞳に薄っすらと涙が貯まった。
(ダメだ。弱気になっちゃ。とりあえずは約束だし、まずは豆田さんのアシスタントをやって、その後、琥珀色の目の青年を探す……。今は、そうするしかないわね)
最低限の現状に必要な思考をまとめたシュガーは、『まずは自身が生きている事に感謝しないと……』と、思った。
「あの。豆田さん……。先程は助けて頂いて、本当にありがとうございます」
「ん? ああ。アシスタントを助けるのは当たり前だろ?」
「あのー。どうして、私をアシスタントにしようと思ったんですか?」
「ああ。それは……。カフェテラスのあの席に座っていたからだが……。あ。ちょっと待ってくれ。お湯が沸いた」
豆田は、コーヒーポットを手にすると、ドリッパーにお湯を回しいれた。その手つきは繊細で美しい。コーヒーへの愛情がその動作からでも読み取れる。
コーヒーの芳醇な香りが一気にたち、部屋中に広がる。豆田は嬉しそうに出来上がったコーヒーを、ブラウン色のカップに注ぐ。
「本当に、安らげる良い香りですね」
「だろ?」
豆田はローテーブルにシュガーの分のコーヒーを置き、その隣にミルクと砂糖を置いた。木製の小さなトレイにシルバー色の容器。一つ一つの道具にも『こだわり』があるのだろう。
「ミルクと砂糖は好みで」
そう言うと、豆田はカウンターチェアーに座った。アイアン製の脚にウォルナット材の座面。三つ並ぶチェアーの一番右手の椅子が豆田のいつもの場所だ。
シュガーは、両手で優しくコーヒーカップを持つと、先ずは何も入れないまま一口飲んだ。
「ん! このコーヒー凄く美味しいです!! こんなに美味しいコーヒーは初めて飲みました!」
シュガーはコーヒーの美味しさに感動し、思わず饒舌になった。豆田はその様子を見ながら満面の笑みを浮かべた。
「このコーヒー豆の苦味が特に好きで、いつも決まった店で豆を買うんだ」
「そうなんですね! 確かにこの味を一度味わったら、他の店では買えないですねー」
「分かるか! シュガー。そうなんだ! 強靭なオヤジが店主の店なんだが、この味の為に私はこの街に住んでいるんだ」
「え? このコーヒーのためにですか?」
「ああ。その価値がある」
豆田はコーヒーを味わいながら、嬉しそうにそう言った。
シュガーは、豆田が淹れたコーヒーの深い味わいに浸っているうちに、いつのまにか緊張が和らいでいた。
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