月に叢雲、花に風
(これはいつも後少しのところで成功を逃してきた何者でもない「私」のエッセイである。)
月に叢雲、花に風という言葉はまさに私の人生を言い表したような言葉だ。家庭環境に恵まれ、何不自由なく過ごしてきた私は中学受験では第一志望校に落ちてしまったものの、他の人からは羨まれるような私立中高一貫校に入学した。そして大学受験では日本一の大学である○○大学には落ちてしまったものの、滑り止めで受けた△△大学には合格できた。両親からはこの上なく喜ばれ、近隣に住んでいる人の間でも私が△△大に進学したとの噂で持ち切りになった。正直この事は誇らしかった。散髪屋で大学を聞かれた時は自慢気に自分の大学名を言うのだ。その時に微かな快感すら感じていた。
そんな私にも、気になる異性が出来た。名前は✕✕。小さい頃からテニスを習い、県大会に出場出来るぐらいには上手かったので大学に入って迷いなくテニスサークルを選んだ。その新入生歓迎会でにこやかに笑う✕✕の横顔を見て、心奪われた。所謂一目惚れというものである。それからはその人にアプローチするのに必死だった。これまでは両親に誂えてもらったファッションで過ごす事に何一つ違和感を感じなかったのだが、✕✕に振り向いてもらうために流行りのファッションでバッチリ決め、髪は整え、メガネを外してコンタクトにして身嗜みを整えた。またSNSで自分を知ってもらう為にフォローした。幸い✕✕は私のフォローリクエストを承認してくれた。またサークルのグループラインで✕✕が参加する日程に被せて私も参加した。そこで少しずつ✕✕と会話する時間も増え、色々な話をした。サークル、大学の講義、趣味...、今思えば✕✕と話している時間ほど楽しい事は無かった。
7月末。大学の講義は終了し、夏休みに突入した。蝉の声が響く中、積極的にサークル活動に参加した。そして8月の半ばに遂に✕✕と遊びに行く約束を取り付けた。ラインで遊びに行く提案をするその送信ボタンはまるで岩の様に重く感じられたし、既読が付くまでの時間は永遠の様に感じられた。もし返信が来ても直ぐに反応すると「ガチ感」を相手に感じさせてしまうため返信が来てから数分待った。結果はOKで某テーマパークに二人きりで行くことになったのである。OKの返事が帰ってきたのを見た時は天にも登るような心地がした。
当日、朝の早い時間からテーマパークの最寄り駅に集合した。普段とは少し違ってオシャレ着で来た✕✕は神々しかった。✕✕の首筋から漂う香りは私をまるで非現実なのではないかと錯覚させる程であった。勿論✕✕に負担をかけたくなかったのでチケットも既に二人分買っておいた。✕✕にチケットを渡すと微笑んでいた。
結局色々なアトラクションを楽しみ、気がつくと日が暮れていた。✕✕といればアトラクションの待ち時間も苦では無かった。むしろこの時間が永遠に続いてくれと願う程であった。
夕食は高級なフレンチに誘った。この時の為にバイトのシフトも増やして頑張ったのだ。この代金で私のバイト代は吹っ飛んだが、そんな事はどうでもいい。✕✕の笑顔さえ見られればそれで十分だ。✕✕は照れているのか、私が見つめると目を逸らした。
そして帰り際、私は✕✕に自分の恋心を打ち明けた。✕✕はその告白を聞いて一言
「ごめん、異性としては見れないかな」
何故だ。何故上手く行かないのか。私の予想していなかった答えが帰ってきて、頭が真っ白になった。
その日どうやって帰ったのかは覚えていない。
私は告白に失敗した。しかしあんなに微笑んでいた✕✕は私に気があるに違いない。恐らく至らない所があったのではないか。それから毎日、私は✕✕に「私に不満があるなら言って欲しい」という旨のラインを毎日送った。しかし✕✕に何度問い詰めてもその事には答えず、はぐらかした。
サークルに私が失恋したとの噂がいつの間にか広まり、そこに居づらくなった私は結局サークルを辞めることにした。
―――――――――――――――――――――――
それから数十年後、私は会社を定年で退職した。
私は冒頭で「月に叢雲、花に風」と述べたが今考えればそれは大きな間違いである。点数を開示してみると中学受験、大学受験は決して僅差で落ちていたのではなく、落ちるべくして落ちた点数だったのだ。また✕✕の件も、相手からすれば恋愛対象にすらなっていない。俯瞰すればするほど自分は何者でもない存在だったのだ。そろそろ私の人生にも幕が下りる。結局何一つ成し遂げた事も無く、妻も居ないので後は一人でこの世を去るその時を待つのみである。来世は私の努力が報われる事を願おう。
文章を書いていたら腹が減ってきた。晩飯の食器の音が、部屋で寂しげに鳴り響く。