結婚
*このお話はフィクションです。
「結婚」
年頃なんだから結婚しなよと、言われる。
必要な相手がいないと言えば、
「探してやる」と言ってタイプでない娘を連れてくる。
「贅沢いうな」と言うけれど、その一言もその娘に失礼でしょ。
「結婚に何を望む?」と訊かれて、
「身の回りの世話、食事とか洗濯とか、かな」と答え、病気をした時も、いつもそばで看病してくれるのは、ありがたい、とも言う。すると、
「いつも一緒なら、やりたいときに無料でエッチできるしな」と言い、ふたりで笑い合う。
「先輩は何が決め手で、一緒になったんすか?」と尋ねると、
「俺は、思い遣りが足りないと、母ちゃんからずっと言われてきたんだ」とこめかみを掻きながら、
「エッチもしたかったのは確かだし、結婚したらひとりでいるより、楽になるだろうと思ってたんだ。まさか同い年で母ちゃんみたく、説教は言われないと思ったし。でも、それよりも大切なことに気づいたんだ」
「なんすか?」
「病気や何かで倒れた嫁を、いたわるのは当たり前だと思う。逆もそうだ。でも、俺は、ついこないだ、インフルエンザになって思ったんだ。結婚五年目になってな」
先輩は、ニッカポッカのポケットからタバコを取り出して僕に勧め、一本いただくと、それぞれにジッポを鳴らす。
紫煙を吐き出す。
コーヒーの空き缶に、灰を落とすと、おもむろに話し出す。
「俺が熱発して唸ってたら、嫁がなにくれとなく世話をしてくれる。優しくて暖かくてな。それで、俺が言ったのさ。『お前が倒れたときは、俺が一生面倒見るからな』て。そしたらな」
話をきって、足場の組まれた建てかけのビルを見上げる。今の僕らの現場だ。
僕は黙って、続きを待つ。
「言うのさ、嫁が。『あんたが倒れて面倒を見る方がよっぽど楽よ。あたしが倒れて、あんたに迷惑を掛ける方が、どんだけ辛いか』ってな」
僕は、先輩を見る。相変わらず、現場の足場を見やっている。
「倒れた相手をいたわり、自分が倒れたときには、相手に迷惑を掛けると、思いやる。さっき言ったろ?夫婦はいつも一緒。お互いに思いやることで毎日が回ってくんだ。たまに見せる優しさではない、いつもそこにある、優しさと思い遣りなんだ」
ちらっと僕を見る先輩の目は、今まで見たことのない慈愛に満ちていた。
「ひとり者でも、優しいやつはいるけど、毎日が優しさのなかにいる既婚者ほどでは、あるまいよ」
そう言って、照れたように笑う。そして、
「心を貫く重い槍より、心を包む思い遣りだな」
言うと、立ち上がり、尻をはたく。
僕も、立ち上がり、倣う。
「結婚したくなりました」そう僕が言うと、
「嫁の友達で、バツイチ子持ちがいるんだけど、会ってみるか?」
「えっ、いきなり父親っすか?」
「『為せば成る、為さねば成らぬ、何事も』さ」
「美人っすか?」
僕が、訊くと先輩は笑いながら答える。
「贅沢いうなよっ」
いや、だからそれって相手に失礼でしょ。
おわり