順当のたられば
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
たらればの話。生きているなら、誰でも考えることがあると思う。
あそこで点が入っていれば。あそこの数センチさが届いていれば。あそこでプラスマイナスを間違えなければ……そんな、ほんの少しの差で天地ほど結果が分かれてしまう。
我々はそれを振り返り、後悔の念に駆られるが、あまりの惜しさに冷静な分析ができているだろうか。
疲れ、いらつき。そこからくるずさん、ごまかし、見落とし、ビビり……そいつらに圧されてはいなかったか? 自分が作ってしまった決定的な虚をつかれておきながら、「ケアレスミス」と笑えるか?
その侮りから、もう次のスキは作られていると考えていいかもしれん。場合によっては、運命の捻じ曲げすらも……。
俺の聞いた昔話なんだが、聞いてみないか?
むかしむかし。
とある戦の帰りで、男たちがバラバラと村へ戻ってきたとき、何人かが村長宅へ報告に行った。
「バラ屋のじいが、ギリギリで矢をかわした」と。
今回の戦は、足軽相当の者たちが前線でかち合う、白兵戦となったらしいんだ。
そのさなか、退く気配を見せた敵勢へ向けて自分たちが突きかかったところ、馬に乗る武者のひとりが腰をひねり、馬を前へ走らせたままで、こちらへ向かって矢を放ったんだ。
やや低めの軌道。だが向かっていく自分たちの勢いもあって、矢はまるで光かと思うほど早く飛んだんだ。
やや遅れて、宙を舞うのはひとまとまりの髪の毛。
矢は足軽のひとりである、「バラ屋のじい」の結われた髪の根元をちぎり、空へ飛ばしたんだ。自らはほどなく、ぬかるむ戦地の土へまみれた。
じいは尻もちこそついたが、こそぎ取られた髪の毛のあたりに出血は見られなかった。ただ赤々と腫れる肌のみをそこにさらしていた。
この一部始終が、そばをともに走っていた村民たちによって目撃され、報されるまでになったんだ。
翌日。村長が村人たちへ告げたのは、奇妙なことだった。
「ここしばらく、村には矢が。いや、ことによると槍すら降ることになろう。
だがそむいてはならん。矢も槍も、避けるならばことごとくおのれらを避け、当たるならどうあがいても当たろう。
我らはいま、『さだめの岐路』に立っているのだから……」
そう村長がいい終わるか、いなかのところで。
どっと、その胸板から音を立てて、せり出してきたのはサビついた槍の穂先だった。
当然、一同は目を見張る。村長の背後には、手や得物が届くどころか、視認できる限りの範囲に害する余地のあるものは、なかったのだから。
瞬く間の高速。それでいながら、村長の身を突き通ることなく、刺さったままでとどまった槍は、そのふちからほとんど血をにじませない。
ただ声の途切れた村長と、その傾いだ身体が地面へ倒れることによって、ことの重大さを皆へ届けたんだ。
村長はこの事態を予見していたらしい。周りに控える者たちは、取り乱すことなく、粛々と村長の身体を家へ運び込み、くれぐれも村長の言を守ることを、皆へ頼んだのだとか。
その時から、この思わぬ飛来を彼らは受けた。
それが仕事中も、遊びのさなかも、寝ているときも。
空気を裂き、幹を抜け、屋根さえも貫いて、人を正確に射止めていく、出どころさえ知れない矢や槍たち。尋常ならざるものであると、疑い者はすでにいない。
特に「バラ屋のじい」に向けられたものは、苛烈なものだった。
村長が刺されてより、一刻の間で都合4度もの飛来を受けたのだから。
そしてじいは、村長の言に逆らい、これらにそむいた。
初弾のおり、土いじりをしつつ腰を曲げていた彼だが、不意にぐいっと腰を起こす。
表情ひとつ変えない、あまりにも奇妙な動き。そうして開いた空間を、傷みきった矢が一本、目にも止まらぬ速さで突き抜けていったというんだ。
だが、直後。
姿勢を正したじいの背から上から、新たに二本の矢が跳んできて、じいはそれをまた、骨があるのかと疑いたくなる、奇妙なひねりでもってことごとくをかわしたらしい。
偶然、居合わせたものがじいの動きをいぶかしがるも、続く第4矢が彼をとらえた。
厳密には第3矢と同じだ。上から落ち、じいに頭を振る形でかわされ、地へ潜った矢。それが矢じりを反転させて飛び出し、真上にあったじいのあごへ食いついたんだ。
脳天まで突き抜ける見事な刺さり具合は、じいが倒れ込むまでの数瞬、見届けた誰も動けないほどだったという。
幾本も刺さった矢と槍たちだが、いずれも刺さったのちさしたる出血も見せず、矢と槍たちもおのずから形を崩し、土と同化していくという奇妙なてんまつを見せる。
最初の村長がその例を見せ、空いたはずの傷跡も、いざ槍が崩れてみれば何事もなかったという始末。他の村人たちも多かれ少なかれ、似たような経過だったという。
しかし、バラ屋のじいはそうはいかなかった。
矢を受け、昏倒したじいは意識こそ戻らなかったものの、半日は静かなままだったんだ。
それが夜中を過ぎて突然、これまで音沙汰なかった矢の刺さり口から、血があふれてくる。
血は出た端から、色を黒々と変えていく異様な有様。周りの者がいくら止血を試みてもおさまることなく、みるみるじいの顔が青くなっていく。
そうして夜が明けるころには、じいはすっかり冷たくなり、この奇怪な矢と槍が注ぐ昼夜でただひとりの犠牲者となったんだ。
「本来、あの矢でじいは死ぬべきところだった。そのさだめを曲げうる何かに、そのとき憑かれたのであろう。
あの矢と槍たちは、そこからさらに曲がろうとしていたさだめを正そうとしてくださったのだ」
じいの弔いの中、村長は皆にそう語ったという。