記憶の欠片
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島の上空に浮かぶ黒い闇のような男。
「左手が元に戻らないんだよ」
魔人の憎悪の視線の先にはハルカがいた。
「生きていたのか……!」
ライアーは顔を歪め立ち上がる。
(なるほど、ボス戦は連戦ってことか……)
皆、赤い花の魔人との戦いで疲れ切っていた。魔術師達は対応が遅れる。黒い針が島を襲う。
リフィロはハルカを背に隠し、魔人に向き直る。湖水の精霊王は水の守護魔法で島全体を覆う。フォルアは空へ浮かび上がり、魔人に相対する。暴風と緑色の刃が黒い針を消し散らし、炎と氷の刃が魔人を切り刻む。雷の槍が魔人を貫く。
黒い針の魔人は笑った。攻撃を食らいながら。リフィロは訝しんだ。
「セシリアさん?」
(瘴気が……)
ハルカの掠れた声がする。大きな悪意から滴り、零れ落ちたもう一つの小さな、しかし明確な悪意がハルカの体を貫いていた。皆、魔人と黒い針に気を取られて反応が遅れた。その黒い剣を握っていたのはセシリア。セシリアはハルカの足元の地面から、まるで突然生えてきたように存在していた。虚ろな目でハルカを見ている。ハルカはその体に刃を突き立てられ、薄れゆく意識の中、セシリアの体に纏わりついた瘴気を取り去り目を閉じた。そしてそのまま湖に落ちていく。
「ハルカーっっっ!!!」
絶叫は誰のものだったのか。
(離れないと決めたから)
リフィロはハルカの後を追い湖へ飛び込んだ。
「あ、あ、だって、わたくし、邪魔だったから、だから、お父様に……」
セシリアは我に返ったようだが、自分のしたことに混乱しているようだった。
「っ!あっはっはっはっ、やった!アイツ、アイツだけはダメだったんだ!やった!あとは雑魚だけだ!」
黒い針の魔人の声が響き渡る。
誰も一言も言葉を発せず、呆然と湖を見る。ただ、周囲の魔術師達が
「きゅ、救助を」
と動いている。
湖面が波立つ。
白銀の光の奔流が空へ立ち昇る。
やがて光はこの世界の何にも当てはまらない異形の姿を取る。その姿は巨大な蛇の様でもあったが、それとはまったく異なっていた。
「リュージン?」
誰かが呟くが、他の人間には意味を成す言葉にはならない。異形はその閉じていた目をゆっくりと開き黒い針の魔人を見据える。それで終わりだった。
「なっ!?」
魔人の体が分解されていく。闇の男は驚愕の表情を残して跡形もなく消え去った。あまりのことに誰も動けない。異形はその透けた体にハルカを内包し空を見上げた。どこかへ飛び去ろうとしているようだった。
その時、湖から氷の精霊鳥が飛び出してきた。その背に乗ったリフィロと共に異形の中に飛び込んでいく。
「っリフィロ!待てっ」
「リフィロっ!」
フォルアとフラムの声は届かない。
白銀の異形は、ハルカとリフィロを取り込んだまま虚空へと消えた。
サラサラサラと音がする。
リフィロは何もない真っ白な空間を歩いていた。一緒にいたはずの契約精霊の姿はない。足元に清らかな水が流れていることに気が付いた。水の流れを遡って歩いていくと誰かが座っているのが見えた。
「ハルカ?」
それはリフィロが見たことがないような服を身に付けているハルカだった。それは真白な巫女装束の様であったが、リフィロには分からない。
「ハルカっ」
リフィロは再び名を呼んで肩を掴むが、ハルカは無反応だった。ハルカの目はリフィロどころか何も映してはいなかった。
「ハルカ……どうしたんだ。それにここは一体……?」
リフィロは辺りを見渡す。が、やはり何も無い。しかしハルカの周囲の水の中に光る、何かの欠片が落ちていることに気が付いた。一番近くにあった灰色の欠片を拾い上げる。するとハルカに反応があった。リフィロの手からその欠片を受け取る。すると、声が響き、空間に像を結んだ。
『私だって仕事があるのよ!あなたも少しは協力してよ!』
『無理だよ。今重要な案件が……』
『私だって同じよ!大体あなたが欲しいっていうから……どうして私ばっかり!』
男女が言い争っているようだった。
(お母さん、泣かないで……。はるかいい子でいるから)
ハルカはその欠片を握って俯く。リフィロは森でのハルカの幼返りを思い出していた。
『いい加減にしなさい。子どもの前で!陽花は私が育てるわ!』
灰色の欠片は消え、陽だまりのような暖かい色の欠片をハルカは拾い上げた。
『ほら、はるちゃん、プリンつくってみたよ。美味しい?良かったね』
『お散歩に行こう。ここには神様がいるのよ。そう白い龍神様が』
『大丈夫。おばあちゃんがいるからね。熱なんてすぐに下がるから』
『今日の遠足、楽しみね。はいお弁当。気を付けて行ってらっしゃいね』
『テスト……?ああ、次頑張れば大丈夫。あ、これはおばあちゃんにはちょっと難しいわ……』
『…………』
『…………』
(おばあちゃん、だいすき。おばあちゃん、ありがとう……ありがとう……)
ハルカは同じ色のたくさんの欠片を一つ一つ胸に抱く。
(そうか、これはハルカの記憶なのか……)
リフィロはハルカの前に座り、ハルカを見つめた。
水の中の黒い欠片にハルカはそっと触れた。
(嫌っ!死なないで!死んじゃダメ!お願い、おばあちゃん!)
リフィロは黒い服の大人達に囲まれたハルカを見る。
『陽花、お母さんと一緒にアメリカへ行きましょう?』
『いや、進学のことを考えたら、父さんと東京で暮らす方がいいだろう』
『何を言ってるの?進学ならアメリカの方がいいに決まって……』
「私はこのまま、ここで暮らしていきたいです。お父さん、お母さんお願いします」
『その年で一人暮らしなんて……』
「生活も受験も一人でしっかりやります。どうかお願いします」
『…………』
ハルカの目から涙がこぼれた。
(ハルカはおばあ様が亡くなってからは独りだったのか……)
リフィロは痛ましげにハルカを見た。
ハルカはリフィロの方へ両手を差し出した。
「ハルカ?」
リフィロは自分がいつの間にか深い青緑色の欠片を持っていることに気が付いた。
「いつの間に……」
リフィロは少し戸惑いながらもその欠片をハルカに手渡す。
『家族を心配して何が悪いんだ』
『何かあったら私のことを思い出してほしいの』
『あなたはもう家族のようなものなのですから……』
『ハルカは僕達の家族で、森の古王国の国民です』
『……もう家族みたいなものだ。兄として妹を助けるのは当たり前のことだ』
ハルカはその欠片を愛おしむように頬に当てた。
「私ね、とっても嬉しかったの……。家族って言ってもらえて。あの時リフィロがそう言ってくれて」
ハルカの目に光が戻る。ハルカの目がリフィロを映す。
「私、私ね、ずっとリフィロのことが」
ハルカの言葉は途切れた。リフィロがそっと唇を重ねたから。
「愛してる」
リフィロの言葉にハルカは目を見開く。両手で口を覆い、頬は真っ赤に染まった。
「ずっと好きだったよ、ハルカ」
ハルカの目に涙があふれる。
「私も好き、大好き、リフィロ……っ」
ハルカはリフィロの首に抱き着き、リフィロは受け止め抱きしめた。ハルカは小さく呟いた。
「リフィロ、私のこと置いていかないでね……」
リフィロは答えるように、ハルカを抱きしめる腕に力を込めた。
二人は再び唇を重ね、離れがたいように時を過ごしたのだった。
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