同じことが起こるかもしれないと、どうして誰も考えなかったのか
来ていただいてありがとうございます。
(避けられてる……よね?)
ハルカは森の泉のほとりで座り込んでいた。今日も城の雑用を済ませ休憩中にここまでやって来た。ここは澄んだ空気が気持ちよく、お気に入りの場所だった。いつもなら冷たい湧き水に手を浸すだけで元気がもらえたが、ハルカの心は晴れない。あれから二日ほどリフィロとは話すどころか、顔を合わすことも出来ずにいた。
(嫌われちゃった……)
ハルカの胸はずきりと痛む。
リフィロは、守ると決めた少女に感情のままに迫り、怯えさせ、あまつさえ泣かせてしまうという自らの失態に、ハルカの比ではない程に落ち込んでいた。そして再び自分の感情の抑制が効かなくなることを恐れていた。彼にとって、ハルカの存在はその自覚以上に心の中に入り込んでいた。もう一度謝らなければとは思うものの、まだハルカの顔を冷静に見ていられる自信がなく、ここ二日程は朝早くから、魔物討伐に出て夜遅くに返ってくるという日々だった。
パシャンと水音がする。ハルカは驚いて顔を上げる。水音がした方を見ると精霊たちが集まってきていた。やがて水底から青い光が浮き上がり、小さな男の子の姿が水面に立った。
「湖水の精霊王様?!」
「助けて、ハルカ……苦しいよ……」
それだけ言うと光は放散した。ハルカは急いで城へ戻った。今起こったことを誰かに伝えるために。
「あ、ハルカ!ちょうど良かったわ。今、精霊王様がお話があるって、みんなを集めてるの。ハルカも来て!」
フィリアが慌てたようにハルカの手を引いた。
(精霊王様が……。さっきのことだよねきっと。湖水の精霊王様、きっと精霊王様のところにも……。何が起こったの?)
ハルカは不安な気持ちで城の廊下を走った。
フィリアとハルカが会議室に使われている部屋に入ると、国王、王妃、王子兄弟達、重臣達がすでにそろって着席していた。ハルカは自分がこの場にいてもいいのかと一瞬ためらったが、国王は優し気に微笑んで着席を促した。
「よく集まってくれた。今から精霊王様のお言葉がある」
ハルカは座る際リフィロと目が合ったが、リフィロが目をそらしたため、胸の前でギュッと手を握り俯いてしまう。その様子を見て、フィリアとフラムは
(これは何かがあったわね)
(これは何かあったな)
と思ったが、今は何も言えなかった。森の精霊王が翠色の光と共に顕現した。
「西側で魔物が大量に出現している。湖、いや、湖水の精霊王から言葉が届いた。助けてほしいと」
ハルカはハッと顔を上げ、精霊王を見た。精霊王はハルカを見て頷いた。
(やっぱり、精霊王様にも……。魔物って西側ではほとんど見なかったのに……。湖水の精霊王様が苦しんでるのはどうして?)
「何故、我々に助けを?今まではこちらがどんな状況でも、無関心であったというのに」
「それにあちらでは魔術師を育成しているのでしょう?それほど心配ないのでは?」
「そうですね、正直、戦力を割く余裕もそんなには無いでしょう。こちらでもいつ魔物が大量発生するかはわからないのですから」
出される意見は救援に対しては否定的なものが多く、ハルカの不安は増していく。あちら側にはミリーもいるのだ。
「だが、一体何が起こっているのかを知る必要はある」
国王ライシェールは静かに言った。
「確かに。魔人の出現といい、今までにはないことが起こっています。それに湖水の精霊王様にはうちのお姫さまが一応助けてもらってますから」
少しおどけたようにハルカを見てフラムが言った。それも湖水の精霊王が森の精霊王を封じなければ特に問題は無かったかもしれないが、この場では何も言わなかった。ハルカはホッしたようにフラムを見た。お姫様は違うけれど、とは思ったが。
「では、まずは偵察ということで何人かをあちらに送りましょう」
「それがいいだろう」
クレネスが提案すると国王も同意した。
「では、人選になるが……」
「僕とリフィロでいいでしょう。移動にも、あちらにも多少慣れているし」
フラムが手を挙げる。
「我も分身体を送る。湖の、と話をしてこよう」
精霊王も静かに言い、偵察隊の人員が決定した。
ハルカは自分も行きたいと思ったが、フラムに機先を制された。
「あ、ハルカは今回は絶対ダメだよ。わざわざ危険だと分かってる場所へは連れて行けないからね」
フラムは片目をつむり、人差し指を立てて笑った。湖水の精霊王様は自分にも助けを求めてくれたのにと、ハルカは思った。しかしどうやらハルカがここに残ることは、ここにいる全員の総意のようだと感じて、ハルカは何も言えなくなってしまう。隣に座るフィリアが笑顔でポンポンとはるかの手に触れ、手を繋いできた。ハルカには頷いて笑うことしかできなかった。
「では明朝出発。偵察を終えたのち、速やかに帰還するということでよいな?二人とも」
国王の言葉に、フラムは
「お任せください」
と受け、リフィロは静かに頭を下げて答えた。
「リフィロ!」
会議室を出たところで、ハルカはリフィロに声をかけた。リフィロは半身だけ振り返ったが、目は伏せがちでハルカを見ることは無かった。リフィロは自分の無表情が他人に与える印象の冷たさを自覚して無かった。ハルカはあまり見たことがない氷の王子に、自分に対する拒絶を感じて怖くなったが勇気を振り絞った。
「あ、あのね、私、話したいことがあって……」
「ごめん、明日、朝早いから。帰ってきてからでいい?」
「……っ。うん、分かった。ごめんね。気を付けて……」
ハルカは胸の前で両手を握り俯いた。大分歩いた後、リフィロは一度振り向いてハルカを見た。俯くハルカは何故か遠く小さく見えた。リフィロは強い罪悪感を覚えたが、もう少し時間が欲しいと思いそれ以降は振り返らなかった。
その夜。
それは突然の事だった。ハルカの気配が消えた。森の精霊王は呆然とした。
何故だ?この世界のどこにもいない…………。
「ハルカ!殿下と何があったの?お姉さんに言ってごらんなさい!ってあれ?ハルカ?」
フィリアは会議の時のリフィロとハルカの様子にこれは何かあったと踏み、聞き出そうと考えた。今日の勉強を終え、やっと自由の時間を得たフィリアはノックもせずにハルカの部屋のドアを開けた。しかしもう就寝するような時間であるのに、ハルカの部屋は空っぽだった。フィリアは嫌な予感がした。城内を探し回った。厨房も、掃除道具のある部屋も塔の上まで。何処にもいない。森の中を歩いてるのかと外に出てみる。しかし誰もいない……いや精霊王が空を見上げ静かに佇んでいた。力無く。
「ハルカが消えてしまった。この世界のどこにも気配が感じられない」
精霊王は静かに語った。
再び国王、王妃、フラム、リフィロ、フィリア、クレネスが集まり精霊王の話を聞くことになった深夜。
「それは一体どういうことなんですか?」
フラムが苛立ったように尋ねる。
「そのままだ。何が起こったのかは我にもわからぬ」
「彼女は自分の世界へ帰ったということだろうか?」
国王が誰に問うでもなく問うた。
「それは、絶対ありません!もし万が一そうだとしても、黙って行くような子じゃないです!」
フィリアが確信を持って叫ぶ。
「では、再び意思に反して世界を渡っていったということですか」
リフィロが無表情で呟くように言った。その場の全員が静まり返る。
「ハルカさんの親御さんもこんな気持ちでいるのでしょうね……」
王妃が苦しそうに言い、国王がその肩を抱いた。
同じことが再びハルカの身に起こるかもしれないと、どうして誰も考えなかったのか
(どうしてあの時話を聞かなかった?どうしてそばを離れた?どうして僕は同じ過ちを繰り返す?守ると決めたのに……。ハルカ……もう会えないのか……?)
(会えない、君に)
リフィロの体から体温が落ちる。心からも何かが抜け落ちたようであった。リフィロの表情は再び凍り付く。
「っ!なんて顔してるの!?リフィロ・ベルデヴェント!!しっかりしなさい!」
フィリアが一喝する。驚きでリフィロに表情が戻る。
「フィリア?」
「お姉さんよ!私だってもうあなたの家族なの!いいから私の言うことを聞いて信じなさい!ハルカは帰ってくるわ!必ずよ!」
「フィリア?それはもしかして……」
クレネスは思慮深げに尋ねる。
「もちろん私のカンよ!」
「あ、やっぱり……」
クレネスは苦笑いだ。
「えーと姉上、さすがにそれは……」
フラムが困ったように言う。
「いいえ、私には分かるの。あの子は…………だから。あの子は私達のために来てくれたの。私達だけじゃダメなのよ。こんな風にいなくなるはずないわ」
フィリアの目には確かな意思の光が宿っている。その場にいる者は不思議とフィリアを信じたいと思うようになる。精霊王でさえもその不思議な感覚を味わっていた。
リフィロは思い出していた。初めてハルカに出会った時のことを。自分は最初は警戒していたというのに、フィリアは無条件でハルカを信用していた。自分達がハルカを受け入れやすかったのも、フィリアがハルカを大事にしていたことも大きかったのだ。その後、森や王国はどんどん良い状態になっていっている。二人は自分には分からない話を楽しそうにしている時がある。おそらく二人には自分には分からない何かがあるのだろうと思われた。
「いいこと?リフィロ、あなたがしっかりしてないとダメなのよ。しっかり立って、ハルカを待っていてあげなさい!」
リフィロの体に熱が戻る。
「わかりました。…………姉上」
晩夏の闇
灯りを落とした部屋。豪華な家具が揃えられている。赤の王国ラブレーヌ家の屋敷の一室。セシリアはお気に入りの椅子の上で、お気に入りのドレス、アクセサリーを身に付け、姿勢を正し、うつろな表情をしている。
『お前には失望した。滅びかけの国の王子一人くらい何故いいようにできない?』
『仕方がない、これを使いなさい。いいな?くれぐれも言うとおりに……』
(わたくしはお父様のおっしゃるようにやったのに)
『いいか?もうあの国の人間には手を出すな。下手を打てば我が家が取りつぶされる』
『学園では他の縁を探せ。まだいくらでも力の強い貴族がいるだろう。お前は美しいのだから何とでもなる』
セシリアはぎりっと唇をかみしめる。
(わたくしはリフィロ様で良かったのに……。お美しいし、力もお強いし。邪魔、邪魔……。お父様に失望されてしまったわ……。優しいお父様があんな怖い顔をなさるなんて……。邪魔邪魔邪魔邪魔……。みんなあの転移者のせい……。あの女さえいなかったら、全部全部ぜーんぶうまくいったのに。何で死ななかったの?今度は、今度は、絶対ゼッタイニ……)
「殺してやればいいさ。ちゃんと自分の手でね……?」
闇から男の声がした。誰かがセシリアを目隠しする。その左手は指先が欠落していた。
「陛下、ご報告します。魔物が、王国内に次々に現れ、民を襲っております。魔術師団、各討伐ギルドが対応しておりますが、避難が間に合っておらす……」
「陛下、ご報告します。魔物の出現は湖側に集中する傾向が」
「陛下!赤い花です!視認できるほどの濃度の瘴気を吐き出しています!」
「陛下、ご報告申し上げます。民の目撃証言から、魔物は赤い花から生まれた可能性があります」
「何だというのだ一体!何が起こっている!?」
赤の王国国王レオンスはその顔に焦りをにじませた。
その日、突然大陸の西側で、主に湖に近い場所で魔物の出現が相次ぎ、次々に街や人々が襲われた。そして魔物の出現数と被害は日を追うごとに深刻さを増してゆくのだった。
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