試食会
来ていただいてありがとうございます
「こちらへ、早く来るのだ。そう、それでいい。もうすぐに……」
暗く遠い世界からの声がする。かすかに、確かな光をはらんで。
ハルカが来たこの国は割と絶望的な状況だった。またそれとは別にハルカを悩ませる問題があった。体が重くだるいのだ。微熱もあるようだった。寝たきりと言うわけではないが、立ち続けてはいられない。そして食べ物があまり美味しくない。とにかく後味が苦いのだ。体調が悪いせいなのか、自分がこの世界の人間ではないからかハルカには判断がつかないが、とても辛いことだった。
ハルカがここへ来てから三日が経つが、フィリアは連日魔物の討伐に駆り出されている。大きな個体の出現が続いているのだという。最初の朝には、城の中にあるという討伐部を率いている第四王子、第五王子、第六王子と共にハルカに会いに来てくれたが、忙しくてなかなか城に戻ってこられないようだった。毎朝ハルカの顔を見に来てはくれるもののゆっくり話をする時間はなかった。体調の悪さ、そして見知らぬ世界へ来てしまったことへの不安感が強いハルカにとっては、最初に微笑みかけてくれたフィリアの不在は心の重さを増すものだった。
「え、魔物を浄化する力は精霊魔法とは違うんですか?エレさん。」
ハルカは来た当初からハルカを世話してくれているメイドの女性に尋ねた。彼女の名前はエレといい、ほぼ茶色に近い金髪を結い上げ、細い青い目をした落ち着いた雰囲気の美人だった。今は非常時なので城で働くメイドは彼女を含めても数人しかおらず、王族の人々は自分のことはほぼ自分で行うのが常だった。
「ええ、浄化の力は人間が持つ魔力によるものです。精霊魔法は契約した精霊の力を借りて自分の魔力と合わせ、より強い力を得るのです。」
エレは話しながらハルカにお茶を入れてくれた。彼女はこうして様々な話をしてくれてはハルカの気を紛らわせてくれていた。
「ありがとうございます」
ハルカはお茶を受け取って一口飲む。やはり苦みを感じるが、元の世界でもお茶は元々苦いものもあったのでさほど気にはならなかった。
「フィリア様は『浄化するもの』たちの中でも特に強い力を持っていらっしゃいます。魔物は魔法の攻撃で弱らせてから、浄化するのです。でもあの方は大抵の魔物ならお一人で浄化して無害化することが出来るのです。ですのであの方は『浄化の乙女』と呼ばれていらっしゃるんですよ。」
「すごいんですね」
自分は元の世界では特に取り柄もなく目立った才能というものも持ってなかった。さらにこの異世界ではろくに動くこともままならないでいる。そんな自身とフィリアを比較して、ハルカは落ち込んだ気持ちになった。そして自分を襲ってきたあの恐ろしい魔物のことを思い出す。
(フィリアさんはあんな怖い魔物と戦い続けてるんだ……。大丈夫かな。リフィロ様も。ケガしたり、死んじゃったり……)
そこまで考えて、ハルカはとても怖くなった。つい最近元の世界で経験した喪失感を思い出して。
(あんなの、もう嫌だよ)
けれどハルカには彼女らを止める言葉も術もなかった。自分もまた守ってもらっているということを理解していたからだ。今朝も、
「気を付けて」
そう言ったハルカに、フィリアは笑顔で
「大丈夫!私強いから!」
と見覚えのある手のポーズをして出発していった事を思い出す。
(私も何かできたらいいのに……。……あれ?)
何かが心に引っ掛かって違和感を感じたハルカだったが、ちょうどその時襲った目眩でその事を忘れてしまい、しばらく思い出すことはなかった。
この日の昼時、ハルカは戸惑っていた。
「えっと、これは何ですか?で、殿下」
「リフィロでいい、敬語もいらない」
少し怒ったようにリフィロは言った。
「え、でも」
「リ・フィ・ロ。ちなみに敬称もいらない」
さすがに王子様に呼び捨てはと思ったが、リフィロが譲らない気配を見せたのでハルカは諦めた。
「……リフィロ、これは何?」
「いろいろ採ってきた」
今、ハルカの目の前のテーブルの上には、木のトレーに乗せられたたくさんの小皿があった。メイドのエレも同じようなトレーを持っている。それぞれの小皿にはそれぞれ違った木の実や葉、草、花などが乗っていた。はちみつのような液体もある。
「食べ物が合わないと聞いたから、食用のものを森で採取してきた。試してみてくれ。」
「殿下ったら、優しいっ」
何故かフィリアがハルカの部屋の入り口で感動したように叫んだ。
「フィリア様今日はお戻りが早いのですね。」
エレが驚いている。
「今日は意外と弱い魔物ばかりだったから、パパッと片付けてきたわ。」
フィリアが胸を張る。
「おかえりなさい、フィリアさん。良かった。無事で」
ハルカは安堵して言った。
「あら、私のこともフィリアって呼んでほしいわ。ね、殿下」
リフィロは嫌そうに振り返ると無表情で言った。
「ああ、フィリア早かったんだな。討伐お疲れ様。」
「もう、殿下ったら、もう少し嬉しそうにおっしゃってください。そんなに無表情ではそのうちにお顔がカチカチに固まってしまいますわよ」
「……」
「あ、あのっ」
何やら不穏な空気を感じてハルカが口をはさむ。
「あ、ありがとうリフィロ。でも少し食べ物が苦く感じるだけで食べられないわけじゃないから、大丈夫だよ」
「それは辛いだろう。せっかくなら美味しいものを食べてもらいたいんだ。」
リフィロはハルカに向き直って言った。
「それじゃあ」
ハルカは小皿の一つからオレンジ色の小さな果実のようなものを一つつまみ口へ運ぶ。
「あ、これはあんまり苦くないかも。少し酸っぱい」
次は殻から外された木の実。
「これは、ちょっと苦みが強いかな」
こんな感じで食べては感想を言っていくハルカを、リフィロは注意深く見ている。
「これはぶどうみたい。綺麗。」
次にハルカが手に取ったのは小さな透き通った青紫の実だった。一粒だけ皿に乗っていた。
「あ、甘い!それにちっとも苦くない。美味しい!」
「殿下これって精霊樹の実ですよね。珍しい!一体どこで手に入れたんですか?」
「森の泉で一つ実っているのを僕の精霊が見つけて教えてくれたんだ」
フィリアの問いにリフィロが答える。
「珍しいの?」
ハルカが問うと
「精霊王様が眠りについてからはほとんど見なくなったな」
リフィロは静かに答えた。
その後もハルカの試食は続いたが、リフィロが用意した食材はほとんど美味しく食べられるものばかりだった。食べ物が美味しいと感じることが、こんなに気持ちを明るくするものだと知らなかったハルカは、知らず笑顔になっていた。この世界に来て初めて心から笑うことができた。
「わっ、ハルカって笑うともっとかわいくなるのね」
フィリアが両手を合わせて言う。
「え、そんなことはないと思うけど……」
(そんなこと言われたことない。小さい頃ならおばあちゃんがよく言ってくれてたけど…)
つまり、ハルカとしてはノーカウントということだ。
「ね?殿下もそう思うでしょう?」
「なんで僕に話を振るんだっ。……とにかく、食べられるものがあって良かった。まだ、食材はあるからしばらくはこれを食べてくれ。無くなったらまた採ってくる。」
「あ、ありがとう、リフィロ!」
ハルカが笑顔でお礼を言うと、リフィロはフイッととそっぽを向いてしまう。
「……この国では皆家族のように暮らしてる。ハルカだってもう家族みたいなものだ。兄として妹を助けるのは、当たり前のことだ。」
「兄……」
フィリアは少し不満げだ。
「家族……」
ハルカは胸がほわっと温かくなるのを感じていた。
廊下にて
「リフィロ様、片づけは私が」
「いや、一つは僕が持っていくよ」
トレーを一つずつ持って廊下を歩くリフィロとエレ。
「リフィロ様、この食材は森の最奥、精霊樹の近くで採取なさっていらしたのではないですか?」
エレが静かに口を開く。
「どうしてわかった?」
軽い驚きをもってリフィロが答えた。
「私たちも調理などをして同じような森の恵みをいただいておりますが、特に味に違和感を感じたことはありません。そうなると、場所の問題かと」
「ハルカは魔物と遭遇した時、焦げ臭いと言っていた。でも僕はそんな臭いを感じたことはない。食べ物にも苦みを感じることはない。」
「瘴気、でしょうか」
「わからない。ハルカが渡り人だからかもしれない。体質が違うのかもしれない。……瘴気に汚染されつつあるのかもしれない……この国が」
リフィロの言葉にエレは無言で目を伏せる。
(結界の弱まり……この国には本当に時間が無いのかもしれない)
リフィロは唇をかんだ。
ここまでお読みいただいてありがとうございます
ハルカ15歳
フィリア19歳
リフィロ15歳
クレネス25歳