帰る日②+
来ていただいてありがとうございます。
(私がこの国に留まれば、ミリー達が何かされることはない)
ハルカは俯く。山猫の姿の精霊が尻尾をピシリと床に打ち付けた。
(でも、そうしたらもうあの森に帰れなくなっちゃうんだ……)
ハルカは唇をかんだ。氷の精霊が羽ばたいてリフィロの肩にとまった。
この世界に渡って来たことで一度、そしてもう一度ハルカは自分の帰る場所を失うことになる。それでも、「分かりました」と返事をしようと口を開いたその時、リフィロの手が優しくハルカの口を塞ぎ、頭を振った。そして、
「やれやれ……」
ハルカのブレスレットの翠玉が、今までに無い程の輝きを放つ。そしてその輝きのままに、ココちゃんではなく、森の精霊王が顕現する。この場にいる全ての人間に見えるように。その顔には今までハルカに見せてきたようなおどけた表情は一切無く、静かに深く怒りをたたえていた。
空気がそれを伝える。
レオンスの臣下達が、次々と両膝を床につかされた。頭を上げることができず、もう森の精霊王の姿を見ることも出来ない。レオンスはその顔に汗を浮かべながら堪えているが、右足が半歩後ろに下がってしまう。
「……っ」
(引かされた……何だこれは?一体何なのだこの存在は?ただの精霊ではない)
「ハルカはハルカがそう望む限り、我が森の同胞であり、我が眷族であり、家族である。その意思を、自由を妨げられることは決して無い。分かるな?」
森の精霊王は厳かに告げる。レオンスの肩にいたトカゲの姿の精霊は、床に降りて静かにその頭を下げた。その様子を見たレオンスは深く息を吐いた。
「さあ、もう帰るぞ」
精霊王は子狐の姿に戻ると、ハルカの肩に飛び乗った。
「ココちゃん……?でもミリーが……」
「心配せずとも良い。あの娘に手出しはさせない。もう大丈夫だ。脅し返してやったからな。あの男も半分以上は本気ではなかったようだ。こら、お前達!そんなに殺気を放つでない。特にリフィロ!お前はこの城を壊滅させる気か!全く危ない奴らだ」
ココちゃんは呆れたように言った。
「え?」
緊張していたハルカは気が付かなかったが、窓の外には、精霊達が集まりつつあり、無数の光達が乱舞していたのだった。
「リフィロ、フラム……?」
まだ不安そうなハルカに、フラムはいつもの調子で言った。
「あー、うんもう多分ここまでやれば大丈夫でしょ。さ、帰ろ帰ろ、こんな国から。それにしてもリフィロは過激だよねぇ。愛ゆえにってやつ?」
フラムは自分の昨夜の言動を棚に上げて、リフィロをからかった。リフィロはまだ国王を冷たく睨んでいたが、ハルカの背をそっと撫で、安心させるように笑いかけた。
「ハルカは好きな場所にいていいんだ」
昼過ぎ
「陛下、よろいしいので?あの娘をこのまま帰してしまっても」
「ああ、良い。構わん」
王の執務室で不機嫌そうに机に向かう主に向かって、従僕の男性が声を掛ける。
(というか、止めることなど不可能だな。あの娘、とんでもないものを従えている。あれは恐らく……、東の、森の精霊王……。五、六年前から琥珀の砂原での魔物の出現の勢いが増し、ここ最近、その数が減少してきたという報告がある。大きく力を落としていた森の精霊王が再び力を取り戻したのは、あの娘の出現が原因か?……それにしても)
「それにしても、陛下、恰好悪いですねぇ」
「何?」
「いや、だってことごとく振られてたじゃないですか?それに脅しまでかけたのに逆に脅されるとか……」
「あんなものがいるとは聞いてない……国を潰す訳にはいかないだろう。それにまだ、諦めたわけじゃないぞ……」
机に頬杖をついて半眼になるレオンス。
「うわあ、しつこいと更に嫌われますよ?」
この二人は幼馴染であったので、二人だけの時にはこういった気安い会話が行われることがあった。レオンスの方がそれを望んでいた。
「私は精霊を初めて見ましたよ。何か凄かったですね。それにあの王子、あれも凄いですねえ。城の氷、まだ解けないですよ。水が使えなくて大混乱です、城内……。今、魔術師たちが総出で解凍してますけど」
従僕の青年はしみじみと語った。実は、リフィロの怒りは凄まじかったようで、真夏であるのに未だ城壁の半分ほどが凍り付いていた。
「涼しくていいじゃないか」
レオンスは投げやりに片手を振りながら言った。
(あれが、精霊の国の王子か。しかも末の。ほぼ伝説の中の国の本来の力。いや、ずっと魔物と戦い続けてきたが故の強さ……。あの国は化け物ぞろいということか。恐ろしいことだ)
「我々も、もっと研鑽を積まねばならないということだな」
レオンスは机の上で自分を見上げているトカゲの姿の精霊を見た。従僕の青年は主が何か別のものが見えていることに気が付いてはいたが、そのことを打ち明けられはしなかったので、ただ静かに頭を下げた。
同時刻
こうしてハルカの赤の国での滞在は終わりを告げた。帰りの馬車の中で用意してもらった昼食を取りながら、ハルカはため息をつく。まだ不安は消えないが、みんなが大丈夫というのだから、と自分を納得させた。ココちゃんがサンドイッチを器用に食べながら聞いてきてた。
「それにしても、何故馬車を使うのだ?精霊界を通ればすぐに学園に着くというのに」
「え?精霊界って、幻の道のこと?」
ハルカが驚いて尋ねた。リフィロもフラムも驚いた顔をしている。
「おお、そうとも言うな。湖のが制限を解いたから、森へも数日あれば着けるぞ」
ココちゃんは何ともないように告げた。
「そうなのですか?」
「なんだー、そういうことは早く教えてよー」
リフィロとフラムが口々に言う。
「……じゃあ、森へ帰れるの?」
ハルカの表情が明るくなる。ハルカの「帰る」という言葉に三人はそれぞれの笑顔で答えた。ハルカの夏休みがようやく始まったようだった。
セシリアの父の話
セシリアの父、マクヴェル・ラブレーヌは森では凡庸な男だった。精霊が見えるだけで、契約に至らなかった彼は、もしかしたらそれ以下であったかもしれない。彼にとって役に立たない精霊はいないのと同じだ。精霊王についても同じだった。その加護が失われつつある森を捨てるのは彼にとっては当然の選択であったのだ。滅びかけた国にしがみつく必要などなかった。彼の妻は西側で出会った西側の貴族の女性であったのだから。
妻と娘、一族の数十人を連れて出国した。国王は咎めることは無かった。一族の中には森に残る選択をする者も出たが、そんな者達のことはどうでも良かった。妻の出身国、赤の王国は実力主義の国だった。伝統を持つ貴族たちが権力を持ってはいるものの、魔物討伐において功績を上げた者に爵位を与えてくれた。マクヴェルはこの国では秀でた才能の持ち主として遇された。彼は森では並であった魔法の才もこちら側では圧倒的であることを知った。彼の自尊心は大いに満たされ、彼の才に見合った地位も手に入れた。
彼の娘、セシリアは美しいが愚かな娘だった。少なくとも彼はそう思っていた。彼の妻であり、彼女の母はセシリアに「お父様はとても苦労して、この国で頑張っているのですよ」と何度も繰り返し話した。セシリアは父をとても尊敬し、盲目的に信じていた。マクヴェルはセシリアを可愛がった。セシリアは美しいが、魔術の才は並以下だった。それでもどうにか学園には入学させた。そこで強い力を持つ者との縁を繋ぐように命じるとセシリアは素直に頷いた。
森の古王国の王子達が学園にやって来るという話はマクヴェルにも伝わっていた。とうとう森も滅びの時を迎え、王子達も身を寄せる場所、つまり婿入り先を探しに来たのだろうと考えた。
(ほら見ろ!私の方が先見の明があったのだ)
マクヴェルは森の古王国の王族達を心の中で蔑んだ。
(いいだろう。落ちぶれてはいるが、こちらで迎え入れてやろう)
マクヴェルは、セシリアに手紙で第七王子に近づき、赤の王国へ連れてくるように命じた。あの王子が原因で森が滅びかけているようなものだ。そこを責めて言いくるめてしまえば、こちらの思うままになるだろう。幼いながらも強い力を持った王子だった。手に入れればこの王国での地位も盤石になる。そう考えたのだ。だが、王子はセシリアの申し出を断ったと言う。どうやら才能はあるが頭は良くはないようだ。セシリアには繰り返し説得するように伝えた。
(何故だ?精霊王が復活している?どういうことなんだ?)
国王の後ろで森の精霊王の顕現を見たマクヴェルは混乱していた。見たのは一瞬だけだが彼は見間違えではないと確信していた。セシリアは精霊王の加護を受けるあの娘を殺めようとしたのか。中々進まない王子の懐柔に焦れたセシリアがねだってきた毒薬は、マクヴェルが手に入れたものだ。マクヴェルは慌てた。どうやらあの娘にはレオンスも関心を持っているようだった。いや、それ以上だった。あの娘を襲おうとしたボンクラ共は爵位を取り上げられ、辺境での魔物討伐が課せられたと聞く。国王は一族もろとも辺境へ送るつもりだったらしいが、家臣に諫められたと聞いた。
捜査の手が自分に及ぶ可能性は恐らく低いだろうとマクヴェルは考えていた。何故なら、関係者及び証拠となるものは全て消してあるのだから。メイド達も毒薬も毒薬を売った商人も。あの娘があの毒薬を飲んだ証拠は無いはずだった。しかしあの時、マクヴェルは森の精霊王が一瞬自分を見たような気がした。全て見透かされているのかと覚悟したが、国王からは呼び出されることすらなかった。まだマクヴェルは安心していられた。
しかし自らの立場が綱渡り状態であることを理解していたマクヴェルは、セシリアに厳命した。あの王子は諦めて、もっと他の者を探すようにと。あの娘にはもう手出し無用だと。珍しく不満の色を見せた娘に違和感を感じたが、それでも自分に逆らうようなことはしないだろうとマクヴェルは信じていた。セシリアは愚かだが、素直な娘だとマクヴェルは思っていた。これで大丈夫だろうとマクヴェルは考えていたのだ。
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