琥珀の砂原
来ていただいてありがとうございます
よろしくお願いします
目の前には琥珀色の砂原と雲一つない薄青の空が広がっていた。
ただ、辺りには何かが焦げたような匂いがしていた。
ハルカは借りていた本を返すために図書館に行こうとして、玄関を出て鍵をかけた。そして振り返ったらここにいた。
(え?)
たった今出てきた家も無くなっている。砂原の真ん中にハルカは一人で立っていた。
「えっと…あれ?これは…」
あまりのことに頭が上手く働かない。思わす胸の前で手を組むと手に持った紙袋がカサリと音を立てた。その時、かすかに砂の音がし始めた。音はだんだんと大きくなっていく。砂の中を何かが動いて近づいてくるようだ。
さああああああああああ
ハルカが音のする方へ顔を向けると、突然砂をかき分けてなにかが飛び出し、頭上に大きな影が差す。強烈な焦げ臭さと共に現れたムカデのような生き物がこちらを見下ろしていた。あくまでムカデのような生き物であり、ムカデはこんなに巨大ではない。その生き物は最近入学したばかりの高校の四階建ての校舎と同じくらいの高さがあった。臭いのせいか、目や頭が痛み始めてきた。
(き、気持ち悪い、足がいっぱい、どうしよう)
相手は完全に捕食者の眼でこちらを見ているようなのに、ハルカは恐怖でパニック状態だった。逃げなくてはとわかってはいるが体が動かない。暗い色の巨大な体の上部がカパッと割れて真紅が現れる。蛇のように鎌首をもたげて、それはゆっくり下りてきた。
(あ、ダメだ…や、やだ、いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!死にたくない!!!)
そう思った瞬間、はるかの体の中で何かがはじけた感覚がする。真っ赤な口の中、鋭い牙が八本、ハルカの頭をめがけて下りてくる……そう思ったが、いつまでたっても衝撃も痛みも襲ってこない。いつの間にか閉じていた眼を恐る恐る開けると、ハルカを守るように透明で白銀の光がちりばめられた半球状のドームのようなものが現れていた。
「何これ……」
「……っ」
突然、誰かの声と共に幾筋もの青白い光ががムカデもどきを貫いた。ムカデもどきの体は光が刺さった部分から氷に覆われ始め、動きを止めていた。
(助かった……?)
ハルカの体から力が抜けた。と同時にハルカを守っていた光のドームがが粉々に砕けてハルカの体に張り付いて消えた。
「危ないっ。こっちへっ」
ふいに温かい手がハルカの腕を掴み、引っ張った。体を半分以上氷で覆われたムカデもどきがどうっ、と倒れ砂が大量に巻き上がる。
「大丈夫?」
反動でしりもちをついたハルカを一人の少女が覗き込んだ。砂煙が収まるとその少女の姿がはっきりした。ゆるく波打つ白金の髪、青緑色の瞳、白く滑らかな肌、ほっそりとした、とんでもない美少女がそこにいた。
「きれい……」
ハルカは思わず見惚れた。少女は軽く目を見開き、頬をぽっと染める。
「フィリア!まだ終わってないっ。氷刃ではアイツにとどめを刺せないっ」
先ほどムカデもどきを氷漬けにした力を放った少年が叫ぶ。見れば、動きを止めたと思ったムカデもどきが氷を破ろうとしているようだった。
「わかってる。いくわよー」
状況に見合わない呑気な声で、フィリアと呼ばれた美少女がムカデもどきに向かって両手を突き出す。
「ホワイトハートアターックッ」
フィリアの手から全身からキラキラとした白金の光が放たれ、ムカデもどきの体は無数の白金色の光となり霧散していった。
(………)
あまりの出来事に今度こそハルカの思考は停止した。
「危なかったねぇ。なんでこんなところにいるの?」
(美少女って声もきれいなんだなぁ……。何でってそんなの私が一番知りたい…)
「大丈夫?立てる?」
フィリアはハルカに近づき両手を出してきた。ハルカはおずおずとそのきれいな手を掴む。
「あ、ありがとう」
まだ膝が震えるものの何とか立ち上がったハルカに、別の方向からフィリアよりやや低めの声がかかる。
「で、君は何者なのかな?なんでこんな危険な場所に一人でいたの?そんな軽装……というか変わった服装だね」
もう一人の少年の方はこれまた綺麗な青みがかった金髪、やはり青緑色の瞳だった。少女よりやや背が高く、少女に負けず劣らす美しかった。彼は訝しむようにハルカに問いかけた。彼の「変わった服装」という言葉に、二人の服装に目が行く。
(ゲーム?RPG?小説?アニメ?)
思わずそんな言葉が浮かぶ。
「異世界転移……?」
自分の口をついて出た言葉に軽くめまいを覚えたハルカは両手で頭を抱えたのだった。
「『渡り人』か」
ハルカが自分の家から出たら突然この砂原にいたこと、ムカデもどきに襲われたことなどを話すと少年がその細い指をあごにあててつぶやいた。
「わたりびと?」
「殿下、渡り人とは?」
「以前書物で読んだことがある。この世界とは別の世界から人や物が渡ってくることがあると。そしてその数はそれほど少なくないと。この国にある書物にはそれほどではないが、西の大国には多くの文献があるらしい」
フィリアに殿下と呼ばれた少年はその癖のない髪をさらりと揺らして考え込んだ。読み込んだ書物の記憶を辿っているのだろう。やがて少年は目を上げ、目の前の二人を見て怪訝そうに言った。
「で、なぜ君たちはそんなにぴったりくっついているんだ?」
ハルカはには答えられなかった。それはハルカも不思議に思っていたことだったから。ハルカとフィリアは腕を組んでいた。正確には紙袋を両手に持ったハルカの左腕をフィリアの両腕が抱きしめていた。
「えっと……」
ハルカがちらりとフィリアを見やると、フィリアはとても嬉しそうに微笑んでハルカを見つめ返した。
(ち、近い。うわ、やっぱりすごくきれい。でもなんか恥ずかしい……)
ハルカは思わず頬を染めてうつむいてしまう。
「私はフィリア。フィリア・シロン。よろしくね。渡り人さんあなたのお名前は?」
フィリアは少年の質問には答えず、自らの名を告げる。
「あっ、私は森陽花……はるか、もりです」
ハルカは顔を上げて二人に名乗った。
(外国みたいだから名前が先だよね。それにしても何で言葉わかるんだろう。異世界転移だから、かな。小説とかでもそんな感じだし……)
「そう、ハルカっていうのね。ふふ、綺麗な黒髪。サラサラね」
フィリアがハルカから少し離れ、少年に手を向けて続ける。
「そしてこちらが……」
「僕はリフィロ。リフィロ・ヴェルデヴェント。森の古王国の第七王子だ」
少年は自ら名乗り、軽くため息をついた。
「フィリアがこんなに気に入っているのだから大丈夫だろう。この辺りにはもう強い瘴気も感じられない。討伐は終了だ。急いで城へ戻ろう。君にも一緒に来てもらう。陛下に報告しなければならない」 好意的なフィリアとは対照的にリフィロの言葉は警戒を感じさせた。
(仕方ないよね。私、完全に不審者だしね。フィリアさんがちょっと変わってるのかな?)
自分を納得させたハルカであったが、心と体が重くなるのを感じていた。ただ、ムカデもどきに襲われていた時の焦げ臭さがだいぶ弱まっており、目や頭の痛みが治まってきていたのは救いだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます