最終話
最終話
このけったいな宇宙戦争の話はこれでおしまいだ。
勤勉で勇敢な異星人の戦士ニムはこの後、俺を無事に山小屋まで連れて帰ってくれたのだけど、その直後に母船からの緊急召集を受けたとかでせわしなくログアウトしてしまい、それきり、俺へのハックは行われなくなったのだった。
最後の言葉は「すまない。多分もう会うことはないだろう。帰りの道も気を付け」だった。俺はとりあえず当初の予定通り山小屋で一泊し、下山した。ニムがこれまで鍛えてくれていたお陰で、俺の身体は前日の酷使にも関わらず快調に動いてくれていた、途中までは。
ぱっと見何の問題もなさそうな道だったのだけれど、俺は迂闊にも足を滑らせて、坂道を沢の方へ転落した。その際、軽く足を捻ってしまったらしい。それ以外には特に怪我らしい怪我はしなかったのだけど、元の道に戻ることはできそうにない。仕方なく別の道を探して歩いてみたのだけれど、どこにも登山道らしきものは見えない。そのうちに捻った足が痛みだした。まずいと思ったときには既に遅く、俺は道迷い&歩行不能の状態に陥っていた。つまり、麓ももう近いというのに遭難してしまったという訳だ。
スマホを取り出す。バッテリーはまだ残ってるし、電波も届くようだ。なら最悪、救助は呼べる。でも、どうしようか。俺は重くなった腰を下ろし、空を見上げて呟いた。「どうしようか」と。無論その問いに答えてくれる声はない。当然、俺の口からもだ。いや、ニムがこの場にいたなら、一も二もなく救助要請の電話をかけただろう。でも俺は? 俺は果たして、ここで他人の手を借りてまで助けてもらいたいと思っているだろうか? こんな低い山で、しかも麓ももう近い筈だ。そもそも救助要請ってどこに電話すれば? 110? 119? 誰が助けに来てくれる? 警察? 山の管理者的な人? 料金は? 怒られるのか? 罪に問われたりはしないだろうけど。それにそもそも、俺は今何でこんな所にいるんだろう。
そんな事をダラダラ思いながら、俺は空を眺め続けた。時間帯は真昼前後。気温が高くなってきた。額を不快な汗が伝う。いや分かってる。今何をすべきなのかは。とりあえず110番でいいから電話を掛けて、この状況を誰かに伝えるべきなのだ。そうすれば次にすべき事も教えてもらえるだろう。普通に考えればそれで何の問題もない。でも何で? それで俺が助かったとして、誰が得をするのか? 誰の得にもならない。無駄な労苦が発生するだけだ。なら、俺は電話を掛けるべきじゃない。そうだろう?
「違う。馬鹿か君は」
と、俺を諌める声ももうない。登山道からは離れてしまったので、誰かが見つけてくれるなんて偶然も期待できない。俺を助けてもらうためのトリガーを引けるのは、俺以外にいない。俺はスマホを手の中で弄びながら、電話番号を入力しかけては止める、という行為を何度か繰り返した。無意識にいつものネット巡回をしそうになって我に帰り、自分がどんだけ救い難いクズなのかも再認識した。気がつくと、バッテリー残量はもう僅かになっていた。ああ、もう今から電話してもこの状況を詳細に伝えられる時間ねーわ。そうか、俺はこんな風に袋小路に嵌まって行くのね。例えこっから何かの偶然で助かったとしても、俺の人生はもう決まってるようなもんだ。俺はスマホを置いた。頭を下げて、膝に顔を埋めた。軽く変な笑いが出た。それから少し、眠った。
***
目が覚めたときは、もう薄暗くなりかけていた。喉が乾いていた。イラついた。ムカついた。何に対してかは分からないけれど。ただ静かに眠り続けていることもできない俺自身の肉体には、確かな怒りを覚えた。ああ、お前は喉が乾いたのね。分かった。OK。なら飲ましてやるよ。ニムが昨日買っておいてくれたとっておきの飲料水だ。俺はバッグから手荒に水を取り出して、口に運んでやった。
「…………?」
あ? 水って、こんな味だったか? 喉を通った液体が、身体に染みて行くのを感じた。俺は一気にボトルの半分を飲むと、ラベルを確認した。どこのコンビニにも置いているただの水だった。間違いない。舌先に感じる風味も匂いも、まじりっけのない普通の水のものだった。俺は慌ててボトルのフタを閉める。まだ飲み干すなと、俺は俺自身にそう命令したのだ。そうだ、なら次は?
俺は置いたはずのスマホを探した。足元に転がっているそれを持ち上げ、バッテリー残量を確認。まだ、ある。
電話を起動。急げ。震える指で110を入力。 そして俺は目を閉じると、俺自身にもう一度命令を下した。とにかく、落ち着いて指示に従うんだ、と。
エピローグ
結局あいつは何だったんだろう。
あいつがいなくなってから10年近く経った今でも時折考える。本当に宇宙人だったのかも知れないし、俺の妄想だったのかも知れない。その辺りは俺には判断できなくて、結局のところ残ったのは事実だけだった。即ち、俺がするはずのない自炊やトレーニングをして、入るはずのないサークルに入って、登るはずのない山に登って、遭難して、救助されたという事実だ。俺はその後も何となく自炊したり、野山を歩いたりを気が向いたときにやってみた。あいつがやっていた通りにはとてもできなかったけど、気分はまあ、多少は良かった。
大学は適当に通ってそのまま卒業した。サークルの連中とは卒業後は会ってない。就職は地元に帰って零細企業の事務職に滑り込んだ。薄給だが最低限の生活費以外、金の使い道は特にないので問題ない。
あいつが望んだ陽キャな生活は、結局俺には縁が無かったようだ。仕事以外で他人と会話する機会はほぼなくて、せいぜい山歩きの最中に他のハイカーと多少の挨拶やルートとかの確認をする程度だ。
でも多分、それで問題は無いんだろう。
俺はあいつの主張を認めたくなかった。
だって悲しい事なんて無い方がいいに決まってるし、誰だって苦しみなんて味わいたくないに決まってる。だから俺は誰とも関わらずに生きていければそれが一番いいと思ってたし、それが例え叶わないとしても、少なくとも俺にとっての理想の生き方はそういうもんだと思ってた。
「だけどお前の勝ちだよ」
俺は俺の身体の中にあるのかも知れないナノマシンに向かってそう呟いた。
「すごくありきたりで何のひねりもないんだけれど、やっぱりお前の言う通り、怖いとか、痛いとか、そういう負の要素が強ければ強いほど、楽しいとか嬉しいとか、そういう感情も強く沸いたんだ。お前の主張は正しかった」
俺はそこまで一気に言うと、肩の力を抜いて、息を一旦整えた。
「けどな」
そして俺は窓の外に広がる夜空を見つめながら、最後の反論を行う。
「俺は俺の主張を曲げるつもりもないんだ。必要以上に他人と関わらず生きるって選択肢も、やっぱりあると思う。俺は今でも十分、シアワセなんだって言い切れる。その理由まではっきり言えるぞ。
お前が教えてくれたんだ。俺はお前のお陰で、俺が望む生き方の一つを見つけることが出来た。あの時の俺に必要だったのは、ニム、間違いなくお前だったのさ。そして今の俺にはもう必要ない。これは間違いなく俺の、本当の本心だ」
俺がそこまで言って星空を睨みつけた直後、持っていたスマホがメッセージを受信した。
非通知の相手から、ごく短い文章が届いていた。
『了解した。君が幸せで私も嬉しい』
それを見た俺の目が、潤んだのが解った。
俺は一言「ありがとう」とだけ、呟いた。