1話~3話
1話
「驚かせて申し訳ないが、これから宣戦を布告させてもらう」
俺の口は俺の意思を無視してそう言うと、それから1時間もの間、勝手にしゃべり続けた。
しゃべりながら俺は、3日くらい前から郵便受けに入っていたピザ屋のチラシの裏にペンを走らせて、定規で引いたような書体で「母船」だの「ナノマシン」だの「随意筋ハック」だのといった支離滅裂な単語を整然と書き記していた。
「……とりあえずは以上だ。何か質問は?」と俺が言う。
「つまりあんたは宇宙人で、俺をハッキングした。って理解でOK?」と俺は聞いた。
「その理解で問題ない」と、俺は答えた。
一時間に及んだ説明を要約するとこうなる。
宇宙人氏の名前はニム。もっと長い名前はあるが、俺が発音しようとすると舌を噛むので略させてもらう。ちなみに俺自身の名前は寺島テルオ。地方Fラン大学二年生の陰キャクソ童貞だ。
ニムは大勢の仲間と長い長い旅路の果てにこの太陽系に飛来。地球に文明を見つけたのでナノマシンを散布し、遠隔操作で地球の事を何年もかけて研究した。結果、ナノマシンを介して地球人の身体をハックし、自在に操れる技術を開発。その技術でもって地球を今まさに侵略しようとしている真っ最中なのだと。
「もう侵略に成功したようなもんじゃん」
「それは違う。君達は君達が思っている以上に素晴らしく繊細で緻密だ。我々は君達の随意筋運動をほぼ掌握できるが、精神には干渉できない。そして君達の精神は我々の侵略によるストレスに耐えられず、肉体の方に異常を発生させてしまうのだ」
「つまり、身体の乗っ取りは余裕だけど、それだと地球人は死んじゃうって事? 願ったりでは?」
「違う。我々は地球という星が欲しいのではない。地球人の生き生きとした身体が最も欲しいのだ」
ニム達は身体を持たないらしい。母船にある超高度なコンピュータが彼らの精神の拠り代であり、世界そのものなのだそうだ。
「君達に分かりやすく言うと、超リアルなオンラインゲームのような世界に我々は生きているのだ」
「なるほど、分かりやすーい」
「しかし、せっかく知的生命体がこんなにも生き生きと生活しているのを見て、我々は我慢ができなくなった。なんと素晴らしい! 我々も肉体が欲しい。血と汗を流しながら、大地を走る喜びを味わいたいのだ!!」
ニムが俺の口でそう叫んだ。アパートの薄い壁がドン!と鳴る。隣の部屋にスイマセンと謝る俺とニム。
「……大体事情は分かった。抵抗しても無駄だって事も理解してる。なので、あんたに協力するから、そっちの希望を言ってくれ」
「まだ勘違いしているようだな」ニムが言う。無論、俺の口でだ。
「これは共生の依頼ではない。宣戦布告だ。君には戦う術と自由が残されている。即ち、私が君をハックしつつも、君がストレスで死ぬことなく快適に生活できれば私達の勝ち。しかし君がストレスで倒れれば、それは君の勝利だ。我々は地球人のハッキングに失敗した事になり、最悪の場合はこの星系から撤退するだろう」
「ふーん」
俺はとりあえずしゃべりっぱなしで喉が乾いたので、ニムに頼んでコンビニにジュースを買いに行ってもらうのだった。
2話
「おはよう。よく眠れたか? では朝食にしようか。何が食べたい?」
俺は俺の口から自動的に出てきた言葉で、昨夜の出来事が夢ではないことを自覚した。
ニムは俺に色々と炊事用具やら材料、調味料の在りかを尋ねながら、手際よく食材を調理していった。やがて並べられた料理を食べる。うん。悪くない。やや薄味だけど。
俺は食べながら、色々と思うところを質問してみた。
「この食事も俺にストレスなく過ごさせるための戦略かい?」
「そうだ。食事はやっぱり基本だからな。それと睡眠。あと日本人だと風呂も大事だと聞いている」
「純粋に、一人になれる時間も必要かもよ」
「把握した。一人になりたいときは遠慮なく言ってくれ。連続で16時間はこっちの操作と感覚共有を解除できる」
「それ以上は難しいのか?」
「母船にミッションの失敗と判定される恐れがある。その場合、私は強制送還されてしまうんだ。だが、なるべく希望に沿うよ。他に例がないわけでもないしな」
「俺以外にも、ハックされてる人間は多いのか?」
「私が把握している限りで、現在アジア圏に約2000人。日本はその内約50人だ」
「侵略者にしては色々とぶっちゃけ過ぎじゃないか?」
「いい質問だ。事実我々は、侵略開始当初は地球人の意識を完全に無視し、強制的に身体をハックしていた。だがそれだと、全く短期間しか宿主が持たないと判明した。次にいわゆる二重人格を装って侵入を試みたり、虚実織り混ぜて巧みに身体の所有権を徐々に奪おうとしたり、本人や家族を脅して肉体の強奪を試みたりもしてみた。だがどれもが失敗に終わったんだ。君たち地球人の精神と身体は実に美しく調和していて、こちらの嘘などで騙されてはくれない。ならば、と、我々は考えた。開示できる情報はこちらが先に開示し、正攻法で攻めてみてはどうか、とね」
「ふーん」
「まあ、そう言っても信じてもらえるかどうかは君次第だけれども」
「いや、一応まあまあ納得したよ」
俺はそう答えて箸を置いた。ちなみに食事中は、基本的に俺が自由に動いてよいようだ。
「後片付けは私がする。で、いいかな?」
「ああ、頼むよ」
俺がそう言うと、何も意識せずとも手が食器を器用に重ねて、普段立ち上がるのも億劫な足腰がすっと立ち、流し場へと身体を向かわせた。
***
ニムは器用で、勤勉で、やる気に溢れていた。運動不足な俺の身体は彼の意思に対して着いていくのがやっと、といった体だったが、ニムはそれすらも楽しみの一部であるかのように、重い身体を引き摺って、旺盛に活動した。
当然身体は疲労する。その疲労は俺自身も感じるのだが、不思議と耐えがたくはなかった。不思議な感覚だったが、疲れていても、ニムが身体を操作してくれると、鈍いながらも手足は活動した。
「それじゃ、寝るとしようか。また、7時間後にな。お休み」
ニムは俺をベッドに寝かせてから、俺の口で俺にそう言うと、身体の操作を解除した。全身が疲れきっていたが、不快感は余りない。小学生だった頃の夏、プールで遊びすぎた日の午後に感じたような疲労の中で、俺は速やかに眠り込んで行くのだった。
3話
「理解しがたい」
「そうか?」
「そうだ。そもそも、こういった価値観は地球人と我々の間でもそう違いはないと聞いている」ニムは俺の眉をしかめさせてそう言った。
「……まあ、買ってきたものでも食いながら少し落ち着こうぜ。らしくもない」
俺はニムに、コンビニ袋を置いてベッドに横になるよう頼んだ。速やかに応じてくれるニム。日は落ちかけており、アパートの部屋は既に薄暗かったが、照明はまだ点けないでいた。
特にどうということではないのだけれど、ニムにとっては謎だったらしい。俺が大学に一人で通学し、一人で授業を受け、メシを食い、一人で帰ってくるという行動パターンが、だ。
「別に一人じゃないよ。周りには大勢の学生がいただろ?」
「ああいた。だが君は誰とも会話をしなかったし、挨拶することも、目を合わせることもなかったぞ」
「そういう学生もいるのさ」
「理解しがたい」
「君らエイリアンはもっと社交的なのか?」
「少なくとも、仲間同士で挨拶や日常会話はするぞ。それに、私が母船内で受けた地球人の生活スタイルの授業でも、君たちのような若い地球人は互いにもっとコミュニケーションを取っていると習った」
「きっとそりゃ欧米の大学とかの話だろ(適当)。ともかく、日本の田舎のFラン大学では、ぼっち学生なんて珍しくもなんともない。だから気にするな」
「君はストレスを感じてないのか?……なら、いいんだが」
ニムの言いたいことは分からなくもない。確かに他の学生達の中には、日がな一日多くの友人とつるんで楽しそうに喋りまくってる連中もいるし、かと思えばその中に混ざろうと必死に話題やきっかけを探して血眼になってる連中もいる。ずっと一人でうつむいている奴もいる。俺もそうだ。けど、
「もう慣れたんだよ。そんだけのことさ」俺はそう答えた。
「そうか……」
ニムは何だか残念そうにそう言ってから、コンビニ袋の中にあったポテト菓子の袋を開けて、一つ口に放り込んだ。
「……なあ。ニムはさ、もっと社交的に過ごしたいのか? いわゆる陽キャで、リア充な感じに」
「そうだな……正直に言うと、興味はある」
「なら、今度大学で身体貸してやるから、好きなようにやってみろよ」
「!……いいのか?」
「いいよ別に」
俺はそう答えて、自由に使える左手でペットボトルのお茶を口に運んだ。
***
「難しいもんだな」
「だろう?」
部屋に戻ってくるなり、俺たちは一つの口でそう呟きあった。
勤勉なニムは、昨日も今日も実直に努力した。服装をなるべく小綺麗にし、周囲の話題に耳を傾け、笑顔を整えて、気さくに挨拶を試みた。
「すっごく引かれたなぁ……」
「ああ、地球人のスクールカーストは一度固定化されると手強いとも聞いていたが、想像以上だった」
ニムは少し声を震わせてそう呟いた。流石にヘコんでるのだろうか?
「……すまないな。君にも随分無理を強いてしまった」と、続ける。
「んにゃ、気にするな。俺は特にヘコんでないし」
そう、自分の身体がしでかしたとはいえ、やったのはニムだ。だから責任は俺にはない。元々友人もいないわけで、痛手は全く感じていなかった。
「……とにかく、少し疲れた。今日はもうログアウトする。また、明日」
「ああ、お疲れさん」
互いに同じ口でそう声を掛け合う。その直後、いつもだと寝る前に感じるように身体から一瞬力がカクっと抜けて、肉体の全て機能が自分の元に帰って来る感覚が駆け抜ける。ニムが身体からいなくなると、少しの解放感と結構なかったるさが襲ってきた。ああ、せめて晩飯くらい食わせてもらって(なおかつ片付けもしてもらって)から帰ってもらえば良かったな。まあ仕方ない。大して腹も減ってないので、今日はもうスマホいじりながら横になって、適当に寝よう。
***
「おはよう。よく眠れたかい?」
私はそう喋ったのだが、テルオは反応しない。まだ寝ているようだ。しかも相当深く。自分の肉体が勝手に動いてその刺激は脳に感覚として伝わっているはずなのに起きないなんて、よっぽど疲れていたのか? まあ、起こすのも悪い。確か今日は午後まで講義も無かった筈だから、しばらくはそっとしておいてやろうと私は考えた。
手元を見ると、スマートフォンの電池がほとんど切れている。私は手を静かに動かして、端末に充電ケーブルを差し込んだ。充電が切れると私も困るのだ。学校など他者の多い場所では、私とテルオによる「独り言」会話は目立ちすぎるので、私はその間スマートフォンをハックして、メッセージアプリや通話でテルオと意思疏通を行っているからだ。
率直に言って、テルオは馬鹿な奴だと思う。我々は彼らの身体の内、随意筋運動と五感しかハックできないから、テルオが実際どんな風に思考し、どう感じ、何を望んでいるのかまでは全く想像するしかない。
だけれども私が考えるに、彼は望みが無さ過ぎる。友人は要らない、伴侶も欲しくない、権力も名声も興味が無いと言い切る。眠ければ眠り、腹が減れば食べる。およそ知的生命体とは思えない低レベルな欲求だけで生きているようだ。
……そういえば随分と空腹感があるな。恐らく、昨晩は食事も取らなかったのだろう。全く、仕方のない奴だ。こんな恵まれた若い肉体を持ちながら、それをメンテナンスしようとも考えないのか。
ええい、起きるなら起きろ。私は全身の動作権限を奪い、テルオを立たせ、台所に向かわせた。米を研ぎ、鍋で炊く。野菜を洗い、切ってからレンジで蒸す。
調理と食事は本当に楽しい。材料の買出しに行ければ尚良いが、テルオが寝ている間にあまり勝手をすべきではないだろう。私は侵略者なのだ。テルオに極力精神負荷をかけないという至上命題は、守らなければならない。
「……ははっ」思わず勝手に笑いが漏れた。改めて考えても滑稽な話だ。侵略者が侵略対象を気遣い、侵略対象は侵略者が作った飯を美味いと言って食す。奇妙な関係だ。
「何か、楽しい事でもあったのか?」
テルオが目を覚ましたようだ。
「別に。強いて言えば、そうだな……料理が楽しいぞ」
「変な奴」
「君に言われたくはない」
「ああ……そうだな。飯を作ってもらって言う言葉じゃないな。悪い」
「いや、そういう意味じゃない。つまりだな、我々はどちらも『変な奴』だと、そういう意味だ」
同じ口でそう言い合いながら、私はガスコンロを止める。炊けた米を蒸らし、レンジの野菜に調味料を振って、さあ次は何を作ろうかと思案して見せながら、この人間が侵略対象になったのは結構幸運だったのだろうなと考えていた。