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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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孤児の少女が語ること

 広い空間に出た。中央に銅像が立っている。ゲブラーではない。手を前にかざす万物理解を示したポーズ……黒の聖人ビナーだ。商会の本拠地はビナーの没地だから、彼を守護聖人として崇めているのだろう。そもそもの話、こいつらはゲブラーを信奉してはいないのだ。


 どうやらここは倉庫として使われているようで、部屋の隅には木箱が置かれていた。扉から右手に階段があり、僕たちは上階へと向かう。階段は人が二人並んで歩ける程度の幅しかなかった。塔の外側を螺旋状に続いている。左手にドアが並んでいて、商兵たちの部屋のようだった。階段の壁には長刀や槍など様々な武器が飾ってあった。二代目の趣味だろうか。


 ドアをいくつか通り過ぎると、壁に3とか4とか数字が刻まれていた。これは階層を示すものだろう。商兵は五階の最後の部屋と言っていた。であれば、6という数字が出る前のドアがカルミルの部屋なのだろう。


 その時、上階の方から人の話し声が聞こえた。誰かが下りてきている。


「まずいな」


 もちろん隠れる場所などありはしない。


「頼むぞ……」

 ルシエルは祈るようにそう言うと、すぐ近くのドアを開けた。無人であれ。


 部屋の中では、五人の男たちが椅子に座り、談笑していた。僕たちも男たちも、虚を突かれて固まってしまう。とりあえず、僕は後ろ手にドアを閉めた。 


「何だてめぇら――」


 男たちは一斉に僕たちに詰め寄る。その瞬間、ルシエルの体から紫色の煙が放出された。


「……!?」


 男たちは喉を押さえる。声が出せなくなったようだった。


「行け」

 そう言うと、ルシエルはドアを開けて僕を外に押し出した。


 階段に出ると、男たちの声は下方に移っていた。ドアの向こうからは、猛烈な戦いの音が聞こえてくる。時間がない。僕は駆け出すと、目的の部屋へと向かった。


 壁に5の数字が見えた。階段を駆け上がる。6の数字が見えた。ここだ。僕は一つ前のドアへと戻ると、迷うことなく開けた。



 窓もない室内は、薄暗かった。壁にかけられた灯石のおかげで見通すことはできるが、日常生活を送るには快適とはとても言えない。もっとも、この部屋には家具どころか、ベッドさえない。居住空間ではないことは確かだった。


 そんな部屋の中で、壁を背にして男が頭を抱えてうずくまっていた。顔のない男だった。カルミルだ。その傍でジュリアが佇み、ぼんやりと生気のない顔をしてカルミルを見つめている。


 ジュリアはゆっくりと僕に顔を向けた。


「無事か」

 僕はジュリアに近づき、肩に手を置く。


「……はい」


「何があった?」


「分かりません。話をしていたら突然苦しみ始めたのです」


「そうか……」


 床には呼吸器が落ちていた。活動限界か……? 僕は呼吸器を手に取ると、砕いた。そして、カルミルへと目を向ける。


「この男はお前が知っている貴族の男ではない。名はカルミル。異端審問官だ」


「異端……審問官?」


「都市に蔓延る悪を討つ者だ。審問官は元となる人間に植え付けられた人格に過ぎない。心のない大聖堂の人形だ。こいつは心を持ったと錯覚し、暴走した」


「うぅ……ぁぁあ……」

 カルミルは呻き声を上げた。


「通りで……」

 ジュリアは感情が読めない抑揚のない声で呟いた。「おかしいと思っていたのです。大貴族ともあろうお方が、どうして私のような者に目をかけてくださったのか……。私にとても親身にしてくださって……」


 僕はジュリアの腕を掴む。「行くぞ」


 しかし、ジュリアは静かに首を振った。


「この人を放ってはいけません」


「お前を連れ戻すと子供たちに約束した」


「全部……私が悪いのです」


「何?」


「私がこの人を追い詰めてしまった」


「都市を出るという話か?」


 ジュリアはゆっくりと僕を見る。薄い笑みを浮かべていた。


「ええ、そうです。都市を出ようと言ってくださった██――いえ、カルミル様を、私は拒絶したのです。でも……カルミル様は気づいていたのでしょう。本心ではないと」


「何だと?」

 一瞬、言葉の意味が分からなかった。「都市を出ることを……本当は望んでいたというのか?」


 ジュリアは微かに頷いた。


「どうしてだ。あそこにはお前を必要とする子供たちがいる。あの子たちを見捨てるつもりなのか」


「私はこれまで……精一杯にやってきました……。孤児院の状況を変えるべく大聖堂や、貴族の方々に働きかけ……時に酷い目に遭うこともありましたが……できることをやったつもりです。でも、何も変えられなかった……。私たちは洗礼を受けられず、大聖堂の援助は年々減り、それに比例するように死者たちは増えていく……」


 過去から現代へと続く道をゆっくりと踏みしめるように、彼女は語る。それは僕に向けられているというよりは、自分自身に対して語りかけているようだった。


「孤児院では簡単に人が死んでいきます。庇護のない私たちを聖人様は護ってくれないから……。洗礼者は病気になりませんから、都市にはお医者さんがほとんどいません。呼ぶには大金がかかって……でもそんなお金はどこにもなくて……。次は私の番かもしれない。最近、胸が痛む時があるんです。咳が止まらなくなる時も。何か、大変な病気を患っているのかも……。私は……大人になれないかもしれない……。一度そう考えてしまうと、もうダメでした。恐ろしくて、恐ろしくてたまらなかった……」


 ジュリアは張り詰めたような、真剣な眼差しで僕を見た。


「そんな時に、この方が私の前に現れた。私には聖人様のお使いのようにさえ思えました。私たちをお救いしてくださるために遣わされたのだと。きっと全てがよくなると、そう思えた……」


 彼女は目を伏せる。


「ですが、次に会った時、私は暴行を受けました。あれこそが本当の██様だったのでしょう。私はただ……ご挨拶をしただけなのに。お友達の前で恥をかかされたと思ったのでしょうか。裏路地に私を引っ張っていくと、地面に打ち倒し、何度も蹴りました。顔を踏みつけられ、口にするのもおぞましいような暴言を吐きかけられました。それから水路に突き落とし、もがく私をジッと見つめていました。その目はとても冷たく……明らかに同じ人間に向けるものではなかった。私の命など、彼にとっては動物以下の、ゴミか何かでしかないのだとはっきり分かった。偶然、魚売りの舟が通りかからなかったら、私はあそこで死んでいました。孤児として生まれただけで、どうしてこんな目に遭わなくてはならないのか……。こんな屈辱を屈辱とさえ思わずに我慢しなくてはいけないのか……私は激しい怒りで頭がおかしくなりそうでした」


 淡々と、ジュリアは語る。その口ぶりには感情の起伏さえ読み取れなかった。


「でも、この人は再び孤児院にやって来ました。それから、私に対する非礼を謝罪してくださったのです。人が変わったような態度に、とても本心からの言葉とは思えなかったのですが……しかし、彼の目はあの冷たい目ではありませんでした。少なくとも、私を対等な人間として扱ってくれているのが分かりました。だからこそ、この人の言葉を素直に受け止められたのかもしれません」


 心のない審問官の方が、表のカルミルよりもマシだったと。


「いつか、この人は仰いました。自分は縛られているのだ、と。全体の中にあっては、知らずに自分の意思さえもその一つとなってしまう。そこでは暴力さえもが正当化される。全体の目から逃れ、この孤児院にいる時だけが本当の自分なのだ、と。貴族社会について語っているのだと思っていましたが、あなたの話を聞いた今では、違う意味に聞こえます」


 僕はカルミルを見る。相変わらず頭を抱え、呻いている。

 こいつは、ジュリアに救いを求めていたのだろうか。


「都市を出ようというこの人の言葉を、私は拒絶しました。私には子供たちのお世話がありますから。でも……分かっていたのです。私がいてもいなくても、みんなは衰えていく。聖人様は私の願いを聞き入れてはくださらない。今では私が祈るのは聖人様ではなく……死者たちばかり……。そうではない人生もあるのだと、この人は仰いました。どこか別の都市で、二人で一緒に暮らし、子供を産み、育てていく……。自分の子供だけを愛して、自分の子供だけに傷ついて……。それが私にはとても魅力的に思えてしまった。私はもう……子供たちの介護に疲れていたのかもしれません」


 ジュリアは涙を流した。その悲哀は、痩せた体にはとてもではないが耐えられないものだろう。カルミルがこの子を自由にしたがっていた理由が分かったような気がした。


「でも……みんなを捨てて、彼と一緒に行くなんて私にはできなかった……。怖かったのです。みんなに恨まれるんじゃないかと……」


「だから、強引に連れ去ってほしかった……と」


「あぁ……」

 ジュリアは手で顔を覆った。


 カルミルはジュリアの本心に気づいていた。こいつはジュリアを救おうとしたのだ。彼女が安心して都市を出られるように孤児院に金を与えた。孤児を売るという最悪なやり方で。


「いずれにしろ……こいつはこれから本当の自分に戻る。審問官よりもさらに冷酷な男にな。お前の助けにはならない」


「聖地に残って……私に何ができると?」


「お前はそのうちに修道院に入る。いずれは大聖堂にも入ることができるだろう。洗礼を受け、敬虔な信徒として生きるんだ」


「いいえ……。たとえカルミル様がいなくとも……私はこの都市を出て行くつもりです。今さら聖人様を信仰するには……私はあまりに多くの死者を見過ぎました。彼らは救われたはずの命なんです。ですが、見殺しにされた。私はもう……」


「やめろ」

 と、僕は遮る。「それ以上は言うな」


 そこから先を聞いてしまえば……自分でも自分を抑えられなくなる。

 いつもそうだ。

 僕の審問は、その言葉を聞いてから始まる。


 ジュリアは奥歯を噛みしめ、涙に濡れた目で僕を見据える。


「私はもう聖人様を信じられません……!」



 素早く、彼女の首を絞める。


 背信者を許すことはできない。

 たとえどんな事情があってもだ。


 こいつは孤児。

 洗礼はない。

 市民ではない。

 殺しても問題はない。

 とても能力の高い私聖児。

 今に危険な存在になるかもしれない。

 ここで殺した方がいい。


 いや、殺す。


 思考が、最適解を導き出す。そこに僕の意思はない。僕は導き出された結論をただ忠実に全うするのみ。


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