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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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腐敗の温床

 外区画への道中、商人たちが教戒師を襲っているのを目にした。舟で接近し、多人数で奇襲をかけるのが彼らの常套手段らしい。


 こんなことは今まであり得なかった。

 僕が孤児院に籠っている間に、世界が変わってしまったみたいだった。

 ハニカム商会は何を考えている?

 異端の聖典とは、聖地を敵に回してまで手に入れたいものなのだろうか。一体、どれほどの価値があるというのだろう。


 荒れる聖地を眼下に収めながら、僕たちは先に進む。仮面を通して教戒師と審問官の目を覗いているため、大聖堂に気取られることなく外区画に入ることができた。


 〇


 これほどに嫌悪を感じる場所を僕は知らない。外区画三十五番街に蔓延る歓楽街こそ、聖地の恥部だ。


 日の出ているうちは、他の外区画と変わらない陰湿な場所に過ぎないが、夜になるとどこからともなく舟が集まり、水路上に集落を形成する。都市ではなく、水路の上での商売は大聖堂の管轄外であると主張しているらしい。ならば何故他の区画でも同様のことをしないのだと問われれば、当然、即日に潰されるからだ。


 こんなにも愚か者どもが増長している理由は一つしかない。僕は視界の先を見据える。奴らの建物は、どこでも同じような姿をしているという。二本の塔が角のようにそびえる奇妙な建物……ハニカム商会の根城、商館だ。


 商会は大聖堂と取引し、聖地の市場をほぼ独占してしまった。今では、都市での商売は商会と提携しなければ話にならない。急速な変化は多くの没落貴族を生み、また、平民たちの台頭を招いた。影響力が増えるにしたがい、商会には多くの特権が与えられることになる。その一つが相互不可侵契約だ。大聖堂は商館に立ち入ることができず、この区画には教戒師も配置しない。その結果、腐敗の温床となってしまった。


 どうして商会がこれほどの自治権を勝ち取ることができたのか。それを成したのが二代目と呼ばれる商館長だといわれている。人身売買も、薄色魔石の流通も、この男が仕組んだことだ。滅多に商館の外に出て来ないとはいえ、ギルドの定例会などに顔を出しているはずだが、僕はまだ一度も姿を見たことはない。一体どんな男なのか……。



 ルシエルが僕の肩を叩く。


「また来たぞ」


 彼の指の先を見ると、水路の向こうから大型の舟がやって来た。長さだけでも、普通の舟のざっと四倍はある。八人もの男が乗り、舟を漕いでいた。全員が商人というわけではなく、商兵らしき男も何人かいた。ここで見ている間でも、もう三艘の舟が商館に入って行った。だが、これまでとは違い、今度の舟は一艘だけで他に護衛もないようだった。


「俺から行こう」


 そう言うや否や、ルシエルは屋根から飛び降りた。

 彼が舟に飛び乗った途端、紫の煙が周囲を覆った。舟を漕いでいた商人たちがバタバタと倒れる。突然の乗船客を、きっと視認すらしていないはずだ。

 まだ立っている男が二人。商兵だろう。舟の中央にいるルシエルと、両端に立つ男たちの間には積み荷があり、互いに相手の位置が分からない状態にあった。僕の出番だろう。


 僕は民家の壁を駆け下り、舟へと飛び乗った。積み荷の上に立ち、ルシエルに舟首の男の場所を教えた。僕は舟尾ともの男を見下ろす。他に人がいることを予測していたのだろう、男は冷静だった。素早く、腰から何かを抜いた。剣かと思ったが、違う。筒状の武器だった。


 直後、轟音と共に赤い閃光が走った。僕の肩をかすり、背後の民家の壁に大穴が開いた。魔砲ガンだ。ハッと振り返ると、船首の男も僕に筒を向けていた。撃たれる――。


 バシッと大きな音が鳴った。

 しかし、発砲の音ではなかった。魔砲を持った男は何やら焦って筒を叩いたりしていたが、閃光が発せられることはなかった。


 ふと見ると、ルシエルが船首の男に剣先を向けていた。彼は涼しい顔で、「悪いな、俺の前では撃てないよ」と、言った。


「化物め!」


 そう叫ぶや、商兵たちは筒を捨てて剣を抜く。船尾の男が積み荷に飛び乗って来た。男の大ぶりな剣を避け、すかさず腹に拳をぶち込む。そのまま顎を蹴り上げ、意識を奪った。振り返ると、ルシエルももう一人の男を無力化していた。


「……さっきのは無色魔法か?」

 倒れ込む男を床に寝かせながら、僕はルシエルに訊ねた。


「さてね」と、ルシエルは肩をすくめた。


 魔法を無力化するという無色のセフィラ。この魔法社会の中で、これほど恐ろしい力があるだろうか。無色と紫色の複数のセフィラを持つ男……。普通、セフィラとは一人につき一つだけで、二つ以上の要素を持つものは混色と呼ばれるはずだ。僕はこの聖地しか知らないが、セフィラの複数持ちなんて聞いたことがない。自分は特殊だと前に言っていたが、そういう意味か? 無色だと、洗脳魔法の解除もできるのだろうか。


「魔砲か。商会は恐ろしいな」


 ルシエルは筒を手に取り、検分する。僕もチラリと様子を窺う。魔砲とは魔道具と呼ばれる魔法を一般化する道具の一つで、圧縮された魔法を光のように放出する武器だそうだ。


「まだあまり広まっていない最新技術だが……商会はいち早く取り入れている。いずれ、魔法は魔砲に駆逐されるというのが彼らの考えらしい。剣もいつかは時代遅れになってしまうのかな」


 魔砲には持ち手の先に丸い膨らみがあり、そこに魔法陣が刻まれていた。教戒師の手や、審問官の籠手に刻まれているものに似た、赤色魔法陣のように見える。しかし、魔砲には深い亀裂が走っていた。


「……一発しか撃てないんじゃ、まだしばらく先の話だろうけどな」


「さっきは、その魔法陣を無効化したんだな?」


「どうなんだろうな」と、ルシエルは筒を調べながら言う。


「違うのか」


「手の内を明かすつもりはない」


 魔砲を商人に返し、ルシエルは言った。

 それから、積み荷の蓋を開ける。中には大量の魔石が詰まっていた。 


「お前の目的の物か」


「ああ。薄色魔石だ」


 ルシエルは近くの男の頬を叩き目覚めさせると、手際よく洗脳した。


「この魔石は大聖堂からの贈り物か?」

 とろんと眠たげな目をする男に、ルシエルは訊ねる。


「商売だ。俺たちは大聖堂から魔石を買っている……」


「やはり。魔石の出どころは大聖堂か」


「この荷は全て魔石なのか?」と、僕は尋ねる。


「ああ」


「子供はいないか?」


「俺たちは……運んでいない。だが、別の舟で運んでいる……」


「入って行った舟がそれだろう」


 聖地中の孤児院から子供たちをさらっているのか。

 だが、奴らはこれまで慎重に事を進めていたはずだ。どうして急に強行に出た? 


「お前たちは何を企んでいる?」


「知らない……二代目の考えることだ……分かるはずがない……」


 すると自分の言葉に怯えるように、男は震え出した。

 ルシエルは素早く男を眠らせる。


「忠誠心か、それとも恐怖かな。自力で洗脳を解きかけた。二代目とは何者だ?」


「商館長だ。かなりのやり手らしいが、僕も詳しくは知らない」


「ふうん」


 ルシエルは他の積み荷を調べ始める。


「どこかに入れる箱はないかと思ったが……難しいか」


 彼の言う通り、全ての箱に魔石が詰まっていた。


「魔石を捨ててスペースを作ればいい」


 僕の提案を、ルシエルは無言で却下した。証拠品はなるべく無傷で押収したいとでも思っているのだろうか。

 先ほどとは別の男を洗脳し、商人のふりをして侵入することが可能かどうか尋ねた。彼によると、中で簡単なチェックがあり、体に彫ってある商会印の確認が義務付けられている。そのため、商人に扮するのは難しいだろうとのことだった。


 男は実に簡単な方法を提案した。

 僕に少し下がるように指示すると、底板を外した。床下には、辛うじて人が寝られるスペースがあった。

 なるほど、こういう隠し部屋を使って聖地に侵入したわけか。だが……こんなもの、ちゃんと調べれば見つけられないはずがない。市門の検査員に商会の手が入っている可能性がある。


 ルシエルは腰の剣を鞘ごと取ると、「持っていてくれ」と僕に手渡した。それから、床下に潜り込む。剣を返すと、底板を閉めるように催促した。僕は男に他に隠れ場所はあるのか尋ねる。同じようなスペースがあるにはあるが、現在は積み荷で塞がれているらしい。隠れられるのはここだけ、か。


 僕も床下へと足を突っ込む。


「おい、何のつもりだ? ここはもう無理だぞ」と、ルシエルは言う。


「つめろ」


「定員オーバーだ」


「つめろ」


「まったく」


 ルシエルは横につめようとしたが、しかしどうしてももう一人分の隙間は空かなかった。構わず、強引に侵入する。必然的にルシエルに背中から抱かれる形になってしまった。


「狭い」


「俺の台詞だ」


「僕に触れるな」


「よし、出ていけ」 


 商人の男が底板を閉めた。


 しばらくすると、舟が動き出した。激しく上下に揺れながら、水を掻き分けて進んで行く。ルシエルが洗脳を解除したのだろう、男たちの話し声と床を踏みしめる音が聞こえる。誰かが頭上を通り過ぎるたび、大きく軋んだ。僕たちのことは忘れているらしく、舟はそのまま進んでいく。


 板の継ぎ目から漏れる明かりを、ぼんやりと眺めていた。身動きもできない狭い空間。まるで棺の中のようだ。こういう狭い場所に閉じこもっていると……何だか意識が薄れてくる。眠たいわけじゃない。どうしようもないことなんだ。人格の交代――。幕が下りれば場面転換。主役に舞台を譲らなくては。



「……ほら、ここに来て」


 彼女は僕に手を伸ばした。


 光に目がくらみそうだった。

 影の中こそが、僕の全て。

 そう思っていたのに。


 僕は手を伸ばした。

 伸ばすしかなかった。


「ね、お日様って気持ちいいでしょう?」


 僕は何と答えたんだっけ。


 ……忘れた。

 どうせ夢だ。

 現実のことじゃない。


 でも、現実だったらいいなって。

 そんな夢だ。



「……」



 ふいに、耳元で声が聞こえてきた。


「……君はまた変わった子だな」


 ルシエルの声だった。


 ハッとする。 

 いけない。本当に眠ってしまったのだろうか?


「……何か言ったのか、僕は」


「守ってほしいと」


「誰を?」


「君をだよ」


 意味が分からない。


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