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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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従騎士と審問官

 

 僕は机から離れると、ドアへと向かう。

 これ以上ここにいるのは時間の無駄だ。騒ぎを聞きつけた教戒師たちがいつやって来るかも分からない。幸い、身体能力は完全に回復した。


 すると、誰かに手を握られた。振り返ると、年長の女の子だった。


「お、お願いします██様。ジュリア姉を助けてください……」


 彼女がそう言うと、子供たちは僕にまとわりついた。


「姉ちゃんを助けて!」

「お願い、助けて!」

「助けてよぉぉ!」


 涙と鼻水で、僕の服はぐっしょりだ。


「うるさい」と、僕は子供たちを振り払う。


「このことを……大聖堂にお伝えください。██様の言葉なら、きっと真剣に受け止めてくださるはずです」


 年長の子は、僕の足元にひざまずいた。すると、子供たちも真似をする。僕の手を握り、頭を下げる。


「知ってるんです……。大聖堂は……私たちのことなんて見てくれない……。たとえ死んだところで、誰も気にしない……」


 抑えていたものが一気に噴き出したのか、少女はワッと涙を流した。「でも……生きてるんです、私たち……。明日も生きたいんです、みんなで……。お願いします、お姉ちゃんを助けてください……」


「もう……誰かいなくなるのはイヤぁ」

「ねぇちゃん……」


 なんという惨めな奴らだろう。

 こんな僻地に押し込められ、沈黙を強いられ、市民と同じ権利さえ与えられない。


 そもそもこいつらが洗礼を受けていれば、こんなくだらない誘拐も人身売買もできなかったはずなのだ。孤児というだけで、どうしてこんな目に遭わなければならない? 市民たちと、一体何の違いがあるというのか。


 ……なんて、普通の人間だったら同情の一つでもするのかもしれない。


 だが、僕は心のない審問官。

 彼らの手を乱暴に振り払った。

 何よりも、その眼差しが気に入らなかった。


「恥ずかしくないのか」


「え?」


 呆然と、彼らは僕を見つめる。


「捨てられた犬のつもりか? そんな目で人を見るな。哀れに思ってほしいのかもしれないが、惨めにしか見えない。一度捨てられたら死ぬまでそんな目になってしまうのか?」


「な、何を……言うのです……」


「そんなだから大聖堂に見向きもしてもらえないのだ。都市に屈従し人に媚びることしかできない卑しい弱者どもが」


 子供たちはポカンと口を開け、互いに顔を見合わせた。年長の子たちは子供たちを抱きしめ、ただ顔を青ざめる。


「大事な仲間がさらわれても震えていることしかできないのか。大人たちにいいように利用され、現状を変えようともしない。なんと惨めで……醜い。お前たちを見ていると虫唾が走る!」


「わ、私たちにどうしろと……何ができると――?」


「僕に聞くな!」


 自分でも思っている以上の声が出た。子供たちはびくりと肩を揺らした。


「お前たちは亡者ではないんだろう? 生きているんだろう? 声だって出せるじゃないか! こんな沈黙の魔法の下に押し込められて、どうして我慢しているんだ! 叫べ! 声の限りに叫んで、生きていることを都市の奴らに知らせてみせろ!!」


「それで……何かが変わると……?」


「そんなの知るか! 変わるかもしれないし、教戒師に潰されてそれで終わりかもしれない。そうなれば全員、審問にかけられるだろう。そのまま湖に沈められてしまうかもしれない。お前たちの命の価値など、そんなものだ」


 怯える子供たちを一人一人睨みつける。


「だが……忘れるな。血を流しながらの声は誰の耳にも届く。そこまでしてやっと、何かが変わるんだ。お前たちのちっぽけな命を使って、大聖堂を動かしてみせろ! 自分たちを哀れんでいる暇なんかあるか!」


「手厳しいな」


 ハッとして振り向くと、ドアの前に仮面の男が立っていた。従騎士だ。子供たちは慌てて彼の傍から離れた。


「ほら」

 そう言うと、布で覆われた何かを僕に差し出した。


「何だ?」


 布を解くと、審問官の装束が入っていた。


「何故、お前がこれを……?」


「君に預かったからだが」


「僕に?」


「覚えていないかもしれない――。君の言ったとおりだな」


 従騎士はそう言うと、机に向かう。机上に置かれてあるファイルを目にすると、パラパラとめくりながら、「なるほど、これは面白い」と言った。そのまま、いくつかの資料を脇に抱え、ドアへと向かう。


「外で待ってる。早く来い」

 そう言って、部屋から出て行った。



 子供たちはドアを見て、それから僕を見て、そして装束を見る。顔を向けなくても、その視線の動きが分かった。


 僕は近くの少女から、髪留めの紐を奪った。髪を後ろで一つにまとめると、雑に服を脱いだ。年長の子が慌てて子供たちの目を他方に向けさせた。伸縮する黒の下着で体を覆い、防御服をつける。それからブーツを履き、最後にフードを深く被った。


「██様、あなたは一体……」


 狼狽を隠さず、少女は尋ねた。子供たちも興味津々に僕を眺めている。


「亡者だよ」


 そう言うと、僕はドアを開けて廊下に出る。子供たちもついて来た。

 階段を下りて玄関ホールに出ると、商人たちが縄で縛られていた。従騎士がやったのだろう。


「じきに教戒師たちが来る。彼らに事情を伝えろ。もう誰も失いたくないのなら、自分たちのやるべきことをやるんだな」


「でもジュリア姉は……今すぐに助けに行かないと――」


「そうだな。あの男はジュリアを連れて外に逃げるつもりだ。教戒師を待っていては間に合わないだろう。お前たちが何をしようと、ジュリアを助けることはできない」


「で、では――」


「僕が取り戻す」


「え?」


「ジュリアは僕が取り戻す。勘違いするな、お前たちに頼まれたからじゃないし、同情したからでもない。悪の手から市民を護るのが僕の仕事だからだ」


「市民……」と、誰かがぽつりと呟いた。


「大聖堂に言いたいことがあるのなら、しっかりと言え。それは都市に生きる者の権利だ。でなければ、ジュリアを取り戻したところで同じことが繰り返されるだけだ」


 僕は振り返り、もう一度孤児たちを見る。


 もう泣いている子はいなかった。


 彼らは無言で僕を見つめていた。

 怯えているでもなく、怒っているでもなく、ただジッと僕の目を見ている。

 相変わらず痩せてはいたが……もう亡者のようだとは思わなかった。

 僕を見つめるその目の中に、以前には無かった確かな光があったから。


 ……ふん。


「影の中で生きるのを良しとするな。僕と違って……お前たちには心があるのだから」


 そう言うと、僕は正面のドアから外に出た。


 日差しを浴び、一瞬目がくらんだ。


 何を言っているんだろうな、僕は。

 洗礼も受けていない孤児なんて、どうでもいいだろうに。


 でも……あの人なら、きっと力になると思ったから。

 あの人?

 あの人って誰だ……?

 温かな陽光の記憶と共に、誰かのことが頭に浮かんだ。もちろんコーデリア様に決まっているが……。この違和感は何だろう……。分からない……。本当に大切なことを……忘れているような……?



 僕はカッと目を見開くと、駆け出した。

 背後からの子供の声も、すぐに聞こえなくなる。一気に加速する。敷地の外に出ると、目の前の民家の壁を駆け上がった。


 屋根の上に、従騎士がいた。

 僕が屋根に降り立つと、仮面を頭まで上げ、素顔を晒した。


「そういえば、これも預かっていた」と、何かを差し出した。呼吸器だった。


 奪うようにして受け取ると、口にはめた。吸うと、煙が全身を、指先にまで行き渡るのを感じる。呼吸器の両端から紫煙が出て、空へと上っていった。


「よくないな、そんなものを吸うのは……」


 従騎士は眉をひそめて僕の行為を観察していた。

 僕は呼吸器を外し、従騎士の顔に煙を吹きかける。怖い顔で睨まれた。 

 ひとしきり煙を堪能すると、呼吸器をしまう。それから、従騎士に向き直った。


「説明しろ。僕はいつお前と会った?」


「あの浮島が崩壊した後、俺は君の後を追った。そして、君と商人たちが戦っている場に出くわした。戦いの後、君は水路に落ちた。そこまでは覚えているか?」


「ああ」


「溺れている君を、俺が助けた。すると、君は俺に協力を持ち掛けてきた。薄色魔石以外にも、聖地が抱える闇は存在する。従騎士としてこのままにしてはおけないはずだ、とね」


「聖地の闇とは?」


「人身売買だ。孤児院がその温床になっている、と君は言った。これから孤児院に潜入し、実態を暴いてくる。自分の考えが正しければ、商人たちがやって来るはずだ。子供たちを連れ去る現場を押さえてほしい……」


「そんなことを……僕が?」


「それから君は近くの民家から衣装を調達すると、舟に乗って孤児院の方へと流れて行った」


 孤児たちの証言と一致する。


「君の目論見通り、商人たちが乗った舟がやって来た。商会の孤児誘拐は事実だった」

 そして、従騎士は脇に抱えるファイルへと目を向ける。「これは非常に興味深い資料だ。良い手土産になるよ」


 信じられないことだが……表の僕が働きかけたのだろう。孤児院の実態、そして商会との関係をどうして彼女が知っているんだろう。一体、何者なのだろうか。何を、どこまで知っている……?


 そして、この男。

 僕はこいつを信用してもいいのだろうか?


「お前はどうして僕のことが見える? それに、お前は確かに洗脳されているはずではないのか」


「ああ、洗脳されていた」


「ではなぜここにいる?」


「……師に解除してもらった」


 微かに目を伏せ、従騎士は言った。


「洗脳はまだしも、審問官に対する認識までもを解除したと言うのか? そんなことが可能なのか?」


「俺はちょっと特殊でね。そういうことができるんだ」

 男はどこか自嘲気味にほほ笑んだ。「だが、師はもういない。次に洗脳されれば戻れない」


「では、どうするつもりだ?」


「次の鐘が鳴るまでに、聖地の闇を解き明かす」


「鐘だと?」


「そうだ。大聖堂の鐘こそが、洗脳魔法の発信源だ。洗礼者はあの鐘の音を聞いてしまうと、大聖堂の洗脳を受けてしまう」


「鐘にそんな効果が……?」


 では、邪気を払うというのは……。


「俺たちはこの聖地を訪れたその時から、大聖堂の支配下に置かれていたんだ」


 苦々し気に、従騎士は言った。


「お前も信徒だろう。大聖堂に恭順することが、悪いことだとでもいうのか?」


「信仰と支配は違う。俺は大切な人たちを奪われても平気でいられる人間じゃない。奪われたものは必ずこの手で取り返す。たとえ何をしてでもな」


「どうするつもりだ?」


「今すぐにでも大聖堂に戻り、師と妹弟子を救出する……と言いたいが、それでは師の意に反する。聖地の実態を調べ、王都へと報告することが俺に与えられた任務だ。このまま商館へと行く。君の仲間の審問官も向かったようだが……君はどうする?」


 危険な奴だ。今この場で処分しておくべきなのかもしれない。だが……戦力としては十分すぎる。商館に何が潜んでいるのか分からない以上、味方は多い方がいい。何より、鐘の音に本当に洗脳作用があるのなら、次の鐘をこいつに聞かせれば良いだけだ。


 僕はこくりと頷いた。


「よし」


 従騎士は資料を袋に入れて背負うと、外画の方を向いた。額の方に上げられていた仮面が、ずるりと落ちた。


「その仮面だが……」


「ああ、忘れていた。君の戦利品だ」

 仮面を顔から外し、従騎士は言った。「君が倒した商人から奪ったものだよ」


 そして、仮面を僕に手渡す。


 すぐさま、被ってみる。途端、視界がワッと広がった。なるほどな。これはすごい。教戒師たちの目を覗くことができた。カルミルの話が本当なら……審問官の目も覗けるというが……。

 視界を切り替えていくと、他の目とは視野視力ともに優れた目があった。間違いなく、審問官の目だ。恐らくロッソだろう。中区画らしき場所で市中を睨みつけている。僕を探しているのだろう。


「この仮面はもらうぞ」


「もともと君のだよ」


 ご丁寧に、呼吸器をはめる窪みもあった。呼吸器を取り付け、被ってみる。しっくりした。


「では行こうか」


 従騎士は足を踏み出した。


「待て」


「まだ何か?」と、従騎士は眉をひそめてこちらを見る。


「どうでもいいことだが……お前の名前を聞いていない」


「そう言えばそうだな」

 従騎士はフッと柔らかな笑みを浮かべた。「俺はルシエル。よろしくな、審問官モモ」



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