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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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聖人様の子供

 廊下には、子供たちが溢れていた。いたるところで泣き叫んでいる。


「やめてください! 下ろして!」


 玄関ホールの方で、声が聞こえた。僕は子供たちを掻き分け、玄関へと急ぐ。

 ホールに、男の姿があった。ぐったりとした男の子を肩に担いで、外へと出て行こうとしている。その腕にジュリアや年長の子たちがまとわりついて、進行を食い止めていた。


 僕たちに気がつくと、ジュリアはカルミルに飛びついた。


「お願いします、あの人を止めてください! まだ大聖堂に連絡さえしていないのです! どうしてこんなに早く……! あの人たちは、本当に大聖堂の人なのでしょうか!?」


 外を見ると、舟があった。死体運びの舟ではなかった。大型の……商会が使う舟だ。いくつか箱が乗っていたが、棺は見えなかった。


 ふいに、男がこっちを向いた。まっすぐにカルミルを見る。


「あの部屋に寝ている子は、全員連れて行っていいのかい?」


「ああ。運んでくれ」と、カルミルは答えた。


「え?」


 子供たちは動きを止め、カルミルを見つめる。


「死にそうな顔してたけど、大丈夫なのか? 不良品は困るぜ」


「一時的な衰弱さ。栄養のある食事を与えれば、すぐに回復する。何しろ高品質なんだ」


「▇▇様……?」


 呆然とするジュリアの頬を、カルミルは撫でる。


 舟から、続々と男たちがやって来た。子供たちの悲鳴が上がった。


「ははは、こりゃいい。このガキどもは何人とっても構わないんだとよ」

「取り放題だな!」


 男たちは脅かすように手を広げ、子供たちへと迫った。子供たちはすっかりパニックとなり、叫びながら逃げ惑った。しかしどんなに声を上げたところで、沈黙の魔法のせいで外まで声が届くことはない。


「待て……!」


 僕の目の前でそんな真似を許すと思うのか。男の一人を殴り飛ばそうと、走り寄った。


「待つのは君の方だ」


 振り返ると同時に、何かを顔にぶつけられた。

 瓶が割れ、中の液体が顔にかかる。


「貴様……!」


 口には入れなかったが、あまりの濃厚な匂いに一瞬くらりとしてしまう。

 聖水……!

 がくりと膝をつく。

 これは……効く。煙を何倍にも濃厚にしたみたいだった。何とか気絶しないように意識を保つので精いっぱいだ。


「やめてください! ▇▇様、これはどういうことなのですか? 一体何を――」


「全部、君のためなんだ」


 そう言うと、ポケットから呼吸器を取り出し、ジュリアの顔にはめた。ジュリアはガクンと倒れ込む。


「貴様……!」


 僕は何とか立ち上がるが、それが限界だった。倒れ込まないのに必死で、とても歩くことさえできない。

 カルミルは僕の髪を掴むと、腹に膝を打ち込んだ。


「うっ」

 息が詰まる。胃の中の物から血液、贓物まで体の中の物全てを吐き出してしまいそうだった。


「一緒に来てもらうよ。君にはまだ聞かなければならないことがあるんでね」


 そう言うと、カルミルは僕を左腕に抱えた。ジュリアと共に、なすすべもなく運ばれていく。



 その時だった。


 遠くで男の悲鳴が聞こえた。

 カルミルは立ち止まる。僕は力を振り絞り、何とか顔を上げた。


 舟が空中に飛び上がっていた。すぐに地面に叩きつけられ、バラバラになる。積んでいた荷物が辺りに散った。

 商人たちが何者かに襲われている。紫色に光る剣が宙で踊っていた。商人たちは散り散りに逃げるが、大していかないうちに叩き潰された。その場の全員を無力化すると、男は僕らの方へと駆けてくる。男も仮面を被っていた。


「僕たちが見えてるな。何者だ……?」


 男の一閃を、カルミルは背後に飛んで避ける。男は瞬時に距離を詰めた。かなりの腕だ。両手が塞がっている状態で戦える相手ではない。カルミルも悟ったのだろう。咄嗟に男に向けて僕を投げた。男が僕を受け止める隙に、ジュリアを抱えて逃げ去ってしまった。


「また人が飛んで来た……。こればっかりだな、この聖地は」

 忌々し気にそう言うと、男は僕を地面に下ろす。「無事か?」


「お前は……?」


 男は仮面を外した。


「すまない、遅くなってしまった」


 鈍い金色の髪がふわりと揺れる。従騎士の男だった。


「今逃げ去った男は……?」と、カルミルが逃げた方を向き、男は言った。


「審問官だ」


「そうか。君はここで待っていてくれ」


 そう言うや、カルミルを追って行ってしまった。


 なぜ、あの男が僕を助ける?

 騎士と共に、洗脳されてしまったのではなかったのか。

 それに、どうして審問官の姿が見えるのだろう。奴が洗礼者なら、僕らの姿は見えないはずだ。その証拠に、前に会った時には僕のことが見えていなかった。


 だが、少なくとも奴は僕を助けた。敵対するわけではなさそうだ。何もかもが不明だが、今は考えても仕方がない。奴の出方を見ることにする。



 しばらく横になっていると、指が動くようになった。すぐに腕に力が入るようになる。煙で耐性がついていたのか、一時的な麻痺で済んだようだ。

 何とか立ち上がるが、まだうまく歩けない。ふらふらと頼りない足取りで、孤児院の中に戻った。すぐに、小さな子供たちがまとわりついて来た。僕は簡単に押し倒され、群がられてしまう。食べる気か。


「おねーちゃん、ジュリア姉ちゃんが……」


「連れてかれちゃったぁあ!!」


 子供たちは泣き喚いた。


 うるさいな。

 なぜ僕に言うのか。



 僕は死力を振り絞って子供たちから逃れると、ホールの端にあるベンチに腰掛けた。ふーっと息を吐くと、彼らに向き直る。


「何があったのか、話せ」


 子供たちの目は、年長の子の一人に集まった。


「ネ、ネテルが急に――急に死んでしまって……。まだこちらから連絡をしていないはずなのに、死体運び……い、いえ、棺舟の船頭さんがやって来たのです。まるで死ぬのが分かっていたみたいに……」


「前例にないことなのか?」


「はい。こちらから連絡しない限りは……。大聖堂は私たちのことを見てくれませんから。分かるはずがないんです」


「捕まったのは誰だ」


「ジュリア姉だけです。あの仮面の人が助けてくれたおかげで……」


 ネテルたちは、ホールに寝かせられていた。商人たちは外で気絶している。まだ目覚めることはないだろう。

 商人たちを招き入れたのはカルミルだろうが……孤児の売買は以前から行われていたと奴は言っていた。それが本当なら、許されることではない。


「肩を貸せ」


 子供たちの肩を借り、二階へと上がる。寮長の部屋に入ろうとすると、子供たちは明らかに狼狽した。普段は入ることはないのだろう。鍵がかかっていたので、ドアを蹴破った。子供たちは歓声を上げた。


 中は、本棚を背にした机、そして応接用らしい長椅子があるだけの簡素な部屋だった。恐々と観察を始める子供たちを置いて、一人で本棚へと向かう。一しきり背表紙を確認すると、全て床に落とした。子供たちが息を飲む声が聞こえた。次に、机へと目を向ける。不味そうな色のクッキーが入った籠があった。籠を掴んで子供たちの方へと放ると、剥き出しの歓喜で部屋が揺れた。


 引き出しを開け、中を漁る。

 ファイルを見つけた。大聖堂へ定時報告をしに行ったのなら、当然、報告書に記載するための資料があると思った。当たった。ページをめくると、孤児院の運営状況、予算、子供たちの記録、そして今月に入って来た新参者と、死者たちの名前が記してあった。

 死者の名前に、ネテルの名があった。


 子供たちを呼んだが、クッキーに夢中で気づかれなかった。引き出しの中に別のお菓子があったので手に取る。顔を上げると、どこで勘付いたのか、子供たちはみんなこっちを見ていた。


 僕は彼らの鼻先に、ファイルを突き付ける。


「この中に、まだ生きている子の名前はあるか?」


 子供たちはファイルに群がり、食い入るように見つめる。


「ある!」

「ミハル!」

「アリサも!」


「ネテルと同じ部屋で寝ていた子たちか?」


「はい」

 年長の子が、頷いた。「みんな、最近になって衰弱が見られた子です」


「あの男が来るようになってから?」


「あ……」

 彼女は、初めてそのことに思い当たったようだった。「は、はい。確かにそうです。▇▇様が来るようになってから、元気な子たちが衰弱するように……」


 なるほどな。

 まだ生きている子が、死んだと報告されている。


 お菓子を放ると、手に汗握る熱い争奪戦が始まった。


 他の資料を漁る。

 手紙があった。大聖堂からのもので、予算増額の要請を却下する旨の通達だった。他の寮との相互の連携が足りない、キャパシティを考えずに受け入れるべきではない、努力不足であるというのがその理由だった。現場を知らない高飛車な回答だなと思いつつ差出人を見ると、コーデリア様だった。努力不足で間違いない。


 大聖堂で愛護寮を統括しているのはコーデリア様なのだ。そう言えば、彼女も元々は愛護寮の寮長をしていたと聞いたことがある。そこから巫女にまで上りつめたのだから、やはり偉大な方だ。


 鍵のかかった引き出しがあった。力任せに引っ張り、こじ開ける。

 中には、封印を施された紙の束があった。封印を解き、中を確かめる。子供たちの情報がびっしりと書かれていた。全ての子供たちだけというわけではなく、特定の子供だけのようだ。知能や身体能力、未知の状況に対する判断力などが細かく分析されている。


 これは、ここにいる子供のものなのだろうか? それにしては、異常に能力の高い者たちばかりだ。何故孤児院にこんな子供が……。

 ミハルの名前があった。アリサ、ネテルも。

 子供たちの話と照合すると、あの部屋で寝かせられていた子供たちと被っていることが分かった。


 ――僕が行ったのは、より良い子供の選別だ。


 カルミルは言っていた。


 ――大聖堂に渡すはずの、特上の子供を差し出した。


 特上の子、とはこういう意味か。この子たちは恐らく、修道院に送られ、大聖堂に入ることになる者たちなのだろう。


 その中で、印のつけられた名前を見つけた。全ての能力が基準値を大幅に超え、最高に近かった。ジュノーにも劣らない立派な聖職者になれるだろう。その子の名前は――ジュリアだった。


 あの子は、これほどに優れた子だったのか。ただの孤児でも奴隷として価値があるのなら、あの子ならば一体どれだけの値段がつくのだろう。商会が喉から手が出るほどに欲しいはずだ。カルミルはまんまとプレゼントしただけではないのか。


 そもそも。

 何故、こんなに能力の高い子供たちが孤児院にいる? 何か、高い能力を生み出す特別な教育でもしているのか? だが、これは後天的な物とは思えない。まるで、先天的に能力の高い子供が集められているような……。


 その時、ある言葉を思い出した。


「この聖地には聖人様の祝福を受けた子が多い」


 ぽつりと、僕は呟く。


「え?」


 子供たちがきょとんとした顔で僕を見た。僕が何も言わないでいると、すぐにまた仁義なき争奪戦へと舞い戻る。


 聖人様の祝福――。

 ジュノーに言ったという大司教のこの言葉がずっと気にかかっていた。

 人はこの世に生まれ落ちたその瞬間から、聖なる御手に抱かれている。信徒なら誰もが祝福を受けているはずだ。


 ジュノーの言葉が確かなら、大司教は受けた子が「いる」ではなく、「多い」という言葉を使った。多いということは、他所ではそれほど数がいないということ……。


 聖人様の祝福……。

 特上の子供……。

 育成機関……。


 ああ……そういうことか。



 稀にだが、母体の前から聖人様に抱かれている子が存在する。


 私聖児だ。


 カルムでは父親がいないのに生まれてくる子がいる。多くは不貞の言い逃れに過ぎないが、処女懐胎は本当に確認されている。

 母親だけで妊娠して生まれて来た子供たちは、往々にして常人とは異なる特別な力を持っているそうだ。そういう子供たちを敬して、あるいは畏怖して……聖人様の子、すなわち私聖児と呼ぶ。


 他所の国での割合は知らないが、この聖地では私聖児の話は多く残っている。彼らは大聖堂が引き取り、表には出て来ないのでその実数は分からない。だが、他所の土地と比較すれば私聖児とされる子は多いのではないか。


 孤児院では私聖児を育成しているのか。孤児院から修道院へと入る子供たちは優秀な子ばかりだが、なるほど……それも当然だ。


「近頃あの子に興味を持つ者が多い」とも、大司教は言ったという。それはルージュが私聖児だから? 孤児院へと流れるはずだった子を、オブライエンが引き取ったのか?

「異端信仰者は市民を狙っている」、これもジュノーの言葉だ。異端どもの狙いは私聖児なのか?


 都市の中にも、私聖児と目されている子が少なくとも二人存在する。もちろん市民の噂というレベルで、だが。


 一人はアテナ・ウィンストン。彼女が私聖児だとしたら、すんなりと納得できる。その傑出した能力の高さ、そして美貌は嫌でも耳に入って来る。ジュノーに匹敵するほどで、聖人様の子と呼ぶにふさわしいだろう。


 もう一人が、シュナだ。彼女は子供ながらに信じられないくらい強い力を持ち、シュラメと呼ばれて恐れられている。あの愚鈍な母親には男の影もないことから、私聖児という噂が立っている。もっとも平民の子だから、誰も本気にはしていないだろうが。聖人様の子は貴族だけと決まっているらしい。



 ルージュ、シュナ、アテナ。三人は既に大聖堂が確保しているが……。大聖堂には異端が蔓延っているとするなら、奴らは私聖児を手に入れたことになる。そして、カルミルの言葉が正しければ、異端と商会は繋がっている。

 バラバラの点が一つになって来たような感覚はある。だが、まだ足りない。


 やはり、向かうしかない。商人たちの根城……商館に。


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