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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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空っぽ

「同じ信徒なのに、洗礼を受けられないために死に近いなんて馬鹿げている。孤児院のために力を貸してあげたいと思った。だけど、僕は審問官。貴族じゃない。僕に現状を変える力はない。あるのはただ、審問をする権利だけ」


「何をしたんだ?」


「単純なことさ。貴族たちを審問する際、彼らの意識を少しずつ変えた。孤児院の待遇を改善するように、孤児たちをもっと大事にするように」


「職権濫用だ」


「すぐにバレた。一部の貴族たちが急に孤児院の変革を唱え始めるのだからね。誰もがおかしいと思うはずだ。だが、僕に辿り着いた者は一人しかいなかった」


「誰だ?」


 カルミルは無言で報石を取り出す。


「それは……」


「ある日、地下の部屋で目覚めると、マスクの横にこれが置かれていた」


「まさか……異端信仰者からか……!?」


「そうなんだろうね」

 つまらなそうにカルミルは言う。


「お前は異端とも繋がっていたのか?」


「否定した覚えはないよ」

 どこかからかうようにカルミルは言った。「まあ、君の想像通り、僕を襲った仮面の男たちは異端信仰者たちだった。彼らは元から僕を狙っていたようで、僕の行為を把握していた。告発すれば僕の人格は消去されるだろう。それが嫌なら協力しろ、と」


「審問官のくせにそんな脅迫に屈したというのか?」


「今、人格を消されるわけにはいかなかった。だから、服従する振りをしていた。そうすれば彼らは僕の行為に協力さえしてくれたよ」


 やはり大聖堂に協力者がいたのだ。だからこそ、こいつは審問官でありながらかなり自由に行動することができた。


「その見返りは何だ? 奴らはお前に何をさせたんだ?」


「定期的に連絡をしてきてね。基本的には、ある一帯の教戒師の目をくらませたり、市民洗浄を行ったり、その程度のことだね。多くの権限を持つ審問官が味方というのは、とても心強いものだったんだろうな」


「怪物とやらがいれば十分なんじゃないのか? 審問官と同じことができるらしいじゃないか」


「まあね。でも、彼らはなるべくなら怪物君の力は借りたくないと考えているようだった。僕は彼の代わりってことさ。色々と都合よく使ってくれたよ」


「オブライエンの屋敷で教戒師から何かをくすねたのもその一つか?」


 カルミルは肩をすくめた。


「彼らから、オブライエンの報石を手に入れるようにと指示されていた。だが、既に屋敷にはなかった。仕方なく、もう一つの指示、香料の原液を手に入れた」


「それは一体なんだ。貴重なものなのか?」


「もちろん。彼らは聖水と呼んでいるよ。香料を作っているのは大聖堂だが、この聖水は地下にしかなく、地上では決して手に入らないものらしい。でも、オブライエンは極秘に入手し、異端たちと共有していた。このくらいの瓶に、まだ結構な量が入っていたよ」


 カルミルは手で大きさを示した。だいたい、彼の手のひらくらいのサイズだった。


「二度と手に入らないものだから、絶対に持って返るように言われていた。既に教戒師が発見していたが、強引に受け取り、その場を去った。教戒師がおかしくなっていたのはそのためだよ」


「……お宝は手に入れていないんだな?」


「もちろん。地下祭壇の存在さえ、君が見つけるまでは誰も知らなかったからね。あそこにあったものが今どこにあるのか、知っているのはジュノーとワーミーくらいじゃないかな。君を除けばだけどね」


 こいつは僕がジュノーからお宝の在処を聞き出したと本当に思っているのか。だとすると、やはり……。


「ジュノーを壊したのは、本当にお前じゃないんだな?」


「そんな大それたことを命じられれば、さすがに報告するさ。大聖堂と敵対したいわけではないからね」


 本当だろうか? こいつは毒を持っていた。恐らくはジュノーが飲まされたのも同様のものだろう。もうこいつでいいんだが……。


「この報石と、先ほどの瓶は貰って行くぞ」


 もしもこいつが異端どもにジュノーを壊すことを命じられていたのであれば、報石の記憶を読めば分かる。消されてしまったとしても、大聖堂に帰れば復元することができるかもしれない。


「どうぞ。僕にはもう必要ない」


 陽光の差す空へと身体を向け、カルミルは言った。



 僕は眉を上げる。何か、引っかかる言い方だった。僕の態度に気がついたのだろう、カルミルは上着のポケットに手を入れ、僕を見下ろす。


「今夜、僕はこの都市を出ようと思う。ジュリアと共に」


 一瞬、彼が何を言ったのか分からなかった。


「……正気か? 大聖堂から離れて、生きていられると思うのか」


「分からない。だが、もうここにはいられない。それだけは確かなんだよ」


「呼吸器の煙などすぐに尽きてしまうぞ。そのたびにここに戻って来るつもりか?」


「いいや、二度とこの都市には戻らないよ。ずっと遠くに逃げるんだ」

 カルミルは顔の前で掌を合わせた。「僕は同一化をしてみせる。大聖堂の支配から逃れるんだ」


「不可能だ」と、間髪入れずに僕は言った。


「そう思ってくれていい。異端審問官カルミルは聖地を出て、同一化できずに死んでしまった。それでいいんだ」


「行かせない。お前たちのことは大聖堂に報告する」


「かまわないよ」


「黙れ!」


 自分でも思った以上に大きな声が出た。


「大聖堂がそんなに鈍いと思うか? お前の行動は既にバレている。お前もマークされているに決まっているだろう。ジュリアを連れて外に出られると、本気で思っているのか? お前たちは捕まり、審問を受ける。お前は消去されるだけで済むだろうが……ジュリアはどうなるかな? よくて心を壊され、島送り。悪ければ……湖の底に沈む。僕ならそうする。誰も孤児なんかに容赦はしない。お前も分かっているはずだ。夢を見るのもたいがいにしろ」


「嫌な奴だね、君は」

 カルミルは息を吐いた。「そんなこと、百も承知だ。水を差してくれるなよ」


「お前は人形だ。たとえ同一化できたとしても……グレンとジュノーの場合とは違う。同一化はお前をベースには行われない。表のお前はジュリアをどうする? 貴族主義の憎悪にお前など塗り潰されてしまうだろう。ジュリアは死ぬ。お前が殺すんだ」


「そうはさせない」


「目を覚ませ、審問官。お前が生きていられるのはこの都市だけだ。そしてジュリアにしても、この聖地にいた方が幸せだ。お前はジュリアの何を知っている?」


「とても才能がある優しい娘だ」


「だとすれば修道院に選ばれるはずだ。将来、大聖堂に入ることもできるだろう。幸せが約束されているのだ。どうしてそれを奪う?」


「ジュリアも……望んでいるはずなんだ……」


「はず? あの子の了承を得ていないのか?」


「断られたよ。でも……僕には分かってるから。あの子はもう、疲れているんだ。どんなに頑張っても子供たちが死に続けるこの孤児院という場所に」


「子供たちを捨てて一人だけ逃げるような子とは思えない」


「ああ、そんな子じゃない」


 嘆息にも似た、深い息を吐いた。

 あまりにもわざとらしい態度だったので、何か意味があると思わざるを得なかった。


「……何をした?」


「この孤児院の現状が、あの子の障壁になっているのは明らかだ。だから……取り除いてあげた」


「つまり……?」


 障壁……。後顧の憂いを断ったということか?

 孤児院の支援でもしたのか……。だが、そんなお金がどこから? 環境の改善をしているとして……食料や薬でも運んでいるのだろうか――。


「子供たちを商会に買ってもらった」


「ん?」


 今、何と言った?


「聖水を使って仮死状態にし、死体運びに商館まで運ばせる。奴隷は慢性的に不足しているそうだから、高く売れるんだ」


 悪びれもなくカルミルは言った。自分が正しいと確信しているのだ。


「孤児たちを……奴隷にした……?」


「何事も限度があるんだよ。孤児に対して孤児院は絶対的に不足しているんだ。お金がいくらあっても足りないのは間違いない。だからすぐに死んじゃうんだ。売ることで孤児の数は減り、孤児院が使えるお金は増える」


「商会への手土産とは孤児のことだったのか?」


「察しが良いね」


「……孤児たちはお前の所有物でなければ孤児院の所有物でもない。彼らの命は大聖堂に帰属する」


「では大聖堂には孤児たちを育成する責任がある」


「衣食住を提供している。十分に責任は果たしている」


「足りないと言っている」


 ふと、思い当たる。


「さっき……お前が寝かせていた子……。あの子の名前は何だ?」


「ネテル」


「仮死に……したんだな……?」


「後で商会が受け取りに来ることになっている」


「ジュリアはそのことを知っているのか?」


「いいや」



 僕は素早くカルミルの腕を掴む。


「来い」


 強引に引っ張ると、そのまま裏口から中に入った。

 廊下は子供たちで溢れていた。僕らに気がつくこともなく、部屋の中を見つめている。悲痛な声が聞こえた。子供たちを掻き分け、ドアの前に立つ。


「ああぁ……。お願い……目を開けて、ネテル……」


 ジュリアは泣いていた。ベッドの脇に膝を突き、ネテルの手を握り、ひたすらに呼びかける。他の子たちも同様に泣き喚いている。室内はべったりとした色濃い絶望に満たされていた。


 カルミルは無言で部屋の中を見ていた。僕たちは明らかにその場にはふさわしくなかった。彼の腕を引っ張り、その場を離れる。互いに言葉を発することもなく、空いた部屋に入る。


 ドアを閉めると、カルミルは空っぽのベッドにどっかりと腰を下ろした。


「あれを見ても……何も思わないのか、お前は」


「結果として、ジュリアは自由になる。子供たちも助かる」


「孤児たちが死者に祈る姿を敬虔だとお前は言った。それに感動し、心を獲得したと。その結果がこれか? 彼らが形式だけで死者に祈っているとでも思っているのか? お前はジュリアや子供たちを傷つけている。何故それが分からない? あれほどに大事に想っている子が奴隷にされ、ジュリアが喜ぶと思うか?」


「商会が孤児を売る相手は貴族だ。彼らにとって奴隷は大切な財産。それこそ衣食住は保障されているし、病気になればしっかりと看病してもらえる。孤児院にいるよりは絶対に命の保証はされるはずだ。どちらがマシかは分かるだろう?」


「比べるまでもない。お前の考えは全て仮定に基づいている。実際に売られた子供がどうなったのか見たのか? 子供を買った貴族を見たのか? 子供を売ってまでして得たお金は、本当に十分な金額だったのか?」


「……」


 カルミルは答えない。答えられるはずがない。


「体よく商人たちに利用されただけではないのか」


「……違う」


「ジュリアが本当に聖地を出たいと考えていると、本気で思っているのか? 信仰よりもお前の方が大事だと、本気で思っているのか?」


 沈黙の後、絞り出すようにカルミルは答える。


「僕たちは……愛し合っているから……」


 この馬鹿が……。


「違う。あの子はお前を愛しているんじゃない。愛しているとしたら表のお前だ。都市の貴族の表のお前であって、審問官カルミルではない。そして、彼女が抱えている感情は愛などではない。恐怖だ。逆らえば、また殴られてしまうという恐怖! お前は恐怖であの子を縛り付けているだけだ!」


「馬鹿を言うな……」


「審問と何が違う? 卑怯な奴め。自分勝手にあの子を縛り付け……自己満足に浸っている! 言うに事欠いて都市を出るだと? あの子が本当にそんなことを望んでいると思うのか? もう十分だろう? ジュリアを解放してやれ。お前は影の中に生きる者、誰にも愛されず、人の恐怖の中に生きる者。異端審問官のカルミルだ。これ以上くだらない御託を並べるなら今ここで殺してやる。仮死ではなく必ず殺す。さあどうする?」


 カルミルは手で空っぽの顔を覆った。震えている。これも演技か? だが、真に迫っているように見える。本当に心を獲得したのだろうか。だとすると、僕にも同じことが可能なのだろうか?


「もう後戻りはできないところに来ているんだよ」


 その時、ドアの外から子供たちの声が聞こえた。

 あの部屋から出て、玄関へと移動しているみたいだった。


「君は勘違いしているようだが、孤児の売買は何も僕が始めたわけじゃない。ずっと前から行われていたことだ」


 空っぽの顔の前で手を合わせ、カルミルは言った。


「何だと?」


「僕が行ったのは、より良い子供の選別だ」


「どういう意味だ」


「大聖堂に渡すはずの、特上の子供を差し出した」


 ドアの外で悲鳴が聞こえた。

 ジュリアの声だった。


 僕はハッとして、ドアへと走った。



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