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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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末期の子供たち

 緊張の糸が切れたのか、ジュリアは力が抜けたようにへたり込んだ。しかし、すぐにハッと顔を上げた。ドアの向こうから、子供たちが見ていた。興味津々の中に、微かな怯えをのぞかせて。ジュリアは慌てて立ち上がると、「ほら、向こうに行って遊んでらっしゃい。ここは大丈夫だから」、と声をかける。


 赤子の泣き声が聞こえた。


「ああ……ちょっと待って……」


 ジュリアは部屋を出ると、後ろ手にドアを閉めた。

 声が段々遠ざかっていく。


 カルミルはゆっくりと立ち上がる。僕たちは無言で見えない顔を見合わせる。


「怒っていたな」


「ああ。怒っていた」


「キミは強いね。とても敵わないよ」

 肩の埃を払いながら、カルミルは言う。「何の話だったっけ?」


「お前は大聖堂の指示でここに来たのか?」


「いいや、指令は受けていない」


「商人の仮面のことを、何故お前は知っている?」


「商会と懇意にしているからだよ」


 こいつ、やはり……。


「商会に大聖堂の情報を流していたのか?」


「それが僕の任務だ」

 上着のポケットに手を突っ込み、ベッドの端に腰掛けてからカルミルは言った。「僕はね、以前から商会と仲良くしていたんだよ。彼らの内部調査が僕の任務なんだ」


「審問官のお前がか?」


「彼らの中にも僕が見える者がいるからね」


 とても信じられない。

 そもそも、任務ならなぜ僕を襲った。当然、大聖堂に知られては困ることがあるからだ。


「どうやって信用を得た?」


「手土産を用意した。それに、彼らにとっても大聖堂の話を聞けるチャンスだ。双方に利益があった」


「手土産とは?」


「ここでは話したくない。場所を変えて後で話すよ」


 寝ている子供の頭を撫でながら、カルミルは言った。


「あの仮面は商人たちが作ったものなのか?」


「作ったのは大聖堂だ。本来は審問官に与えられるものだったそうだよ。聖週間のために僕たちの力を強化しようと考えていたらしい。だが、その予定はなくなった」


「何故だ?」


「上層部で審問官の強化を危惧する声があったという話だ。元々、反対されるのを見越していた節もある。試作品は廃棄されたことになっているが……」


「――紛失した?」


「そうだ。そして仮面は秘密裏に量産され、商人たちに配られた」


「誰が盗んだんだ」


「君ならもう分かるはずだよ」


「異端信仰者か」


 カルミルは無言だった。首肯したのかもしれないが、顔が空っぽのために分からない。



 なるほどな。では審問官の強化の話自体が、仮面を作らせることを目的とした異端たちの計画だったのかもしれない。試作品が出来上がったところで、話そのものを無かったことにしたのだ。


「商会と異端信仰者は繋がっているのか?」


「手を組んでいた。互いにとって利益があったんだ。少なくともある時までは」


 商会は大聖堂と手を組んで、その裏で異端と繋がっていたのか。呆れる二枚舌だが、利益優先の奴らなら当然そうするはずだ。意外でもなんでもなかった。


「ルビウスも仮面を被っていた。恐らく商人と同じものだ。商会とワーミーの関係は?」


「彼が商人から奪ったのさ。それにより、ワーミーたちは常に大聖堂の先を行っていた。でも……結局は泳がされているだけだったということが、今朝分かった。大聖堂は全て把握していたんだ。恐ろしいよ」


 カルミルはわざとらしく腕を抱き、身震いして見せた。


「ある時までは、と言ったな。異端のお宝を商会は狙っている。今は決裂しているのか?」


「異端のお宝の話を、商会に持ち込んだ者がいる。それで彼らの蜜月は終わった。君も知っての通り、商会は躍起になってお宝を探している」


「お前は最初に僕を探していたと言ったな?」


「言った」


「僕がジュノーから何かを聞き出した、と。それを信じているんだな」


「そうだね」


「お宝を手に入れたとして、商会に渡すのか? それも大聖堂の指示なのか?」


「簡単な話じゃないんだよ」

 ため息混じりに、カルミルは言った。「大人しく全てを話してくれれば、ここで君と会ったことは忘れる。君は好きなだけ大聖堂から逃げていればいい」


「本当に大聖堂からの指示ではないんだな?」


 語気を強め、僕は訊いた。


「僕にはね。もうどうでもいいんだよ、そんなこと」


 開き直るようにカルミルは言う。そこにはどこか諦観が含まれているように思えた。マリオネットが自我を持っているつもりか?


「あぁ……ぅ」


 男の子が声を上げた。それは落とし物のような声だった。ぽとりと地面に落ち、誰かに拾われるのを待っている。僕は気づかないふりをする。拾い上げる価値なんてないからだ。だが、カルミルは動いた。男の子の頬をそっと撫でる。


 カルミルはズボンのポケットから何かを取り出した。小瓶だった。透明な液体が入っている。


「それは?」


「僕たちの吸う煙の原料だね」


「どうしてそんな物をお前が……」

 言いかけて、ハッとする。「オブライエンの屋敷で教戒師からくすねたのか?」


 カルミルは何も言わず、手の中で小瓶をもてあそぶ。


「ジュノーを壊したのはお前か?」


「まさか。僕は君だと思ってるよ」と、僕を見ずにカルミルは言う。


 身をかがめると、瓶を開け、子供の一人の口に液を垂らした。


「……何をしている」


「この子たちはもう助からない。ゆっくりと死が迎えに来るのを待つだけ。多くは栄養失調だが……中にはこの子のように病にかかり、激しい痛みの中で死んでいく子もいる」


「それを飲ませて……痛みを取り除いてやると?」


「こいつは人の脳を狂わせる。この子のように衰弱した者が吸えば、感覚を奪える。そうすれば、もう苦しむことはない。後は静かに死を待つだけだ」

 虚ろな目をした子供の瞼を、カルミルはそっと閉じてやる。「安らかな眠りにつくように」


 僕は部屋を見回す。


「この部屋には、末期の子供が集められているのか?」


「これが孤児院の現状なんだ」

 ベッドに腰掛け、カルミルは言う。「洗礼を受けていないこの子たちに、庇護魔法はない。流行り病や栄養失調で簡単に命が失われていく。生まれた時から洗礼を受けている僕たちには想像もつかないだろう。人って、簡単に死ぬんだよ。本当はね」


「僕らが考えることではない」


「大聖堂はこの子たちから声を奪い、都市の片隅に閉じ込めている。どうして孤児院に沈黙の魔法がかけられているのか知ってるかい?」


「騒がしいからだろう。子供なんて獣と同じ。四六時中喚き散らすものだ。自分のならまだしも、他人の子どもが騒ぐ声なんて聞きたい奴はいないだろう」


「近隣からの苦情が大聖堂に寄せられたのは確かだ。でもね、その理由は騒音だけじゃないらしいよ。毎日聞こえていた賑やかな声が、だんだん力のないものに変わる。ある日を境に、全く聞こえなくなる。気が滅入って仕方がない……」


 部屋を見回しながら、カルミルは言う。「孤児のほとんどは五歳までも生きることができない。ここは死者の巣窟だ。声が聞こえなければ、生きているのも死んでいるのも変わらないのさ」


 何だこいつは。本気で言っているのか? 


「孤児の話はいい。僕が知りたいのは、お前の行動の意味だ。もうどうでもいいとはどういうことだ? お前に指示を出したのは誰だ? お前が背信などできないことは分かっている。大聖堂の中の誰の指示を受けた?」


「どうして背信できないと思うんだい?」


「心を持たないからだ。同一化していないお前は大聖堂の管理下にある。背信なんてできるはずがない」


「……君は大きな勘違いをしている」


「何について?」


「僕には心がある」



 その時、ドアがノックされた。


「失礼します」


 ドアを開け、顔を出したのはジュリアだった。


「先ほどは本当に申し訳ございませんでした」

 ジュリアは深々と頭を下げた。「恐れ多くも██様になんと無礼な真似を……。いかなる罰も覚悟しております」


「顔を上げてくれ。君は一から百まで正しいよ。僕らがいけないんだ」


 カルミルが言うと、ジュリアは顔を赤くした。そして、チラリと僕を見る。


「反省しています」と、僕は言った。


 ジュリアはやはり身を縮こませた。


「あの……もしよろしければ……お茶のご用意ができております……。お口に合うのか分かりませんが……。いかがでしょうか……?」


「いただこう」と、カルミルは言った。

 それから、僕の耳元に顔を寄せる。「君も来い。先程の言葉を証明しよう」



 何のつもりだ、こいつ。


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