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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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██様の正体

 男はドアの前で立ち止まり、僕を見る。貴族らしい上等な服を着ているが、その顔にはぽっかりと穴が開いていた。


 僕たちは互いに睨み合ったまま固まった。ジュリアは顔に笑みこそ浮かべていたが、明らかな不穏な空気に困惑しているようで、交互に僕らの顔を見比べていた。うるさいのは子供たちだけだ。少しくらいは何かを察しろ。


 男はいやにもったいぶった足取りで僕のところへとやって来る。そして、緊迫をかき消すように腕を振り上げ、ポンと僕の肩に手を置いた。


「やあ、元気そうでよかった。ジュリアから連絡をもらった時は本当に心配したよ。一体何があったんだい?」


 僕は男の空っぽの顔を見上げる。


「……さあ。分からない」


「頭から血を流していたんだって?」

 そう言って僕の額の包帯に手を当てる。「暴漢に襲われたのかもしれないな。そのショックによる一時的な記憶の喪失……。舟に乗って何とかここまで逃げて来たんだね」

 それから、ジュリアへと身体を向ける。「いずれにしても、これが人に漏れれば醜聞になっていただろう。最初に僕に伝えてくれた君の英断に感謝するよ。ありがとう、ジュリア」


 頭を下げる██様に、ジュリアは慌てて手を振る。


「い、いえ! こ、こんなことは何でもありません! どうか頭をお上げください!」


「ありがとう」と、僕も頭を下げる。


「や、やめてくださいっ!」


 恐縮でぺちゃんこになってしまいそうだな。


「寮長はまだ戻らないのかい?」


 ██様はジュリアの肩を抱き、引き寄せた。


「お、恐らく……。もう少しかかるかと……」


 僕をチラリとみて、頬を染めながらジュリアは言う。


「それでは、ここで待たせてもらおう。話したいこともあるのでね」


「わ、分かりました」


「……ネテルの調子はどうだい?」


 ██様は低い声で囁くように言った。途端、ジュリアの顔が暗くなる。彼女はゆっくりと首を振る。


「そうか……」


 ██様は近くの子の頭を撫でる。よく懐いているな。撫でてもらおうと群がる子供たちを手早く処理すると、「ちょっと行ってくるよ」とジュリアに言った。それから、僕を見る。「君は安静にしているといい」


 よく分からないが、ついて来いと言っているみたいだった。


「私も行く」


 僕はベッドから下りる。


「大丈夫ですか?」


 ジュリアが支えてくれようとしたが、手で制した。


「案内しよう。ついて来たまえ」


 ██様はそう言うと、僕を待たずにドアへと向かった。当然のようについて来ようとする子供たちの前に、ジュリアが立ち塞がる。私が時間を稼ぐから――とその顔は言っていた。彼女を後に残し、僕と██様は二人だけで外に出た。


 僕がいたのは、二階の一番奥の部屋だった。そこから廊下を歩き、階段を下りる。玄関ホールに出ると、右手の廊下を歩く。いたるところに子供たちがいた。どいつもこいつも痩せている。██様はよほど懐かれているのだろう、吸い寄せられるように子供たちが寄って来る。██様は決して歩速を緩めることはなかったが、しかしぞんざいにも扱わず、上手く子供たちをいなしていた。達人の技に思える。


 あるドアの前で、僕たちは立ち止まる。中に入ると、ベッドが並んでいた。その上で、子供たちが眠っている。僕たちの方に見向きもしない。なんだか、地下に似ていると思ってしまった。哀れと嘆きの充満するこの場の空気が。

 ██様はベッドの一つに近寄ると、眠っている子供の様子をうかがい始めた。僕のことなど忘れてしまったかのようだった。


「審問官だな」と、僕は言った。


 返事はない。


「……カルミルか?」


「君はモモだな」

 ようやく、こちらを振り返る。「お互い、あまり見られたくない姿だね」


「そうかもな」


 一歩近づく。途端、彼は上着の内側から赤色刀を取り出した。「動かないでもらおうか」


 足を止め、睨みつける。


「君は女だったんだね、モモ。もう何も信じられないよ」


 僕は無言でスカートの端をつまみ上げ、お辞儀をしてやる。都市の貴族はこういう挨拶をする。


「吐き気を催す所業だよ」と、カルミルは言った。「動くなと言ったろう」


 何故こいつがここにいる? 当然、大聖堂の刺客だからだろうが……さっき、こいつはジュリアから連絡をもらったと言っていた。以前から孤児と関係を持っていたのだ。それがこいつの任務なのか?


「僕をここに運んだのはお前か?」


「いいや、違う」

 刀を手の内でもてあそびながら、カルミルは言う。「自分からここに来たわけではないのかい?」


「ああ」


「君を探していた。こんなとこにいたら見つからないはずだ」と、カルミルは言った。


「重大な任務とやらの途中ではなかったのか?」


「まあね。中断して君を追った。ロッソの手を逃れた後……君は中画の路地で消息を絶った。駆けつけたのはいいけど、残っていたのは商人たちと……これだ」


 カルミルはポケットから何かを取り出す。赤い石のような……違う。仮面の破片だ。


「自分で割ったんだろう?」


「ああ」


「視界の共有に気づいたのかい?」


「共有……?」


 視界の共有に気づく……どういう意味だ? 僕は大聖堂が僕の視界を覗き、それをスパイが商人たちに教えたのだと思っていた。大聖堂が僕の視界を把握することは、共有とは言わないはずだ。こいつは何かを知っているのだろうか?


「何だ、気づいたわけではないんだね」


 カルミルは破片を握ると、粉々に砕いた。


 何らかの方法があるというのか? 商人たちはそれを利用している。そして、こいつも……。


「仮面……」


 ルビウス……。商人たち……。どちらも仮面を被っていた。そして、奴らは僕の居場所を把握していた。まるでどこかで見ていたか、あるいは……僕の目を覗いていたかのように――。


 そうか……!

 大聖堂に商会のスパイがいるのではない。


「商人たちがつけていた仮面は、審問官と視界を共有することができるんだな」


 カルミルは返事をしない。身動きすらしない。顔が見えないのは厄介だな。僕を見て呆れているのか焦っているのか笑っているのかも分からない。



 僕の目は商人たちにも覗かれていた。


 だからこそ、奴らは地下の部屋のことを把握していた。だが、それならジュノーの審問についても把握しているはずだが、奴らはそれを知らなかった。恐らく、聖域内の魔法解除が関係しているのだろう。つまり、大聖堂の中にいれば商人たちに目を覗かれることはない。


 それにしても、かなり高度な代物だ。あの仮面は誰が作った? 考えられるのはワーミーだ。だが、それならどうして商人たちが持っている? 逆に、商人たちが作ったものをルビウスが奪ったのか? 商人とルビウスに繋がりが? ジュノーと出会う前からルビウスは仮面を被っていたという話だ。この件にジュノーは関係ないはずだが……。


 待て。

 待て、待て。


 仮面の性能が正しいとして。

 どうしてカルミルがそれを知っている?


「お前は……本当に大聖堂の指示でここに来たのか?」


 カルミル首に手を当て、コキリと鳴らす。見えないのに、笑っているのだと分かった。

 赤色刀が赤く発光する。


「君が下等ならやりやすいのにね」


 そもそも、どうしてこいつは仮面を外している。孤児たちは素顔のこいつを慕っているようだった。表のこいつの人望を利用して、孤児に近づいたのか? いずれにしても、こいつがこの孤児院に出入りしていたのは確かだ。


 ゲブラーの仮面……ワーミー……商会……孤児院……。

 一体何の繋がりがある……。



「まあ、そう構えるな」

 カルミルは明るい調子でそう言うと、刀を下げた。「僕は君と争う気はない。君にそのつもりがあるなら別だけどね」


「……何だと?」


「ここで闘いたくないんだよ、子供たちもいるしね。騒ぎを起こすのは君にとっても本意ではないはずだ。ここでは上手く話を合わせて、仕事の話は外でしようじゃないか」


「……いいだろう」


 僕は首肯する。空っぽの顔で伝わるのかは不明だが。

 カルミルは刀を上着の裏にしまった。


 ……そういうことは、溢れ出る殺気を抑えてから言うものだ。普段、現場に出ずに悪趣味な審問ばかりしているから気づかないのだ。馬鹿め。


「ここに来たまえ。この子を見てくれ」と、カルミルは自分の隣を指した。


 僕はベッドに近づくと、眠っている子供を見る。

 骸骨のように痩せている。顔は土気色をしており、誰が見てももう長くないということは分かった。


「こいつが何だと言うんだ?」


「見ての通り、もう長くない。恐らく明日を迎えることはないだろうね」


「だろうな――」


 瞬間、身をかがめる。

 カルミルの腕が頭上を通過した。床に片手を突き、ぐるりと回転して上を向くと、カルミルの腕を蹴り上げる。赤色刀が手を離れ、床に刺さった。すかさず、カルミルは僕を蹴ったが、腕で防ぐ。弾かれてしまうが、宙で回転し、壁に足をついた。カルミルは床の刀に手を伸ばす。僕は壁を蹴って飛び、カルミルに組みついた。奴の手が触れたことで赤色刀が発光し、煙が上がる。


 カルミルは僕の肩を掴み、顔を殴りつける。お返しに拳を腹にお見舞いする。カルミルは膝を突くが、まだ倒れない。部屋が焦げ臭くなる。炎が上がる。僕は刀を足で蹴ろうと伸ばすが、その足をカルミルは狙って来る。折る気だ。咄嗟に足を引き、掌底で顎を狙うが、肩で防がれる。攻防が続く。火が大きくなり、今度はカルミルが消そうと足を伸ばす。隙だらけだ。僕は胸倉を掴んでグッと引き寄せると、顔に頭突きをお見舞いする。カルミルの意識が飛んだ。そのまま足を払い、炎の上に背負い投げた。ドシンと大きな音がする。火が身体に燃え移り、バタバタと暴れ出す。僕は彼の頭を床に押しつけると、床の刀を抜いた。そのまま、一息に腹を突き刺す――。


 その時、ドアが開いた。


 咄嗟にカルミルから離れると、刀を背中に隠した。

 ドアから顔を出したのは、ジュリアだった。


「凄い音がしましたが……」


 いかにも恐る恐る、ジュリアはドアを開ける。そして、慌てて床の火を叩いて消しているカルミルを目にした。


「何をしているんですか!」


 ジュリアは大声で叫ぶと、スカートをたくし上げ、必死に火を踏み消し始めた。

 続々とドアから子供たちが顔を出す。キャーキャー慌てるだけで、特に何もしない。


「お水を! お水を汲んできてください!」と、ジュリアは僕に向かって言った。


 馬鹿のふりをして無視すると、「早く!」と叫ばれた。

 ドアの向こうで子供たちが手招きしている。やれやれ。僕はドアを出ると、子供たちに腕を引かれるままに廊下を歩いた。


 庭に出ると、バケツを手渡される。そのまま背中を押され、水路へと運ばれた。水を汲み、ついでに赤色刀を冷やす。急かす子供たちと共に部屋へと戻ると、床に水をぶちまけ、無事に鎮火した。子供たちは歓声を上げた。



 カルミルはベッドを背に、床に座り込んでいた。その足の間にジュリアは両ひざを突き、手を握って何かを言っていた。


「子供でもあるまいし! 火遊びなんて! 一体何を考えているんです!?」


 説教していた。


 僕はバケツを床に放る。

 ジュリアはキッと僕を睨みつけた。


「あなたもです! 子供たちが寝ているんですよ? 起きられない子供たちなんです! 火事になったらどうするつもりだったんですか?」


「どうするって……」


 立ち去るだけだが?


「もう二度とこんな馬鹿な真似はやめてください! いいですね! やっちゃダメなことはやっちゃダメなんです! 貴族とかそんなの関係ないですから!」


 本気で怒ってるな。

 カルミルは何故黙って聞いているんだ?


「許してくれ、ジュリア。僕らの思慮が浅かった。ちょっとした魔法陣で……おもちゃみたいなものだ。子供たちを喜ばせたかっただけなんだ……。まさか爆発するなんて……」


 力のない声でカルミルは言った。


 何を言っているんだ、こいつ。正気か?


 カルミルは空っぽの顔で僕を見る。ジュリアも腕を組み、僕を見る。

 ふざけるな……。


 僕はペコリと頭を下げる。


「ごめんなさい」


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