表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
88/148

亡者の巣窟

 穏やかな声が聞こえた。


「モモ……」

 陽光が背後から差しているため、顔が見えない。「大丈夫、モモ……?」


 ここはコーデリア様の部屋だ。そうだ、僕は何かへまをやって……。

 彼女は僕を抱きかかえ、頬に手を当てる。


「かわいそうに、こんなに傷ついて……」


 彼女の頬を伝って、涙がぽとりと僕の頬に落ちた。そっと指で拭うと、僕の額に唇をつけた。


 温かかった。

 母親というものがいれば、きっとこういう人なんだろうと思った。この人のためだったらどんなことだってできる。この人を護るためだったら……。




 子供が覗き込んでいた。


 とても痩せている。

 亡者なのだろう。

 僕は死者の国にいるのだろうか?


 ぼんやりと見つめていると、次々に子供たちの顔が現れる。

 みんながみんな痩せている。

 亡者に取り囲まれているんだ。


「起きた?」

「多分……」

「これ起きてるの?」

「目開けて寝てんじゃない?」


 無遠慮に頬を突かれる。

 一人が突くと、他の子たちも次々と突いて来る。

 鳥についばまれる死にかけの小動物とはこんな気分なのだろうか。

 嫌だな。


「僕が……見えるのか……?」と、僕は言った。


「何か言ってる?」

「言ってない!」


「言ってるが……」


「姉ちゃん呼んだ方がいいかなー」

「ネテルのとこいるよ」

「俺も行ってこようかなー」


 聞いてくれない……。


 何故、こいつらは僕が見える?

 市民には僕のことは見えないはずだ。

 僕は……異端審問官のモモ……。

 まだ……そのはずだ……。

 違うのか……?

 特権が剥奪された……?

 分からない……。

 僕に分かるはずがない……。


 しばらくすると、部屋の奥のドアが開いて誰かが入って来た。女の子だ。やはり痩せている。他の子たちよりも大きく、年長のようだった。女の子は子供たちに捕食される僕を見て、絶句した。


「な、何をやっているの!!」


 彼女がそう叫んだ途端、子供たちは弾かれたように僕から離れた。


「や、やってない! 僕やってない!」

「逃げろぉ!」


 年長の女の子は僕の傍にやって来ると、深々と頭を下げた。


「子供たちが大変ご無礼を致しました。どうかお許しください……」


 この子も僕が見えるのか。特権は剥奪されていると考えるべきか。


「頭は痛みますか?」


 頭?


 手で触れてみると、包帯が巻いてあった。手当をしてくれたのだろう。


「いや、もう大丈夫」


 洗礼を受けている者は、大聖堂の庇護魔法のおかげで怪我の治りは早い。審問官のように強い体を持つ者ならばなおさらだ。


「ここは?」


「第伍ミラ愛護寮でございます」


 愛護……孤児院か。

 では、こいつらは孤児。なるほど、僕が見えるはずだ。孤児たちは洗礼を受けていないから。離れ島の島民と同じで、大聖堂の管理下にない。


「どうして……僕はここに……?」


 すると、子供の一人が僕の足に飛びついて来た。


「覚えてないの~? 舟で気絶してたんだよ! 頭から血を流して!」


 男の子はくりくりとした瞳で僕を見つめる。


「こ、こら!」


 年長の女の子はすぐに子供を抱きかかえると、ベッドから下ろした。そのまま、男の子の頭を撫でる。


「水路を舟で漂っていたあなた様を、この子が発見したのです。頭部を怪我していたようなので、とりあえずここに運び、治療をさせていただきました。その……あまり大事にするのはよくないと思い……」


「舟に……?」


 僕は確かに水路に落ちたはずだ。それが、舟に乗っていた? 誰かが舟に乗せ、この孤児院の近くに運んだ……。そうとしか思えない。


「その時の状況を覚えているか?」と、僕は男の子に訊ねる。


「んーと」

 男の子は指を噛む。「外で路地の掃除をしてたんだ。そしたらあっちから舟が来て……」


 それから、「あっち」を指す。西か。僕が元々いた方角だ。


「中を見たら、おねーちゃんが寝てたんだ」と、僕を見て男の子は言う。


「俺が人を呼びに行った!」と、別の男の子が言った。


「寮長にも言ったんだけど……」


「寮長?」と僕。


「うん。ちょうど寮長の舟が来たんだ!」


「寮長は定例報告のために大聖堂へと向かったので、その途中に会ったのだと思います」と、女の子が補足する。


「でも、怒られちゃった。なんか、嘘つくなとか言われて……」


 男の子はしょんぼりとする。


 洗礼を受けている寮長には僕が見えないのだから、その反応は当然だろう。

 僕がそう思っていると、


「寮長には見えないから……」と、子供の一人が言った。


「大人だからね」と、隣の子が言う。


「どういう意味だ?」


 思わず訊ねる。しかし、子供たちは顔を見合わせるだけで答えてくれなかった。チラチラと横目で僕を見ているが……何のつもりだ?


「申し訳ありません。ただの冗談……だと思います」


 年長の子が頭を下げた。


「ここは第伍ミラ愛護寮……と言ったな?」


「は、はい」


 中区画だ。


「誰かに……報告はしたのか?」


「その……。はい……」

 女の子は少し頬を染め、肯く。「██様へとご連絡させていただきました」


 ん? 誰?

 名前の部分が聞こえなかった。


「今、何と言った。誰だって?」


 女の子は肩を震わせ、露骨に恐縮そうな顔をする。


「██様へとご連絡を……」


 消え入りそうな声でそう言うと、深く頭を下げた。


「も、申し訳ありません! ██様はかねてよりこの寮を訪れになり、何かと援助をしてくださっているのです! それで、その……私に報石をくださり……契約をさせていただいているのです……。わ、私のような卑しい人間と██様が親しくしているというのは██であるあなた様にとっては大変不愉快だと思います……。本当に申し訳ありません……」


 愚劣な背信者であるかのように頭を下げ続ける小娘は無視するとして、その言葉の意味を考える。

 一部が聞き取れないのは、恐らく表の僕に関係することだからだろう。僕たち審問官はそういう風になっている。ある言葉を聞いた際、表の自分について何かを気づいた時――あるいは気づきそうになった時、瞬時に記憶が改竄されてしまう。その結果として、聞こえていないように記憶に残る。彼女の言葉で、僕は何かに気づいてしまったのだろう。


 要するに、表の僕と近しい人間と連絡を取ったのだろう。どうして僕が不愉快になるのかといえば、きっと表の僕が貴族だからだ。孤児と親しくしているというのは、高位の者にとってあまり喜ばしいことではないはずだから。家としては弱者に手を差し伸べるが、個人としては足蹴にするのが彼らだ。この孤児院に僕を隠すように手当を施したのも、そういう配慮からだろう。


「それで、連絡してどうなった?」


 まだまだ続く謝罪の言葉を遮り、僕は訊ねた。


「は、はい。██様がいらっしゃることになっております。もう間もなくご到着になるかと……」


「そうか」


 どうする。そいつが来る前に立ち去るか。


 そう言えば……。薄いタオルケットをはぎ取ってみる。僕は審問官の装束を着ていなかった。少し解れの目立つ、女物の――都市の娘が着ているようなありきたりの服だった。


「……この服、誰の?」


 女の子の様子をうかがうと、きょとんとした顔があった。


「██様が初めから着ていた物ですが」


「着替えさせたりは……」


「していません」と、彼女は首を振る。


 どういうことだ?

 僕を舟に乗せた誰かは、ご丁寧に着替えさせてまでくれたのか。庶民の格好をさせ、この孤児院の近くの水路に捨てた。その意図は何だ?


 僕は周囲を見回す。部屋にはみすぼらしいベッドが並び、床にはその倍の数の薄汚いタオルケットが敷かれていた。孤児たちの寝床なのだろう。孤児たちは僕の目線を追い、わざわざ視界に入って来てくれる。鬱陶しいな。


 日はまだ落ちていない。それほど長い間眠っていたわけではなさそうだが……。大聖堂に特定されるには十分な時間が過ぎている。しかし、未だ追手が来ている気配はない。この場所が関係しているのだろうか。


 聖ミラ愛護寮。通常、市民たちは孤児院と呼ぶ。

 聖地に八つある孤児院には、聖域と同じ沈黙の魔法がかけられてある。しかし、聖域のものが外からの音を遮断するのとは異なり、こちらの魔法は外からの音は聞こえる。逆に、中の音が外へと漏れることはない。


 沈黙の魔法は洗礼者の探知も防ぐことができるのだろうか?


 だとするなら、ここは最高の隠れ場所と言える。都市の中にありながら、孤児院は大聖堂の目から最も遠い。教戒師が訪れることはないし、死者の管理さえしていないのだ。離れ島の島民たちもそうだが、洗礼を受けていない者を大聖堂は信徒とみなさない。大聖堂にとっての孤児院とは、ほんの一握りの優秀な子供を修道院に入れるための育成機関に過ぎない。僕をここに運んだ者は、それを見越していたのだろうか?


 今現在、外では教戒師や商人たちが血眼になって僕を探していることだろう。明るい内に動くのは危険かもしれない。日が落ちるまでここで待っているのもいいかもしれない。時間がないのは確かだが、情報の整理をする時間も必要だ……。


「ねえ、お姉ちゃん」

 幼い女の子が僕の腕を摘まむ。


 お姉ちゃん……。


「何だ」


「髪、触っていい~?」


 髪?


「構わないが……」


「やったー」


 女の子は僕の髪を撫でる。


「さらさら~」


「あ、あの……わ、私も触っても……?」


 遠慮がちに年長の子が訊ねた。


「ああ」


 彼女は手を震わせ、貴重品にでも触れるかのように丁寧に僕の髪を撫でた。


「綺麗……。お星様見たい……」


 変な奴らだな。



 お姉ちゃん、か。

 女物の服を着ていても、誰も疑問に思っていないらしいこの状況……。僕はお姉ちゃんなのか? 華奢な肢体、低い背丈。いつもは束ねている髪は、今は解かれ、肩ほどまである。気にしていなかったが、男にしては長いのかもしれない。そう言えば、クーバートもお嬢ちゃんと言っていたな。そうか、僕は女の子だったのだ。


 いつの間にか、許容量をはるかに超えた数の手が髪を触っていた。振り払うと、子供たちは素早く年長の子の後ろに隠れ、彼女を盾にする。年長の子はまた恐縮そうに頭を下げた。


「名は何という」と、年長の子に訊ねる。


「あ、私はジュリアと申します」


「何歳?」


「じゅ、十五でございます……」


「おれは八です!」

「わたしはナナ~」

「それ名前でしょー」

「きゃはははは」


「こ、こら! 下がってなさい!」


 自分の体と、子供たちの体を見比べる。チビどもよりは大きく、ジュリアよりは小さいから、十代の前半といったところか。

 なるほどな。以前から他の審問官よりも小さいなとは思っていた。僕が年端の行かない女の子だとすれば納得できる。


「あ、あ、██様がご到着されたようです」


 報石の板面を見て、女の子は言った。

 それから頭を下げ、子供たちを引きつれて部屋から出て行こうとしたが、子供たちは誰も動かなかった。仕方なく、彼女は一人で外に出て行った。


 さて。貴族の子女の話し方とはどんな感じだろうか。何人か審問したことはあるが、僕くらいの少女の経験はない。まあ、そんなに難しく考えることはないか。孤児たちが貴族の子女とまともな会話などしたことはないだろうし、██様に僕を視認することはできないだろうから。たとえできたとしても、即座に意識を奪ってやる。


 僕が考えている間も、子供たちはずっと何か言っている。ベッドに乗ってくる奴もいる。鬱陶しすぎやしないか。沈黙させられた理由もわかる。


「おねーちゃんって、おにーちゃんのなかまなの?」と、男の子が言った。


「おにーちゃんって?」と、馬鹿のふりをして訊ねる。


「モウジャ~」

 親指を噛み、僕の腕をつまみながら男の子は言った。


「モウジャ~って……亡者?」

 それはお前たちだろうと言いかけ、言葉を飲み込む。「……私が? どうしてそんなこと言うん――言うの?」


 僕が訊ねると、失礼な男の子は他の子たちによって輪の外に押し出された。子供たちは互いに顔を見合わせ、僕を見ようとしなくなった。


「あなたたちは亡者を見たことがあるの?」と、再度馬鹿のふりをして訊ねる。


「あるよ」

 一人が声を上げると、「私も!」、「俺もある!」、すぐに他の子たちも声を上げた。


「モウジャはねぇ、大人には見えないんだよ」


「大人には……?」


 そう言えば、さっきもそんなことを言っていたな。


「うん。寮長も、死体運びの人も、おにーちゃんのこと見えないの」


「おにーちゃんって……これから来る人?」


 子供たちはにっと笑った。クスクス笑いながら互いの肩を小突き合う。



 何なんだ? まあ、所詮は子供の言うことだ。考えても仕方がない。子供とは幼体のようなもの。まだ人間になっていない愚かで矮小なケダモノ。そこに意味なんてあるわけがない。


 ██様が何様であれ、都市の者である以上洗礼は受けているので、僕を視認することはできない。それなら、利用してやろう。今の僕には外の情勢が分からない。貴族なら、色々と情報を持っているはずだ。持っていなければ探らせてこさせればいい。いずれにしても無様な奴だ。


 すると、ドアが開いた。入って来たのはジュリアだった。僕に向けて会釈をすると、一歩横にずれた。彼女に続いて男が入って来た。


 顔のない男だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ