崩壊する都市
壁の穴から差し込んだ光が、部屋の中を照らし出す。
騎士たち、そして教戒師により、ワーミーたちは壁際に追い詰められた。手を上げて降参を示すクーバートと、ポケットに手を突っ込んで壁にもたれるルビウス。どちらも、同じ顔をしている。この状況で、何故笑っていられるのだろう。まだ自分たちは助かるとでも思っているのだろうか。お前たちはこれで終わりだ……異教徒め……。
「なんちゃって」
クーバートはパチンと指を弾いた。
途端、世界が変わる。まるで収縮するように、全てがクーバートに吸い込まれていく。この家の中は奴が造った空間だったのだ。偽の室内を構築し、上から覆っていた。
そこはどこかの廃屋のようだった。下を見ると、窓があった。壁が床になっている。どうやら大きく傾いた民家の中にいるらしい。窓からは巨大な木々が見える。まだあの浮島にいたのか。
魔法が消え去った時、そこに残されたのはブツブツ呟く教戒師たちと騎士、その弟子、そして僕だけだった。まんまと逃げられた。だが、転移魔法ではない。奴らがいた場所の壁には大きな穴が開いていた。あくまで目くらまし、まだ近くにいるはずだ……。騎士と弟子はそのままワーミーを追い、穴から外に飛び出した。
「運がいいよ、お前は」
背後から声がした。ロッソだ。
「ここはもういい。ワーミーどもを探しに行け」と、ロッソは教戒師に言った。
「頭が痛い、痛い……。ロッソ……早く仮面を……」
「これか?」
僕の仮面を懐から取り出すと、ロッソは手でもてあそぶ。
「早くつけろ……早く……」
「まあ待てよ」
「何を……言って――」
「ずいぶん仲良くワーミーと話していたな」
「何……?」
そうか、こいつは僕の危機に慌てて駆けつけたわけではない。どこかで黙って見ていたのだ。僕を監視していた。
いつからだ?
いつから僕は大聖堂の監視対象になった?
「管理塔で面白い話を聞いて来たんだ」
そう言うと、ロッソは僕の頭に手を置く。「都市の区画が魔法陣を意味するのはお前も知っているな? だが、今、この浮島は崩壊している。つまりな、魔法の統制が一部乱れているらしいんだ。大聖堂が管理する魔法以外は、とてもじゃないが制御できないらしい」
「何だと……」
「つまりだ。大聖堂の魔法に干渉し、さらに洗脳を重ねるなんて真似をすりゃ、洗脳を解いても元の状態には戻らないそうだ。記録には残らなくとも、明らかに異常な個体が残っちまうことになる。だが、大聖堂の中にそんな奴はいなかった。昨日の午後から現在までの間、誰も市民洗浄されちゃいなかったってことだ。これがどういうことか分かるか?」
「グレンを壊した者と……壊させた者は同一……」
「そういうことだ」
そう言うと、ロッソは僕の頭を掴む。「正直に答えろ。お前がやったんだろう?」
「馬鹿を言うな……」
「活動限界で意識が途切れるまでのわずかな時間に壊したんだ。自分でも覚えていないから、記録にも残っていない。恨みか? お前はグレンにビビってたもんな。それとも他に理由があるのか?」
「違う……僕じゃない……」
「俺もそう思いたい。でもな、大聖堂はお前が背信者だと断定しちまった。お前を審問しなきゃならん。悪く思うなよ」
その時、室内が大きく揺れた。
最初は頭痛のせいかと思った。しかし、違う。地鳴りのような音が響く。
すぐに察しがついた。残存魔法の効果が切れたのだ。近くの窓から外を見る。木々が一斉に枯れ始め、砕けて行く。支えを失った浮島は当然のように落下を始めた。
今更ながら、僕は自分の手枷が外れていることに気が付いた。誰が外した? ロッソでも教戒師たちでもない。いや、決まっている……ルビウスだ。なぜ僕を逃がすような真似を……だが、今はそんなことはどうでもいい。
激しい振動の中で、僕はロッソの手から仮面をひったくった。
「お前……いつの間に……!」
ロッソもまた、僕の手が自由になっていたことに初めて気づいたらしかった。
僕は距離を取ると、仮面を装着する。煙を吸入すると、少しだけ楽になった。
世界が動く。
強い力が僕たちを天井に押し付ける。家が地面を離れ、落下を始めたのだ。何とか天井に足をつき、僕とロッソは仮面越しに睨み合った。ロッソが突撃してきた。上背と腕の長さは奴が利する。簡単に首を掴まれてしまう。そのまま、もう一方の掌を僕の頭に押し付ける。撃たれる――。
ぐるりと世界が回る。家は回転しながら落下しているらしい。おかげで、ロッソの腕から逃れることができた。僕たちはめちゃくちゃな天地の中で、嫌というほど床に、壁に、天井にぶつかっていた。
それでも、相手との距離だけは見逃さない。一瞬、僕とロッソは交錯した。咄嗟に彼の腰から赤色刀を奪う。そのまま離れようとしたが、不意に伸びてきた腕が喉に直撃し、そのまま床へと叩きつけられてしまう。床といっても天井のようだが。
ロッソは僕の腹を踏みつける。
「ふぐっ……」
咄嗟に、僕は刀を振るった。ロッソのブーツが裂けた。そのままはぎ取ると、放り捨てる。
「何してんだお前」
ロッソはグッと体重をかけてくる。
「うぐぅ……」
間が悪いことに、部屋の回転も止まってしまった。
「いいからもう寝てな――」
その時だった。天井部を巨大な瓦礫が突き破り、落ちて来た。ロッソは瓦礫を殴り、難なく破壊する。しかし足への力がわずかに削がれた。今だ。僕は彼を跳ね除け、壁を破って外へと出た。またも、部屋が動いた。壁を破ったはずが、天井から外に出てしまった。
湖へ飛び下りようとした僕の足を、ロッソが掴んできた。そのまま天井によじ登って来ようとしている。赤色刀を彼の手に突き刺すと、ロッソは悲鳴を上げて落ちて行った。すぐさま僕は飛び降りる。直後に浮島は湖に落下し、衝撃で砕けた。
「モモッ!」
ロッソの叫び声は、すぐに聞こえなくなった。
壁のような水が迫って来る。水上歩行の魔法陣は波にも有用だ。僕は波や浮島の破片を駆け、何とか都市へと逃げる。だがロッソは? 奴のブーツは壊した。魔法陣は片足しか機能しない。その機動力ではこの災害を逃れることはできないだろう。
津波が襲って来る。周辺の浮島は事前に移動させてはいたのだが、それでも水に飲み込まれ、沿岸部は崩壊した。
轟音に、市民たちが家から出て来た。人波を気にせず、僕は走った。市民たちは僕を視界に入れても、何の反応も見せなかった。異常があるのは洗浄に関してだけか。どうやら、審問官に対する認識操作に問題はないようだ。もっとも、本当に背信者にされてしまったのなら、すぐにその特権も失くなってしまうのだろうが。
外画と中画の境までたどり着くと、影の中に入った。頭痛はまだ続いていた。しかしそれが先ほどの痛みの残滓なのか、本当にまだ痛んでいるのか判断できなかった。とても立っていられず、壁を背に崩れ落ちるようにして地面に座り込み、膝を抱えた。
目の前の水路を舟が行き交う。誰も僕のことを見ない。見ることができない。
大聖堂は僕を疑っている。異端どもが扇動したのだろうか? 僕を捕らえるため、審問官まで動かしている。それができるのはコーデリア様だけのはずだ。
彼女は言った。自分だけを信じろ、と。では、この事態は何を意味する?
僕はあの方を信じる。
これはコーデリア様の指示ではない。彼女の頭を飛び越え、ロッソに命令が下された。信じられない事だが、異端には審問官を動かす力さえあるのだ。コーデリア様は異端たちに囲まれ、とても危険な状態にある。今すぐにも大聖堂に帰還し、お救いしなければ……。だが、証拠がない。異端たちを糾弾するには証拠が必要だ……。
いずれにしても時間がない。まもなく僕も今朝のグレンのように審問官特権を剥奪されてしまうだろう。教戒師を操作することもできなくなる。そうなったら、都市の監視体制の中で逃げのびることなんて不可能だ。刻限は僕が大聖堂に捕まるまで。それまでに、何としても背信者を見つけ出し、無実を証明する。そして異端どもを根絶やしにしてやる。
と、その時だった。
目の前で一艘の舟が止まった。
商会の舟だった。




