堕ちた騎士
誰かの声が聞こえる。
僕ではない、他の誰か。
――捕まえたワーミーたちはどうした。
「仮洗礼を施し、審問にかけ……魔法の知識を聞き出している……。その後に……全員商会に売ることになるはずだ……」
――売るということは、まだ無事ではあるのか?
「無事の定義による……。無傷ではないだろうが……壊れてはいないことは確かだ……。よほどの傷でなければ、大聖堂の回復魔法で治る……。傷物では売れないからだ……」
――仮洗礼を施したということは、大聖堂の洗脳にかかるということだな?
「そうだ……。大聖堂の制御下に置かれる……」
頭がぼんやりする……。
僕は今、正しいことをしているよな……。
大丈夫、上手くやっているさ……。
聞かれた質問に正確に答えることよりも正しいことなんて……あるはずがないから……。
――ジュノーを審問したそうだが。
「ああ……」
――何を聞き出した?
「同一化した理由……ルビウスとの関係……。だが、これからというところで……僕の活動限界が来て……中断した。その隙に奴は壊された……」
――誰が壊した。
「分からない……。審問官の格好をした者が目撃されたそうだが、わざと目撃されたようにも思える……。だとすれば、誰かが審問官に偽装した……。地下に下りることを許された高位聖職者の誰かだろうが……洗脳されていた可能性を考慮すると容疑者は無数に存在する……」
――オブライエンの当主はどうなった?
「壊れた……」
――壊したのか?
「違う……。大聖堂の手に落ちる前に……自らを壊してしまった……」
――つまり、奴からは何も聞き出せなかったと。
「ああ……」
チクリ、と頭が痛んだ。
何だ?
目の前に誰かが立っている……。二人の男――ルビウスと、クーバート。
そうだ、僕は確か……。
頭の中の霧が晴れたかのように、急激に現実を理解する。
悪い夢から目覚めた気分だ。
僕はモモ。
異端審問官のモモだ。
それが現実。
「おや?」
クーバートが僕の目を覗き込んで来る。
「僕に……何をした……」
「解くのがずいぶんと早いね」、感心したようにクーバートは言った。
「邪魔が入ったようだ。オレたちに情報を渡すつもりはないらしい」
「貴様ら――」
声を張り上げようとした、その時だった。
また。
チクリ、が起きた。
それが全体に広がったのは、あまりに一瞬だった。
「ぐぁあああああああっ!」
気づいた時には僕の脳は壊れていた。
この世の全てが痛みに塗り潰される。叫べば叫ぶほど、体内から声が響いて痛みが増幅してしまう。でも声を出さずにはいられない。
ルビウスが腕を組み、顔がくっつきそうなほど近くで僕を見つめていた。
「演技と思うか?」、背後を振り返ってルビウスは言う。
「どうだろ。本当に痛そうだけどな。すっげえ顔」
「これが活動限界というやつだろう。大聖堂の呪縛だと思っていたが……このタイミングはあまりに都合がよすぎるな。なるほど、見えて来たぞ」
ルビウスは訳知り顔で言った。
何を言ってる? 分からない……。頭の痛みにより、まともな思考ができなかった。
「痛い、痛い……助けてくれ、助けて……」
懇願するようにルビウスを見る。「仮面を、仮面をつけてくれ……!」
「これが欲しい?」と、クーバートが僕の眼前に仮面を垂らす。
「つけてくれ! 痛い、痛いんだ……」
「ずいぶんと都合のいい考え方をするんだなぁ」
「お前たち……ただで済むと思うなよ……! 絶対に審問にかけてやる……」
「ひえー!」
陰湿眼鏡は悲鳴を上げると、「怖い怖い、許してくだせえ。ほーれ、痛いぞ痛いぞ」、ぺちぺちと僕の頭を叩いた。
「やめろ……痛い……やめろと言って……痛い、痛い……や、やめて……」
振動と共に目から火花が飛び散り、いよいよ体にまで燃え移ろうかという時だった。
「おお、真っ暗だ。どうなってる?」
暗闇から、新しい声がした。
「見てください、壁も床も全て石で造られています」
「奴らの魔法か……。凝ったことをする」
二人の男の声が近づいてくる。
「邪魔するぞ」
光の中に現れたのは、びっしりと髭を生やした男だった。王国騎士のシューレイヒム卿だ。騎士というよりは山賊の頭にしか見えない。こんな時だが、転職すれば天職だろうにとくだらないことを思ってしまった。その後ろから、美貌の男が現れる。弟子だ。
「何をしている」
騎士は怪訝な顔でルビウスを見る。僕のことが見えていないのだろう。
「何かがいます」と、弟子。
「なるほど、審問官だな」と、騎士は目を細めて僕のいる場所を見る。実際には椅子が見えているだけだろうが。
「何故ここに来た」
ルビウスはジロリと騎士を睨んだ。
「教戒師たちを撹乱すれば、こちらの話を聞いてくれる約束だ」と、騎士は言った。
「ここに来いと言ったつもりはないが……。まあ、いい。話してみろ」
こいつらは……手を組んでいたのか? 一体、いつから……。
「話せと言われてもな……この場でか?」
騎士は僕の方を見る。
「いいから話せ。条件を決めるのは常にオレだと理解しろ」
「……いいだろう」
騎士はゴホンと咳払いをする。「俺は王国騎士、ディオニカ・トルネック・オーヴ・シューレイヒム。ルチル殿下の護衛としてこの聖地シュアンへと来た」
「知ってるよ」と、クーバート。
「要点だけ話せヒゲ」と、ルビウス。
「無礼じゃないか」
そう言う弟子は、奇怪な顔をしていた。師を侮辱された怒りと、喜びを何とか堪えているかのような……相反する二つの感情が同時に噴出している。気味が悪い。
「よせ、ルカ」
騎士は弟子の肩を叩くと、心なしか声を低くする。「……俺は王都の密命を受けている。その遂行のためにお前たちの力を貸してほしい」
「騎士がワーミーに頭を垂れるのか?」と、ルビウスはあざ笑った。
騎士はポリポリとを顎を掻いたが、結局は頭を下げた。「頼む」
「それで、密命って何? 面白い話かい?」と、クーバート。
「薄色魔石の出所を探っている」
一瞬、クーバートの笑顔が固まった。
「やはりお前たちの狙いもそれか」
「さあ、何のことだい?」
クーバートは口笛を吹く。迫真の演技だな……。
騎士は懐から何かを取り出した。淡い青色をした石だ。
「大したものだな、この薄色魔石……。自然採掘された魔石よりも内臓魔力が少ないとはいえ、使用に関しては何の問題もない。そして、はるかに安価ときている。その内、カルム全土の市場はこの薄色に飲み込まれるだろう。お前たちも知っている通り、この国はカルム屈指の魔鉱石の採掘国。これ以上このような紛い物が流通しては困るのだ」
そう言うと、騎士は魔石をグッと握り締める。ボロボロと砕けた石が床に落ちた。
「王都の調査の結果、薄色魔石はハニカム商会を介して広まっている。そしてその出所こそが、この聖地というわけだ。お前たちもその流通経路を辿ってここに来たのだろう?」
「さあね」
「それで?」
二人はいかにも興味なさそうな振りをして言った。
「大聖堂がどこから魔石を手に入れているのか、それを知りたい。聖地のどこかに採掘場があるそうだが、徹底して秘匿されている。洗礼を受けていないお前たちなら、監視を気にせずに制限なく動くことができるはずだ。大聖堂の内部は我々が調べている。お前たちには都市の――」
「あれだ、聖人様がくれたんだろ」
「良い子たちへのプレゼントだな」
そう言うと、二人はクックッと笑った。
「真面目に話しているんだが」
「真面目に話している人間の目か、それが?」
「何だと?」と、騎士は怪訝な顔をする。
「貴様たちは仲良く洗脳にかかってしまっている。そんな奴らと話すことはこれ以上ない」
「馬鹿な、俺は王国騎士だ。洗脳対策は過剰なほどにしている。魔法具にも何の反応もなかった――」
「分っかんないかなぁ。そんなレベルじゃないんだよ、この都市の魔法は。使ってる本人たちにも過ぎた力が使われてんの」
と、知った風な顔でクーバートは言った。
「うう……痛い、痛いぃ……」
深い沈黙の中で、僕のうめき声だけが聞こえていた。
騎士と弟子はしばし顔を見合わせる。互いの目を確認しているのだろう。
「俺は……洗脳にはかかっていない……。王都への報告だって――」
「へえ、どうやって王都と連絡をとってんの?」
「無論、報石でに決まっている」
「見たいな。見せてよ」
シューレイヒム卿は懐から報石を取り出す。「これだ」
板面を見たクーバートは笑い出した。
「ハッハ! それでどうやって連絡とんだよ、ば~か!」
「何だと?」
彼が持っていたのは報石ではなかった。ただの平らな石……。遠目からでも、びっしりと文字が刻んでいるのが確認できた。
「貴様らの目論見など最初から看破されていたというわけだ」
やれやれと頭を振りながらルビウスは言う。
「アハハ、ただの石に落書きしてたってことさ! 何か文字が浮かんで見えたのか? やっべー! やっべーよこのおっさん! アハハハハ!」
クーバートは床に転げ、お腹を抱えて笑った。
「貴様らはルージュを洗脳し、話を聞き出したそうだな。それを自分たちさえ知らない内に大聖堂に漏らしてしまったのだ」
「何を……言っている?」
「だからこそ、ジュノーの行動が奴らにバレてしまった。その結果として、仲間たちも捕まった。まったく迂闊な奴らだ」と、ルビウスは呆れたように首を振った。
シューレイヒム卿はポカンと口を開け、ずいぶんと間の抜けた顔をしていた。洗脳を指摘された者は大抵こういう顔になる。
「マスター……これは……」
「……聞け」
顔面を蒼白にした弟子の肩を掴むと、騎士は何かを耳打ちした。何を言ったのかは聞き取れなかった。だが、その途端に弟子の目に力が宿った気がした。
「頃合いだな。こいつからはもう何も聞き出せない」
ルビウスは僕の髪をかき乱す。それから笑い転げるクーバートの襟を引っ張ると、立たせた。
「最後にもう一度聞こう。貴様の名は?」
騎士の方を見て、ルビウスは言った。
「俺……俺の名――ディオ……ディ……? 違う、違う、違う。お、俺……俺の名はルーペルト……」、ぽつりと騎士は呟いた。「ルーペルト・ペルドール……」
「何者だ?」
「我こそは……大聖堂に仕える駆士だ! 覚悟しろ、ワーミーども!」
瞬間、騎士は腰の剣を抜いた。
「うわっ、馬鹿が怒った!」
「洗脳が強化された。この男はもはや大聖堂の手駒だ」
直後、騎士の背後の壁が破壊され、教戒師たちがなだれ込んで来た。
やっと……現れた……。
頭痛のために、僕の意識は薄れかけていた。誰か、誰でもいいから仮面をつけろ。この痛みを止めてくれ……。




