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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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審問官モモとワーミーと

 外画の木々は強大な残存魔法だということで、効果が切れるのを待つより他ないらしい。それがいつになるのか分からないため、現在付近一帯の住民たちは全員避難させ、無人としている。教戒師たちも立ち入れず、外から監視しているだけだ。


 僕たちは二手に分かれて捜索を開始する。

 地面は大きく傾いており、時折民家から剥がれ落ちた屋根や壁が落下してくる。生い茂る木々も厄介だ。切断できれば話は早いが、下手に魔法を使うことは相手にこちらの居場所をみすみす知らせるようなものだ。仕方なく通れる場所を探し、先に進む。



 大した魔法だ。僕たち審問官は魔法を使うことができない。自分のセフィラさえ知らないのだ。僕たちが教わったのは、魔法陣を使うことだけだ。それさえ、大聖堂から支給されるもので、表面上の知識しか与えられていない。魔法に関してはほとんど素人だと言ってもいい。これほどまでに強力な魔術を持つ者たちに、普通ならば手も足も出ないところだ。


 だが、僕たちの力は単体で表せるものではない。僕たちは大聖堂という巨大なシステムの一部に過ぎない。言うなれば、大聖堂こそが僕らの力なのだ。ワーミーどもがどんなに強力な魔術を持っていようが敵うはずがないのだ。現に、奴らは敗北しようとしている。残りの二人を捕らえればそれで終わりだ。奴らが強行に出たのも、追い詰められている何よりの証拠だ。


 頭上から壁の一部が落ちて来た。かなり大きい。すぐに後退し、避ける。ふと眼前に金色の筋が走った。瓦礫には仮面の男が乗っていた。


 しまった――。


 瞬間に男は僕に飛びかかった。瓦礫はそのまま落下し、真下の木に当たって粉々になる。僕は辛うじて男の手を逃れると、爆破魔法を放つ。男は射線を読み、難なく避けた。なおも向かって来ようとしたため、爆破の範囲を広げると、男は距離をとった。僕は素早く近くの民家の壁を上り、屋根に出る。相手は巨木の枝に飛び乗り、こちらを睨んだ。


「よく来たな、歓迎するぞ」と、男は言った。


「ルビウスだな」と、僕は赤色刀を構える。「白昼堂々のご登場とは。ずいぶんと余裕がなくなったと見える」


「その通りだ。貴様と遊ぶ時間も惜しい」 


「仲間のことが気になるだろうな。お前が心配しているのは、ワーミーたちか? それともジュノーか?」


「……あいつをどうした」


 ルビウスの声が低くなる。感情が昂っている証拠だ。多かれ少なかれ、激昂すれば人の視野は狭くなる。そういう人間は扱いやすいものだ。


 とにかく、今は時間を稼ぐ。爆破の音を聞いたロッソがまもなく駆けつけて来るはずだ。それまでにこいつの心を乱し、少しでもこちらの優位にことを進める。


「無論、壊した。お前の愛するジュノーはもういない。あいつの悲鳴をお前に聞かせてあげたか――」



 気がつけば、僕は屋根に膝を突いていた。


「かはっ……ぇはっ……ぅえ――?」


 息ができない。一体何が……。腹部に痛みが残っているから、辛うじて殴られたのだということは分かった。反応すらできなかった。まさか。審問官のこの僕が――。


 いつの間にか、ルビウスが目の前に立っていた。


「寝ていろ」


 冷たい声が聞こえたかと思うと、衝撃が身体を襲い、僕の視界は闇にのまれた。




 頬を叩かれる。


「起きろ」


 どこかの一室だった。僕は後ろ手に縛られ、椅子に座らされている。

 周囲は暗く、見渡すことはできないが、僕の周囲だけが空からの光に照らされていた。天井に亀裂があり、そこから光が漏れている。床は石造りで、そこには何の温もりもない。全体がこれで覆われているのだとしたら、心までも冷え切ってしまいそうだ。

 ここはどこだろう? 外区画のどこかには違いないが……なんとなくだが、大聖堂の審問部屋に似ている気がした。


 自分が仮面をしていないことに気づいたのは、光をやけに眩しく感じたからだった。やれやれ。本来は影に潜むべき審問官の僕が、光の下に引きずり出されるとは。屈辱には違いない。

 しかし同時に、懐かしい不思議な感じもあった。どうしてだろう? どこか遠くで――あるいは、とても近くで――女性の声が聞こえたような気がした。


 僕は頭を振る。奴らに何らかの精神攻撃を受けているのかもしれない。気をしっかり持たなければ。


 そんなことを考えていると、暗闇の中から男が一人やって来た。近くにいたのだろうか? それにしては全く気配を感じなかった。まるで無から突然に現れたかのようだ。

 美貌の男だった。頭上から差し込む光により、金色の髪がキラキラと輝いてる。華々しい生命力の象徴のような赤い瞳と相まって、この世の物とは思えない美しさを感じさせた。不覚にも、しばしの間見惚れてしまった。


「異端審問官のモモだな」


 声からして、ルビウスだった。仮面の下を見たのは初めてだったが、なるほどジュノーが夢中になるわけだ。


「死ね」


 顔めがけて唾を飛ばす。しかし避けられた。


「ハハッ、気の強い子だな」


 奥からもう一人が現れた。眼鏡をかけた男、クーバートだ。冴えない奴め。


「貴様ら審問官は自分のことを何も知らないそうだな」


「ジュノーなら廃人になってしまったよ、ルビウス」、彼の言葉を無視して僕は言った。


「顔すらも見たことがないそうだな、見せてやろう」、彼もまた僕の言葉を無視した。


「それ以前に顔をズタズタに切り裂いてやったから、見るもおぞましい容貌になってしまった。お前はそれでもあいつを愛せるかな?」


「よく見ろ」


 ルビウスは鏡を僕の前に出した。自分の顔を直視する。


「無駄だよ」


 そこに映っていたのは顔のない人間。先刻に飽きるほど見た。


「ふむ、自分の顔を確認できないのか。暗示がかかっているんだな」

 ルビウスは顎に手を当てる。「貴様の名は▇▇だ」


 表の僕の名を呼んでいるのだろうが、名前に当たる部分だけ声が消えてしまった。


「ふうん、ダメみたいだな。こりゃ手ごわいぞ」


 いかにも愉しそうにクーバートは言った。


「そもそも、今のこいつは非常にややこしい状態にある。改変魔法と洗脳魔法の重ねがけだ。興味深いが……自分ではそれに気づいてはいない。だからこそ、こいつが自分の姿をどう見えるかに興味があった」


 僕の頭を遠慮なくバシバシ叩きながらルビーは言う。


「それに……昨日までとは比べ物にならないほどに力が強まっている。異端審問官として十分に活動できる能力を得た。儀式とやらが完成しつつあるということだろうな」


「いよいよ生まれるわけだ。怪物が」と、顎を撫でながらクーバートは言う。「こりゃ楽しみだ」


 何の話をしている? 僕がどんな状態にあるというのだ?


 いや、余計なことは考えるな。こいつらに耳を貸してはいけない。全ての言葉が罠であると考えろ。


「おーい、嬢ちゃん」


 クーバートは眼鏡を外し、くいくいと小刻みに動かしながら言う。「俺の仲間はどこに連れて行かれたのかな? まだ無事なのかい?」


「失せろ細目野郎」


「うわっ、そういうこと言うのか。酷いことしちゃうぞぉ」


「やってみろ」


「いじくりまわしてやるからな。頭の中を」


「死ね変態眼鏡」


「俺は傷つきやすい子なんだけど」


「黙れ変態眼鏡、やるなら早くやれ」


 そう言うや、ルビウスはクーバートの頭を掴み、僕の前に突き出した。


「へーい」


 クーバートの指先から紫の煙が漂う。


 こいつは紫色使いなのだ。言葉通りに僕の頭をいじくり回し、場合によっては廃人同様に変えてしまうことも可能だ。しかし僕には通用しない。僕たち審問官は幼少からの訓練により、あらゆる拷問に対する耐性がついている。もちろん完全に耐えられるわけではないから、時間の問題には違いない。だが、今はそれで十分だ。こいつらにとって何よりも大切なのは、その時間なのだから。今にもロッソが教戒師を引きつれて現れるだろう。


 僕は呼吸を浅くする。紫煙の許容量は把握している。呼吸の量を減らし、なるべく時間を稼がなければ。


「こちょこちょ」


 突然、クーバートは僕の脇をくすぐり始める。


「……何のつもりだ」


「笑えばいいと思うよ」


 ルビウスは僕のブーツを脱がせ、素足を露わにする。


「貴様を審問にかける」


「やめろ……」


 問答無用でルビウスは足の裏をくすぐり出した。


 痛みや魔法に対する耐性はあるが、こんなのは初めてだ。だが、いかなる拷問にも耐えてみせる。それが僕たち異端審問官だ。



「あひゃひゃひゃっ! や、やめろっ! やめろぉぉお!」


 無理だった。

 煙を思いきり吸い込んでしまう。



 突然、笛の男が遠くから聞こえて来た。聖衣を着た者たちが角笛を吹いて現れる。その脇で、小さな道化師たちが紙吹雪をまき散らす。それに続いて現れたのは、筋肉質の男たち。肉体美を見せつけるように半裸だった。彼らは黒い大きな聖匣を輿こしのように担いでいた。


 闖入者たちは僕の周りを延々と回り続けた。ご機嫌じゃないか。


 何だこれは? どこの馬鹿がこんなふざけた真似を……。僕は何を見せられているのだ? 絶対に全員審問にかけてやる……。



 いや、違う。

 これは洗脳だ。洗脳が始まってしまった。

 やがて歓声が上がった。それと同時に、パンッと耳元で手を叩く音がした。


 辺りには草原が広がっていた。僕は一人で椅子に座っている。ここは一体……? 頭上にはキラキラと星々が瞬いている。星……? いや、そうじゃない。空に浮かんでいるのは無数のクーバートの顔で、光っているのは眼鏡だ。


「おーい、嬢ちゃん。俺の仲間はどこに連れて行かれたのかな?」


 顔の一つが声を発すると、即座に、


「おーい嬢ちゃん――」


「おーい嬢ちゃ――」


「おーい嬢――」


「おーい――」


 他の顔も話しかけて来る。頭がおかしくなりそうだった。


 ふざけるな……。



 空から数多の手が伸びて来た。それらはあらゆる方向から、一斉に僕の頭を掴む。瞬間、頭が弾ける。周囲には脳みその代わりに色々なものがぶちまけられる。宙を泳ぐいくつもの光の帯。無数の黒い箱。ナイフ。人の形をした血――。


 頭の中のものが全て出て行ってしまうと、今度は下腹部までごっそりと抉られる。僕の体を裂いて現れたのは、乳房がびっしりと全身を覆った大きな芋虫……羽が全て人間の目の、首がもげた鳥……面皮が張り付いたぶよぶよした黒い塊……亀裂が入り、中から零れ落ちて来たのはたくさんのぶよぶよ。これまた面皮が張り付いた黒い塊……。それもまた亀裂が入り――。


 落ち着け。

 極限まで自分に集中しろ。


 僕はモモ。

 異端審問官のモモ。

 紫色魔法によりワーミーに洗脳されている。

 自分を忘れるな。


 自分?

 自分って何だ?

 モモって何だ?


 僕には自分を保てるだけの根拠がない。

 僕は僕を知らない。


 今の僕は本当に存在する僕なのだろうか――。


「おえぇぇ……」


 突然吐き気を催し、嘔吐した。吐瀉物の代わりに口から出て来たのはおびただしい小さな人間たち。僕の体をよじ登り、口の中に戻ろうとする。


 クソ……ダメだ……。自分に戻れない――。


 確かなことは、僕がかつてない危機にあるということだけだった。

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