表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
72/148

四人の背信者


 我々審問官が一堂に会することはない。誰かが活動していれば、誰かは表で生活をしている。共に行動するのは大抵二人までであり、それ以上で動くのは稀だ。現在聖地には僕を含めて五人の審問官がいるが、本当にそれで全員なのかさえ僕たちには分からない。しかし、少なくとも僕が認知しているのは僕を除く四人だけであり、背信者はその中にいるとコーデリア様は言った。彼女が手を回し、僕はそれぞれと仕事をする機会を得た。


 審問だ。



 恰幅の良い女が椅子に座らされている。コーデリア様の屋敷で働いている女で、従騎士を屋敷に引き入れた疑いがある。女は目隠しをされているが、僕たちが目の前にいることは分かるようで、必死に許しを請いていた。ブルブル震えるたびに頬の肉が揺れる。


「怠惰な豚め」


 ロッソは女の頬を張った。女は悲鳴を上げる。


「何だその体は、恥ずかしくないのか貴様。ぶくぶくぶくぶく太りやがって。貴様のような豚が人間を名乗って何のつもりだ。腹に何を詰めている? 臭ぇんだよ。デブ特有の臭いがプンプンする。舐めてるのか? ろくに動いてもいないのにハアハアするな肉塊。貴様ら豚は一人残らず人界から追放し豚小屋にぶち込んでやる」


 ロッソはそう言うや、豚の尻を蹴飛ばす。豚は椅子ごと床に倒れた。瞬間、火が付いたように暴行を加えた。ロッソは太った人間が嫌いなので、太った人間の審問はたいてい彼に回される。一しきり蹴ると、豚をもう一度椅子に座らせる。審問を行い、こちらの意を添わぬことを言えば即座に殴りつける。初めこそ泣いて震えていた豚だが、すぐに暴力を受け入れるようになる。単純なのだ。


「お前が主人の意に反しダリアに手ほどきを加えていたのは知っている」


「あの子を……不憫に思っていたのです……。まだ幼いのに一人になって……。私は……あの子の母親の世話をしていましたから……。娘のように思って……」


 豚は震え、手で顔を覆った。ロッソは無理やりに引きはがすと、豚の頭を押さえつける。


「よく見ていろ」


 そう言うと、ロッソは僕を見る。僕は部屋の魔法陣を発動させた。


 この審問部屋は、大聖堂に遺された聖絶技法フォリストの一つだ。床に描かれた特殊な魔法陣に対象を接続すると、壁から噴出された紫色の煙に心象風景が映し出される。それによって、対象の恐怖の根源を知ることができる。トラウマを丸裸にされると、人は驚くほど単純になる。支配することも実にたやすい。


 床の魔法陣が光り出す。それと共に、壁から紫の煙が噴出された。

 ゆっくりと煙は形状を変えていく。


 平原、いや違う……湖か?

 無数の手が何かを引きずり込んでいる。人間よりは小さい。人形だろうか?


「ああああああっ!」

 豚は悲鳴を上げた。


 人形は次第に大きさが変わる。子供くらいの大きさになった。


「お前の娘だな」


 豚は返事の代わりに、呻き声を出した。


 ロッソは壁に描かれた陣に触れる。

 子供は無数の手から抜け出した。煙がこちらへと流れて来る。近づくに連れ、その姿はリアルになっていく。今でははっきりと、この豚の娘だと分かる。子豚だ。


「ああ……」


 豚が手を伸ばした。娘も手を伸ばす。母子が触れ合おうとした、その寸前。無数の手が彼女の体を掴み、強引に湖に引き戻した。手から逃れようと、娘は必死にもがく。苦悶に満ちた表情で、豚に助けを求めた。


 飛びつかんとする豚を、僕は椅子に押さえつける。

 豚はもう狂ったように暴れる。しかし、それもすぐに終わった。彼女の目の前で、娘は動かなくなった。生気を失った無表情で、豚を見つめ続ける。豚は泣くことも忘れ、呆然となった。


「もう一度」


 ロッソは煙を操作し、子供を水上に戻した。初めからやり直しだ。死の瞬間を、何度も何度も繰り返し見せた。豚はみるみる憔悴していく。

 繰り返すうちに、イメージは変わっていく。初めは、事故で舟から落ちていたはずが、いつの間にか豚が押したことになっていた。ついには、豚が娘の頭を押さえつけ、湖に沈めたことになった。


「もう……やめて……やめてください……」


 体の内から絞り出すような声で、豚は言った。


 ロッソは豚の頭を掴むと、顔を水中に叩きつけた。もちろんここには水などない。しかし、洗脳されている豚にとってはここは既に湖だ。豚は激しくもがく。


「お前が従騎士を引き入れたんだな? 主人を陥れるつもりだったんだろう?」


「はい……そうです……」


「何故そんなことをした?」


「私は……私は……」


 ロッソはもう一度、女の顔を水中に浸ける。しばらくして、また引き上げた。


「お前はダリアに娘を重ね合わせ、懲罰を与える主人に見当違いの恨みを持った。そして従騎士を引き入れることで主人を陥れようとした。そうだな?」


「はい、そうです……その通りでございます……」


 息も絶え絶えに豚は言った。本当に水に浸けられたかのようだ。


「良いことを教えてやる。お前は何故ここにいると思う? お前を売ったのはダリアだ。あの娘はお前の慈悲になど少しも感謝していない」


 ロッソがそう言うと、女は目を見開いた。


「何てこと……」


「あの娘はお前の死んだ娘ではない。お前は慈悲を向ける相手を間違えた」


「おおお……」


「ダリア・バーガンディについてはどう思う?」


「あの子を――あの子にも罰を与えてください……! あの小汚い小娘! 汚らわしい!!」


 唾をまき散らし、豚は喚いた。


 今日はここまで。こいつはこのまま審問部屋に監禁する。

 あと何度、娘の死を見ることになるのだろうか。


「また豚だった」、舌打ち混じりにロッソは言った。「なんで俺の審問はいつも豚ばかりなんだ?」


「人の体型がどうしてそんなに気になる? 重要なのは内面だろうに」


 少なくとも、僕らにとっては。


 ロッソは立ち止まり、仮面の下から僕を睨みつける。質問を質問で返したことが気に入らないのだろう。彼の方が頭二つほども背が高いから、必然見下ろされる形になる。


「俺は思う。どんな生き物にも本来定められた形がある。俺たちを見ろ。お前はチビだが……本当にチビだが、形自体はだいたい同じだ。分かるな? これが人間の形というものだ。そこからはみ出た奴なんてものは異常個体、つまりは異形なんだよ。そういう奴らを見ると俺は頭がおかしくなっちまう。どうしようもなく痛めつけたくなるんだ」


「大司教はどうだ。お前の言う人間の定形からは外れていると思うが」


「だから俺はあのジジイを長いこと視界に入れちゃいねえ」


「そうか」


 難儀なものだ。



 聖週間二日目の夜遅く。審問部屋に行くとカルミルが待っていた。


「遅かったじゃないか」と、カルミルは非難がましく言った。


 男が魔法陣の上に乗せられ、紫煙を見せられていた。僕が来るまで待ちきれなかったのだろう。既に男は壊れていた。口から涎を垂らし、虚ろな目をしている。顔には容赦のない暴力の痕跡がありありと残っていた。劇団の団長をしている男だった。こいつにはワーミーを匿った疑いがある。


「こいつは下等だよ」


 吐き捨てるようにカルミルは言った。


 下等。つまりは低能ということだ。カルミルは頭が悪い人間を許さない。少しでも受け答えに齟齬があれば、低能に認定してしまう。こんな状況では賢者でも言葉に詰まることはあるだろうに、一切考慮しない。要するに、自分以外は全て低能だと思いたい人なのだ。



 カルミルの審問は陰湿だ。言葉攻めから始まり、執拗な暴力、そして心象風景の鑑賞会を経て、最後は薬まで用いてじっくり丁寧に対象を壊していく。審問が終わる頃には団長はげっそりと痩せ、廃人のようになってしまった。翌日も典礼劇は催されることになっていたため、そのまま帰した。彼には、僕たちのことをワーミーだと思わせている。都市に戻った後、うわ言のように言うだろう。ワーミーにやられた、と。


 部屋を出ようとする僕に、カルミルは言った。


「君は本当に酷い奴だね」


「酷い?」と、僕は小首を傾げる。「僕も下等なのか?」


「違うよ。まだね」、カルミルは僕の前を通り過ぎる。「何があっても君の審問だけは受けたくないってことだよ」


 そう言うと、カルミルは足早に部屋を出て行った。


 意味が分からない。



 聖週間三日目の早朝。僕とメラハは離れ島にいた。


 眼前には紫の髪をした女がいる。異教徒の踊り子だ。オブライエンの小娘と二人で洗濯に向かうところを捕らえた。小娘は隅で眠らせてある。


 踊り子への目的は審問ではない。仲間の元に返すことになっているから、外傷をつけるわけにはいかなかった。魔法陣を敷き、周囲に防音を施す。僕は呼吸器を外し、踊り子にはめる。

 呼吸器を押すと、中の薬剤が煙霧体となって噴出される。僕たちの意識を正常に保つための薬であり、他者が扱うとしばらくの間、脳が正常に機能しなくなる。魔法を使わない洗脳にはこれが最良だ。煙を吸うと、踊り子はビクンと大きく痙攣する。

 とにかく時間がない。僕たちは多少強引なやり方で踊り子の心を壊した。踊り子は涙を流し、必死に許しを請いていた。僕たちではない、他の誰かに。


 メラハは踊り子の髪を掴み、ジッとその顔を見つめていた。


「時間がないと言っているだろう」


「もう少しだけ」


 そう言うと、メラハは踊り子の額に指を当てる。


「ぁああああっ!」


 踊り子は顔をくしゃくしゃにする。


「ごめんなさい、ごめんなさい。お父様、ごめんなさい……。そんなつもりじゃなかったんです。そんなつもりじゃ……許してください、許して……お母様、お母様……」


 踊り子は僕たちの従順な道具に成り下がった。報石アクタの刻印を確認すると、すぐに解放してやる。小娘を起こすと、二人はケロリとした顔で洗濯場へと向かって歩き始めた。


 その場でオブライエンを取り返すこともできたが、あえてそのままにした。洗礼を受けている者は、大聖堂からある程度の位置を特定することができるのだ。ピンポイントなものではないが、区画くらいは分かる。ワーミーどもの動きを把握できているのも、こいつがいたおかげだ。どんな奴でも使い方次第で役に立つものだ。


 僕はメラハの頭を掴み、民家の壁に叩きつけた。


「何故余計な真似をした? 状況が見えていないわけではないだろう」


「淫売を認めろというの?」


 メラハは激しく僕の手を振り払った。明らかに冷静を欠いている。


「何?」


「あんな阿婆擦れは見たことがない! ああ、おぞましい……!!」


「……どういうことだ?」


「あんなに肌を露出させて……何なのあれ? あれで男を誘惑しているつもりなの? 何と品の無い……! 下品は伝染するのよ。今にあんな馬鹿げた格好をした子女がこの聖地に溢れてしまうでしょう。モモ、あなたは聖地にあんな女がいていいと思う? 私は絶対に許せない! 許していいわけがない! あなたもそう思うでしょう!?」


 壁に頭を打ち付けながらメラハは叫んだ。


「ああ……。そうだな……」


 こうまで取り乱したメラハを見たのは初めてだった。こいつの中で、理想の女性像があるのだろう。敬虔で、清淑……例えば、修道女のような。そこから外れた女性が許せないらしかった。その基準で言えば、踊り子なんてもってのほかだろう。正直に言えば心底どうでもよかったが、これ以上喚かれては面倒なので同意しておいた。なおも暴れるメラハを半ば引きずるようにして、島を後にした。



 大聖堂に戻ると、グレンとの審問だった。


 初めてグレンと仕事をした時のことを思い出す。僕は、彼の許可なく背信者の顔を刀で裂いた。審問が終わった時、僕は全身をズタズタに切り裂かれ、血にまみれた床に転がっていた。あれは痛かったな。


 審問部屋に入ると、既にグレンはいた。彼がここに来ることは珍しい。主席の特権なのか、普段は別の場所で仕事をしているからだ。グレンは無言で自分の隣を指す。ここに立てということだ。僕は深呼吸をすると、指定の場所に直立する。

 彼の傍らにいるだけで肌がピリピリと刺激される。グレンとの仕事には、常に喉元に刃が突き付けられたような緊張感がつきまとっていた。


 審問の相手は死体運びの女だった。

 男と見まがうほどに屈強な肉体をしており、鉄の鎖で壁に繋がれていた。教戒師を相手に大立ち回りを演じたそうだが、最後は従騎士の女が動き、あえなく御用となった。

 この女の聖地の住人にふさわしくない凶暴さ、傍若無人な振舞いの数々は有名で、以前から気に入らなかった。だが、どうしてだか今まで一度も審問にかけられたことがなかった。大聖堂の誰の庇護を受けていたのかは知らないが、ついに見限られたのだろう。ようやく機会を与えられた。


 グレンはジッと女を睨んでいた。


「心象は見ないのか?」


 僕が訊ねると、間髪入れず、


「必要ない」と、言った。


「お得意の陣も使わないんだな。よかったよ。あれは見ていて気持ちのいいものではないから――」


 グレンが僕の顔を見ていることに気づき、口をつぐんだ。


「ずいぶんとお喋りになったな」


 首に痛みが走った。手で触ろうとして、やめた。錯覚だ。


「すまない」


 僕は素直に謝り、しっかりと口を閉じた。



 グレンは女の顔をブーツの裏で蹴飛ばした。

 彼は相手の心象を調べたりしない。徹底的な暴力が、新たな心象を生み出すからだ。

 身動きのできない木偶でくの坊を、グレンと二人で痛めつけた。女は苦痛に顔を歪める。何時間にも渡って痛みを与え続けた。見るも無残な顔になっているはずだが、元々が粗末な面構えなので痣だらけでも腫れてもへこんでも大した変化はなく、血の量が増えていなければ進捗を把握することはできなかっただろう。しかし顔を真っ赤に染めてもなお、女は鋭い眼光で僕たちを睨みつけていた。少しも怯んでいないのだ。こんな人間は初めてだ。


「どうした終わりか? 全然効かねえぞボケ。殺すならさっさと殺しやがれ、クソどもが」


「殺すつもりならとうに殺している。我々が望むのはお前の改心だ。自らの罪を認めて我々に身を委ねろ。そうすれば楽になる」

 

 冷気を帯びているかのような冷たい声で、グレンが言った。


「ぺっ」

 女は赤い唾を吐いた。「死にやがれ」


 僕は腰のナイフを抜くと、女の胸に突き刺した。肉の焦げる臭いが充満する。刃に灼熱の魔法陣が刻まれた赤色刀だ。肉を切った傍から焼いてしまうため出血を防ぐことができ、さらに激痛を越えた激痛を相手に与えることができるため、とても重宝している。

 女は人間とは思えない形相になり、声にならない悲鳴を上げる。それでもなお屈しない。めった刺しにしようと思ったが、その前にグレンが僕を突き飛ばした。仮面の上から顔を殴ると、女から刀を抜いた。切り刻まれる……僕は思わず身構えた。


「勝手な真似をするな」、そう言うとグレンは刀を放った。


 刀は僕の足元に突き刺さった。


「……すまない」


 僕は刀を納めると、一歩下がって首席審問官の仕事を眺めた。


 女のうめき声と、異臭が沈殿するように留まっている。


「褒めてやる」、ぽつりとグレンは言った。「お前の娘はこの半分も耐えられなかった」


瞬間、女は憤怒に顔を歪めた。「てめえら、俺のガキにまで手を出しやがったのか! ぶっ殺してやる!」


 女は暴れるが、ガシャガシャと鎖が鳴っただけだった。

 グレンは腰をかがめ、女と向き合った。


「どうして我々がお前を痛めつけていると思う?」


「知るかボケ! てめえらがクソだからだろうが!」


「シュナが望んだからだ」


「なんだと?」


「誰か、別の者を代わりに差し出せば逃がしてやると伝えた。シュナも初めはお前のようにせせら笑っていた。自分一人で受けるつもりだったんだろう。健気に耐えていたよ。だが、最後には泣いて頼んだ。お前を代わりに審問してほしい、と」


「はっ、そうかい」

 女は歪な笑みを浮かべる。


「シュナは言っていたよ。子供の頃からお前には恨みしかない。いつか殺してやるとずっと思っていた、と」


「だろうなぁ」、女はクックッと笑う。


「お前は娘を愛していなかった。父親が誰かも分からない子供を育てるつもりなど毛頭なかった。だから殴った。虐待した。シュナが演技の才能を見出されてからは、あの子に嫉妬し、その邪魔をし続けた。シュナが気づいていないと思ったか」


「何言ってやがる……」

 女の顔に、わずかな狼狽の色が浮かんだ。


「シュナはお前を憎んでいた。軽蔑していた。実の娘でさえそうなのだ。誰がお前など愛する? お前のように醜く、身勝手な人間が誰に愛されるというのだ? どうして死ななかった? 自ら湖に身を投げたのに、どうして卑しく生き残った? シュナは言っていたよ。あの時、お前がシュラメに食われていれば。そうすれば自分はもっと幸せになることができた、と」


「やめろ……」


「自分が不幸なのに娘だけが幸せになるのは許せなかったのだろう? お前はシュナを不幸にしたかった。自分と同じ、何の意味もない無価値な人生を送らせたかった。そしてその企みは成功した。お前と同じように狂暴に育ったあの娘は、大聖堂に反した。せっかくの成功を自らの手でふいにしてしまった。もう二度と日の目をみることはできないだろう。お前の望んだ結末だ。どうだ、嬉しいな? 満足だろう?」


「違う……俺は……違う……」


 グレンはぐっと女に顔を近づけた。


「お前も気づいているのだろう? コーデリアも今ではお前を軽蔑している。慈悲深いあの女はお前を救おうとしたな? だがいつまでも愚かなお前に失望し、ついに見放した。お前はコーデリアを裏切ったのだ」


「そんなつもりじゃなかった……」


 女は体が震わせる。泣いているらしい。


「娘にも憎まれ、コーデリアからも憎まれ、市民からも憎まれ……何故平気でいられる? 何故生きていられる? いつまでこの聖地にいるつもりだ? 誰からも望まれていないのは分かっているはずだ」


「ここ以外に……居場所がない……」


「外が怖いのか」


「怖い……。みんな、俺を虐める……」


「聖人様はお前のようなろくでなしでさえ愛してくださる。聖人様にお前の全てを捧げろ。そうすればコーデリアも許してくれる。シュナも愛してくれるだろう」


 女は嗚咽を上げ、子供のように泣きじゃくった。


「終わった」、グレンは言う。


「案外脆かったな」と、僕は言った。


 部屋には紫色の煙が漂っている。女の無意識を刺激する紫色魔法で、壁の魔法陣から出ている。女は知らずに吸い、グレンの言葉攻めに内部から深く切り刻まれた。もはや無心で聖人を信仰する抜け殻になり果てた。離れ島で母子ともども楽しく暮らせばいい。



 女を残し、僕たちは部屋を出る。廊下にはずらりとドアが並んでいた。審問は大聖堂の地下で行われる。荘厳な地上とはまるで異なる聖地の暗部……僕らにはふさわしい場所だ。


 不意に、グレンは立ち止まる。


「俺を注視しているのは、コーデリア様の言いつけか?」


 気づかれていたのだ。

 僕はそっと腰のナイフに手をかける。


「無駄だ」


 そう言うと、グレンはおもむろに振り返り、僕との距離を詰める。反射的に後退するが、壁際に追い込まれてしまう。グレンは腕を壁につけ、グッと顔を寄せて来た。


「審問官に背信者などいない。これは罠だ」


「何だと?」


「聖地を分断し、瓦解させようとする者がいる」


 僕の腕をグレンが押さえた。ナイフが鞘に戻される、カチンと高い音が鳴った。


「……何者だ?」


「ルビウス」


「ルビウス……? ワーミーだな」


「ワーミーを隠れ蓑にし、聖地を引っ掻き回している。コーデリア様の失脚を画策したのも、劇団員を洗脳したのも、ワーミーに知恵をつけているのも、全て奴の仕業だ。大聖堂は未だ甘く見ているようだが……早急に手を打たねば奴の手はここにまで届くだろう」


「コーデリア様には?」


「既に話した」


 グレンは僕に背を向け、歩き出す。「直に命令が下るだろう」


 そして、僕たちは離れ島に向かった。


 ●


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ