魔法
ビートの弦楽器の旋律に乗って、私は踊り始めました。月下の舞台は音楽が奏でる物悲しい雰囲気にぴったりでした。誰もが思わず心揺さぶれること間違いなしです。それがたとえ死にかけの虫けらがもがくような有様だったとしても……。
プレシオーサが目をつむり、頭を振るのが見えました。観客たちからは怒声が上がります。
駄目だ、終わった……。
やはり私の踊りでは駄目だった……。
心を絶望が支配します。これはもはや踊りではないのかもしれません。虫の蠢き、瀕死の痙攣、呪いの儀式、集団幻覚……? それでも、最後までは踊り狂ってみせます。暴動が起こるのなら起こればいいのです。一生涯の間、忘れられない悪夢を見せてくれるわ!
夢中でした。
自分でも訳の分からぬままに私はただひたすらに踊り続けます。極度の緊張も、体を動かせば嘘のように吹き飛んでいました。全身を蝕んでいた重たい空気は、もはや湖の向こう側。いつの間にか苦情の声もやんでいました。観客たちの感心するような目が気持ちよかった。
私を見て、もっと私を見て!
次々と胸に湧く圧倒的な充足感……全身に活力は漲り、四肢を動かさずにはいられない。こみ上げてくる熱い情動は、ついに口からあふれ出しました。自分でも気がつかぬうちに私は笑っていたのです。
その喜びに比例するように、体が仄かに輝き出しました。それはまるで生命力の具現化のよう。蠢動にも似た醜い挙動はこれほどに力を宿しているのです。私が動けば、残光が舞台を走ります。観客たちは一人残らず魅了されました。間違いなく、この光は魔法です。私の魔法の才能が覚醒したのです! こんなにめでたいことはありません!
それは魂の発露。心の奥深くに封じ込めていた悲しみが、苦しみが、恐怖が、怒りが、汗とともに顕現しているのです。一体誰に止めることができるでしょう? 奥から奥から湧いて来る、亡者の群れにも似たこの情動を!
突然、頭がぶたれたように痛みました。咄嗟に手で押さえます。まただ。また、痛みが私を現実に引き戻そうとする。しかし止めるわけにはいかない……。いえ、止めたくなかった。頭が割れても、私は踊りたかったのです。自分の全てを出してしまいたかった。
頭の中に、うっすらと記憶が浮かんで来ました。
遠い昔の……忘れていた記憶……。
いや、違う……。
忘れさせられた記憶……。
幼い頃に読んだ魔法使いたちの本……。自由な彼らに私は心を躍らせ、夢中になっていました。本は書物机の奥に隠していて、ことあるたびに取り出し、空想にふけっていたのです。彼らのように私はどこにでも行けるし、何だってできるのだと、そう信じていました。しかしお父様に見つかってしまいました。お父様は烈火のごとく怒り、私を何度もぶちました。背信者、聖地の恥、貴様はオブライエン家の娘ではない――。私は泣いて謝った。お父様は本を私に引き裂くように命じた。私はナイフを手に、自ら宝物を八つ裂きにし、火を点けた。それだけでは終わらなかった。私は大聖堂に連れて行かれ、審問を受けた。異端審問官は何度も私をぶち、壁や床に頭を叩きつける。周囲には私の血が飛び散った。私は狂ったように泣き叫び、ひたすらに許しを請いた。しかし何もかもが無駄だった。髪を掴まれて引きずり回され、容赦のない言葉を浴びせられる。慈悲の欠片もない打擲に何度も気絶し、起こされるたびにこれが現実のことだと思い出され、絶望した。殺されると本気で思ったいや殺された方がずっと良かったもう殺してほしいと何度も思った全てはワーミーなどに興味を持ったからだいけないことはいけないそんな当たり前のことに私は気づかなかった審問はいつまでもいつまでも続いた永遠にも思えたその時間はたった一夜のことだったそんな恐ろしい夜が明けると私の頭の中は聖人様への想いでいっぱいになっていたああ素晴らしい聖人様聖人様あなたの加護があれば私はもう何もいらない私は敬虔なる信徒でありあなたのためにこの命を捧げることは惜しくはありませんああ聖人様聖人様愚かな私をお赦しください聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人様聖人さま聖じんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさませいじんさま――。
強烈な光に、目が眩みました。
バッと顔を上げると、舞台の天井に人影が見えました。聖人様――いえ、ルビウスです。光る指先を私に向け、くるくると回していました。その動きに呼応するかのように、私の体から出る光も大きくなったり小さくなったりします。
なーんだ。
私はフッとほほ笑みます。
私の心の奥底に封じていた記憶……。
純真のままに生きていたあの日の私……。
私は自分を失い、今日まで生き続けていたんだ。大聖堂は私を否定し、私を捻じ曲げ、私を良き信者にしてしまったんだ。そして私は良き信者たちに囲まれ、彼らの価値観に染まってしまった。混血を忌み嫌い、亜人を見下げ、平民たちを蔑むルージュに……。こんな大事なことを忘れていたなんて……。
でも。
今はもうどうでもいい。
何もかもがどうでもいい。
私はワーミーのジュジュ。
ただ、踊りたかった。
心の全てを曝け出してしまいたかった。
私を見て、もっと私を見て――。
全てが終わった時、私を迎えたのは万雷の拍手でした。呆然と人々を見つめます。恥ずかしい話ですが、彼らのことはすっかり忘れていたのです。ただ、空っぽになってしまった心が寂しかった……。
不思議と、島民たちはいつもの生気のないぼんやりとした顔ではなく、その瞳には活力がこもっているように見えました。審問を受ける前にはそうだったであろう顔に――。
背後から、肩を叩かれました。振り返ると、プレシオーサが目を細めて私を見ていました。彼女が浮かべる優しい微笑み……それを視認した途端、私の目からは涙がこぼれました。
「何よ、また泣くの?」
呆れたように彼女は言います。
「な、泣いてない。泣いてない……けど……」
その夜、私は心の全てを出し切りました。
鳴りやまない歓声の中、舞台裏へと戻ります。仲間たちが待っていました。
エスメラルダが見えた瞬間、気がつけば私は自分から彼女に抱きついていました。ぞわりと鳥肌が立ち、猛烈な嫌悪感が胸に湧きましたが、それでも腕を離しません。エスメラルダは驚きの声を上げましたが、すぐに強く抱きしめ返してくれました。「頑張ったね、ジュジュ」、耳元で彼女がささやきました。他のみんなも飛びついてきます。彼らの浮かべる満面の笑みを見れば、心の底から私を祝福してくれていることが分かりました。それが嬉しかったから、私はまた涙を流し、笑いました。この胸を満たしてくれる多幸感は、これまでの私では決して味わえない喜びなのかもしれません。
この夜ほど、生きていてよかったと思ったことはありませんでした。
第三章 ルージュの魔法 完




