表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
序章 ルチルの巡礼
7/148

占い師

 薄暗のロビーの中に、男の子が座っていた。


 彼は無言で建物の奥を指した。


「占い師さんはそちらにいるの?」


 訊ねてみても、反応はない。

 小さく会釈し、指の先に進んだ。階段を上がり、二階に出る。すると、壁にもたれて座る女の子の姿があった。彼女はゆっくりと廊下の先を指した。先ほどの子と同じく、何の反応も示してくれなかった。対話を諦め、先に進むことにする。


 廊下の奥に、黒い天幕があった。その前に二人の子供が門番のように立っていた。


 いくつかの部屋の前を通り過ぎる。廊下は左右にドアがあり、それぞれに番号が記されていた。どれも閉ざされていたが、古めかしいドアには得も言われぬ迫力があり、わざわざ開けてまで中を覗き見る気にはとてもなれなかった。建物自体が年代物のようで、どこもかしこも痛んでいた。一体、ここにはどんな人が住んでいるのだろうか。


 幕の前まで立ち止まる。

 子供たちは同時に、背後の幕を指した。


 私は小さく息を吸う。


「失礼します」


 そう言うと、幕をめくった。



 すぐ目の前に女の人が立っていた。


「ぅわぁっ!」


 思わずその場で飛び跳ねてしまう。途端、子供たちがキャッキャッと笑った。ワーミーの女はクスリとほほ笑む。深い茶色の髪をした人で、黒いローブを身にまとったその様は、いかにも魔術師然とした怪しげな雰囲気を醸し出していた。少し時代遅れのきらいもあるけれど。


 ワーミーは興味深げに私を眺める。


「うふふ、お嬢ちゃん、私の占いは大人専用なんだけどぉ」


「あ、そ、そうなのですか。し、知らなかったものですから……」


 ドギマギしつつ、何とか冷静を装う。ワーミーは目を細め、ジッと私を見つめる。


「何かお悩みでもあるのかしらぁ?」


「えっと、そ、そんな大そうなものではないのですが……私の未来が見えるというのなら、ぜひとも見ていただきたいのです」


「ふぅん、まあいいわ。ちょうど退屈してきたところだしぃ。本来ならお断りなんだけど、特別に占ってあげる。ほら、入って入って」


「あ、ありがとうございます」


 ワーミーが手を振ると、子供たちは廊下を歩いて行ってしまった。



 中に入ると、占い師は幕を閉めた。閉め切ってしまうと、テーブルの上に置かれた魔石が発する、ほんのりとした光しかなくなってしまう。占い師さんの顔も見えなくなった。ちょっと怖いかも……。


 すると、暗闇から手が伸び、私の背中に触れる。


「ひゃっ!」


「ほぉら、いつまでも突っ立ってちゃ占えないわよぉ。座って座って」


 天幕の中には二つの椅子と、その間にあるテーブルが置いてあった。上から肩を押され、手前の椅子に座らされる。やけにべたべたと身体を触って来る人だ。


「じゃぁお手手見せてぇ」


 奥の椅子に腰を下ろすと、占い師は言った。


 おずおずと手を差し出す。占い師は優しく握ると、掌を矯めつ眇めつ眺めた。こんな薄闇の中で本当に分かるのだろうかと疑っていると、


「なるほどねぇ。あなたのことが少しだけ分かったわぁ」と、言った。


「あなたは……そうねえ、不満でいっぱいなのねぇ。今に満足できていないのよ。変化を望んでいるんだわ。自分のことがそれほど好きじゃないんじゃない?」


「そ、そうなんです……」



 私は戦慄した。それは、私が思い続けていることだからだ。よもや、掌を見ているだけでここまで見透かされてしまうとは……! さすがは占い師、いや、魔法使いと言っておこうか……。


「そうねえ……あなたは……将来に不安を感じているんじゃない? 目指している理想があるのねぇ。でもそれはとても高いものだから、今のままでいいのかなって心配してる……」


「そ、そうです……」


「巡礼を達成してもそれは変わらなかった……。このまま帰ったら、全てが無駄になっちゃうんじゃないかって思ってる……」



 ほわぁ……!

 巡礼をも見通されているとは!

 これはもう信頼せずにはいられない。この人は凄い人なのではあるまいか?


 私の反応に満足したのか、占い師様はクスリと笑う。


「それで、何を占ってほしいの?」


「それも分かっているのでは?」


「もちろん分かってるけどぉ。あなたの口から聞きたいのよぉ」



 やっぱり分かってるんだ! 



「先ほどのお話にあった通りです。私は今のままでいいのでしょうか。私は将来、祖父からある重要な地位を引き継ぐことになるはずなのです。しかし、このままではとてもその大役を担えそうにありません。それが恐ろしいんです。できることならこのまま故郷に帰らず、旅を続けたいと思うほどです……」


「重要な地位……ねえ」

 占い師様はぽつりと呟くと、沈黙した。暗闇の中でもその視線が私の身体を這うのが分かった。やがて、「いいわよぉ、それじゃ占ってあげる」と言った。



 占い師様はテーブルの上に羊皮紙を広げた。そこには「セフィロトの樹」と呼ばれる図が描かれていた。セフィラと呼ばれる十の円に、手慣れた手つきでカードを置いて行く。


「知ってる? これはセフィロトの樹っていうの。人間を含めた万物がもっている魔力の源ね。私の占いはこれを使うの」


 もちろん知っている。人は誰もがセフィロトの樹を持っており、セフィラの違いによって使える魔法の色が決まるといわれている。私も自分のセフィラを調べようとしたことがあったが、そもそも魔法の才覚がなくその段階すらいけなかった。へっ。


 占い師様は(ケテル)のカードを開く。次いで、(ビナー)、そして(ゲブラー)を開いた。十聖人の名前はこのセフィロトの樹からとられているそうだ。


「ふんふん、逆さの王冠、走る馬、転落道化、堕ちた星……」


 カードをめくるたび、彼女は楽しそうな笑い声を発する。


 わくわく、わくわく……。


「はぁ~」


 占い師様は重い息を吐いた。それから、顔を手で覆い、頭を振る。


「ど、どうしたのですか?」


「そうねぇ……ちょっと難しいのが出ちゃった……」


 難しい? 恐ろしい未来ということだろうか?


「教えてください。どんな結果でも、受け入れる覚悟はございます……!」


 指の間から私を見ていた魔術師様は、ゆっくりと姿勢を正した。


「あなた……好きな人いる?」


「え?」


 突然の言葉に、虚を突かれてしまった。


「それは……恋愛対象として、ということですよね?」


 にわかに顔が熱くなるのを感じる。


「そうよぉ」


「ええと、いないです」


「うん、そうでしょうねぇ。もちろん分かってたわよ。でもね、これから先、あなたにも好きな人ができちゃうのよぉ」


「はあ……」


 私は小首を傾げる。まあ、それは当然のことだろう。今はあまり実感が湧かないけれど……。


「でもねぇ、その人には気をつけなさぁい」


「え?」


「あなたが恋をする人、その人はとっても危険よぉ。あなたが受け継ぐはずの重要な地位は……ぜーんぶその人に奪われてしまうでしょうねぇ。その人はあなたの何もかもをも奪い去ってしまうのよぉ。あなたは絶望し、その果てに命を失うことになるのぉ。ああ、なんて可哀そうなんでしょう」


 私の地位が奪われる? 命を失うことよりもそっちの方が気になった。そんなことが現実に起こったらこの国は……。この人は自分が何を口にしているのか分かっているのだろうか? 事の重大さの割に、やけに軽い口調……。私の身分を本当に理解しているのだろうか?


「いぃ、お嬢ちゃん? 今があなたの人生の分岐点なのよぉ。ここで誤った選択をしてしまうと、あなたの人生は……あちゃ~もうだめだ、こりゃ。手がつけられないわぁ」


「そ、それは困ります! 正しい選択肢を教えてください……!」


「いいわよぉ。あなたはたった今から、恋をしちゃだめよぉ」


「え?」


「恋人だとか結婚だとか、絶対にダメ。全てがあなたにとって害悪以外の何物でもないわ。生涯一人でいるべきよぉ。そうすればあなたは望む人間になれるわ。お爺さんの期待にも応えられるわよぉ」


「誰とも恋をせず、結婚することなく一人でいれば望みが叶う……」


 私はゆっくりと反復する。


「それにねぇ、あなた、仲良くしている人がいるでしょう? あなたが小さな頃から傍にいる……」


「はい、います」


 ディオニカたちが頭に浮かんだ。


「その人たちは危険よぉ! あなたの傍では良い顔してるでしょうけど、裏ではもう酷いもんよ。あなたの讒言をお爺様に言いふらしてるし、金目の物も盗んでるし、そろそろ食事に毒を入れ始めるころでしょうねぇ。もう最低! 即刻縁を切らなくちゃダメよぉ! とりあえず明日から絶対に口を利いちゃダメ!」


「幼い頃から傍にいてくれる人たちと縁を切れば大丈夫……」


「そうよぉ。これであなたはもう安心よぉ。よかったわねぇ、選択を誤らずに済むわぁ」



「よく分かりました」

 私は暗闇の中で占い女を睨みつけた。「あなたは嘘つきです」



「あれぇ? 私を信じないのぉ?」


「今、確信に至りました。あなたが最初に私に言ったこと、どれもこれも誰にでも当てはまりそうなことしか言っていません」


「へえ?」


「占いに頼るような人は、大抵、自分や周囲の環境に対して不満を抱いているものでしょう。何らかの変化を求めているのは至極当然のこと、そんな人間が自分を好きでいる可能性は低い。また、未来は誰にも分からないのですから、誰もが自分の将来に対して程度の差こそあれ不安に思っているものです。理想を持つのも同様で、誰にだってこうなりたいと思う自分がいるのは当たり前です。この通り、あなたは普遍的なことしか言っていない。私が巡礼者だということも、話から貴族だと知ったからでしょう? この都市の貴族はそれほど多くはない。把握していさえすれば、知らない顔は外から来た人間になる。聖地を訪れるなら、その目的は大抵が巡礼……。冷静に考えてみれば分かることですが、この場の怪しげな雰囲気にのまれ、さも見透かされたと感じてしまいました。占いなんて嘘でしょう? もっともらしい道具まで使ってご苦労なことですね。危うく騙されてしまうところでした」


「あはははぁ」


 彼女は楽しそうに笑った。「ただの世間知らずのお馬鹿さんだと思ったら……なかなか賢い子じゃない。そんなこと言って来たのはあなたが初めてよぉ。まぁ、信じるも信じないもあなたの勝手よぉ」


「私は信じません!」と、力強く私は言い切った。


 ペテン師はカードを指で挟み、唇に当てる。「でもね、どうも分岐点というのは本当みたいよぉ。選択を誤らなければいいけどねぇ」


 カードは逆さの王冠だった。


「またそんな……! 分岐点なんて、言ってしまえば人生とは選択の繰り返し、全てが分岐点ではないですか? そうやって嘘を並べて人々に不和の種を蒔き散らしているのでしょう! 私に孤独な一生を送らせようとしたのでしょうけど、残念でした!」


「うふふふ。別にあなたの人生なんてど~でもいいんだけどぉ、お代は置いていってよぉ。さ、後がつかえてるの。用が済んだらさっさと出て行ってくれないかしらぁ?」


 私はポケットに手を突っ込む。旅をするに当たって、財布なるものをもらった。お金もちゃんとある。あるはずだけど……。パン、パンという音だけが空しく鳴った。ない。ない、ない。財布がない。お、落とした?


「あの、えっと……そんな……」


「世間知らずなのは当たりみたいねぇ」


 女は指に挟んだ何かを私に見せる。私の財布だった。


 この人……! 私の身体を触っていた時、盗んだんだ!


「気をつけなさぁい、お嬢ちゃん。この世はあなたが思っているほど優しくないのよぉ」


 思わず赤面してしまう。私は唇を噛みしめた。サッと財布をひったくるように奪い返すと、コインを取り出し、テーブルの上に置いた。それから勢いよく天幕を飛び出した。廊下を歩き、ロビーへと向かう。一刻一秒でも早くこの場を離れたかった。


 まったく時間を無駄にした! 占いの全部がインチキだとは思わないが、少なくともあの女はペテンだ! ああやって恐ろしいことを言って不安を煽り、その解消にとお守りか何かを高値で売りつけたりするのだろう。私もあの女の言葉を真に受けていたら、恋を知らない一人身の人生を送ることになっていた。それが悲惨かどうかは実際に経験して見なければ分からないけれど、少なくとも私の望むものではない。あんなの、犯罪だ! ジャンヌを呼んで即刻追い出してやる!


 玄関まで行くと、突然発光が起きた。暗闇に慣れていたせいで、目がくらんでしまう。外で新しい催しが行われたのだろう。微かな視界を頼りにドアへと向かうと、荒々しく開け放ち、外に飛び出した。



 目の前には、水路があった。


 あんなにいたはずの群衆の姿は消え去っていた。湖の底のような深い静寂に包まれた、知らない路地に私は立っていた。


「あれ?」


 出る扉を間違えただろうか。でも、玄関はここのはず……。振り返ると、礼拝堂のような建物があった。ゾッと、背筋に冷たい物が走る。違う。ここはあの屋敷じゃない。私はドアを開け、全然違う場所に出てしまったんだ。


 顔から血の気が引くのが自分で分かった。


 ワーミーの魔法だろうか? そうに決まっている。よく見れば、床の上には何やら紋様が描かれていた。魔法陣だ。恐らく物体を転移させる魔法なのだろう。魔石があればこの魔法陣を使ってまたあの建物に戻れるのかもしれないが……。


 ハッとして、私は体をまさぐる。財布の中を調べると、コイン以外に別の物が入っていた。取り出して見ると、石だった。魔力の切れた魔石は、こういう石になる。誰かが――あの占い師に決まっているが、魔石を私に忍ばせた。何も知らない私は魔法陣に乗ってしまい、ここに転移させられたのだ。


 路地の奥から誰かがこちらに歩いて来る音がした。


 私は飛び上がり、思わずその場から逃げ出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ