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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第三章 ルージュの魔法
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心の中のこと

 瞬きする間に、私は転移しました。


「やあ、お帰り」


 胡坐をかいたクーバートが迎えてくれました。


「大丈夫? すごい目にあったねぇ」


「行かなくてよかったぜ」


 地面に木の棒で何かを描きながら、エイブとビートが言いました。


 ここは島の湖岸のようでした。地面には私たちが使ったもの以外にも、たくさんの魔法陣が描かれていました。クーバートたちが木の棒で描いているのです。私たちが見ている前でも、新たな陣が完成しました。


 私は都市の方を見ます。


 木々に持ち上げられた無残な浮島の姿がありました。空に浮かぶ巨大な球体から溢れる水は、形を変えて暴れ、浮島を蹂躙しています。家々が空を飛び交い、周囲の色を変えるほどの炎が全てを飲み込み、急速に広がっています。そして空から降り注ぐ流星群のような無数の光……。終末を確信させる風景が広がっていました。


 震えが止まりません。

 エスメラルダは、どうして助けに来てくれたのでしょう。私は彼女に散々に酷いことを言い、侮辱したというのに。傷つく彼女を見て、自分の身が切り裂かれるように痛みました。しかし同時に、冷静な私がいました。その私は、混ざり者が自分を犠牲にして人間の貴族である私を助けるのは当然のことであると思っているのです。


 もう、何も考えていたくない。今はただ、エスメラルダが、ワーミーたちが無事であることを祈っていたい。頭から雑念を追い払うように、私は手を合わせ、祈りました。ワーミーの無事を聖人様が聞き入れてくれるのかは分かりませんが……。


 その時、都市の奥で爆発が起きました。思わずビクリと肩を揺らしてしまいます。爆発は連続して発生し、あろうことか急速に浮島に近づいていました。一体あそこに何がいるというのでしょうか。

 一方、浮島では強烈な光が射し、空の球体を貫きました。球体は破裂し、浮島を有り余る水が襲いました。それと時を同じくして、都市から一筋の煙が飛び出して、放物線を描いて浮島へと到達しました。



 頭にポンと手が置かれます。顔を上げると、プレシオーサでした。彼女の視線を追いかけて振り返ると、地面の魔法陣が光っていました。すぐにルビウスが現れます。彼は腕にエスメラルダを抱えていました。彼の腰に腕を回し、ゼムフィーラがくっついていました。直後、他の陣からディランとシークも現れます。全員、衣服が焦げていました。


 私は安堵の息を吐きました。体中の力が抜け、ぐったりとうつむいてしまいます。


「あっぶねー。何だよあの最後のヤベェ女は。焦がされちまったぞ」と、ディラン。


「やれやれ、また無益な時間を過ごしてしまった」と、ルビウスはため息を吐きます。


「メルの本気、久しぶりに見たよ。さすがだなぁ」


 シークが感心したようにエスメラルダを見ます。


「えへへ。もっと褒めて」


 彼女はくすぐったそうに笑います。ルビウスは額にキスをすると、優しく地面に下しました。


「平気なの?」


 体中の傷を見て、プレシオーサが訊ねます。


「痛いけど、見た目よりは酷くないよ。痛いけど」


「でしょうね。ほら、アンタお礼くらい言いなさいよ。助けてもらったんだから」


 プレシオーサは振り向き、私を見ました。


「おぅ……ぇぐっ……うぉあおぅ……」


 私は嗚咽で返します。号泣する私を、ワーミーたちはポカンと間の抜けた顔で見つめました。「ブッサイクな顔……」と誰かが呟く声が聞こえました。


「何よ、アンタもどこか怪我でもしたの?」、プレシオーサはぶっきらぼうにそう言うと、私の背中を撫でました。「ほら、見せてみなさいよ。痛いんでしょ?」


 私が否定のしゃくりを上げると、「怖かったんだよね」と、エスメラルダが優しく言ってくれました。


「ごめんなさい……わ、私……本当にグズで……迷惑ばっかりかけて……」


「言われずとも先刻ご承知だがな」と、ルビウスが言うと、「シッ!」とプレシオーサが諫めました。


「もうダメだって思って……。助けてくれないって……見捨てられたんだって……。私はみんなと違うから……メルに酷いこと言って……酷いことして……ひっく、ひっく……私、最低な人間なのかもって……」


「何の話だ?」


「さあ」


「私の耳のこと」


 エスメラルダはするりとバンダナを解きます。


 一同は、「ああ」と得心の言ったような声を出しました。


 目を拭い、私は立ち上がります。しっかり一人一人を見て、それからエスメラルダに向き直ります。


「助けてくださって、本当にありがとうございます。この御恩は一生忘れません」


 深く頭を下げ、心からの感謝を示しました。



「なんか固いなあ」


 ん?


「もっと普通に言えねえの?」


「全く心に響かんな」


「明日の洗濯はアンタが一人でしてね」


おもてをあげーい」


 人が下手に出たらとことんまでつけ上がるのがワーミーたちです。私はムッとして顔を上げます。貴族の私が頭を下げているというのに! もう知らない!


 私は自分の胸に手を当てます。


「心して聞きなさい! このルージュ・オブライエンがワーミーに頭を下げることなんてもう一生ないことなんだから! みんなが助けに来てくれて、とぉっても嬉しかった! すっごく怖かったし、本当にもう終わりだと思ったから!」


 やけになって叫ぶ私を、ワーミーたちは唖然として見つめていました。

 私は彼らに背中を向け、湖を見据えると、深く息を吸いました。


「本当にみんな……ありがとぉ!! ありがとぉぉぉぉおおッ!!!」


 これならどう!?

 肩で息をしながら振り返ると、ワーミーたちはお腹を抱えて笑っていました。


 瞬く間に顔が熱くなるのが分かりましたが、不思議と後悔はありませんでした。


「アンタ、やっぱり馬鹿でしょ」


 目の涙を指でぬぐいながら、プレシオーサが言いました。


「そうなのかも……。ははは……」


 力のない笑みを浮かべ、私は言いました。


 寄って来たディランに背中を押され、私はワーミーたちの中に座らされます。彼らは相変わらず私を仲間のように扱います。でも不思議なことに、その時初めて私は彼らに真から受け入れられたような、そんな気がしました。


 〇


 私たちは島の広場に移り、島民たちが舞台を作る傍らで輪になって雑談に耽りました。


「まあ、仕方のないことじゃない? だってこの子は聖地の大貴族なんでしょう? 人間主義のど真ん中にいる子よ。毒されて当然だわ」


「お前が言うと説得力あるな」


 茶々を入れるディランを、プレシオーサは一睨みで黙らせました。


「そうそう、聞いてよジュジュ!」


 ゼムフィーラに手当をしてもらっていたエスメラルダは、パッと私の方に身を乗り出しました。


「プリシャなんてもっと酷かったんだから! 私と全然口きいてくれなくてさ! 抱きついたら本気で怒っちゃって、ぶたれたこともあったよね。何だっけ? 穢れが移るとか言ってたよね」


「仕方ないでしょう。本当にそう信じ切ってたんだから。混血なんてみんな馬鹿だと思ってたし」


 頬を染め、プレシオーサは言いました。


 私は首を傾げます。


「どういうこと……? プリシャってもしかして……」


「貴族の娘だよ」


 青天の霹靂とはまさにこのこと! 私は、プレシオーサは平民だとばかり思っていました。だからこそあんなに一生懸命に働くのだと……。まさか私と同じ上流階級で、何でもしてもらえて当然の暮らしをしていたとは……!


「貴族たって、アンタみたいな大きな家じゃないわよ」


 プレシオーサはブンブンと手を振りました。まるで過去の自分を払拭するかのように。

 この人は人間主義の呪縛から解き放たれたのです。だからこそ、ワーミーたちと、エスメラルダと愉しく暮らしているのです。私にとってそれは、どんな魔法を目にするよりも信じられないことでした。


「でもさ、今では仲良くなれたもん」


 エスメラルダはプレシオーサに抱きつきました。「だからきっとジュジュとも仲良くなれるよ! 私に遠慮なんてしなくていいんだよ。お互いに仮面被って心にもないこと言い合うよりはさ、ちゃんと顔見て話す方がずっといいもん!」


「本当のこと……」


 私は胸に手を当てます。「言ってもいいの……? 本当に……」


 プレシオーサを見ると、彼女は肩をすくめました。「言っちゃえば? どうせ酷いこと思ってるんでしょ? みんな分かってるわよ」


 私はごくりと唾を飲み込みます。


「私……獣人族アニマを人間よりも動物に近い存在だって思ってる……んだと思う。だから、その血を引いてるあなたも下に見てる……。穢れをいっぱい持ってるから、私にも触れてほしくない……。できればもう少し離れてほしい……」


「思い切ったこと言うわね」


「傷ついた……」


 エスメラルダは泣きそうな顔をして、うつむきます。


「あ、あなたが言えって……」


「俺たちのことは?」


 ワーミーたちは間の抜けた顔で自分たちの顔を指します。


「あなたたちなんて魔法が得意なだけの無教養の臭い野蛮人です! お風呂ぐらいちゃんと入って! 郷に入っては郷に従え!」


「ひでえよ……」


 彼らは見るからに落ち込みました。


 だから言ってはいけないのです。心の中のことなんて……。心とは人の持つ最後の防壁なのですから。


「冗談だよ」


 エスメラルダはパッと顔を上げました。「そういうのってさ、人間なら誰でも思っちゃうものなんじゃないかな? だってやっぱり見た目とか文化とか、育ってきた環境が違うから~。仲良くなって、本当のことを確かめるうちに変わって来るんだよ」


「まあ、確かにそうかもね。大きな一括りから小さな個人に、ね。私も今では混血が馬鹿なんじゃなくてこの子が馬鹿なんだって分かってるもの」


「傷ついた……」と、エスメラルダ。


「どうせ冗談でしょ?」


「ううん、本当に……」


「言い過ぎよ、プリシャ……」


 気まずい沈黙が流れる……と思いきや、プレシオーサはエスメラルダの頬を引っ張りました。


「というか、さっきから一方的に被害者ぶってるけどさ。偏見で言ったらマギアトピアの方がよっぽど酷いじゃない」


「ううん、そんなことないよ?」


 エスメラルダはとぼけたように目をぱちくりさせました。他のみんなも子供のような穢れなき眼をして顔を見合わせています。


「どういうこと?」


「マギアトピアの人間はね、全員が全員カルムの人間を見下してるのよ。カルムは発展途上の野蛮人が住むところだって本気で思ってんの。あっちでは魔力が高いか低いかが全てだから。馬鹿みたいでしょ?」


「えー? でも事実でしょう?」


 エスメラルダは心外だという顔をします。


 ……待てよ。


「それでは、魔法が使えない私のことは……」


 沈黙。


 エスメラルダはポリポリと頬を掻き、クーバートは頭を掻きます。


 今になって、ようやく森でエスメラルダが浮かべた顔の意味が分かりました。貴族の子が平民と話す際によく浮かべるあの表情……。あの時、この人は……心底から私を見下げ、蔑んでいたのです!


「だってさ、魔法が使えないなんてやっぱり変だよ。そんな人マギアトピアにいないもの。こーんな小さい子にでも使えるのにさ。ジュジュ、おかしいよ! あなたみたいな人、マギアトピアでは魔抜けって呼ばれてるのよ。魔抜けは移っちゃうから近づくなって!」


「あなた、そんな風に私を見てたのね! 酷いわ!」


「だから無意識に下に見てるって言われてもさ、何言ってんだろこの子って思っちゃったりして~」


 エスメラルダはペロリと舌を出します。



 カッと頭に血が上りました。



「何よ、混ざり者のくせに!」


「そっちだって魔抜けでしょ」


「耳が四つあるなんて変だわ!」


「変じゃありませーん。自分のセフィラも確かめられない人の方がよっぽど変でーす。悔しかったら魔法の一つでも使って見せてよ。ほれほれほーれ」


 私たちはおよそ筆舌に尽くしがたいことを言い合います。「どっちもどっちよ!」と、プレシオーサに頭を叩かれるまでそれは続きました。


「でも私はジュジュ好きだよ。魔法は使えないけど面白いし、一緒にいて楽しいもの」


 そう言って、エスメラルダは抱きついて来ました。私はひょいと避けます。


「人に抱きつくのもアニマの習性なの?」


「あはは、かもね~」


 私は胸に手を当て、自分の心を探りながら呟きます。


「あなたたちともっと仲良くなりたいと思う自分は確かにいます。だけど、私はそんな自分を素直に受け入れることができないのです。ワーミーは異教徒で、混血は卑しいものだと……それが当たり前だったから。そんな風に育ってきたから……。自分でも、もう分からないの」


 また、涙が出てきました。私の涙腺はおかしくなってしまったのかもしれません。


 混血のエスメラルダをゾッとするほど嫌う私がいる。でも同時に、彼女のことが大好きな私もいる。相反する二人の私だけれど、どちらもルージュ・オブライエンなのです。


「環境の呪縛ってやつね」と、プレシオーサが言いました。


 環境……。貴族に生まれたのは悪いことだと言うの……?

 私は頭を振ります。


「私は……貴族であることを誇りに思っています。人間の貴族として生まれてきてよかったと……心から思っているのです。そんな自分を否定することはできないし、したくもありません……。たとえそれが……他者の目からは間違ったものに見えたとしても……」


 でも……。

 いつからだろう? 私がこんな風になったのは……。

 初めからこうではなかったはず。

 一体、いつからだったっけ……?


「じゃあ私がくっつくのは?」


「ごめんなさい……。今はとても……無理です……」


 私はエスメラルダから少し離れます。


「えー」


「ま、少しずつ慣れていけばいいんじゃないの?」


 プレシオーサはそう言うと、エスメラルダの肩に手を置きました。


「そうそう。今までの自分をぶち壊して、変わろうとしているんだ。大変なことだよ。一朝一夕にはいかないさ」と、シーク。


「んー」


 エスメラルダは納得いかないようでした。今すぐにでも私に抱きつきたくてうずうずしているのは見て取れます。「もうくっつけないの?」


「もう少し……時間をください。何とか折り合いをつけるから」


「分かった、待ってる。早くまた一緒に寝ようね~」


「ええ……」


 純粋な彼女の笑顔に、身震いでしか応えられない私のことは嫌いでした。

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