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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第三章 ルージュの魔法
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オブライエン家の終わり

 やはりワーミーなどと関わり合ってはいけなかったのです。


 まさか亜人の混血が混ざっていようとは。

 お姉様はきっとワーミーに亜人の血を引いたものがいるなんて知らなかったに違いありません。知っていたら私を彼らの元へは置かなかったでしょうから。


 昨今、亜人の血が混じっている人間はその数を増やしています。あの女のように隠している者を含めれば、実際はもっと多いのでしょう。しかしながら、サーベンスの晩餐会に招かれた者の中には一人もいませんでした。理由は簡単です。純粋な人間であるという血統、「人間主義」が貴族社会の根幹だからです。混ざり者は忌避されます。人間の純度を薄める亜人の血は、劣等の証に他ならないのです。


 私は堪えられないほどの憤りを感じていました。


 あの汚らわしい人間もどきめ。混血に触れられると、貴族は穢れてしまうのです。あの女はそれを分かったうえで私に触れていたのでしょうか。毎日毎日抱きついていたのでしょうか。もちろんそうなのでしょう。価値観の違いと言われてしまえばそれまでですが、相手の尊厳を踏みにじり、本当に大切にしている物を平気で壊してしまうような行為を私は到底受け入れることができません。そこまで頭が回らなかったのでしょう。しょせんは獣の脳みそです。人間よりもずっとずっと小さいから、物を考えるのは不得手に違いありません。


 考えれば考えるほど、私の胸の中にどす黒いインクのようなものが滲みます。体を内から焦がすような怒りの炎は少しも弱まることはありません。


 確かなことは、私はもうワーミーの元へは戻れないということです。


 彼らの大事な仲間であるあの混ざり者を私は拒絶しました。当然、彼らは私を許しはしないでしょう。ワーミーの結託はそれほど強いのです。彼らからすれば私は酷い人間なのでしょう。見方によれば、差別主義者だと思われるに違いありません。


 もちろん私は差別主義者などではありません。

 私は世の素晴らしい人々の多くと同じように博愛の心を持っています。勘違いして欲しくはないのですが、私は何も亜人や混血を忌み嫌っているわけではないのです。彼らの中にも優れた者はいるでしょうし、平民程度の知能があることは知っています。人間との交配も否定するつもりはありません。平民ならばどうぞご自由に交わっていればいい。ですが、貴族はダメなのです。人間の貴族とは聖人様に選ばれた、この世でもっとも美しく優れた存在だからです。貴族とはいかなる亜人も混血も触れ合ってはいけないのです。決して彼らが悪いわけではないですが、彼らの多くは私たちよりも劣っていますし、容姿だって醜いです。また、病原菌のような穢れを持っています。清潔な水に汚水を一滴垂らすだけで、もうその水は飲めなくなってしまうのです。私たちは選ばれた特別な存在ですから、自分たちで自分たちの純潔を守って行かなくてはなりません。それは聖人様に与えられた権利であって、義務です。私は私を守りたいだけなのです。誰に否定されようとも、それだけは絶対に譲れません。



 路地を歩きながら、私は途方に暮れてしまいます。また涙が出てきました。私の頭の中はぐちゃぐちゃになっていました。


 徘徊する教戒師たちは明らかにその数を増やしています。捜索の場をこの周囲に集中させ始めているのかもしれません。だとすると、もう逃げ回るのは限界です。私だけの力ではすぐに捕まってしまう――。



「おい、お前」


 その時、背後から呼び止められました。心臓が止まるかと思いました。


 震えながら振り返ると、ひょろりと背の高い、みすぼらしい恰好の少女が立っていました。日焼けした真っ黒な肌、刺すような赤い眼差しは忘れようもありません。シュナです。水路で泳いでいたのでしょうか、彼女は水浸しでした。


「お前、オブライエンでしょ? 行方不明のルージュじゃないの?」


 彼女はニヤリと笑います。「やっぱりな、この辺りで待ってたらそっちから現れるって思ってたんだ」


 私は後ずさります。「な、何を仰っているのやら……。違いますよ、そんなはずないでしょう……」


「え、そう? 確かに間違いないと思ったんだけど。ワーミーみたいな恰好してるし」


 シュナは小首を傾げ、こちらに近づいてきました。「ま、いいや。お前が誰かなんてどうでもいいけど……貴族の子でしょ? だったらアテナ・ウィンストンを知らない? 私、あの子を探してるの。私の友達なんだ」


 この人も同性愛者なのでしょうか? 混ざり者といい、ウィンストンといい、何故敬虔な信徒である私の周りに邪な者たちが集まって来るのでしょう? よもや聖人様の試練だとでもいうのでしょうか。


 私の視線をどう解釈したのか、シュナは頬を掻きました。「そりゃ私は平民で、アテナは貴族だけどさ……関係ないんだ。私はあの子が好きだし、あの子も好きだって言ってくれた。友達かどうかなんてそれだけで十分でしょ?」


 今、好きって言った。好きって言った! 間違いない、この人も同性愛者なのです。言質はとりました。同性愛者です!



 それにしても、女の子なのにずいぶんと乱暴な喋り方をする人です。教養がないから仕方がないと言えばそれまでですが……昨日の劇で、殿下や貴族の方々に褒められているのを見ましたから、最低限の礼節はわきまえた人間なのだろうと思っていました。


 私はコホンと咳ばらいをします。


「ウィンストンとは何度もお会いしたことがありますが、彼女がどこに行ったのかなんて心当たりはありません。見当もつかないです」


「そう……。私は大聖堂が連れ去っちゃったんじゃないかって思ってるんだけど……」


「……何か教義に反することをしたの?」


「んー、まあ……あの子は気にしてたかなぁ」


 恐らくは、この子の言う通りなのでしょう。ウィンストンはワーミーとの関係、そして歪んだ性的指向がバレ、審問にかけられているのです。いつもなら飛び跳ねて喜ぶところですが、今はとてもそんな気分にはなれません。このままでは、私も彼女と同じ道を辿ることになるのは明白だからです。


「もしそうなのだとしたら、あの子は連れ去られたのではなく、教戒を受けているのです」


 私の言葉は、まるで他人の声のように聞こえました。シュナを安心させるためというよりは、自分を励ますために言っているのが分かったので、白々しさを感じたためだと思います。


「きっと、すぐに良き信徒になって帰って来るでしょう。友達だというのなら、あなたはそれを喜んでしかるべきで――」


 瞬間、シュナは横の壁を殴りました。亀裂が走り、ボロボロと砕けていきます。えー……。


「俺は今のアテナが好きなんだ! 大聖堂にだって勝手な真似させてたまるか!」


「お、お気持ちは痛いほど分かります……けど、私に言われても困ります……」


 何たる怪力! これはもう下手に刺激すればとんでもないことになってしまいます。そう言えば、外画にシュラメと呼ばれている女の子がいるという話を聞いたことがあります。あれはこの子のことだったのです……。


「知ってるんだよ。オブライエンだって教義に反することしたんでしょ? だからお前は逃げてんだ」


「私はオブライエンではございませんが……オブライエンがどうしたの?」


「知らないの? オブライエンはワーミーと共謀してるって大聖堂から発表があったの。屋敷に教戒師たちが入って当主を捕まえちゃったんだよ。今、この先で舟に乗せられてる。それを見に来たんだと思った」


「何を……仰るの……?」


 シュナの顔がくしゃっと歪みました。


「ワーミーのクソ野郎どもは劇団をめちゃくちゃにしやがったんだ! 団長もひどい目に遭って……別人みたいにされちゃって! アテナまでそそのかしやがって……! 全部、オブライエンが糸を引いてるって話だ! お前はどうだ? 何か知ってるのか!?」


 シュナは私の肩を掴み、激しく揺さぶりました。


「知らない、私は何も……知らない……」


 私の目から流れる涙を見て、シュナは力を緩めました。

 私は彼女の手を振り払い、駆け出します。



 嘘だ、嘘だ、嘘だ! お父様が連行されるなんて……背信者だったなんて、そんなの嘘だ!


 大聖堂は見当違いの事をしています。私はもはや人目も気にせず、路地を駆け抜けました。


 路地を抜けると、目の前の通りには水路があります。大聖堂に直通の大水路。私の目の前を、一艘の舟が通りました。舟には教戒師たちが乗っていました。その中に……蒼白の顔をしたお父様と、顔を覆って泣いているお母様の姿がありました。


 私はガクンと膝をつきます。


 こんなの、何かの間違いです。こんなことがあっていいはずがない……。



 背後から、肩を掴まれました。


「教戒師たちがこっちに来る」と、シュナが言いました。


「もう、どうでもいい……」


 私は手で顔を覆い、涙を流します。


 シュナは私の手を強引に引きはがしました。


「どうでもよくねえよ」


 そう言うと、シュナは私の腕を引っ張り、無理やりに立たせました。「来なよ。逃がしてあげる」


「お父様とお母様が捕まってしまったのです。きっと審問にかけられるでしょう。お姉様もどうなったのか分からない。既に捕まってしまったのかも……。私だけ逃げてどうなるの……?」


「知らないけど、放っとけないから」


 ぽつりとシュナが言います。「私はアテナを守るって約束したんだ。つい昨夜のことなのに……。私は守れなかった。守れなかったんだ……」


 彼女の顔を見ると、唇を噛みしめ、前方の路地ではないどこか遠くを睨んでいました。この人は私とウィンストンを重ねているようでした。


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