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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第三章 ルージュの魔法
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第二幕の終わり

 それから間もなく、ミラの衣装を着たシュナが戻ってきました。

 団員たちは彼女の周りに集まり、励ましの言葉を授けます。


「任せてよ」


 力強く、シュナは答えました。その声には少しの怯えも動揺もありません。


 ウィンストンは彼女の傍に近寄り、ぎゅっとその手を握りました。「頑張れ、シュナ……」


 シュナは自分の頬を両手で叩き、気合いを入れました。そして、最後に団員たちに笑みを向けます。団員たちが応える前に、彼女は舞台に上がりました。



 私にとって、それはとても辛いものでした。


 舞台上で平民の少女が見せたその演技は、圧巻、その一言に尽きました。シュナが一言声を発した途端、劇場の空気が変わるのがはっきりと分かりました。みんながみんな彼女の挙動から目が離せなくなってしまい、ワーミーたちでさえ一瞬魔法を使うのを忘れたほどです。劇場全体が彼女と一つになったような、そんな不思議な感覚さえありました。


 ウィンストンの言葉には、少しの偽りもありませんでした。ウィンストンのミラを覚えている人間はもはや誰もいないでしょう。先ほどまではあんなにもみんなが夢中になっていたのに。シュナは人々の中からウィンストンのミラを消し去ってしまったのです。


 胸が締め付けられるような思いでした。才能を持つ平民の子への嫉妬が抑えられない……。でもそれ以上に、私はウィンストンに対して、ある種の同情のようなものを感じていたのです。できれば一番傍で慰めてあげたい、とさえ。飛び降りる場所が高ければ高いほど、地面に叩きつけられた時の衝撃は大きいものです。あの日の私でさえ、受けた衝撃は我慢することができないほどでした。より高いところから突き落とされた彼女が、耐えられるはずがないのです。


 私はチラリとウィンストンを見ます。


 彼女は恍惚のような表情を浮かべていました。ある種の崇拝といえるかもしれません。予想外の顔に、拍子抜けしてしまいました。この子はとうの昔に衝撃を受け終わり、もはや全てを受け入れてしまっているのだ……そう思いました。


 しかしほんの一瞬――それは時間にすれば本当に刹那のことで、見間違いかもしれません――ウィンストンの端正な顔がぐしゃぐしゃに崩れました。憎悪を剥き出しにし、シュナを呪い殺さんとばかりに睨みつける恐ろしい少女がそこにいたのです。私が瞬きをすると、そこにはいつもの端正な顔がありました。


 あれは何だったのでしょう。後の彼女の挙動を考慮しても、私には分かりません。ただ、ウィンストンの裏の顔と呼べるものの一端を初めて目にして、背筋が冷たくなりました。



 舞台が終幕に近づいた、その時。


「うらぁああッ!」


 何かが破裂したような音が聞こえました。そして廊下を駆けて来る足音……。すぐに怒り心頭のジャンヌさんが現れました。結界を破ってしまったのです。


「どこ行きやがったぁ、クソガキがぁ!」


 彼女は取り押さえようとした団員たちを突き飛ばし、あろうことか舞台に飛び出してしまいました。すぐにルシエル様も現れ、ギョッとした面持ちで舞台上を見ます。逡巡の後、大きなため息とともに彼もまた舞台に飛び出しました。


 舞台上ではちょうど激しい戦いが繰り広げられていました。何百もの兵の幻影が現れているはずです。観客たちの動揺の声が聞こえなかったところを見ると、従騎士の存在も劇の一つとして受け入れられたのでしょう。


 しかしもちろん演者たちはそういうわけにはいきません。すぐにクーバートは舞台を煙で覆い隠しました。偽物ではない、本当の戦いが始まりました。


「ど、どうなっちゃうんだ……」


 団員たちは蒼白で舞台を見守ります。


 どさくさに紛れるように、ルビウスが舞台を下りてやって来ました。


「オレの仕事は終わった」


 ルビウスは仮面を外し、ウィンストンに手渡します。


「感謝します」


「礼はいらんさ」


 二人は衣裳部屋へと入って行きました。



 舞台上は大変なことになっていました。炎が走り、巨木が生え、無数の剣が宙を覆います。爆発が起きたかと思うと、剣が一斉に舞台上に降り注ぎました。正直に言って、劇そのものよりもはるかに面白い見世物でした。私などは思わず手に汗を握り、熱中してしまいました。


 そうこうしている内に、ルビウスが戻ってきました。彼は着替えを終えていました。手には布を持っており、広げると魔法陣が描かれていました。


「何をする気なの?」と、私は小首を傾げます。


「邪魔者たちにご退場願う」


 そう言うや、再び舞台上に上がりました。しばらくして、煙の中で眩い光が走ったのを見ました。転移魔法の光でしょう。ルビウスは戻ってきました。額にほんのりと汗をかき、満足そうな笑みを浮かべていました。


「アハハ、ああ愉しかった!」


 普段とは違う子供っぽい笑みに、思わず私は見惚れてしまいました。


 ルビウスは廊下の方を見ます。振り返ると、仮面をつけたゲブラーが立っていました。


「ウィンストン?」


 私は驚いて、彼女に尋ねました。


「頭が高ぁい! 我こそは至聖至潔たる峻厳のゲブラーであるぞ!」と、彼女は言います。


「あなたがゲブラーになるの?」


「似合うだろ、お嬢さん?」


 仮面を外し、ウィンストンはクスクスと笑います。「血塗られた俺とともに、温かな血を流してほしい……。アハハ、カッコつけすぎ! そんなこと言われたら笑ってしまうわ!」


 いつもの彼女とはまるで異なるお茶目な姿に、私は面食らってしまいました。


「さあ、行け。ミラが待っているぞ」


 ルビウスの言葉に、ウィンストンはコクリと肯きました。仮面をつけ直すと、彼女は舞台に上がりました。



 ウィンストンは囚われのシュナの元へ向かいます。問答の末、ミラとゲブラーは互いの本心を知るのです。第二幕の終わりを飾る名シーンです。


 舞台上の二人も、言い合いを始めました。


 あら? 

 でもなんだか激し過ぎではないかしら。まるで本当に喧嘩をしているみたい。あまりの迫真の演技に、戸惑うことも忘れて釘付けになってしまいました。


 言い争いの中で、二人は隠していた相手への気持ちをも声に出してしまいます。それにしても、よくもここまで人間の醜い部分を描いたものです。こんなに胸が痛くなる第二幕は初めて見ました。それほどに二人の演技が卓越しているということなのでしょうか?


 しかし、それでもこれは劇。終わりは決まっているものです。愛し合う二人は抱き合い、これにて閉幕。


 団員たちは喜び、いたるところで抱き合いました。団長さんも目を覚ましたようで、涙を流して全身で喜びを表現していました。恥ずかしながら白状しますと、彼らの姿を見て、少しばかりの羨望を抱いてしまいました。私は生まれて一度も、泣いて喜ぶほどの達成感を覚えたことがないからです。もしもあの日、劇団に入っていたなら。私もあの歓喜の輪の中で――。


 そんな刹那の感傷も、その後に起きた衝撃的な出来事のためにすっかり頭の中から消し飛んでしまいました。ウィンストンがシュナにキスをしたのです。


 え。


 何が起こったのか……。私たちは目を点にして舞台を眺めました。あの仮面の人は、確かにウィンストンのはずです。ルビウスはここにいますから。では何故、女同士でキスをしているのでしょうか。ウィンストンはシュナの体に腕を回し、貪るように唇を合わせていました。それはリビドーというよりは、稚児の駄々のように見えました。


 永遠のような瞬間が過ぎると、ウィンストンはシュナから離れました。


 その途端、まるで今目の前で起きた痴態を掻き消そうというように、花火が上がりました。それに呼応するかのように、塞き止められていた拍手の洪水が溢れ出しました。舞台上ではシュナが呆然と観客たちを見つめています。狂乱染みた観客たちの声から逃れるように、ウィンストンは舞台から下りてきました。仮面を外し、団員たちに向けて頭を下げます。彼女は弾けるような笑みを浮かべていました。


「アテナ……? なんでお前が……」


 団員たちは呆然とウィンストンを見ていましたが、ゼムフィーラが指を弾くと一斉に舞台へと目を戻しました。ワーミーたちも魔術師を残して舞台から下り、最後にクーバートが手を振りながらもったいぶって退場しました。


 ウィンストンは団員たちの間を通り過ぎると、私の前で立ち止まりました。


「ウィンストン……あなた……」


 私は何も言えませんでした。


「さようなら、ルージュ」


 そう言うと、彼女は出口の方へと駆けて行きました。



 ウィンストンは同性愛者だったのです。まったく気がつくことができませんでした。道理で多くの殿方からの求婚にも良い反応をしないわけです。


 気持ち悪い。


 私の胸に湧いたのは、それだけでした。


 よくもまあ、今まで平気な顔で生きていたものです。私もそういう目で見られていたのでしょうか? 考えただけでもゾッとします。罰は受ける、ウィンストンは言っていました。彼女は昨日から姿を消しているようです。恐らく、もう生きてはいないでしょう。生きていてはいけないのです。


 あの子はずっと禁断の想いを胸に抱え、一人で苦しんでいたのでしょう。私に教えてくれていたら――。


 ……いたら?


 もっと早く彼女を蹴落とすことができた……そう思います。


 姿を消したウィンストンでしたが、ワーミーたちは気づいていないようでした。喜び合う劇団たちをしり目に、撤収作業に入っていました。美術の炎は、シークが指を弾くと彼の手に吸い込まれるように消えてしまいました。これで全てが元通り……。ワーミーという不純物を除けばですが。


 ふいに、団員たちがワッと声を上げます。何と、殿下が現れたのです。彼女はシューレイヒム卿にも内緒で、舞台裏を訪れになったのです。殿下はシュナの手を握り、感動をお伝えになりました。よもや殿下が平民の娘に……。シュナは喜ぶどころか、明らかに困惑しているようでした。もっと恭しくしなさいと、思わず注意しそうになったのを何とか堪えます。その栄誉を戴くことを一体どれほどの貴族が望んでいるのか……シュナには分かっていないようでした。その後も次々と貴族たちが訪れ、舞台の裏は人でいっぱいになってしまいます。みんながシュナを称賛しました。しかし気づいた時には、彼女はいなくなっていました。


 それから程なくして、シューレイヒム卿や教戒師たちがなだれ込んできました。舞台の裏はさらに人でぎゅうぎゅうになってしまいます。シューレイヒム卿は人波を掻き分け、殿下の元へとやって来ました。


「何の騒ぎなの?」


 事情を知らない殿下は呆気にとられているようでした。シューレイヒム卿は素早く彼女を保護すると、ワーミーたちの確保に動きます。しかしその時には、残っているのは私とクーバートだけでした。クーバートは紫の煙を噴出すると、私を連れて転移しました。


 そして、私たちはあの島にやって来たのです。



 そんなことがあったのですから、都市のこの厳戒態勢は当然のことでしょう。まさか昨日の今日で劇が行われることは意外でしたが、典礼劇は何世代も前から続く聖地の伝統、ワーミーなんかのために中止するわけにはいかないのです。歴史を重んじ、異教徒にも弱みを見せることなく平生を貫く大聖堂を、私は尊敬します。


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