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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
序章 ルチルの巡礼
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ワーミー

 私たちはドアを開ける。


「あれ?」


 そこには路地があった。


「張りぼてですね」


 ジャンヌは感心したように裏側を見る。立派なのは表部分だけで、裏側はただの壁になっていた。外からでは本当に家があるようにしか見えなかった。


 後ろから、ドアが閉められた。ジャンヌは私をローブの中に入れると、先へと進んだ。

 路地は、私たちが通って来た外区画の路地と、特に違ったところは見られなかった。暗く、汚れ、ひび割れている。路地は枝葉のように小路に分かれているらしく、進むごとに一本に統合されていき、人の数も多くなった。洗脳された門番たちは色々なところに潜んでいたらしい。路地には教戒師の姿はなかった。当たり前だけれど。



 突然、空が明るくなった。びっくりしたものだから、思わずローブの中に頭を引っ込めてしまった。恐る恐る顔を出すと、花火だった。


 路地裏の一角にぽつんと屋敷が立っていた。民家に囲まれる中、その屋敷だけは周囲から仲間外れにされているかのように、広々とした敷地を持っていた。その広い庭に人々が集まっていた。かなりの人数で、屋敷の周囲は水路に囲まれているのだけれど、その橋の上まで人で埋め尽くされていた。群衆たちは相当に盛り上がっているように見えるが、不思議と全く声がしなかった。聞こえるのは、屋敷の外にいる人たちの声だけだ。恐らく、大聖堂と同じ沈黙の魔法が施されているのだろう。大勢の人々に対し、そこに音声が入らないというのは実に奇妙で、非現実的な光景として私の目に映った。


 それにしても、夜を昼間に変えるほど煌々と明かりが灯っていて、狂ったように花火が散っているのに近づくまで気づくことができなかったなんて。外からでは知覚することができないようにされているのだろうが、まるで別の世界に迷い込んでしまったかのようだ。


「何かの祭りかしら?」と、私は言った。


「旅芸人か何かの興行だと思います。舞台があって、誰かが踊っているみたいです」


 突然、屋敷を囲んでいた眩い光が徐々に収斂し、小さな太陽のようになった。闇が這い寄って来る。すると、光が弾ける。様々な色の光が空を駆け抜け、残光が宙に漂った。思わず見惚れてしまう、素敵な光景だった。



「ねえ、これ何の集まりなの?」


 ジャンヌは目の前の人に訊ねた。


「何だ、アンタ知らねえで来ちまったのか?」


 男の人は興奮気味に顔を上気させていた。「ワーミーだよ! ワーミーがいるんだ!」


「えっ、ワーミー!?」


 私とジャンヌは同時に叫んだ。



 まさか、この聖地にワーミーたちがいようとは。考えてもみなかった。


「で、殿下どうします? ワーミーだって!」


 ジャンヌは小声で話しかけて来る。ローブの中で私の身体をペタペタ触り、少しも興奮を隠さなかった。


「ど、どうしよう……」


 私は冷静に心を落ち着ける。「せ、聖地にワーミーなんて……聖人様への冒涜でしょう?」


「そんなことありませんよ! 聖人様だってワーミーを見たらきっと大喜びしますよ!」


「そ、そ、そうかしら……」


「じゃあ帰ります? それじゃ、ここで待っててくださいよ。アタシ一人で見て来ますから」


 私はジャンヌの足を踏みつける。


「仕っ方ない! 私も一緒に行ってあげるわっ!」



 ワーミーとは魔法を操る流浪の集団である。


 隠者たちの隠れ里「魔法郷マギアトピア」の出身者で構成され、魔法修行の旅をしているのだといわれている。国を持たない彼らは独自の価値観の下で生きており、カルムで広く信仰されているアギオス教も信奉していない。そのため異教の集団と断じられており、信者が近づくことは厳禁されている。そのことはよく理解していた。してはいたけど……私は胸に湧く好奇心を押さえることができなかった。規律の外にあるワーミーは自由の象徴。広場にいる人々の多くにとってそうであるように、私にとっても幼い頃からの憧れの対象だったから。


 ジャンヌは群衆を押し退け、前進する。一度動き出した彼女を止められる人間はこの国には存在しない。簡単に橋を渡り、敷地内に入った。


 その途端。


 ワッと大歓声が頭の上から湧きおこった。


 まるで地鳴りのよう。こんなにうるさかったなんて……! 思わず、ローブから顔を出す。明るい音楽が聞こえて来た。何らかの弦楽器のような音……。土砂降りのような人々の声にもかき消されることなく、ずっと同じ大きさで耳に届いていた。


「もっと、もっと前に……」


「お任せあれ!」


 強引に人波を掻き分け、ジャンヌは進行する。彼女のローブの中で視野も限られていることもあり、まるで私自身の威光によって人々が道を作ってくれているかのよう。うふふ。


「痛え、なにすんだ!」


「強引だぞ!」


 え、ごめんなさい。


 降ってわいたような全能感は、市民たちの怒声によってみるみる霧散してしまった。


「何か?」


 周囲の声に、ジャンヌは立ち止まる。巨漢の男を片腕で担ぎ上げるその怪力を目の当たりにした人々は、一斉に下を向いた。


「ごめんなさい、ごめんなさい」、小さく呟きながら私は前へと進んだ。恰幅のいいおじさん二人の間に割って入った私たちの眼前に現れたのは――。


 ひらめく極彩色。

 舞台の上では紫の髪をした踊り子が舞っていた。


 不思議な踊りだった。その力強さは炎のようで。でも、流れる水のように捉えどころがない。


 踊り子は黒いスカートの上にさまざまな色の布を縫い合わせていて、それが踊るたびにひらひらと宙で揺れ、目で追ううちにすっかり魅了されてしまう。日に焼けた浅黒い肌は煽情的でもあり、彼女の魅力を際立たせていた。男の人たちが興奮しているわけだ。


 彼女の背後で、一人の男性が楽器を鳴らしていた。不思議な形の弦楽器で、一人しかいないにもかかわらず様々な音階を表現することができた。舞台の下から仲間の一人が顔を出し、金の輪を投げる。踊り子は輪を腕に通すと、くるりと体を回転させ、勢いそのままポーンと宙に放った。落ちて来た輪は彼女の腕を走り、肩を通って反対の腕まで行くと、再び跳ねた。そのまま一度も地面に落ちることなく、踊り子の体の近くを飛び回る。まるで生きているようで、人々は拍手をした。


 私も夢中で手を叩いた。かっこいい……本気でそう思った。自分の体を資本に、これだけの人の心を動かすことができるのだ。強い人なのだろう。もしかして、あの人は私の――なんてね。さすがに違うよね。


 ワーミーたちは同世代のくらいの若い男女の集まりだった。鮮やかな色の布を何枚もモザイク状に服に縫い付け、それが非常に派手で人目を引いた。しかしその実、肌着はボロボロのシャツやブラウスだけで、恐らくはみすぼらしい服をカモフラージュする工夫なのだろう。男女ともに髪を長く伸ばしており、男は後ろで一つに束ね、女は二つ結びにしていた。顔立ちは私たちと特に変わったところは見られない。普通の服を着て人々に混ざられては、ワーミーだと気づくことはできないかもしれない。


 宙を漂う光を追って、ふと建物の方を見ると、無数の目がこっちを見ていた。やせ細った子供たちが、玄関や窓、二階のバルコニーから身を乗り出して舞台を見つめていた。思わず、ハッと息を飲んだ。真っ暗な室内から覗く彼らの姿は、光を求める亡者の群れのようだった。


 ここは何だろう? 何故こんなところでワーミーたちは芸をしているのだろう?


「くそ、あいつ! やっぱり浮気してやがったんだな!!」


 怒鳴り声と共に、玄関から男が飛び出して来た。


 踊り子に気を取られ、注目している人はいなかった。よく見れば列ができている。新たに婦人が中に入って行くのが見えた。


「何やってるんだろう、あれ?」


 ジャンヌの腕を引いてみたが、


「え、何がですか? 踊りですよ、色っぽい踊り! へへ、たまらんぜこいつぁ。姉ちゃん、こっちにもサービスしろい!」


 彼女は踊り子に品の無い野次を飛ばすのに夢中で見てくれなかった。この人が一般教養とそれなりの知性をちゃんと持ち合わせていることを時々忘れてしまう。


 室内へと興味が移ったこと、何よりもこれ以上汚い野次を間近で聞きたくなかったので、私はローブの中から出た。踊り子の前を離れ、玄関の列へと加わる。


「これは何の列なのですか?」


 前に並ぶ老紳士に訊ねる。彼は口ひげの端を摘まみ、目を細めて私を見つめた。柔らかな物腰、子供の私にも丁寧な所作を見るに、良家の人間なのだろう。


「ほっほっほ、お嬢さん。占いだよ。ワーミーの占いはよく当たるって評判なんだ」


「占い……」


 私は頬に手を当てる。ワーミーは魔法の申し子。魔法にもいろいろな種類があって、カードを使ったり、星の動きで未来を予知したりする類のものもあると聞く。


「ここの子かな。魔法に興味があるのかい?」


「ええと……まあ……」


 私は言葉を濁す。老紳士もさして興味はないようで、踊り子の方へと目を向けた。


「危うく騙されるところだったわ! あの人を信頼していたのに! ファック!」


「ふざけんな、あのアマ! 俺の金が目当てだったのか! 愛してるんじゃなかったのかよ!」


 屋敷から出て来る人たちは、皆同じように満腔の怒りに顔を歪ませている。占いは人を正しい未来に導いてくれるものじゃないんだ。隠している秘密や、不安、心の闇を曝け出してしまう。私からは一体、何が紡ぎ出されてしまうのだろう?


「きぇえい! どいつもこいつも! 私の金は私のものだ! 誰にも渡さん!」


 老紳士が奇声を上げ、玄関から飛び出して来た。いよいよ私の番が来た。深呼吸で胸の鼓動を押さえつつ、扉を開けて中に入った。


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