舞台裏の事件
土砂降りのような拍手の音が聞こえてきたかと思うと、クーバートたち魔術師集団が舞台に上がります。その直後、紫色の煙が噴出しました。歓声がワッと沸いたところを見ると、紫色魔法による幻覚を見せているのでしょう。私は煙を吸っていないので、幻覚を見ることはありませんでした。
エスメラルダは跳ねるように駆け出し、舞台に上がりました。彼女は舞台の中央で、観客に背中を向けて佇みます。ケテルに出会う前のケセドは、死者に囚われた墓守の女性なのです。続いて至高の聖人の三人が舞台に上がり、劇が始まりました。
仮面を被ったゲブラーが舞台に上がります。オニオという劇団員だそうですが、あまり上手ではありませんでした。しかしさすがはゲブラー役に選ばれただけあって、不思議な存在感を持つ人です。ミラを演じるウィンストンに動揺は見られませんでした。むしろ、昨日よりも溌溂とした演技をしているように見えました。彼女は自分の魅力を余すところなく発揮して、ゲブラーと二人で舞台を引っ張っていました。
劇は続きます。団員たちもウィンストンの演技を見て、胸を撫で下ろしたようです。みんなが平静を取り戻しかけた、その時でした。
「な、何だお前!」
奥から団長さんの狼狽した声が聞こえました。
「あー大丈夫大丈夫。ちょいっとお邪魔するだけだから」
「ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」
「あー大丈夫大丈夫」
「っていうか本番やってんだぞ! イかれてんのか!」
姿を現したのは、背の高い女性でした。
顔の左半分を覆う長い前髪、大きな火眼には見覚えがあります。シューレイヒム卿の従騎士の女性でした。確か、ジャンヌ=マリアとかいったはずです。
ジャンヌさんは周囲を見回し、ゼムフィーラとプレシオーサに目を留めました。顔に笑みが広がっていきます。
「本当にここにいたのね、ワーミーども。このアタシがまとめて駆除してあげるわ!」
「ワーミーだって? そんなのどこにいるってんだ!」
「アンタの見えないところよ」
ジャンヌさんは団長さんを強引に突き飛ばすと、腰の剣を抜きました。彼女の剣は赤く発光します。
「勘弁してよ……」
プレシオーサは両手を上げ、降参を示しました。ゼムフィーラは素早く周囲に目を走らせ、逃げ道を探します。
「待て待てジャンヌ! お前はいつも独断専行だな! 付き合わされる俺の身にもなれというんだ。俺はお前のお守りじゃないぞ!」
彼女の後ろから颯爽と現れたのは、端正な顔の男の人。同じく従騎士のルシエル様でした。ジャンヌさんをたしなめると、一転、キラリと輝く目をワーミー娘に向けました。
「初めから喧嘩腰ではことを面倒にするだけだ。何事も話し合いが肝要……。どうだろうか。まずは君たちの魔法を見せてくれ。そうすることで俺たちは分かり合えると思うんだ。うん、それがいい……それしかない……そうしよう……」
ルシエル様は明らかに正常ではありませんでした。鼻腔は膨らみ、頬は上気し、顔半分を埋めるほどに大きな笑みを浮かべています。晩餐会ではもっと寡黙なお方だったはずですが……。今、目の前にいる彼はとても饒舌で、聞き取るのを苦労するほどの早口です。美男子に対して思うのは心苦しいのですが……大変気持ち悪かったです。
「ワーミーが二人。舞台上にも何人かいるわね。まあ、残りは劇が終わった後に始末するとして……」
ルシエル様を無視して、ジャンヌ様は言います。「あとはオブライエン家の娘がいるって話だけど……」
鋭い眼光が物陰の私を捉えました。「ああ、キミだね」
「何だ君は!」、ジャンヌ様を押し退け、ルシエル様が私に近づいてきます。何だ君はってか……。「そ、その恰好……ま、まさかワーミーたちの仲間になったのかい? い、一体どうやって……? 教えろその方法……!」
「ふうん、情報に偽りはないってわけか……」
ルシエル様の首に背後から腕を回して押さえつけ、ジャンヌさんは言いました。「お嬢ちゃん、こんな不良どもとつるんじゃって……グレちゃったの? みんな心配してるわよ。さっさと帰ってあげなきゃダメじゃない」
「えっとぅ……そのぅ……」
「ほら、こっち来なさい。もう大丈夫よ。あ、ごめん。ちょっと待ってね、今こいつ黙らせるから」
暴れるルシエル様の首を締め、ぐったりとさせてしまいました。
私はプレシオーサを見ます。彼女は目をつむり、知らんぷりしました。帰るなら帰れば? ということなのでしょう。本当ならば喜んでジャンヌさんの元へ駆け寄るところなのですが、その時の私にはお姉様の言葉がありました。あの人がもう少しワーミーと共にいろというのなら、それに従うしかないのです。
私は首を振り、拒否を示しました。
「あーらら、やっぱりグレちゃったんだ。後で怒られても知ーらないっと」
「馬鹿な子」
プレシオーサは大きく息を吐きます。その直後、バッと横に飛びました。舞台美術を掴むと、従騎士二人に向けて放りました。
落ちて来る屋敷の内装。ジャンヌさんが剣を振ると、空中に爆発が起きました。美術は大破します。構わず、プレシオーサは手あたりしだいに投げ続けます。燃える美術が次々に床に落ちました。「くっ……」、ルシエル様の意識が回復します。すかさず、ゼムフィーラが二度手を叩きました。途端、いたるところから劇団員たちがなだれ込みました。彼らは雄叫びを上げ、ジャンヌさんとルシエル様に群がります。
「うわ、ちょっと何こいつら!」
「洗脳されているんだ!」
もはや、劇団員たちに自我はありませんでした。虚ろな目をとろんとさせ、生きる人形のようです。暴徒のように殴りかかってくる団員たちの攻撃を、二人は黙って受けます。強靭な肉体を有する従騎士には普通の人の攻撃など効かないのです。しかしやはり苛立ちはするようで、ジャンヌさんは団長さんを掴むと、ゼムフィーラめがけて放り投げました。
「キャッ!」
ゼムフィーラは似つかわしくない純な乙女のような悲鳴を上げ、迫り来るおじさんに対して身構えます。しかし目前でプレシオーサが床に叩き落としました。
「れ、れ、礼は言わないから!」
「言いなさいよ、お礼くらい!」
こんな時でも二人は喧嘩します。
「馬鹿! お前は善良な市民をなんだと思ってるんだ!」
「洗脳されてるんだから痛覚もないでしょ。知らんけど」
従騎士二人も喧嘩します。
「お前は余計な真似をするな! 俺が何とかする!」
「大人しく殴られてろってわけ?」
「当たり前だ! 痛かったら殴り返せ!」
そう言う間にも、二人はボコボコに殴られます。
「チッ、全然痛くねぇ」、ジャンヌさんは舌打ちしました。「もっと頑張れよ」
ルシエル様は強引に剣を抜くと、宙に掲げました。パンッと耳鳴りがして、思わず耳を抑えました。次の瞬間、団員たちがバタバタと床に倒れました。
「あらぁ……」
ゼムフィーラが口に手を当て、驚いた声を上げました。「無色使い……」
「ちょっと不味いわね」、プレシオーサは深い息を吐きます。
「さあ、ワーミーども。大人しくアタシにやられなさい。今ならまだ炙る程度で許してあげるから」
団員たちを乗り越え、ジャンヌさんがこちらに近づいてきました。
「何をしているの!」
その時、舞台上からウィンストンが現れました。死人のように倒れている団員たちを見て、それから従騎士二人を見ます。彼女の顔面は蒼白となり、目の前の惨劇に衝撃を受けているように見えました。
「あちゃー……」、ジャンヌさんは額に手を当てます。
「君は……ウィンストン家のアテナだね? 落ち着いて聞いてくれ、君には見えないかもしれないが、今この部屋にはワーミーがいるんだ。君たちは洗脳されている」と、ルシエル様。
「そうよ。アタシたちは悪者じゃないから安心しなさい」
「おかしなことを言わないでください。ワーミーなんてどこにもいません。何か証拠があると言うの?」
「あるけど教えてあげない。守秘義務ってやつね」
「ではあなた方を信じる理由はありません」
ウィンストンは団員たちの元へ駆け寄ります。「みんな、目を覚まして……! ああ、どうしてこんなことに……。劇はもうおしまいです。こんなことって……あまりにも酷い……」
「お嬢さん……」
「何ですか! これ以上の狼藉は許しません。今、人を呼びますから――」
ルシエル様はウィンストンの肩に手を置きます。「君、目が死んでいないね」
その瞬間、ゼムフィーラが手を叩きました。団員たちは目を覚まし、起き上がります。
「何だ……? なんか痛いな……」
「団長さん、この人たちがあなたたちに魔法をかけたのです! 劇を妨害するつもりです!」と、ウィンストンは従騎士二人を指しました。
「そうだった!」
団長さんの意識が急速に覚醒します。「俺に任せろ!」、そう言うや、団長さんは従騎士に飛びかかりました。「劇団を守りたい!」
団長さんに続いて、数人の団員が飛びかかりました。団長さんを助けるためというよりは、どちらかと言えば従騎士から引きはがし、勇ましい声を上げるその口を封じたがっているようでした。大声が舞台上まで届いているのではと様子をうかがうと、ちょうど舞台上から誰かが下りてきました。
演者の一人に腕を引っ張られ、現れたのはシークでした。
「おい、何の用だよザラ! 今大事なとこなんだよ!」
ゼムフィーラが演者を洗脳し、助けを呼んだのでしょう。シークは階段途中で立ち止まり、従騎士二人と見つめ合います。「なるほどな!」、状況把握の結果として、頭の上で指を鳴らしました。
瞬間、従騎士二人が発火しました。
「ギャッ!」
二人はもがきます。不思議なことに、炎は周囲の団員たちには燃え移らず、また、熱を感じないようでした。燃えているのは従騎士だけで、団員たちは炎さえも見えていないのか、炎上コンビに必死にしがみついています。
そんな中であっても、ジャンヌさんは剣をシークに向けました。「おっと」、シークが両手で何かを払う仕草をすると、彼の眼前で爆発が起きました。
ルシエル様が剣を床に突き刺します。バツンという大きな音とともに炎は消えました。
「うおっ、無色使い!?」
シークは驚きの声を上げると、すかさずパンッと手を叩きました。
彼の体から炎が噴き出し、瞬く間に部屋中に燃え広がりました。また、炎は鎧のように彼の体を覆います。室内で使うには非常識極まりない、あまりにもはた迷惑な魔法です。
しかし、やはり私は熱くもなければ、息苦しくもありません。劇団員たちも同じようでした。炎が熱いものであると認識しているのは従騎士だけのようです。苦しむ彼らを、炎はまるで意思があるかのように襲います。団員たちに群がられ、身動きを封じられている従騎士たちには為すすべもありません。
「ジャンヌ!」
ルシエル様は叫ぶや、団員たちを押さえ、ジャンヌさんの活路を開きました。その瞬間、ジャンヌさんの姿が消えました。鈍い音がしたかと思うと、いつの間にやらシークが壁に叩きつけられていました。「強すぎだろ……」。床で呻く彼を見下ろすように、その前にはジャンヌさんが立っていました。
ジャンヌさんは剣を振り上げると、シークの頭めがけて振り下ろしました。その時、背後からプレシオーサが飛びかかり、剣の軌道が逸れました。シークの頭を外れ、壁に突き刺さります。すかさず、シークは体にまとった炎を噴出しました。
しかし。直後、ジャンヌさんの剣が爆発し、シークの体から炎が弾け飛びました。ジャンヌさんはそのまま背中に手を回し、プレシオーサを掴むと、引きはがして壁に叩きつけました。昏倒する彼女をシークの上に投げ捨て、剣を振りかぶります。さよならプレシオーサ……。
刹那。
またもや鈍い音が響きました。
今度はジャンヌさんが反対側の壁まで吹き飛んでいました。背中から壁に叩きつけられ、がくりと膝をつきます。
「首席術師がいつまで経っても戻ってこないから何事かと思えば……」
先ほどまでジャンヌさんがいた場所に、ゲブラーが立っていました。足を上げたポーズから強烈な蹴りが炸裂したようですが、私には何も見えませんでした。オニオって強い……? 私が目をぱちくりさせていると、おもむろにゲブラーは仮面を外しました。その下から現れたのは、赤い目をした美少年……。ルビウスでした。なんと、舞台上でゲブラーを演じていたのはルビウスだったのです! 衝撃の事実! はたして気づいた人はいたのでしょうか!
「大丈夫か?」、彼はプレシオーサを抱き起こします。シークは放置しました。
「もっと早く来てくれればよかったのに……」
いつもとは異なる、力のない声でプレシオーサは言いました。
「ままならないものだ」
そう言うや、ルビウスはキスをしました。
だから破廉恥はやめなさい!
私も怖かったんですけどッ!!




