突然のお姉様
私たちは非常用の扉へと向かいます。
ドアを開けると、一人の女性が私を待っていました。長く艶のある黒髪を持ち、下がり気味の目尻をした背の高い女性……。その人を視認した瞬間、私の背筋は勝手にピンと伸びました。素早く花冠を頭から外します。
「お、お姉様……?」
ジュノー・オブライエンがそこにいました。
「ああ、ルージュ。無事でよかった」
お姉様は安堵すると、私の肩に手を置きました。私はびくりと肩を震わせてしまいます。
「ど、どうしてここに……?」
彼女は湖の上の修道院にいるはずなのです。
「あなたの話を聞いて、いてもたってもいられなくなってしまったの」
「お、お姉様の手を煩わせるなんて……お、お恥ずかしい限りです。どうかお許しください……」
私は深々と頭を下げました。腕を抱き、震えを隠します。
お姉様は優しい人です。今まで一度だって叱られたことも、折檻されたこともありません。常に温和な笑みを浮かべ、私の全てを肯定し、湖よりも深い愛情を与えてくださいます。
それなのに……。
「煩わせるなんて、馬鹿なことを言わないで」
お姉様は私を優しく抱き締めてくださいました。
途端、私の体は硬直し、心臓が締め付けられたように痛みました。呼吸が乱れ、目からは涙がこぼれかけます。私は目をつむり、固く口を閉じて耐えました。
「本当に無事でよかった……。私の可愛いルージュ……」
彼女が耳元で囁くと、全身に怖気が走りました。
お姉様を心よりお慕いし、愛している私の気持ちに偽るところなどありません。
それなのに……一体どうしてなのでしょう。
私はこの人のことが怖くて怖くて仕方がないのです。
お姉様は私の後ろに顔を向けます。「彼があなたの居場所を教えてくれたの」
ルビウスは顎に手を当て、私たちのことを見ていました。
「こ、この人たちは大聖堂に入るために私たちを利用しようとしているのです……」
あまりにも声が小さかったので、自分で驚いてしまいました。背中にあるお姉様の掌が、私の元気を奪い去っているかのようです。
「知っています。その上で、私からもあなたに伝えます。ルージュ、もう少しだけ彼らと一緒にいなさい」
信じられませんでした。私はふるふると首を振ります。
「どうして……? 彼らはワーミーなのですよ……?」
「辛いことであるのはよく分かっています。あなたにこんなことを頼まなければならない愚かな姉を許して」
お姉様もワーミーたちに騙されてしまっているのかも……そう思ったものですから、私は勇気を絞り出して言いました。
「わ、私、嫌です……。ここは酷いの、お姉様……。この人たちは私を奴隷のようにこき使うのです。私はもうここにいたくありません……」
ルビウスは肩をすくめました。
「特別扱いなどしない。他の奴らと同じように扱う。そう言わなかったか?」
「そんなの聞いていません!」
思わず叫んでしまいましたが、ルビウスは私ではなくお姉様を見ていました。
「ルージュ」
お姉様は私の頬に手を当てました。
「ひっ」、思わず私は小さな悲鳴を上げてしまいます。
「よく聞いて。今、この聖地では恐ろしいことが起きているのです。あなたを巻き込みたくないの……」
「な、何が起きているのですか……? お父様が解決してくださるのでしょう……?」
「お父様でもどうにもならないことなのです。でも、心配しないで。あなただけは私が守ります。私を信じて、もう少しだけ我慢して」
「は、はい……」
「あなたの私に対する怯え。私を見る目……幼い頃から不思議で仕方がなかった」
私の頬をさすりながら、悲し気にお姉様は言います。顔から血の気が引いて行くのが自分でも分かりました。
「でも、今ならその理由が分かります。私はあなたに姉らしいことなど何一つしてこなかった。その償いをさせてほしいの」
「そんな……お姉様は誰よりも立派な私のお姉様です……。私の誇りです……」
「ルージュ……」
手に持っている花冠に気づき、おずおずと差し出しました。「聖週間の……花冠です。人から頂いたものですが……よければ……」
お姉様は一瞬虚を突かれたような顔をしましたが、すぐに優しく微笑み、冠を受け取ってくれました。
「優しい子」
花冠を被ると、お姉様はルビウスを見ます。ルビウスは小さく頷きました。
「後は任せます」
そう言うと、お姉様は外通路から去ってしまいました。
「ふわぁ……」
極度の緊張から解放され、体中の力が抜けてしまいました。崩れ落ちそうになる私を、ルビウスが支えてくれます。
「ごめんなさい、足に力が入らなくて……」
「変わった姉妹だな」
「普通の姉妹です」
「まあいい、お姉様にも言われただろう。貴様は部屋に籠もっていろ」
「はい……」
ルビウスがドアに手をかけたその瞬間、ドアの向こうからバタバタと走って来る足音が聞こえてきました。瞬間、ルビウスは私を抱えて跳躍します。屋根の上に乗ると、私の口を塞ぎました。
現れたのはウィンストンと一人の女の子でした。
「なんか嬉しそうだったね」
「え、そうかなぁ?」
私たちに気づいていないようです。ルビウスは食い入るように二人の少女を見つめていました。
「貴様、あの子を知っているか?」
ルビウスはウィンストンではない女の子を指します。
「さあ……見覚えはないですが……。平民の子のようですが」
「なるほどな」
やはり、この時もルビウスには女の子の異変が分かったのでしょう。
二人は演技の練習を始めました。ルビウスは私に天井の戸から中に戻るように促し、自分は腰を据えて二人の様子を見ることに決めたようでした。
劇場に戻ると、出会って二秒でエスメラルダにくっつかれてしまいます。次々に服を手渡され、試着を強要されました。彼女は裁縫が得意のようで、実に楽しそうに衣装を仕立てていました。
「できた! これ着て、ジュジュ!」
それはミラの衣装でした。会心の出来だそうで、試着した私を見てすっかりご満悦になっていました。今すぐにウィンストンに着せたいと、彼女を探しに行ってしまいました。
私は鏡の前に立ち、ミラの姿の自分を見つめました。自分で言うのもなんですが、鏡の中の私はとても美しい人でした。まるでミラの生まれ変わり……。私がミラを演じなければ、一体誰が演じるというのでしょう? 絶対にウィンストンなんかではありません。
「私はミラ、呪われた女……」
胸に手を当て、私は言います。「私は楽しく暮らしたいだけなのに。だけどみんなが邪魔をする。私の楽しみを奪ってしまう。どうして呪ったりしたの? 私はもう笑えなくなってしまったじゃない」
人の気配を察し、振り返ると、エスメラルダとウィンストンが気まずそうにこちらを見ていました。
「えっと……上手いね、ジュジュ」
「よく似合ってるわ」
室内の気温が急上昇するのが分かりました。




