都市への帰還
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教戒師たちは徘徊していました。都市の者にとって、それは恐ろしい光景でした。彼らは一つ所に留まり、説法をしているのが常だからです。彼らが動くのは決まって、誰かを戒める時なのです。大聖堂がワーミー狩りに本気になっている証左でしょう。教戒師の姿が増えるのに比例して、市民たちの姿は減っていました。みな、屋内に籠もっているのでしょう。こんな日に外を出歩いているのは、陽気に当てられたお馬鹿さんだけでしょう。
私は息を潜め、視線の先にまで目をこらします。赤い人たちの姿はどこにもありません。音を立てないように静かに、路地を歩きます。私は都市に戻ってきました。何故なら私がお馬鹿さんだからです。
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森から出て廃屋に戻ると、ワーミーたちが集まっていました。
「本当なの? 我がオブライエン家が大聖堂に……」
私はクーバートに飛びつき、訊ねます。
「オブライエンの浮島に大聖堂の手が入ったんだってさ。ルビーが教えてくれた」
報石を見ながら、クーバートは言いました。
「どうして? どうしてそんなことに――」
「君のお父さんがワーミーと繋がっているからだそうだよ。ワーミーを匿っているのはオブライエンなんだって」
「そんなの嘘です!」
「まあ、うそだね」
「これは罠です! 我がオブライエン家は何者かの謀略にあっているのです!」
「まあ、そうだね」
つまらなそうにクーバートは言います。どうでもいいと思っているのは明らかでした。
「でもこれで邪魔者はいなくなったってわけだな」と、ヘラヘラと笑います。
「邪魔者……?」
彼が何を言っているのか分からず、私は首を傾げました。
「もういいじゃん。この都市を出て俺たちと一緒に来なよ」
「冗談ではありません!」
私は叫びました。「私はアギオス教の信仰者! 何があろうとも絶対に大聖堂を裏切りません!」
「その大聖堂は君を裏切るつもりだぜ」
「こんなの……何かの間違いです……。お父様が罪に問われるなんて……」
このままではどうなる? オブライエン家には大聖堂の手が入り、お父様も聖職から解かれてしまうでしょう。お姉様もまた修道院から放り出され、私たちはこの島に追放されてしまうのです。そんなの嫌。悪夢です。この世の終わり!
「お願い、都市に帰らせて。お父様たちがどうなったのか確かめたいの」
「馬鹿言ってんじゃないわよ!」
すかさず、プレシオーサが口を挟みます。「昨日の今日で都市に行くつもり? 今、あそこがどうなっているのか分かってんの? 赤い奴らがウヨウヨしてんのよ。アンタなんかすぐに見つかっちゃうわよ」
「自分の眼で確かめなければ信じられません!」
「あっそ。じゃあアンタだけで行きなさい。舟でもなんでも漕いで」
「俺もパース。面倒事はこりごりだ」
「アンタは黙ってなさい。どの口が言うのよ」と、プレシオーサはクーバートを睨みました。
「自首するつもりだってんなら賛成しないな。ここにいた方が絶対いいって」
シークの良き声での説得にも耳を貸しません。
私はチラリとエスメラルダを見ました。
彼女はニコリとほほ笑みます。
「いいよ、私がついて行ってあげる」
「ダメよ、エスメル。アンタはダメ」と、プレシオーサ。「もし捕まってみなさいよ。問答無用で湖に沈められちゃうわよ。ここはそういう場所なんだから」
「大丈夫だよ。都市にはルビーがいるでしょ? それに、ジュジュったらこのままじゃ本当に舟で行っちゃいそうだし。ほっとけないよ」
「お人よし。私は行かないわよ」
プレシオーサはプイッとそっぽを向いてしまいました。
「えー。一緒に行こうよー」
「イヤ。怖いもの」
「んー。まあ、二人くらいの方がいいのかな? みんなで行くとすぐに見つかっちゃいそうだしね」
「ありがとう、メル」
私は深々と頭を下げました。
「いいって。友達でしょ」
もちろん断じてそんなわけはないですが、都合がいいので黙って肯いておきました。この際です。利用できるものは何でも利用しなければ……。
「危なくなったらすぐに逃げるのよ。魔石はまだ大丈夫?」
「どうだろ。さっきは使えたけど……」
エスメラルダはブレスレットに光る緑の石を見つめます。パチンと指を鳴らすと、足元に草木が茂りました。
「ちょっと危ないかも。転移は魔力いっぱい使っちゃうからねぇ」
「これ持っていきなさい。まだ十分に使えるから」
プレシオーサは橙色の石を手渡します。
「ありがと!」
エスメラルダは受け取るついでにしっかりと抱きつきました。
私とエスメラルダはすぐに転移を行い、都市にいるゼムフィーラのテントに出ました。
ワーミーと占い師の関係はまだバレていないようです。それどころか彼女の占いはよく当たると評判で、貴族たちも密かに通っているそうなのです。だからこそウィンストンも訪れたのでしょう。
「私が待ってるなんて思わないでねぇ」
ゼムフィーラはそう忠告しました。「今朝からずっと見張られてるんだからぁ。ヤバくなったらすーぐ逃げちゃう」
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カツ、カツ、カツ……。
規律のある足音が背後から聞こえてきました。間違いなく教戒師です。焦って駆け足になる私に対し、エスメラルダはのんびりと後ろからついてきます。彼らに遭遇してもどうにかできる自信があるからこその余裕なのでしょう。足音はどんどん私たちと距離を詰めてきます。もうダメ――そう覚悟した時、私たちは大通りに出ました。そこには無数の人たちが溢れていました。お馬鹿さんがこんなにいっぱい! 劇場に向かっている人の波です。
彼らに紛れ、私たちは教戒師をやり過ごしました。道の端々に赤い顔が見えます。人々の顔を確認しているようでした。私たちは姿勢を低くし、なるべく人影に入って身を隠します。赤い顔が見えなくなった隙を狙って、路地に逃げ込みました。
教戒師たちの狙いは、私ではありません。ワーミーたちです。しかし悲しいことに、私も彼らの仲間だと思われているのです。恐らく私は選択を間違えてしまったのでしょう。分かれ道の全てを間違った方に歩いてしまったのです。そのせいで、目の前に見えているはずの大聖堂がどんどん離れて行ってしまいました。
私は大聖堂の敵になってしまったのでしょうか? 聖人様の庇護を失ってしまったのでしょうか? そんなことがあっていいはずがありません。だって、大聖堂の加護がなければ、私はどうやって生きていけばいいのか分からないのです。安全な柵の中にいたからこそ、私は日がな一日もぐもぐ草を食べて平穏に暮らせていたのですから。
こんな目に遭っているのも、全ては昨夜に起きた事件のせいです。「ゲブラーの大火」第二幕は、その中身の通り大禍の序章だったのかもしれません。




