ワーミーとの対峙
私たちは路地を先に進みました。
やがて、水路を挟んでお店の連なる通りに出ました。その中の一軒の前でルビウスは立ち止まります。魔石屋です。外画にも魔石を扱っている店があるのは意外でしたが、よく考えれば魔石とは装飾品ではなく、本来は魔法を使うための道具です。貧民といえども魔法を使う職人などはいるはずですから、需要もあるのでしょう。ルビウスから頂いた魔石を思い出します。下級も下級、塵芥もいいところでした。しょせんは貧民街の魔石屋、扱っている商品も貧民用というわけです。
中に入ると、むさ苦しい巨漢が笑顔で迎えてくれました。
「精が出るな」
ルビウスはそう言うと、カウンターへと侵入します。私たちも後に続きました。裏へと続く扉をくぐりかけ、思い出したようにルビウスは男を見ました。
「そう言えば、魔石は全部五番街の水路に落ちた」
「へーい」
「回収は無理だろうな」
「へーい」
「誰もこっちに来させるなよ」
「へーい」
受け答えも風体も、いかにも愚鈍な男です。事情を知らないその時の私は、きっとまともな教育を受けていない極めて頭の悪い野蛮人、つまるところ貧民区画とはこういう人ばかりが集まった治安など裸足で逃げ出す犯罪の温床、今すぐに沈めてしまうべき聖地の恥部、悪徳と頽廃にべっとり染まった愚か者たちの巣窟に違いないと決めつけていました。
ルビウスに続いて私も扉をくぐります。
あまり広くない部屋に、質の悪い家具が置かれていました。むせ返るような臭いに鼻がツンとしてしまいました。汗やら体臭やらいろいろなものが混じった空気は目にも見えるほどよどんでいます。服にべったりと不浄が張り付き、体が重くなっていくような気がしました。こんなところ一秒だっていたくはないと、瞬く間に私の頭の中は「帰りたい」の輪唱でいっぱいになってしまいました。
部屋には数人の男たちがいました。ダニが蠢くのが見えそうな長椅子に寝そべっている者や、壊れかけの籐椅子に腰掛けている者、床に汚れたクッションを敷いて汚く座っている汚れた者たちです。悪臭の根源が彼らであることは間違いありません。
「相変わらず不浄な奴らだ」
ルビウスは不機嫌そうに言いました。「生きていて楽しいか?」
「アンタら、たまにはお風呂に入りなさいよ」と、プレシオーサもげんなりした様子で言いました。
二人は見事に私の代弁をしてくださいました。
「風呂入って魔力が落ちたらどうすんだよ」
「お前の魔力は垢か」
「で? 魔石は売れたのかよ?」
壁にもたれている汚い男の人が私たちに顔を向けました。汚れた筋肉男といえばこの人、ディランです。前の二人が壁になっているので、私に気づいていないようでした。
「処分特価で全てさばいた。今頃は湖底で眠っているだろうな」
「アハハ、だと思ったぜ。お前に商売なんて土台無理な話なんだよ」
「物の相場ってのを知らねえんだよ、そもそもな。お前どっかの王族かなんかじゃねーのか」
ドッと笑い声が上がります。
「そんなことより警備はどうだった? また増えてたか?」
四角い顔のシークが良き声で訊ねます。
「ああ、いたるところ警備だらけだ。赤い顔の奴らがうようよしている。大聖堂にいたっては守護魔法もあって蟻一匹入ることも敵わんだろうな」
「何か、凄そうなのがいるって話だったが」
「うむ。王女の護衛の三人組は厄介だ。都市の駆士どもとは比べ物にならん。髭面の男も相当の手練れだが、中でも女はただ者ではない。お前らでも相手にならんだろうな。オレか……」
ルビウスはある一点を見つめました。そこには眼鏡をかけた男の人が寝そべっています。「お前でないと対処できないだろう」
眼鏡の人、クーバートは軽い笑みを浮かべ、「一緒にやるか?」と言いました。
「一人でやれ」、ルビウスは冷たく言い放ちます。
「やれやれ、そんな奴らがいるのか。参ったなあ、もっと簡単な話のはずだったんだが……」、クーバートは長椅子に背をつけ、天井を見上げます。「――で、その子誰?」
ルビウスは私を前に押し出しました。
「あん? なんだぁその子」
男たちはようやく私に気づいたようでした。
「あの、この人たちは……?」
私はルビウスに訊ねます。とても魔石屋の店員には見えません。床に描かれた魔法陣、積まれた魔導書、男たちの異国風の格好……。まさか、と私にある考えが浮かびました。
「ワーミーだよ」と、ルビウスは言いました。
突然、ズキンと鋭い痛みが頭に走りました。一瞬だけですが、くらりと意識が遠くなってしまったほどです。とにかくこの場を離れなければと、頭を押さえながら、おぼつかない足取りで出口へと向かいます。しかしドアの前に、先ほどの愚鈍な男が立ち塞がりました。
私は男の胸を力いっぱい叩きます。
「どいてください、あの人たちが誰だか分かっているのですか? あなたはシュアンの市民にも関わらず、ワーミーたちに与するつもりなのですか! 恥を知りなさい!」
その時、私は気がつきました。男の目には生気がありませんでした。「目が死んでいる」とは魔術師たちが使う言葉ですが、その意味がようやく分かりました。男は洗脳されていたのです。ワーミーたちは魔石屋を乗っ取り、拠点としていたのでした。
背後から肩を掴まれました。
「来い」
ルビウスです。
「騙したのね……!」
「馬鹿を言うな。オレは何一つ偽りなど述べてはいない」
「あなたがワーミーの仲間だと知っていたらついてなど来なかった……!」
「これに懲りたらもう少し人を疑うことを覚えるんだな」
「馬鹿にして……! この私を誰だと……馬鹿にして……!」
しかし、それ以上の言葉は出ませんでした。唇を噛みしめ、彼に連れられるままに部屋に戻りました。頭の痛みはどんどんひどくなっていき、それに伴い体に怖気が広がって行きます。部屋の温度が急に冷えたかのようでした。
「こいつはルージュ・オブライエン」
私をワーミーたちの前に押し出し、ルビウスは言いました。
「おいおい、可愛い子じゃねぇか」
「さらって来たのか? 悪いやっちゃなー」
「助けてやったのだ。赤いのに襲われていた」
「へえ、大聖堂に追われてるのか。何か悪いことしたの?」と、シークが私に訊ねました。
私はキッと睨みつけます。「気安く話しかけないでください」
「何だ、やっぱ可愛くねぇな」
「怯えてんだろ。安心しなよ、俺たちが匿ってやるからさ」
「ワーミーの助けなんていりません!」
私は高らかに宣言しました。「汚らわしい魔法使いどもめ! 今すぐにこの聖地から出て行きなさい! さもなければ聖人様の名にかけてこのルージュが成敗してやるから!」
しかしそれが限界でした。私はその場に崩れ落ちてしまいます。手を確かめてみましたが、血は出ていませんでした。では、どうしてこんなに割れるように頭が痛いのでしょう。
「なんだなんだ、どうした急に?」
ワーミーたちは興味深げに私を見下ろします。
「内的なものみたいだね」
「なんかトラウマでもあるのか?」
「この匂い嗅ぎな。楽になるから」
クーバートは私に何かを投げました。紫色の石のようなもので、不思議な匂いがしました。甘いような、ツンと鼻を突くような……。
「誰がワーミーの施しなんか……」
私は放り捨てようとしましたが、丸めた拳をシークに捕まれ、ぐっと鼻先に突き出されてしまいました。私は息を止めますが、そう長くは続きませんでした。匂いを嗅ぐと、確かに頭の痛みが治まってしまいました。代わりに頭がぼーっとして、眠たくなってしまいます。私は気力を振り絞り、何とか立ち上がりました。
「これ以上この聖地を穢す前に出て行け、ワーミー! 恥知らずの邪教徒め! 人間のつもりならお風呂ぐらい入りなさい!」
「言ってくれんじゃねえか……!」
ディランがずいっと前に出て、私を見下ろします。
「な、なんですか……あっちに行きなさい……」、私は少し怖気づいてしまいましたが、精一杯に背伸びをして対抗しました。
「おい、嬢ちゃん……。よく覚えとけ……」、ディランは私の肩を掴むと、グイッと顔を寄せて来ました。
「ひっ」、私は目をつむります。むせ返るような男臭がしました。
「俺たちはシーカーだ。ワーミーとかいうダサい名前で呼ぶんじゃねえ」
「え?」
恫喝を覚悟していた私は、肩透かしを食らってしました。
「だいたいなんだよワーミーって」
「笑っちまうくらいだせぇよな」
「可愛いじゃない」
「可愛いじゃ嬉しくないの、男は!」
彼らは私をそっちのけで、ワーミーってどうなの論争を始めてしまいました。
「それで、どうしてこの子を連れて来たんだ?」と、シークが冷静に訊ねます。
「前にも言ったと思うが、大聖堂に入るには普通の手段では不可能だ。周囲から切り崩していかなければならない」
と、ルビウスは言います。「この聖地には御三家と呼ばれる有力貴族がいる。現在の巫女がいて祭儀を取り仕切るサーベンス家、都市の財政を握るウィンストン家、そして――大聖堂に強い影響力を持つオブライエン家だ」
「ほー」
感心したような声が上がります。
「そのために私を連れて来たのですね? これはれっきとした営利誘拐です!」
「互いにメリットがあると思うがな」
「そんなの関係ない!」
「まあまあ、ルージュちゃん。困ってんだろ。手ぇ貸すぜ」
「猫の手を借りてもワーミーの手なんて借りません! 断固拒否させていただきます!」
私は再三拒絶の声を上げました。信徒である私がワーミーと接触するわけにはいきません。何より、彼らが大聖堂に邪な念を抱いている以上、その片棒を担ぐことはできません。
必死に拒否する私を見て、彼らは笑い声を上げます。嘲笑ではないのですが、面白がっているのは明らかでした。
「はは、この取り付く島もない感じ。思い出すなぁ」
皆、頭の中に誰かを思い浮かべているようでした。
「で、どうすんの、この子。ここまで連れて来ちゃった以上、解放するわけにもいかないでしょう」
コホンと咳払いをして、プレシオーサが言いました。
「もちろんだ。こいつはここに置く。洗脳するもよし、監禁するもよし、こき使うもよし」と、ルビウス。
「勝手なこと言わないで! 私を誰だと思っているの!」
「やかましい小娘」
「雑用係」
「大聖堂に連れて行ってくれる人」
「ルージュ・オブライエンです!」
しかし、どれだけ私が拒否しても彼らの間では決定事項になっているようでした。
私はもうどうすればいいのか分からず、不安で泣き出しそうになるのをなんとか堪えることしかできませんでした。ワーミーたちと同じ場にいる、それだけでアギオス教の信者である自分が否定されたような気がして、いても立ってもいられなくなってしまいました。すぐにその場から離れたかったのですが、非力な私ではどうしようもありません。
自分がこんなにもワーミーのことが嫌いなのだと、初めて知りました。彼らに実際に会うなんて想像すらしたこともないので、こんな機会がなければ一生知ることはできなかったと思います。やはり私は骨の髄まで敬虔なアギオス教の信徒なのです。ワーミーとの接触に際し、私は改めてそれを実感しました。
「それじゃ、後は好きにしろ」
ルビウスはそう言うと、私をプレシオーサに預けました。
「どこ行くのよ」
「先ほど面白いものを見たんでな。確かめて来る」
勝手なことを! 敵の拠点に私を置いて行くなんて……。もちろんルビウスも敵の一人には違いないのですが、その時の私は彼がいなくなるだけでとても心細くなってしまいました。
その時、驚くことが起きました。
突然、床の魔法陣が光り出したのです。




