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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第三章 ルージュの魔法
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魔石売りと陰謀と私

 しかしながら、彼らの姿が見えなくなって、私の胸に訪れたのは安心よりもむしろ不安の方でした。


 私は決してアギオス教に背いたわけではございません。ただ、教戒師たちが怖かったので逃げてしまっただけです。知り合いの聖職者たちに諭されれば、自ら進んで大聖堂へと赴いたことでしょう。何とか弁明をしなければ、本当に大変なことになってしまう……。膨らむ不安は怒りへと転化していきます。その矛先は当然魔石売りでした。


「どうして私を連れ出したりしたのです!」


 彼の方へと身を乗り出し、私は言いました。


「助けを求めたのは貴様だろう」


「私は大人しく捕まるべきでした。そうすればまだ弁明の余地もあるというのに……。教戒師の手から逃れるなんてあってはならないことです。あなたは知らないのです。この聖地には異端審問官という恐ろしい人たちがいるのです。影の中に潜み、物音一つ立てずに人を消してしまうの。私もきっとあの人たちに狙われてしまうのです。それならば今教戒師たちに捕まった方がどんなによかったでしょう!」


 私の憤りも彼には理解ができないようでした。


「どこにでもあるな、その類の話は。その異端なんたらを実際に見た奴はいるのか?」


「まさか。彼らに目をつけられたが最後、生きて戻って来られる人間なんて誰もいません。審問にかけられたらもうおしまいなのです。だからこそ、私は――」


「それならどうしてそんな話が残っている?」


「知りません! でも、お父様がそう仰っていたのですから真実です!」


「お父様は実際に見たのか?」


「いいえ! 人に聞いたそうです!」


「その人は実際に見たのか?」


「別の人に聞いたに決まっているでしょう!」


「なるほど、そういうものなのか」


 明らかに信じていないようでした。


 まあ、見るからによそ者でしょうから仕方のないことなのでしょう。小さな頃、私がぐずると乳母がよく言っていました。「泣く子は異端審問官が連れて行ってしまいますよ」。そんな時、私は慌てて周囲を見回しました。影の中で何かが動いたような気がして、泣くことなどすっかり忘れてしまったものです。聖地の子供の多くは湖底の死者たちと、異端審問官を恐れています。それは大人になっても変わりません。


「さて、それではオレは貴様をどうすればいい?」


 舳先に腰かけ、魔石売りは訊ねました。「ここで下ろせばいいのか? それとも匿えばいいのか?」


「そんなの……決まっています……」


 とは言ったものの。私はすっかり途方に暮れてしまいました。「どうしましょう……」


 この場合、私がとるべき選択肢とは一体? とにかく大聖堂へと向かい、自らの潔白を証明する。これが一番だと思われます。


 しかしながら、理由は分かりませんが、教戒師たちは私ごと攻撃するつもりで魔法を使ってきました。明らかに殺すつもりだったのです。誰よりも大聖堂に従順な彼らが勝手な行動をするはずがありませんから、彼らの行為は全て大聖堂の思惑だということに……。だとするなら、大聖堂に向かったところで……。


「問題は――」


 舟に入った瓦礫を水路に放りながら、魔石売りがいいました。「誰が裏で手を引いているか、だ」


「え?」


「大聖堂も一枚岩ではないのだろう? 裏には派閥があると聞いた。大司教と巫女でさえ考えが異なるそうじゃないか」


「そんなことありません! 大聖堂は聖人ゲブラーの名のもとに一致団結しています!」


「信者はそう言うだろうな。まあ聞け。貴様の言動を見るに、本当に赤いのに追われる理由に心当たりはないようだ。貴様の親は聖職者か?」


「はい」


「どの派閥に属するんだ」


「そんなこと分かりません……。大聖堂はみんな手を取り合って協力しているんです……。派閥なんて……あるわけはないですが、コーデリア様とは懇意にしています」


「巫女だな」


 魔石売りは私の額に指を当てました。「大聖堂に派閥があるのなら、あの赤いのもどこかの派閥から指令を受けていたのかもしれん。その場合、あいつらが大聖堂全体の意思というわけではない。何者かが貴様らの失脚を狙って陰謀を企てているのかもしれない」


「で、ではどうしましょう?」


 振出しに戻ります。


「単純なことだ。奴らに捕まる前に真相を暴け」


「そんなことが可能なのでしょうか?」


「貴様がやらずとも貴様の親がやるだろう。娘が危機だと言うのに指をくわえて待っているような腑抜けた奴ではあるまい?」


「そ、そうですね!」


 私は手を叩きます。希望が湧いてきました。我がオブライエン家はそんじょそこらの貴族を越えた超貴族! その当主たるお父様が動けば大抵のことは何とかなります! ましてや娘の危機という未曽有の事態、お父様はあらゆる権能を使って私の潔白を証明してくださることでしょう!


「問題は事実が隠蔽されてしまうかもしれないということだ。現状を貴様の親父に伝えなければならない。報石アクタは持っているな?」


「もちろんです!」


 私は胸のポケットから長方形の白い石を取り出しました。この石はアクタという魔鉱石で、文字を刻めば契約をした相手の石にその文字を写してくれる大変便利な代物で、遠方との情報伝達を可能にします。私の報石はお父様との連絡用なので、お父様としか契約していません。


 私はさっそく文字を刻みました。


「どこか隠れる場所に心当たりはあるか?」


 私は首を振ります。


「ではオレが匿ってやる」


「どこに匿ってくださるの?」


「外画だ。奴らの目も多少は緩くなるはずだ」


 外区画の浮島……。よもや私がそんな場所に足を踏み入れることになろうとは……。しかしこの際、贅沢は言っていられません。


「書き終わりました」


 これで安心。


「よし」


 そう言うと、魔石売りは私の手からアクタをひったくりました。


「な、何をするのです!」


「余計な連絡をとられても面倒だからな。オレが預かっておく。契約印は……なんだ、工夫がないな」


「そんな勝手な……返してください!」


「喚くな。悪いようにはしない」


「そんなこと当たり前です! やっぱり私、下ります! 下ろして! 誰か、誰かぁ! 私を助けてください!」


「本当にやかましい奴だ」


 辟易したのか、魔石売りは仮面を外しました。


「助け――たす……」


 仮面の下から現れたのは、あまりにも美しいその素顔。思わず叫ぶのも忘れて、見惚れてしまいます。その時の私は、この美しい人は聖人様の使いに違いないと本気で思っていました。窮地の私を救ってくださるために聖人様に遣わされた使徒……。沈黙した私に満足したのか、魔石売りは仮面を被り直しました。


「えっと……あなたのお名前は?」


 その時になって、ようやく私は訊ねました。


「オレはルビウス。気安くルビーとでも呼ぶがいい」


「そうですか、ルビウス……。素敵なお名前……。わ、私は――」


「ルージュ・オブライエンだろう。先ほど馬鹿みたいな大声で名乗っていたじゃないか」


 そうなのです。ルビウスは私の叫びを聞いて、駆けつけてくれたのです。恐らく、他にも聞こえていた人はいたはずです。しかし教戒師の姿を見て逃げ出してしまったのでしょう。助けてくれたのはルビウスだけでした。本当は良い人なのかも……。


 そう考えた私はしょせん世間知らずの箱入り娘に過ぎないのでした。


 外の世界は私になど思いもよらない悪意に満ち満ちているのです。人が人を欺き、利用し、私欲を満たす。幸か不幸か、私はこれまで世界の綺麗な部分しか見ずに育って来ました。この人たちにとっては私を騙すことなど赤子の手をひねるよりもたやすいことなのです。ルビウスに連れられ、彼らの拠点に着いた時、私はそれを自覚しました。

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