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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第三章 ルージュの魔法
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幸運を呼ぶ赤色魔石

 私は路地を駆けていました。


 そのようなはしたない真似、普段の私ならば決していたしません。火急の事態においてさえ急いでいるところを見せてはならぬと育てられてきましたし、そもそも渡し舟の充実したこのシュアンでは走るよりも舟に乗った方が効率良く、わざわざ汗水たらして走る必要自体がないからです。


 そんな私ですから、もちろん理由もなく走っていたわけではありません。至極まっとうな理由があったのです。私は追われていました。三人もの赤い男女が私を捕らえようと全力を投じていたのでございます。そう、あの恐ろしい教戒師たちです。


 さて、どうしてだろうと考えます。


 もちろん私は彼らを刺激するような真似はしてはいませんし、また、教義に反するような行いをしたこともありません。朝の礼拝のために大聖堂に向かっていただけです。殿下と何をお話しすれば気に入ってもらえるのだろうと考えるのに夢中で、他の何も目に入っていませんでした。ふと気づいたら、彼らが私を囲んでいたのです。近くに人の姿がなかったこともあり、咄嗟に路地に逃げ込んでしまいました。


 まったくもって意味の分からない、理不尽な話でした。そもそも、教戒師がオブライエン家の者に教戒を与えようとすること自体がありえないことなのです。私の一族は代々大聖堂に仕えており、親族には聖職者ばかりが名を連ね、もちろん私も敬虔な信徒でございます。聖地最強の一族の私に、教戒師ごときが何を言うことがあるというのでしょう?



 一つ言い加えますと、その時に走っていたのは私だけでした。教戒師たちが走ることはありません。彼らはとてつもない早足で歩いていました。無表情の大股で私を追いかけて来る赤い禿頭とくとう集団。それがなおのこと私の恐怖を増大させたのです。もう頭は真っ白で、涙さえ流しながら私は走っていました。そんな調子ですから、簡単に袋小路に追い込まれてしまったのも仕方のないことだろうと思います。


 壁を背に、私は教戒師たちと向き合いました。舟が通れるように水路だけが先へと続いていましたが、泳ぐことのできない私には意味のない話でした。何よりも心臓が破裂してしまいそうで、それ以上は一歩も動くことができませんでした。私は深く息を吸い、呼吸を整えます。少し時間がかかりましたが、教戒師たちはブツブツと何かを呟きながら待ってくださいました。


「あ、あなたたち……私を一体誰だと思っているのですか? 私はオブライエン家の娘です。手を出せばどうなるのか分かっているのでしょうね?」


 虚勢を張って脅してみたのですが、教戒師たちは独り言ちるのに忙しいようで、ろくに返答もしてくださいませんでした。聖書を熱心に読み込むあまり、頭がおかしくなってしまった者の成れの果てが彼らであるとはよく言われておりますが、あながち間違いでもないようです。瞬きをほとんどしない目は血走り、瞳孔は開ききっていました。まともな人間ではありません。あるいは、他者と会話する術を持たないのかもしれません。そんなお馬鹿さんたちに付き合ってあげる筋合いはございませんから、私は意を決して声を張りました。


「どなたか、どなたかいませんか! 私を助けてください! ルージュ・オブライエンをお助けください!」


 私の大声は路地に反響し、やがては水の中に溶けてしまいました。誰一人として姿を現す者はいませんでした。何だか恥ずかしくなってしまい、コホンと咳ばらいをすると、再度教戒師たちを睨みつけます。何もなかった。いいですね?


 教戒師たちは私との距離を詰め、逃げ道を塞ぐように囲います。これ以上の抵抗は無駄だと、私は観念しました。弁明は大聖堂で。私の無実は明白です。この不躾な者たちは、コーデリア様にたっぷりと叱っていただこう……賢明な私はそう考えました。



 その時です。


「魔石はいらんかねぇ~」


 場の雰囲気にそぐわない、なんともおマヌケな声が聞こえて参りました。


 水路の向こうからやって来るのは、小舟にお乗りになった魔石売り。私たちの前で舟は停まります。魔石売りは仮面をお被りになった不思議なお方でした。美しい金色の髪が薄暗い中でも不思議と輝いていました。凛とした声は声変わりのない少年のもののようで、水路の端にまで届きそうなほど溌溂としていました。彼の足元には大量の透き通った赤い石が入った箱が置かれていました。


「さあさあ老いも若きもこれに注目、そっぽ向いてちゃ見るのは馬鹿だ!」


 木の棒でカンカンと箱を叩くと、大声で口上を述べます。


「世にめでたきは幸運を呼ぶ赤色せきしょく魔石! 艱難かんなん汝を玉にすなんて気長に待つのもまためでたいが、だけどこっちは頭の話! いっちょここらで一発逆転、負け犬人生はおさらばだ! 果ては貴族か王族かぁ? さあ待ったなし、ほしい奴は手を伸ばせ! 天まで届けと手を伸ばせ!」


 もちろん他に人の姿はございませんから、私たちに仰っていたようです。誰かが彼に言うべきだったのでしょう。場をわきまえろ、と。空気を読め、と。何故だかこちらの方が居た堪れなくなってしまいました。


「あのー……お一ついただきます」


 あまりにも不憫でしたので、つい私がお答えしました。教戒師たちときたら、ブツブツと呟いて我関せずを貫いているんですもの。


「これは麗しいお嬢さん! 魔石三つで300サーク! その綺麗な顔に免じて、今なら一つおまけしよう!」


 まあ、素敵!

 私はさっそく一つを受け取り、透き通った魔石を見つめました。綺麗……。


 ん……? 綺麗……? きれ……い……?


「何なのですか、これ。屑もいいところじゃないの。こんなものお金を払って購入するお馬鹿さんはいませんよ」


 あまりにも質の悪い魔石だったものですから、ついはしたなく声を荒げてしまいました。


「何も知らないと思っていらっしゃるのでしょうけれど、ごあいにく様。私は魔石集めを趣味としているの。良質な魔石集めをね。大方採掘現場かどこかで大量に手に入れたのでしょう。それが幸運を呼ぶですって? ふざけるのもいい加減にしなさい……! この聖地でこのような詐欺まがいの真似をするなんて、冒涜も甚だしいですわ……!」


「アッハッハ、怒るな怒るな。質の悪い魔石でも使いようによっては幸運を呼んでくれることもあるさ!」


「あなたの幸運は呼んでくださらないようですけれど」


 私の言葉通り、教戒師の一人が魔石売りへと向き直ります。そして、掌を彼に向けました。

 瞬間、赤色魔石が空を埋め尽くしました。


「そーれ」


 魔石売りは木箱の中身を教戒師たちにおぶちまけになると、素早く私に手を伸ばします。それから、「ついて来るか?」と、仰いました。


 まあ、なんと無礼な方でしょう!

 まずは膝をつき、手を取って首を垂れるのが礼儀でしょうに。そうすれば手の甲に接吻くらいは許してさしあげます。同じ無礼でもこの人について行くくらいなら、私は教戒師を選びます。


 頭では全力で拒否していたのですが、しかし私の身体は勝手に動いてしまいました。咄嗟に彼の手を握ってしまったのです。その後、何度も後悔することになるこの一瞬。人の一生とは刹那の選択の積み重ね。些細な判断でその後の人生が大きく変わってしまうこともあるのです。私たちは一瞬一瞬をもっと大事に生きなければなりません。今だから言える、そんなこと。


 魔石売りは私の手をしっかりと握ると、「そうこなくては!」と、愉し気な声を発しました。私の手を引き、小舟に乗ります。瞬間、何かを察した魔石売りは身をかがめました。背後の壁が爆発しました。瓦礫が飛び散り、水路に落ちます。教戒師たちは私たちに掌を向けていました。その時私は初めて気がつきました。彼らの掌には魔法陣が描かれていたのです。


「野蛮な奴らだ」


 そう言うと、魔石売りは路地の縁を蹴り、舟を動かしました。すぐに教戒師たちは壁の向こうへと消えて行きます。彼らが泳いでいるところを見たことはありませんでしたし、その分厚い聖衣は見るからに泳ぎに適していません。追いかけて来ることはできないはずです。これで安心と、私はホッと息を吐きました。


 その直後、壁が破壊されました。教戒師たちが煙の中から姿を現します。掌をこちらに向けたまま、早足で追いかけて来ました。水路にいくつもの水柱が上がります。私ごと舟を沈めようというかのようでした。これは判断を誤ってしまったと察しました。私を大聖堂の敵だと断定されてしまったのです。そんなつもりではありませんでしたから、慌てて舟から下りようとしました。


「しゃがんでろ!」


 魔石売りは私の頭を掴むと、床に押し付けました。背後で、民家の壁が吹き飛びました。彼が助けてくれなければ、私の身体も飛散していたことでしょう。命の恩人には違いないのですが、その時の私には魔石売りも教戒師もどちらも敵に見えていました。


「あそこまで恨みを買うとは、一体何をしたんだ?」


「まあ、失礼な! 何もしてなどいませんわ! 私を誰だと思っているのですか?」


「やかましい小娘だ」


 その時、舟はアーチ状の橋を通ります。「死にたくなければジッとしていろ」


 驚くべきことが起きました。魔石売りは路地へ降りると、なんと私ごと舟を持ち上げたのです。そのまま跳躍し、橋の上へと下り立ちました。何という怪力! そして何という身体能力!

 直後、教戒師たちは一斉に爆撃を開始しました。橋は爆破されてしまいます。私たちは空中に投げ出されました。魔石売りは咄嗟に橋の残骸を教戒師たちに向けて蹴ります。瓦礫が飛び散り、教戒師たちを襲いました。彼らは爆破で防ぎますが、その隙に魔石売りは舟底を支点にくるりと一回転して舟に乗り込んできました。まるで曲芸師です。というか、空を蹴っていたような……。着水するや、またも魔石売りは縁を蹴り、舟を推進させました。


 なおも早足で追いかけて来る教戒師たちでしたが、入り組んだ水路の多いこの聖地では舟の機動力に勝るものはなく、ついに振り切ることができました。


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