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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第二章 シュナの大火
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シュナとアテナ

 目を開けると、月が見下ろしていた。


 ここは一体……何がどうなった?


 私は舟の上にいた。アテナは……アテナは……? 

 ふと、左手に何かを握っていることに気がつく。誰かの手のようだ。それはとても冷たかったから、ギョッとして顔を向ける。


 アテナはいた。腕だけではなかったので、心底ほっとした。何とか起き上がり、アテナの口元に手を持っていく。ちゃんと呼吸をしていた。



 そこは湖の上だった。都市の光がずっと向こうに見える。月の光を浴びて輝く私の髪が、深い闇を仄かに照らしていた。


 その時、舟の近くで水面が盛り上がった。

 直後、水中から何かが飛び出した。

 月光に焼かれたそれは、勢いよく水面に叩きつけられる。舟が大きく揺られ、頭上から水しぶきが降り注ぐ。舟よりもはるかに大きな蛇のような怪物……シュラメだった。


「馬鹿な魚め。何もしないというのに噛みおって……」


 誰かが水中から顔を出す。ルビーだった。

 私に気づくと、「起きたか」と言った。


「え、ル、ルビーが――」


 驚きのあまり、言葉が続かない。ただ口をパクパクするだけになった。


「殴っただけさ。死んではいまい。恐らくな」


「た、助けてくれたの……?」


「そっちか。まあな。魚どもが別の方角に行ってしまったからな。もしかしてと思ったら……案の定、貴様らが下りて来た。命は大事にしろと言ったはずだ」


 ルビーはジロリと私を睨んだ。「オレの要件はまだ済んでいない。もう下りて来るなよ」


 そう言うと、再び潜ってしまった。

 私は呆然と見送ることしかできなかった。


 あの人は一体何者なのだろう? シュラメを倒せる人間なんて聞いたことがない……。湖底に用があると言っていたが、まさか底まで潜るつもり……? ワーミーとは、あんなにも常識外れの人たちなのだろうか?


 私はシュラメへと目を向ける。


 長い口に、びっしりと詰まる尖った牙。鱗はなく、ざらざらとした皮膚があるばかり。鉾舟の飾りとはまるで違う。格好良くも、美しくもない。ただ長い魚だ。私が売っている死んだ魚にもこんなのがいた。こんな魚が……私に似ている? こんな魚になりたいなんて私は思っていたの?


「ふっ」、思わず笑ってしまう。


 水の音が聞こえるたび、私は湖に潜った。闇の中に、シュラメたちの境界に沈んでいきたかった。そこだけが私を受け入れてくれる気がしたから……。


 でも、水の音はもう聞こえない。


 夜の湖は、無表情に私を見つめ返す。生まれて初めて、湖が怖いと思った。湖底の暗闇が、そこにある大きな目が恐ろしいと思った。怖くて怖くて震えが止まらなかった。


 私は生きている。この体には温かな血が流れている。私は生きているんだ。それがとにかく嬉しかった。私はもう、湖底を目指すことはないだろう。それだけは確かだった。


「ん……」


 その時、アテナが目を覚ました。私はアテナを抱き起し、顔にへばりついた前髪をとってやる。それから、頬をぺちぺちと二回叩いた。


 アテナはぼんやりとした目で私を見ていたが、すぐに大きく見開いた。


「シュナが……助けてくれたの……?」


「最初だけね」


 私は微笑む。


「どうして……助けたの……。私はもう……生きていちゃ――」


 震えるアテナを、私は抱き締める。


「ミラも本当はこうしたかったんだと思う」


 私のアテナへの想い。これは恋愛感情なんかじゃない。はっきりと断言できる。ルビーに感じた苦しくて泣きたくなるようで、それでいてじんわりと胸を温めてくれる心地のよさを感じない。


 それでも、私はアテナのことが大好き。それが心の全て。


 たとえ彼女の想いを受け止めることができなくても、理解することができなくても、それでも一緒にいたいと思う。生きていてほしいと思う。それはいけないことなのだろうか? そんなはずがない。ミラだって、ディフダを助けたかったはずなのだ。


「ごめんなさい、シュナ……ごめんなさい……」


「アテナがいないと、私は生きていけない。それはとっても不幸なことなの。アテナがどんなに悪い子でも、私は一緒にいたいんだ」


 彼女の髪を撫でながら、私は呟く。


「俺がお前を守るから。ずっとずっと、守るから。俺と一緒に生きてよ、アテナ」


 アテナは力なく私の背中に腕を回した。



 湖底にある死者の国で、ディフダとミラは仲良くやっているのだろうか?

 ルビーが上がってきたら聞いてみようと私は思った。


第二章 シュナの大火 完

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