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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第二章 シュナの大火
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夜の湖の目

 あれはいつのことだったろう。


 ディフダの役に決まった時だったと思う。私とアテナは一緒に舞台に出られる喜びを分かち合うため、この溜まりに来た。


 木漏れ日と水面の反射によるまだら模様の中で、私はアテナに言った。


「今まで誰も見たことのないディフダにするんだ!」


 アテナはパッと目を輝かせた。「たとえば?」


「ほら、ディフダが自殺する場面でさ、みんな笑うじゃん」


「そうね」


「あの場面から笑いを失くして涙を出させてやるんだよ。感動的なシーンにしてやる!」


「うわあ、それいい! シュナならできるよ! ディフダもきっと喜ぶわ。だって、今のままじゃあまりにも可哀想だもの」


「かわいそう?」、私は首を傾げた。「なんで?」


「なんでって……ディフダは自殺するほどに苦しんだのに、死後も笑われてるのよ。こんな残酷なことってある?」


「まあ確かにそうだよね。人が死ぬ悲しい場面なのにおかしいよね。でも、あいつ背信馬鹿野郎じゃん。嫌われ者だしさ、しょーがないんじゃないの?」


「可哀想とは思わない?」


「んー。そんなこと考えたことなかったなぁ。考えてみても……別に思わないなぁ」


「感動的にしたいって言ってたのは……」


「だってさ、その方がやりがいあんじゃんか。出ただけでも野次が飛んで来るんだよ? その分さ、上手く演じられた時の反響は凄いんじゃないかな。みんな驚くよ!」


「そう……。うん、そうだね」


 薄い笑みを浮かべるアテナの顔からは、まだら模様が無くなり、影に染まっていた。

 今思えば、あの後からだった。アテナが私にミラ役を譲ると言い出したのは。


 あの子はこんなにも分かりやすく示していたのに。



 いつだってそうだった。

 アテナは真っすぐに私を見ていた。


 ――だからね、お願い。私から……もう逃げないで。


 目を逸らしていたのは私だ。

 普段の彼女とは異なる、どこか影のある眼差し。

 二人だけでいる時、アテナはたまにそんな目で私を見ていた。


 私はその目を……貴族の目だと思っていた。


 アテナはどこかで私を馬鹿にしているんだろうって。

 私のことを見下しているんだろうって。

 私が劇をやめることになって、本当は喜んでるんだろうって。

 アテナのちょっとした態度で、私は勝手に傷ついていた。

 劣等感を膨らませて、あの子を恨んで……。


 キスされて、初めて気がついた。

 自分がとんでもない間違いをしていたことに。


 私の勘違いに、アテナも気づいていたんだ。でも、何もできなかった。だってそうだよね。どこまでいっても私は平民で、アテナは貴族だから。



 ――私の目を見て、シュナ。大好きって言って。



 逃げていたんだ、すっと。

 アテナのあの目が怖かったから。

 向き合うことができなかった。

 アテナがそんな子じゃないってことは、知っていたはずなのに。


 逃げる私に対してアテナができたことは。

 ただ、大好きでい続けることだけ。


 その結果が、あの舞台上でのキス。

 そして、この夜の湖。


 アテナはディフダの再現をすることで劇に幕を下ろそうとしているんだ。



 でもね、アテナも知っているでしょ?


 幕が閉じればカーテンコール。



 もう一度出て来い、馬鹿野郎。



 早く、早く。


 視力がようやく回復してきた。

 暗闇の中に、仄かに輝く光があった。私を誘うようにチラチラ瞬く小さな光。アテナが握っていた石に違いない。


 いた。

 腕を伸ばし、強く体を抱きしめる。後は上るだけ……。


 でも、ダメだ。

 全然上がれない。

 やはり、今日の私にはいつもの馬鹿力がない。それに服が水を吸っているため、アテナの体は鉛のように重かった。服を逃がそうにも息が続かない。他に重りでも入れているのではと服をまさぐり、ポケットに手を突っ込むと、チクッとした。痛っ。取り出してみると、今朝、私があげた冠だった。材料に釣り針を使ったことを後悔したが、それ以上に……。

 捨てろって言ったのに、馬鹿なやつ……。

 胸にグッとこみ上げるものがあった。いけない。感情的になっちゃダメだ。


 頭の中を空っぽにして、ただただ湖面へと上っていく。



 ふと、誰かの視線を感じた。

 まさか。


 周囲を見回す。境界はまだ下のはずだ。近くで何か巨大な物が身をくゆらせるのが見えた。アテナを抱く腕に力がこもる。その何かは私たちの周りをぐるりと一周すると、遠くに行った。しかしまたすぐに戻って来る。アテナの手から石を奪うと、光をかざした。闇の中にぎょろりとした巨大な目が現れた。私の前を通過し、暗黒の中に消えて行く。


 シュラメがいる。夜には上までやってくるのだろうか? とにかく、シュラメがいる。私を、アテナを食べるつもりだ。そう思った瞬間、私の胸から脳にかけて一気に炎が駆け上がる。


 再び、シュラメは私に接近して来る。私は冠を握り締め、巨大な目に釣り針を突き刺した。シュラメは激しく暴れた。死ね、この野郎っ! 死ね――。ひたすらに殴り続ける。長い胴体のどこに当たっているのか、そんなことはどうでもよかった。とにかくアテナを守りたかった。


 しかしその時、シュラメが大きく身をくゆらせた。尾の強烈な一撃を、もろに頭部に受けてしまった。意識が遠くなる。


 ああ、死ぬのだ。


 私はアテナを抱き締める。このまま湖底の闇の中へ……それとも、シュラメに食べられるのが早いだろうか? アテナと一緒なら、どこだって構わない。見えない手に引きずり込まれるように、私とアテナは沈んで行く。


 薄れる視界の中で、眩いばかりの光が闇を照らすのが見えた。その光は湖底からどんどんこっちに近づいて来る。


 聖人……様……?


 そして、私の意識は途切れた。


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