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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
序章 ルチルの巡礼
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晩餐会

 礼拝を終えると、大聖堂の一室に連れていかれる。


 迎賓の間は巡礼に訪れた王侯貴族のための部屋であり、瀟洒な家具で飾られていた。王城の私の部屋よりもよっぽど豪華だ。隣には寝室があり、聖地に滞在する間はここに泊まることになっている。王女らしく優雅な生活を送らせていただくとしよう。


「ほぉら、ふかふか!」


 ジャンヌは長椅子に寝転がり、嬉しそうに足をバタバタとした。


「やめろ。何歳だ」、すぐにルシエルがたしなめる。


「17じゃボケぇ」


「それでは、何かございましたら私の従者にお言いつけください」


 コーデリアはそう言うと、やはり測ったようなお辞儀をした。


「ところでコーデリア、あなたの娘はどこにいるの?」


 コーデリアは不審な顔をする。「殿下、私に娘はおりませんよ」


「へ?」


 思わず頓狂な声を上げてしまった。ジャンヌを叱っていたディオニカたちがこちらを向いた。「何を言っているの? 昔、お城に連れて来たでしょう。一緒に遊んだ記憶があるの」


 コーデリアは険しい顔のまま、フッと口角を上げる。


「殿下、不躾ながら申し上げます。何か、記憶違いをしていらっしゃるのではないでしょうか? 私は子供どころか、結婚の経験さえございません。無論、以前にお会いした際にも子供など連れて行ってはおりません」


 私はディオニカを見る。彼はコクリと肯いた。


「そう……だったのでしょうね。あなたと、他の誰かを勘違いしているみたい。おかしなことを言ってごめんなさい」


「いいえ。人と接見する機会の多い殿下なれば記憶の混濁は致し方のないものであると存じます。それでは失礼いたします」


 コーデリアは頭を下げると、部屋から出て行った。


「今の話、本当?」


 私が訊ねると、ディオニカは顎髭を撫でながら、


「はい。昔の事ではありますが……私も殿下の傍に控えておりましたから覚えています。殿下がお会いになったのはコーデリア殿だけです」と、言った。


「物覚えは良い方なんだけどな」


 私はコンコンと、自分の頭を叩く。うん、詰まってる。


 確かに覚えている。母親と同じように赤い髪をした子だった。もっともこのカルバンクルス王国は赤い髪や目をした人間がとても多い。貴族にもたくさんいるから、コーデリアの言う通り混濁している可能性もある。


「アハハ、ちっちゃい頃とはいえ、マスターに負けてるようじゃ記憶力が良いとは金輪際言えませんね!」


 ジャンヌはケラケラと笑うが、ディオニカの拳骨を頭部に受けて口をつぐんだ。


「あなたに言われたらお終いよ」


 私はそう言うと、ベッと舌を出した。


 窓へと向かい、外を眺める。市民たちが橋を渡り、大聖堂に入っているのが見えた。ふと、隅に立っている人たちの姿が目に留まる。そういえば、先ほど舟からも見かけた。男女問わずの禿頭で、赤い塗料を顔に塗っている。手も真っ赤だが、全身を赤く染めているのだろうか。衣服は闇のような黒の聖衣。怪しいどころの騒ぎではない。


「あの赤い顔の人たちは何?」と、ルシエルに訊ねる。


「え、赤い? どれどれ?」と、興味を示したジャンヌが覗きに来た。


「ほら、あそこ」と、私は指し示す。


「アハハ、何あれキモッ! あんなもんは不審者ですよ! 陽気に当てられた不審者に決まってます! それ以外ない!!」


「彼らは教戒師です」と、ルシエルが答えてくれた。


「何をしている人なの?」


「ゲブラーの言葉を遍く伝えるため、人々に教えを説いているのです」


「王都の伝道師みたいなものね。どうして呼び方が違うの?」


「彼らには伝道の他に、信仰の薄弱なる者に対する戒めの権利が認められているからです」


「戒め……?」


「はい。説教を行うそうですが、詳しいことは私にも分かりません。後で巫女様に話を伺っておきます。いずれにしても我々にとって害ある存在ではないですよ。私たちは敬虔な信徒ですから」


 そう言いつつ、ルシエルはジャンヌを横目で見る。


「なんでアタシを見てんのよ」


「お前には害かもしれないな。いや、お前が害なのか……」


「おおっとぉ、喧嘩の特売かぁ? 安いよ安いよぉ! よっし、買ったぁ!!」


「あんな人たちが街中に立っているんだ……」


 影の中に立ち、市井を見つめている彼らの姿は、私には人々を監視しているようにしか見えなかった。


 〇


 大きな屋敷の前で舟は停まった。

 貴族たちの居住は祭祀区画の近くに固まっているようで、サーベンス家の屋敷も大聖堂からそう離れていなかった。巨大な浮島を所有しており、敷地は一つの町みたいだった。聖地での力の大きさがうかがい知れる。


 この日は私の巡礼の達成、聖地到着を祝してサーベンスの屋敷で盛大な晩餐会が催された。シュアンの貴族たちが一堂に会する、それはもう豪華の粋を極めたような立派な祝宴だった。貴族たちは列をなして私に挨拶をくれる。幼い頃からもう慣れっことはいえ、やはり堅苦しい場は窮屈に感じてしまう。誰か変わってくれる人がいればいいのにな、と思う。


 ディオニカもまた貴族たちに囲まれていた。彼も私と同じで社交の場は嫌いなはずだが、貴族の出身だけあって物慣れた対応をしていた。ルシエルは貴婦人たちの人気を一身に集め、すっかり困り果てていた。ジャンヌはごちそうを食べるのに忙しいようで、そのあまりの食い意地を目の当たりにした紳士たちは呆れ果て、次々と眼中から消し去った。その分、私の列に加わる人が増えてしまう。後で叱ってやらないと。


 晩餐会には大司教様の姿もあった。彼の周囲には常に聖衣を身にまとった少年少女たちがいた。身の回りの世話を仰せつかった子供たちだという。年齢はバラバラだが、全員が整った顔をしていた。多くは貴族の子だということで、衆目を集める立場である以上、選りすぐりの美貌ということなのだろう。


 その中で、特に美しい一人の少女が私の方にやって来た。淡紅色の髪をした、清純という言葉を体現するような子だ。アテナ・ウィンストンと彼女は名乗った。


 この聖地には御三家と呼ばれる三つの名家があるそうだ。ウィンストン家、オブライエン家、そしてコーデリアのサーベンス家。巫女もこの三家の中から選定されるほど、聖地においては大きな影響力を持っているらしい。大聖堂を出た私に一番に挨拶に来たのも御三家の当主たちだった。


 アテナと話をしていると、すぐに割り込んで来る無礼な子がいた。暗いブロンドの髪をした、貴族らしいどこか過剰過ぎる気位を持った少女だった。私を前にして緊張を隠すことができないようで、上ずった声で名乗ったところではルージュ・オブライエンというらしい。二人とも十二歳で、私よりも一つ年上だった。


 アテナは明日から催される典礼劇に出演し、重要な役を演じるそうだ。大人しそうな見た目に違わず、人前で何かをするのはあまり好きではないが、劇だけは特別らしい。普段に己を律している分、抑圧された鬱憤と肥大した自己顕示欲を舞台の上で発散させるのだろうか。だとすると、彼女の演技は見る者を圧倒するような、真に迫ったものになるのかもしれない。これは楽しみだ。


 私が期待に胸を膨らませていると、やっぱりルージュが口を挟んで来る。劇に出るなんて別に特別なことではない、そもそも真に品位と知性を備えた貴族なら劇になんて出演しないし、観ようとも思わないはずだ。アテナは恥を知るべきだ――というようなことを言った。ここまで明らかな嫉妬を隠せない子も珍しい。私が観劇を趣味にしていると教えてあげると、サッと顔が青くなった。


 劇とは聖人様が我々に与えてくださった唯一にして最上の娯楽、そんなものに出られるアテナも最上で、観劇になる殿下もまた最上……同じ聖地の住人として最上のアテナが誇らしい……などとあまり要領を得ないことをむにゃむにゃと言い始めた。私とアテナは顔を見合わせて笑った。


 ルージュには修道院に入っている姉がいるそうだ。コーデリアの跡を継いで巫女となるのが確定しているといわれるほど、知己と容姿に恵まれた女性らしい。ルージュの浅薄としか呼べない言動は、偉大な姉と自分とを比較した焦燥の表れなのかもしれない。彼女を愚かと嘲ることができれば、私はもう少しまともな王女でいられるのだろうけれど……。私の胸には同情しか湧かなかった。


 ガチャンと、陶器の割れる音が辺りに響いた。


 何事かと見ると、床にまき散らされたスープの上に使用人が倒れていた。昼に水路に落ちた子だった。確かダリアと言ったか……。スープとカップだった物たちの上で呆然としていたダリアだったが、ようやく現実逃避の旅から帰って来たようで、みるみるその顔が青くなっていく。客たちは汚いものを見るような目でダリアを見て、公然と批判をした。


 そんな中、「ごめん、大丈夫だった?」と、声を上げた者がいた。


 ジャンヌだった。

 口の周りのソースを手の甲で拭いながらダリアに近づく。視線が集中する中、もったいぶって床に手を伸ばした。彼女は銀色の何かを手に取ると、宙にかざした。世紀の大発見を発表するかのごとく。


「ごめんねぇ、フォークがすっぽ抜けちゃって。驚かせちゃったね」


 ジャンヌはそう言うと、ためらうことなくスープの上に片膝をつき、ダリアを助け起こした。命の恩人に対するかのように頭を下げ続ける少女に、ジャンヌはケラケラと明るい笑みで応える。ダリアは他の使用人に連れて行かれ、場にはまた和やかな雰囲気が戻って来た。


「よかったぁ……」


 ほうっと、誰かが深く息を吐いた。


 私だけにしか聞こえないだろう小さな声。位置的にルージュかアテナだろうが、二人とも澄ました顔をしている。貴族社会の体現者のようなルージュが使用人の心配なんてするはずがないから、アテナなのだろう。貴族にしては珍しいほど心の綺麗な子だ。この子の真似をすれば、私ももっと素直な子になれるのだろうか? 

 いや、無理だろう。今さら純な少女の真似事をするには、私の性根はねじ曲がりすぎているから。


 難しい顔をしていたのだろうか。ふと顔を上げると、コーデリアが怪訝な顔で私を見ていた。


「いかがしました、殿下。お疲れになったのでしょうか。それとも、何かご不満が……?」


「いえ、少し考え事をしていただけです」


 私は小さく頭を振り、貴族たちへと愛想を振りまく仕事に戻った。



 宴もたけなわといったところで、私たちは屋敷を後にした。


 街灯が闇夜を明るく照らしていた。大聖堂から支給される魔力が、柱の先に据えられた灯石という魔鉱石を輝かせるのだ。魔法都市といわれる都市では、この街灯のように魔法による生活の利便化が行われている。この聖地にいたるまでの巡礼路も、一部は輝く魔鉱石によって造られていたので、巡礼者たちは夜でも道を見失うことなく旅ができる。魔法とはとても便利なものだ。それこそ文明の歩みを一気に進めてしまうほどに。


 しかしながら、私を含め、ほとんどの市民は魔法について理解などしていない。つまり、私たちは自分たちでもよく分からない力の上で日々の生活を送っているというわけだ。それがいかに危険なことか、みんな頭のどこかでは分かっているはずだ。でも、気づかないふりをしている。矛盾は私たちに何をもたらすのだろう。私には薄氷の上を歩いているような気がしてならない。



 大聖堂に戻り、もう一度礼拝をする。その後に入浴をし、就寝の準備を終える。


 寝室に入ると、窓から光が射しこんでいた。月の光の下では、私の髪は妖しく輝く。仄かに灯る火の眼も相まって、人からは今の私の姿は幻想的に見えることだろう。あるいは異様に。どちらでも同じだ。窓の傍に立ち、外を眺める。


 ドアがノックされる。ディオニカだ。


「それでは殿下、私は隣におりますので。何かあればお言いつけください。今夜はジャンヌをいかがします?」


「一応、ここに置いて。大丈夫だとは思うけど、何があるのか分からないから」


「かしこまりました」、ディオニカは振り返る。「おい」


「はーいよ」


 ジャンヌが部屋の中に入って来た。「ふっふっふ。もう大丈夫ですよ、殿下ちゃん。今夜もお眠りになるまでお姉さんが見ていてあげますからねー。安心してお休みください」


「今夜こそは静かにしてね。あなたずっと話しかけて来るんだもん」


「分かってますって」


 ジャンヌは窓に寄りかかり、外を眺める。


 私はいそいそとベッドに横になる。柔らかな感触に、疲労が這うように上ってくるのを感じた。


「それでは殿下、おやすみなさいませ」

「うん、おやすみ」


 私が深く目を閉じると、ディオニカは静かにドアを閉めた。


 カッと目を見開く。


「さてさて」


 ジャンヌはこちらを見ると、ニヤリと笑みを浮かべた。「今夜はどうするのかな、いけないお姫様?」


 私はバッと布団を蹴り上げる。「分かりきったことを聞かないで」


 道中手に入れた平民の服に着替え、フードをしっかり頭からかぶった。


 視察の時間だ。


 聖地の誇る美麗な街並みは十分に堪能させてもらった。噂に違わぬ美観、美しい物以外を排除した作られた街。私が見たいのはその裏側だ。聖地が隠しているもの。私に見られては都合の悪いもの。巡礼の途中にも、私たちはよく寝床を抜け出した。夜の街をさまよっていると、目を覆いたくなるような光景をたくさん目にした。


 でも、それこそが本当のこの国の姿。私が本当に見なければならないものたち。


 貧困街にいる、貧相な姿をした人たち。疲れ果てた農民たち。生きるのに絶望した子供たち……。


 この聖地にも、きっとそういう場所があり、そういう人たちがいるはずなのだ。


「抜け道は検討をつけときました。さすがに警備は厳しいですけど……まあアタシなら余裕ですよ、余裕」


「信頼してる」


「では、出発!」


 窓を開けるや、ジャンヌは私を抱えて飛び降りた。

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