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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第二章 シュナの大火
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ルビーという少年

 私は一人その場に残り、はあと息を吐いた。


 きっと、本気で言ってるんだろうな。


 だからこそ、辛かった。無防備な腹をいきなりぶん殴られたような……。今すぐに泳ぎたい気分だった。


 ゴポ……ゴポ……ゴポゴポ……。


「安い劇を見せられた」


 頭上から声がした。


 見上げると、屋根に仮面を被った男が寝そべっているではないか。全く気がつかなかった。もしかして、全部見られていたの?


 仮面の男はゆっくりと起き上がると、飛び降りる。私の前に着地すると、赤い髪がブワッと揺れた。仮面についている偽物の髪だ。


「それ、ゲブラーの本番用の仮面じゃないの? 勝手につけていいの?」


「気にするな」と、彼は言った。


「気にするなって……」


「オレはルビウス。気安くルビーとでも呼ぶがいい。麗しいお姫様」


 お姫様……。この私がお姫様? 皮肉っぽい。もしかして喧嘩を売られているのだろうか。殴っちゃおうかな。


「それで、ルビー。どうしてここにいるの? 一応関係者しか入れないことになってんだけど」


「そんなことはどうでもいい。それよりお姫様よ」


「それやめろ。馬鹿にしてんだろ」


 ギロリと睨みつけてやる。「私は死んだ魚を売る人。お姫様とか言われても嬉しくないんだよ」


 凄みを利かせた低い声で言ってみたが、ルビーは動じなかった。


「ふーん、魚売りねぇ……。そうは見えないが……」


「あ、もしかして魔術師の人?」


「どうしてそう思う?」


「傲慢で気障だから」


「アハハ」、ルビーは乾いた笑い声を出した。「いーや、オレは役者だよ」


「へえ、何の役するの?」


「オレはいつも主役しかやらないんだ」


「つまり?」


「ゲブラーだよ」


 そんなわけないでしょ。私はプッと噴き出してしまう。「アハハ、だから仮面被ってるんだ。後でちゃんと返しなよ」


 役者か……。


 私はじっくりとルビーを見る。


 身長はアテナよりもちょっと高いくらい。まだ声変わりもしていないことから、子供だということは分かる。私と同い年か、少し上くらいだろう。大事な舞台道具を勝手に持ち去り、女の子二人の会話を特等席で盗み見る下品極まるそのふざけた態度……嫌いじゃないぜ。人間としては最低だと思うが、劇で主役を張るつもりならそのくらいの我の強さは必要だと私は思う。その内誰かにぶん殴られるだろうけど。



 不意に、影にのまれる。

 振り返ると、ぎょろりと大きな目が私を見ていた。何だこの野郎。


 目の前の水路を鉾舟が通り過ぎた。鉾にはシュラメを模した飾りがつけられていた。まん丸の目玉、裂けた口にギザギザの歯、長い胴体はびっしりと鱗で覆われており、カッコいい。今朝の事を思い出す。湖の闇の中で動いた何か……。あの時、こんな化物が目の前にいたのだろうか。ちょっと怖いね。


「前から気になっていたが、あの蛇はなんだ?」と、ルビーが訊いた。


「蛇じゃないよ。シュラメっていう湖にいる魚。とぉっても狂暴なの。私の母ちゃんなんか、足食べられちゃったんだから。こーんなに大きいの!」


 私はうわーっと両手を広げる。おわーっ!


「へえ、湖にそんなのがいるのか」


 ルビーは興味を持ったようだった。私が湖に詳しいと知るやもっと話を聞きたがったので、私たちはその場に腰を下ろした。ルビーは聞き上手だったので、ついつい必要のないことまで話してしまう。私が湖底を目指して泳いでいると話すと感心してくれた。


「それでさ、私をシュラメって呼ぶ人もいるんだぁ。よく似てるから」


「そんな獰猛な魚にか? 似ているところを探す方が難しいと思うがな」


「人は見かけによらないんだよ。私って怒りっぽいんだから。まあ手が早いと言った方が正解かな。本っ気で怒ったら頭の中が真っ白になっちゃってさ。気がつけば相手が転がってるってことがあるんだよ。自分でも抑えが利かなくなっちゃうの。だからみんな怖がっちゃってね~。私、めちゃくちゃ強いんだから!」


「ふーん、確かに人は見かけだけでは分からんな」


 そんな他愛のないことを話しているうちに、私はすっかりルビーを信頼してしまっていた。こんなに上手に相槌が打てる人間が悪い奴のわけがないのだ。


「よいしょっと」

 私は立ち上がると、伸びをする。「ルビーってさ、文字読める?」


「読めるが」


「よかった。じゃあさ、ちょっとついて来て」


「いやだが」


「だめぇ」


 ルビーの腕を掴むと、立ち上がらせる。



 私とルビーは外通路を通って都市に出た。


 すぐに話し声に包まれる。大聖堂に面した一角は大通りと呼ばれ、多くの人が集まる場所だ。露店が並び、その数だけ商売人たちの元気な声が聞こえて来た。


 ハニカム商会の刻印をしている者も多い。彼らは変に特権意識を持っているため、都市のギルドに対してとても失礼なことをする。死んだ魚を売っている私に、お前の魚は鮮度が悪いだの、食中毒を起こしただの事実無根の中傷をして邪魔してくる。その都度全員ぶん殴って来たが、そろそろ問題になりそうなので大嫌いだ。


 通りの先には広場がある。そこには真っ白な石が置いてあり、人が集まっていた。報石アクタという魔鉱石を加工したもので、福音板エヴァクタという。都市で起きた事件や、重要なお知らせがあると文字が浮かび上がって来る。福音という割には悪い知らせの方が多いのが特徴だ。


「なるほど、これを読んでほしかったのか」


「うん。いつもは友達が読んでくれるんだけどさ」


 内容は、オブライエン家の娘の行方がようとして知れないことや、大聖堂で行われている聖行事の進捗情報、王女様の近況に、今夜の劇についてのお知らせだった。


「ワーミーが現れたって話はないの?」


「ああ、どこにもないな」


「そうかぁ。今日はまだ現れてないのかな。どこに隠れてんだろ」


 毎年、聖週間は旅芸人などが押し寄せ、聖地を賑やかにしてくれる。それが、今年はワーミーという魔法集団が現れたおかげで、市民の話題は彼ら一色となっていた。


「ワーミーを探しているのか?」


「うん。ここのところ毎日現れてさ、魔法の芸を披露してんじゃん。私、あれ好きなんだ」


 ワーミーたちはどこからともなく現れ、突発的に魔法を披露してみんなを魅了した後、教戒師に追われて風のように去って行く。異教の徒である彼らを受け入れることは背信行為なのだけど、見ちゃダメというのは要するに絶対見ろってことで、彼らの出没情報を耳にすると、市民たちは現実をほっぽり出して駆け参じるのが当たり前になっている。


「アギオス教信者のくせにそんなことを言って大丈夫なのか?」


「大丈夫じゃないの? ああ、教戒師たちのこと言ってる?」


 私は周囲を見回す。人でごった返した広場には、赤い顔の人の姿はない。もちろんどこかにはいるのだろうが。


 赤い顔をした教戒師は市民の会話を盗み聞きし、大聖堂にちくってしまういけすかない奴ら。馬鹿。アホ。見かけるたびにぶん殴りたくなるのだが、さすがに審問にかけられたくはないので我慢してやっている。


「内緒話ってさ、誰もいない場所を探すより、人ごみの中の方が逆に聞かれにくいんだよ。それに、みんな本当はワーミー好きだからね。大聖堂も分かってるよ。だから大丈夫」


「危ない奴だなぁ」


 私に呆れるルビーの声も、すぐに群衆の中へと埋もれて消える。



 人々の声に押されるように、私たちは路地に入った。やがて、辺りには広壮な邸宅が並ぶようになる。この先は最奥区画とか貴族界とか言われる場所だ。


 最奥区画に住む貴族ともなると、屋敷はけた外れに大きい。中でも御三家と呼ばれる名家なんかは、屋敷だけで一つの浮島を占拠している。アテナのウィンストン家もその内の一つだ。

 徹底して人目を避け、私たちは歩く。広大なウィンストン家の浮島は侵入するまでが大変だが、入ってしまえば警備の死角は教わっているのでむしろ楽ちんだった。


 しばらく進むと、水路を挟んで、鉄の柵で覆われた小さな区画があった。木々の葉で覆われているため、外からは中は見えない。しかし一か所だけ、柵が壊れている場所がある。私は柵を外し、中に入る。ルビーが後に続く。元に戻せば、もう大丈夫。誰に見られることもない。


「ここは?」


「ひひっ。秘密の場所」


 そこには四角い溜まりがあった。木で囲まれた空間で、水面にはたくさんの葉っぱが浮かんでいたが、端っこに追いやられている。たまに、溜まりの中心から外へと波が広がることがあるのだ。中心には一本の柱が立っていて、水中に沈むその根元部分にはオブジェのようなものがあり、淡い光を発していた。


「あれは……魔導石か?」


「そうだよぉ。この浮島の魔導石」


 大聖堂から放出される魔力を受け取るのが、この魔導石だ。浮島を動かしたり、灯石に光を灯したりと、都市に様々な魔法をかける。アテナによれば、この魔導石はウィンストン家に魔力を供給しているのだという。


「それで? どうしてオレをここに連れて来た?」


「泳ぎたくなっちゃったから」


 私はニッと笑った。


「ふむ?」、ルビーは首を傾げる。


 ここは、私とアテナの特別な場所だった。


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