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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第二章 シュナの大火
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今は亡きディフダ

 私は手を叩き、アテナの演技に応える。


「うん、もう完璧だ! 良いもん見せてもらったよ! 大満足!」


「そうかしら……」


 アテナは浮かない顔をする。あくまでも心配なのだろう、頬に手を当て、首を傾げる。


「大丈夫だよ! 昨日だってみんな褒めてくれたじゃん!」


「昨日は少しだけしか出てないもの。台詞の量が全然違うわ。それに……」


 アテナは私の手をギュッと握った。「シュナはどう思った?」


 額にしわを寄せ、食い入るように私の顔を見つめて来る。少しでも変化があればそこから心の奥底まで見通してやる……そんな気概が感じられた。本当に不安で仕方ないのだろう。まったくもう、この子は。これほどまでの演技ができるのに、一体何を心配することがあるのだろう? 自分がどんなに上手なのか、自分では気がつかないものなのだろうか? なんだかもどかしくなってくる。


 私はアテナの手を強く握り返した。


「とっても良かったって思う! 嘘じゃない! 心の底からそう思う! アテナは自分で思っている以上に上手だよ! 私、ミラはこんな人だったんだなぁって思ったもん! だから絶対に今日も大丈夫だよ! アテナは凄い人なんだから!」


 そう言うと、有無を言わさず彼女を抱き締める。

 私の取り柄といえば、どんなことにも物怖じしない胆力だけ。これを少しでもアテナに分けてあげたい。体を寄せれば移ってくれないかな? 移れ、移れ、私の度胸。アテナの心臓に毛を生やせ。


「ありがとう」


 アテナもまた、私の背中に腕を回す。

 声の調子から、彼女が落ち着いてくれたのが分かる。できる限り、不安は一緒に分かち合いたい。逆の立場なら、アテナもきっと同じことをしてくれるだろうから。


 しばらくの間、アテナの背中を撫でていた。もう大丈夫だろう。離れようとしたが、しかし背中に回された腕には思ったよりも力が込められており、動けなかった。


 おや。


「あの、アテナ……。暑い気がするんだけど……」


「シュナとくっついてると、安心するの。もう少しだけこのままでいさせて……」


「それならいいけど……」


 甘えん坊……?



 ふと、昨日のことを思い出した。


「そう言えばさ、占いの結果はどうだったの?」


「え?」


 アテナは顔を上げ、きょとんとして私を見た。


「昨日のお昼頃、占い師のテントに入ってたでしょ? 今日の事、占ってもらったんじゃないの~?」


「み、見てたの……?」


 アテナの顔が瞬時に朱に染まる。


「舟でたまたま通りかかってさ。アテナも占いになんて頼るんだねぇ。なんか意外~。まあ聖週間だからねぇ」


 不思議なことに、彼女の顔はみるみる蒼白になっていった。もしかして知られたくなかったのかもとようやく思い当たった時、アテナはキッと鋭い目で私を睨んだ。


「そんなの、私の勝手でしょ!」


 そう言うや、アテナは両手で私を突き飛ばした。


 アテナの小突きなんて軽い軽い。いつもならたとえ助走をつけて蹴られたところで微動だにしないのだけれど、やはり今日はふんばりがきかなかった。そのまま尻餅をついてしまう。

 こんな馬鹿な事が……。最近あんまり眠れてないから、力が入らないのだろうか? それとも……。私はゆっくりと顔を上げる。


 アテナは驚きと、明らかな後悔らしき表情を顔に浮かべていたが、謝ることなく、ぷいとそっぽを向いてしまった。それでも手を差し出し、起き上がるのを手伝ってくれる。


 ちょいちょいと頬を突いてみる。「怒った? 怒った?」


「怒ってないけど……」


「アテナ、もしかして最近体鍛えてる?」


「ねえ、シュナ……」


 私の質問を無視して、ぽつりと呟くようにアテナが言った。


「なぁに?」


「劇団に戻って来てよ。私……またシュナと一緒にやりたいの」


 沈黙。


 アテナの体は小刻みに震えていた。私は下唇を噛む。どうしても額にしわができてしまう。


 私たちは暗黙の了解でこの話題を避けていた。アイツ以外のことでは唯一、私が不機嫌になる話題だから。もう答えは出ているのに、同じことを何度も聞いてどうなるというのか。演劇はもうやめた。二度と劇団に戻るつもりはない。これは確かなことだ。団員たちと付き合い、観劇するだけで十分なんだ。


「無理でしょ。劇団って、お金ちょっとしかくれないし……私はさ、ほら働かなくちゃいけないから、時間がね。それに、私はもう満足したもん。十分楽しめたから、もういいんだ」


「シュナは本当にやりたくないの? 今だって、あんなに上手なのに……。私、シュナの演技大好きなんだよ。本当なら今日のミラだって、シュナが演じるはずだったのに……!」


「違うよ」


 私はゆっくりと頭を振った。「アテナが誰よりもミラにふさわしいから選ばれたの。そんなのさ、当たり前のことでしょ?」


 私が演じるはずだったのは、ディフダ。


 ミラの侍従で、お友達。でも困ったことにミラに恋をしてしまう。


 同性愛を固く禁じているアギオス教において、湖に身を投げて命を捨てるディフダは禁断の想いを抱く信者への警告そのものだ。当然、市民からはとっても嫌われており、彼女が出るだけで猛烈なブーイングが発生する。そういう愉快な役だ。


 ミラを演じられないのは確かに残念ではあった。しかし、複雑な心情を抱えるからこそ、高いレベルの演技が要求されるディフダは、やりがいのある役でもあった。何より、ミラを演じるのはアテナだ。私の全力の演技をぶつけるのに、これ以上ふさわしい相手がいようか? 彼女ならば私の演技を真正面から受け止め、より高いレベルへと昇華してくれるはず。きっとあのコーデリア様のような素晴らしいミラになるだろう。言うなれば、それは私とアテナの共同作業だった。二人の力を合わせて、コーデリア様を超えるのだ。


 私はかつてなく意気込んでいたのだが、そんな折、アテナがミラを辞退しようとしているという話が耳に入って来た。


 この劇団で一番演技が上手いのは、シュナ。大人を合わせても誰も敵わない。シュナがミラを演じるべきだ。彼女と私の役を交換してほしい――。アテナは団長にそう進言したそうだ。


 確かに、私の演技を評価してくれる人もいたし、ミラに推してくれる人も少なからずいた。ダイアさんとか。私自身、ミラを演じられるものならもちろん演じたかった。幼年時代のミラとはいえ、ミラ役は生涯変わることはない。今回、幼年のミラを新たに決めることになったのも、長年演じていたカレンが今年から大人のミラを演じることになったからだ。


 団長は言ったそうだ。シュナの才能は確かに抜きんでているが、しかしそれだけでミラに選ぶことはできない。一番演技の上手い者が主役を演じられるわけではない――。


「私が貴族でシュナが平民だから、私はミラに選ばれたんですか?」


 アテナは本気で怒っていたそうだ。


 みんな知っている。ウィンストン家は劇団に多額の寄付をしている。それは愛娘がいるからで、彼らはアテナが少しでも良い役を得ることを望んでいる。嫌われ者で自殺する同性愛者の役なんて言語道断だ。わざわざ言葉にする必要もなかったろうに、アテナは言葉にした。団長は無言で答えた。その話を聞いた私は、久しぶりに湖に泳ぎに行った。


 小さな頃から一緒にいるから、知っている。アテナがどんなにミラを演じることを夢見ていたか。あの日のコーデリア様に想い焦がれていたか。でも、アテナは優しいから。その想いを心の奥深くに押し込め、私にミラを譲ろうとしているのだ。


 私は一人途方に暮れるしかなかった。


 馬鹿な私でも分かる。ミラを演じることが何を意味するのか。

 この聖地で一番有名な女の子になり、輝かしい未来への階段を一足飛びで駆け上がることができる。


 キラキラと眩い光が、まるで誘惑するように頭上で輝いていた。アテナが生まれた時から持っている物を、私も手に入れることができるんだ。私はゆっくりと手を伸ばした。光が手に届きそうになったちょうどその時……あの事件が起きた。


 私はもう劇団にはいられなくなった。



 私の退団で、事態は驚くほど丸く収まった。団長はとても残念がってくれたが、同時に感謝しているようでもあった。「ごめんなさい……」、アテナは言った。ミラ役でのゴタゴタが、原因の一端だと思っているらしかった。否定はしたけれど、未だに彼女は自分にも責任があると思っている。それが私を苛立たせる。だから、互いに何も言わないことにした。


 私が去るのと同時に、ディフダ役は廃止されてしまったらしい。王女様がご観覧なさるのに、少女が自殺をするというのはいかがなものかと問題になったそうだ。今さらな話だとは思うが、結果として脚本からディフダの存在は削除されてしまった。嗚呼、可哀想なディフダちゃん。女のくせにミラに恋したお前が悪い。


 私は死んだ魚を売って回る仕事に戻った。ギルドから回される魚たちを売って日銭を稼ぐ毎日は、私が何者だったのかを思い出させてくれる。あの魔石のように輝いた素晴らしき日々は、今では遠い昔のよう。私にかけられた魔法は解けてしまった。


 泣き出しそうなアテナに、私は満面の笑みを送った。


「私はね、見たいんだよ。アテナのミラ。知らないみたいだから言うけど、私、アテナの一番のファンなんだから! コーデリア様みたいなすっごいミラを演じられるのはアテナだけだよ」


「私だって、私だってシュナの……」


 しかし、アテナの口から続く言葉は出て来なかった。


「ひひっ。とぉっても楽しみにしてるよ!」


 私はもう一度、しっかりとアテナを抱きしめた。

 おずおずとではあったが、アテナも応えてくれた。


 その時だった。

 扉が勢いよく開いた。


「ミラー、そろそろ衣装に着替えてほしいんだけどー」


 現れたのは、バンダナを頭につけた女の子だった。私たちに気づくとハタと動きを止め、興味深げに見つめて来る。それから、「わあ、仲いいんだぁ」と、ニコニコ笑った。


 こんな人いたっけ?


 聖週間では臨時に人を雇っているため、見ない顔の人が増えてはいるが……それでも昨日は確かにいなかったはず……。


「分かりました」


 アテナは名残惜し気に私から離れた。まだ何か言いたげにこちらを見ていたが、私が手を振ると、微笑を浮かべる。「また後で」。そう言い残し、女の子と一緒に中に入って行った。


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