天賦の才能
舞台裏は、背景美術や備品なんかでごった返した煩雑な空間となっていた。
団員たちは最終確認に余念がないようで、私たちの相手をしてくれる余裕もないらしい。そのまま奥へと歩く。
楽屋の一つに魔術師たちが集まり、談笑していた。彼らは二つのグループに別れていた。劇団専属の者と、新たに雇われた者たち。不思議なことに新参者たちの態度が大きく、長椅子を占領してしまっている。雑談しているのはこの人たちだけだ。専属の魔術師たちは肩身が狭そうに隅っこにいて、床に腰掛けたり壁にもたれたりしてひたすらに譜読みをしていた。
偉そうな態度を見るに、どこかの有名な魔術師の一団だったりするのだろうか? 王女様が観るのだからありえる話だが、しかし昨日はいなかったはずだ。どうして二日目の今日から参加しているのだろう? 連劇の途中で魔術師団を変更するなんて前代未聞だ。でも、前代未聞なことは大好きだ。
新参者たちはアテナに気づくと、手招きする。アテナの反応を見るに、顔なじみのようだった。貴族ってやつぁ本当に顔が広い。
これから本番を迎える女優に対して大胆にも口説き始めるふざけた野郎もいたが、アテナの対応は見事だった。寄って来る男たちを巧みにかわしては、優しく頭を撫でている。本当に私と同い年なの? いかに魔術師といえど、並の者では彼女に抱きついてもらったりはしてもらえないだろう。
私にはしてくれるけどね。へへん。
馬鹿みたいな優越感に浸りながら部屋の隅っこで仲間外れになっていると、何をとち狂ったのか、魔術師たちは私にまで話しかけて来た。さすがは聖週間、みんな頭がおかしくなっているのだなぁ。
やけに体格の良い人に連れられ、輪の中に入れてもらう。物怖じすることができない私は、すぐに一番話をしている人になる。彼らの話は存外に面白く、とても盛り上がった。私がお腹を抱えて笑っていると、アテナに腕を引かれる。彼女は笑みを浮かべてはいたが、若干強張っているようにみえた。
「それでは、これで失礼します」と、アテナは頭を下げる。「あなた方は素晴らしい魔法を、私たちは素晴らしい演技を。互いに全力を出し切り、素晴らしい劇にしましょう」
「任せときなよ」
眼鏡をかけた男の人がいった。
アテナは私の手を取ると、裏口の扉から外に出た。その先には水路に面した外通路があり、都市に通じている。二人になるには丁度いい空間のため、私たちはよくこの場所で稽古をしていた。
「なんか嬉しそうだったね」
ぽつりとアテナは言った。なんだか棘のある言い方だった。
「え、そうかなぁ? 魔術師と話すなんて初めてだったからかな。面白い人たちだねぇ」
いかに貴族に取り入るかを常時考えている彼らは、平民の私なんて眼中に入れてくれないのだ。話しかけても無視されるのが常だったから、貴重な経験をさせてもらった。
私の手を握るアテナの力が強くなる。
「シュナはあの人たちと話しちゃダメ」
背中を向けているため顔は見えないが、怒っているみたいだった。
「どーして?」
「怖い人たちだから」
どういう意味かを尋ねようとしたその時、アテナはくるりと振り向いた。それから、この話はこれでおしまいとばかりに手を叩く。
「さ、じゃあやりましょう!」
そう言うと、彼女は演技の確認を始めた。
アテナは場面ごとに、私に助言を求める。基本的に私は褒めるだけだ。アテナの演技は本当に素晴らしく、私に言うことなんてないからだ。
「あなたを朱に染め上げるその血よりも、私は尊いというのですか? それはあまりにも残酷です!」
おや。
私は顎に手を当てる。
アテナの意図は分かる。感情を可能な限り高め、声を張るその演技は観客たちに向けたもの。観客たちの同情を誘い、感情移入させる。それでこそ次のゲブラーの言葉が響くというもの……。昨日までの私も、きっと同じ演技をしたはずだ。だが今この瞬間、アテナのミラを見て、別のイメージが湧いてしまった。
「いいえ、違う、断じて違う! この血の一滴と、私の血は等価であるはず! 私は今日、ここで命を失うべきだったのです。どうして邪魔をしてしまったの……!」
アテナは言葉を言い終わると、チラリと私を見る。
「思ったんだけどさ……ミラはゲブラーのこと嫌いだけど本当は好きで、だけど好きでいるためには嫌いじゃなきゃっていう演技だよね、ここ」
と、私は言った。
「……うん」
頭で少しばかり思案し、アテナは肯く。
「じゃあさ、ここは二人だけの世界を作るべきなんじゃないかな。劇とか観客とかみんな忘れちゃって、ただゲブラーに向けて言うの。どう説明すればいいかなぁ、最初はもうちょっと抑えてさ、段々と興奮していって……抑えが利かなくなる感じ? 違うか……。ほら、天気が悪くなってさ、穏やかだった湖が荒れる日があるじゃない? そういう日に潜るとさ、水中で平和と暴力がビンタし合ってて面白いんだよ。あんな感じ」
「ほら、じゃないよ。全然意味が分からない」
アテナは呆れたように言った。「今さらそんな難しいこと言う? リハーサルでは褒めてくれたくせに。いじわる」
「急に思いついちゃって」
アテナは頬に手を当て、思案する。
余計なことを言ってしまったのかと心配してしまう。
アテナは長い時間をかけて演技プランを練り上げ、そこから外れる演技はしない。台本を徹底して読み込み、演出家と話し合い、その意図そして舞台背景や歴史を入念に調べ上げる。もっと遊びを入れた方が演技にも幅が出るんじゃないかとは思うけど、その周到さがあるからこそ、アテナは演じる人物に完璧になり切ってしまう。私にはとても真似できない。
私はよく台本を無視した。文字が読めないからというのもあるが、一番は堅苦しいのが嫌いだったからだ。私はアドリブを多用することで自分の演じるキャラクターを作り上げていた。でも、毎回演技が変わるからみんなを困らせた。演出家のダイアさんは真っ向から私を否定し、頻繁に暴力を振るった……言葉の。私もまた暴力で応えた……演技の。私たちは激しく殴り合い、ついに分かり合えたのだった。演出家が味方になればこちらのもので、誰にも文句は言われなかった。
アテナとはまるで正反対だったけれど、不思議と舞台上の相性はばっちりだった。今思えばアテナが合わせてくれていたのだろうが、それだけではなく、互いに足りない部分を上手に補えていたのかもしれない。
私の助言は、アテナを困惑させてしまったようだった。平和と暴力のビンタ合戦……上手い例えだと思ったんだけど……。イメージが掴めないのだろう。
アテナは恨めしそうに私を見る。「シュナ、ちょっとやってみてよ」
「いいけど……」
毎日毎日練習に付き合わされるものだから、私まですっかりミラの台詞を覚えてしまっていた。
私はコホンと咳払いすると、目をつむる。
心の中で、ポッと小さな火が灯った。
再び目を開けた時、私の中にはミラがいた。
「ゲブラー、あなたの身体は炎のように赤い。あなたを朱に染め上げるその血よりも、私は尊いと言うの?」
溢れる感情を理性によって押さえつける。
ここで取り乱しては私の言葉はゲブラーに真に通じないから。
しかし、それでも心の揺れは微かな声の震えとなって漏れ出してしまう。
初めは違和感程度に。
徐々に震えは大きくなって――。
「それはあまりにも残酷です!」、声を張る。
思わず外れてしまう理性のタガ。
でもそれは一瞬だ。
ここでビンタ!
「いいえ、違う。断じて違う。この血の一滴と、私の血は等価であるはず」
お返しにこっちもビンタ!
「私は今日、ここで命を失うべきだったのです! どうして邪魔をしてしまったの……」
消え入りそうな声でそう言うと、私は胸を手で押さえる。
目に溜まった涙が頬を伝い、ぽろりと地面に落ちた。
「……ごめん、ちょっとオーバーだったかも」
涙を拭い、私はアテナへと顔を向ける。
アテナは目を丸くして私を見ていた。
ポカンと大きく口を開けている。こんなに呆けた彼女の顔はめったに見ることができない。口に手を突っ込みたい衝動にかられた。怒るかな? そりゃ怒るよ。彼女のプランとはまるで異なる演技に、かえって混乱させてしまったのではと心配になった。すると、アテナは嬉しそうにほほ笑んだ。
「今の、すごくよかったよシュナ。私、なんだかミラのこと分かった気がする」
「そう? よかったぁ」
「それじゃ、次なんだけど……」
そのまま、最後まで終えた。




