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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第二章 シュナの大火
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劇場浮島

「あ」


 通りを歩いていると、アテナが声を上げた。彼女は路地を見ていた。水路に舟が浮かんでいる。その巨体を視界に入れた瞬間、私はアテナの手を握り、駆け出した。


 一区画分走ったところで、


「止まって、シュナ、止まって!」


 私はアテナの手を離す。


「もう、急に走らないでよ」


 アテナは胸に手を当て、息を整える。


「ごめん」


 私はそう言うと、地面の石ころを蹴る。


「そろそろ仲直りしたら?」


 私の肩に手を置き、顔をうかがいながらアテナは言った。


「アイツはやっちゃいけねーことをやっちまった。絶対赦さないんだ」


「もう過ぎたことよ。教戒は受けているし、何より劇団は無事に本番を迎えているんだから」


「赦したら絶対アイツはまた同じことやる! 動物と同じなんだからあんなの! 駆除しろよ大聖堂!」


「だって、シュナの方が苦しんでるじゃない。昨日はどこに泊まったの? また野宿?」


「うん」


「仲直りしようよ。私も協力するから」


「やだ。ギルドの宿舎で飯は食えるし、風呂も入れるもん。だから別にいいんだもん」


「よくないの。もう限界なんだってば」


「絶対に嫌だッ! あのクソ野郎がッ!」


 思い出しても腹が立ったので、つい壁を殴ってしまった。


「痛っ!」

 潰れたのは壁ではなく、私の拳だった。「え……?」


 痛む手をブンブンと振っていると、アテナが包み込むようにして握った。


「誰もシュナを責めてなんかいないよ」


「知ってるよ」


 だからこそ。


「赦しちゃいけないんだよ」



 中区画を歩いていると、浮島が動き出した。島はコースを変え、違う区画に行こうとする。冗談じゃない。


 すると、立派な建物がある区画が向こうからやって来るのが見えた。


「あの建物……なんとか会議所の近くにあるやつじゃない?」


「ええ、そうね」


 よっしゃ。

 私たちの島には渡し場があり、桟橋が突き出ていた。浮島と桟橋が限りなく近づいた時を見計らい、私はアテナの手を握ると、浮島へと飛び移った。


「また無茶して!」


「無茶ってさ、大抵無茶じゃないんだよ。やらないだけで」


「できるかできないかではなくて、思いついてもやってはいけないことを私は無茶と言っているんです」


「こりゃ失礼しました」


 浮島の移動速度の方が歩くよりも早い。このまま大聖堂の近辺まで行ってくれるはずなので、かなり時間を短縮できるだろう。怒られてもやる価値はある。これで遅刻の分は取り返したはずだ。


「そう言えばさ、アテナってどうやって外画に来たの?」


「もちろん舟で」


 きっと、従者に送ってもらったのだろう。


「私がもう少し早く帰ってたら、ここまで舟で来れてたのかぁ。ごめんね」


「ううん、都市を見て回れて楽しいもの。シュナと一緒に」


 最後の言葉を強調し、アテナは微笑んだ。う、美しい……。


「それに……どのみち、舟では帰れなかっただろうし」


「どういうこと?」


「ないしょっ!」


 そう言うと、アテナはペロリと舌を出した。きゃ、きゃわいい……。



 楕円形に近い巨大な石造りの建物が見えて来た。劇場だ。丸いのには理由があって、舞台演出に使われる紫色魔法の煙を隅々まで行き渡らせるためだが、遠くから見ると大きな卵みたい。拳で天井をぶち割ってみたいと思わない日はない。


 私のいた劇団――本当は朱聖一座とかなんとか言ったはずだが、誰もそんな変な名では呼ばない。市民からも劇団員からもシュアン劇団と親しみを込めて呼ばれており、聖地の劇団らしく主として典礼劇を演じる。


 かつては聖職者たちの手によって布教の目的で行われていた典礼劇だけど、今では娯楽を目的に市民の手によって行われている。聖週間では毎年、『ゲブラーの大火』が公演されている。聖人ゲブラーの生涯を描いた五日間に渡る大作で、面白いんだなぁこれが。


 劇場を越えてしばらくすると、島は動きを止めた。橋が架かり、都市と繋がった。


 私たちは橋を渡り、区画を一つ下って劇場に向かう。劇場の外には、既に列ができていた。指定席をとれない貧乏――いや、平民たちだ。アテナに気がつくと、歓声が上がった。彼女は気恥ずかしそうに手を振って応えていたが、最後には私の影に隠れてしまった。愛くるしい彼女の姿に、みんなにっこりした。これで舞台の上ではあんなに堂々としているのだから驚いちゃうね。


 貧乏人たちに見送られながら、私たちは正面入り口から中に入った。玄関ロビーは四つの入り口に通じている。階段を上がった先の三つと、正面の一つ。そのまま正面の大扉を通る。


 扉の先は平土間だ。最奥にある舞台を見て、私は思わず声を上げる。


「広いっ!」


 飛び出す観客席を見上げる。今は一人もいないけど、あと数時間で無数のお客さんでいっぱいになってしまうのだ。


「でっかーい!」


 興奮する私に、「何を今さら」と、アテナは呆れたように言った。


「ひひっ、そうだけどぉ」


 舞台の正面にある平土間は平民たちの場所で、外画の人々はここに立って観劇をする。壁から生えている三階建ての観客席は貴族たちの場所だ。観客席の層は、そのまま都市の区画と重なっている。最上階は最奥画の住人や聖職者たちの、二階は内画、そして一階は中画の住人たちが座るのだ。


 舞台の上では美術さんたちが作業をしていた。彼らに挨拶しながら、私たちは舞台裏へと向かった。


 すぐに立派な口ひげを蓄えたおっさんがパンを食べながら近づいて来る。団長だ。昔は整っていたという噂の顔は脂肪のせいでパンパンに膨らんでおり、どこを探しても見る影がない。団長のくせに演技があまり上手ではなく、団員たちからはお飾りとからかわれている始末。だから、どちらかといえば裏方に回ることの方が多い。団員たち全員の状態を常に把握している管理力の高さ、人の感性を見極めて配役する独特の観察眼は舞台上よりも裏でこそ活きる才能だと思う、とアテナは褒めていた(裏でこそ、を少しばかり強調して)。私は舞台の上の団長が好きだけど。彼の演技はパンチが効いてる。


「今日は頼むよ、アテナ」


「安心してください。きっと歴代でも一番のミラになりますよ」


 アテナはニコリとほほ笑んだ。自信に裏打ちされた笑顔。貴族の子たちはよく同じ顔をする。高等教育による高い能力に加え、家柄までが自分の力に加算されるのだから、自信に満ち溢れるのは当然のことだろう。


「よおシュナ、もう来たのか……」


 私を見て、ちょっと嫌そうに団長は言った。


「うん、来たぁ」


「大人しくしといてくれよ。お前、昨日セット壊したって聞いたぞ」


「つまずいたら欠けちゃっただけだよ」


「頼むから今日はつまずくな。お前は馬鹿力なんだぞ、自覚してくれ」


 今にも泣きそうな顔で団長は言った。本当にすぐ顔に出る。


「はぁい」


 仲違いしたわけではないから、劇団をやめた後でも団員たちは私に優しく接してくれる。舞台裏にも自由に入ることもできるし、観覧席も用意してくれる。いつでも戻って来いとさえ言ってくれる。


 だから私はこの劇団が、みんなが大好きだったし、なおさらアイツのことを赦すことができない。


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