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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第二章 シュナの大火
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魚売りと貴族の娘

 動く島を湖から見るため、たくさんの舟が浮かんでいた。巡礼者や観光客だろう。


 多分、動き出した時は興奮していたんだろうけど、その熱狂の火は既に小さくなっているようで、全員が全員、退屈そうに島を見つめている。都市に戻ることもできずにぷかぷか浮かんでいるだけの人たち。ゴミのようだ。


 暇人たちを遠巻きにしながら、私は島へと接近する。浮島はまだ動いていなかった。間に合った。


 私の所属する漁業ギルドは外画にある。湖で漁を行い、それを都市で売りさばくのが基本的な仕事だが、荷物運びや人の渡しなど、舟を使う仕事は手広く受け持っている。都市のギルドの中では最大の規模を誇り、外画の住人の多くはここに所属している。というか、所属させられている。他に選択肢なんてないから。


 波止場に着くと、舟は全部揚げられていた。


 桟橋の上に一人の少女が立っているのが見えた。


 綺麗な淡紅色の髪をした、いかにも清純を思わせる子で、遠くからでも分かるほど端正な顔立ちをしている。むさ苦しいおっさんばかりの桟橋で、彼女の周囲だけ爽やかな風が吹いているようだった。


「おーい!」


 私が手を振ると彼女は笑顔で振り返してくれるが、ふと思い出したようにふくれっ面になった。そのまま手を腰まで下ろし、ジッと睨みつけてくる。怒っているのだ。


 橋に舟を寄せると、彼女も歩いてついて来る。


「ちょっと、シュナ! また沖に出ていたの?」


「うん、気持ちよかったよぉ」と、私は答える。


「それは結構なことだけど! 私との約束忘れちゃったの?」


「忘れてないよぉ。ちゃんと帰って来たでしょ?」


「ちゃんとっていうのは時間厳守した人だけが使っていい言葉なの!」


 ぷんすかしている少女の周囲に、わらわらとおっさんたちが集まって来た。


「戻って来たか、クソガキ!」


 少女を押し退け、おっさんの中のおっさん、親方は身を乗り出して私を睨みつけた。


「てめえこの野郎、勝手に舟出しやがって。どうなるのか分かってんだろうな」


 そう言うと、ぽきぽきと指を鳴らした。


「どうなるというのです?」


 ずいっと少女がおっさんの壁を割って前に出て来る。


「え?」


「どうなるというのです?」


 少女は繰り返した。ニコニコと人好きのする笑顔を浮かべ、親方の前に立つ。


「えっと、だからよ……」


 親方は困ったように隣のおっさんを見て、目を逸らされると、ぽりぽりと頭を掻いた。巨漢の親方がなんだか小さく見えた。「まあ……叱られるわけだな」と、時間をかけた割には至極当然なことを言った。


「では、今叱ってあげてください」


「え?」


 少女は無言で私に手を向ける。「どうぞ」


「ああ……いかんぞ、シュナ。勝手に舟を出したらよ、心配しちゃうだろ。もうすんなよ」


「はーい、ごめんなさーい」


 私が頭を下げると、「うむ」と厳かに言った。それから近くのおっさんに、「早く揚げてやれ」と言うと、他のおっさんたちを連れて去って行った。


 残ったおっさんたちが滑車を使い、私ごと舟を揚げてくれた。


 舟から下りると、私は少女に飛びつく。


「ありがとね、アテナ」


 耳元でそう言うと、固い彼女の顔は簡単に崩れてしまう。ちょろい奴よ。


「それでは、シュナお借りします」


 アテナは近くのおっさんに声をかけた。


「ああ……。そのまま買い取ってくれてもいいぜ」


 おっさんは面白いことを言った。


「いいんですか?」と、アテナは笑顔で答えた。


「いいわけないでしょ」


 肩を小突くと、私にだけ見えるように舌を出した。そのまま彼女に腕を引かれ、私たちはおっさんの巣窟から逃げ出した。


 彼女は私の親友、アテナ・ウィンストン。


 最奥区画に住む貴族の中の貴族、名門ウィンストン家の娘だ。


 聖地の女の子の中でもとりわけ整った顔をしていて、頭もよく、身分の区別なく誰にでも優しい。つまりは完璧という奴で、そんな子が放っておかれるはずもなく、まだ十二歳だというのに結婚の申し込みが殺到しているそうだ。本来ならば外画に生息している平民の私が触れ合っていい人間ではない。その証拠に、アテナと出会ってからというもの、幾度となく貴族たちから二度と近づかないようにと忠告、あるいは脅迫されてきた。


 周囲から人がいなくなると、アテナは立ち止まった。そしてポーチから何かを取り出す。

 花冠だった。色とりどりの花が使われたとても立派な冠で、一朝一夕に作れるものではないことは見れば分かる。


 私もポケットに押し込んでいたものを取り出す。ハネズヒソウで作られた花冠。湖に浮かんでいたのを拾った。舟で天日干しにしていたので、すっかり乾いている。少々出来は悪いが、まあ、私が作ったのよりは上等だろう。アテナは私の冠を見つめると、小首を傾げる。


「これ、本当にシュナが作った?」


 鋭すぎやしないかい。


「湖で拾った」と、私は素直に白状する。


「ふーん」と、アテナは薄い笑みを浮かべた。「作ってくれなかったんだ。私だけ頑張っちゃったなぁ」


 目が怖いぞ。仕方なく、私はもう一つのポケットをまさぐる。


「一応作ったんだけどさぁ」


 紐やら釣り具の針やらで作った冠――これ、冠? 今朝、舟で漂いながら頑張って作った。アテナの花冠とは比べたくもない酷い代物だった。拾った奴の方がよっぽどいいのに。しかし、アテナは一瞬の沈黙の後、とても喜んでくれた。いい子だ……。


 私たちは相手の頭に冠を被せ合う。アテナの冠は少し大きかったが、私の頭にちゃんと載った。正面に来るようにハネズヒソウがあしらわれており、手が込んでいる。対して私の冠は持つだけで歪み、小顔のアテナの頭にさえ入らないほど小さく、挙句には針が髪の毛に絡まる始末。しばらく奮闘していたが、結局アテナは被るのを諦めた。


「投げて遊んでよ」


 私がそう言うと、アテナは頭を振る。「大事にするね」


「今日中に捨てて」と、私は言った。


 これが私たちの全て。


 貴族と平民だけど、それも大貴族と野垂れた貧乏人だけど、当たり前に友達だ。おかしいのは本人たちが一番分かっているんだから、放っておいてくれればいいのに。どいつもこいつも、余計なお世話を焼きたがる。


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