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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
序章 ルチルの巡礼
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大聖堂

 丘を下ると市門があった。

 人々は門を通る前に検査を受けているようだった。危険物の所持などを調べているのもあるが、ゲブラー派の洗礼を受けた者と、それ以外の者を分けているのだと言う。都市の魔法に適応するためだそうだが、ずいぶんと厳重な検査だった。もちろん私は形式的なもので済み、すぐに通される。


 提道には女性を先頭とした集団がいた。お揃いの赤い聖衣に身を包んでいるところを見るに、ゲブラー派の聖職者のようだった。私たちが近づくと、女性は深く首を垂れる。くすんだ赤色の髪をした人で、背中に矯正器具でも入れているのではと思えるほど背筋がピンとしている。いかにも厳格を思わせ、顔に浮かんでいる薄い笑みもとってつけたもののように思える。普段笑わない人が無理してひっつけている笑顔だ。


「お待ちしておりました、ルチル殿下。巡礼のご達成、シュアン市民もろとも心よりのお祝いと歓迎を申し上げます」


 彼女はそう言うと、再度深く頭を下げた。計測したようにきっちりとしたお辞儀だった。


「あなたは?」


「コーデリア・サーベンスと申します。この聖地においては赤の巫女を務めさせていただいております」


 巫女とは聖人様の託宣を授かる特別な女性のことだ。聖人領であるこのシュアンでは、大司教に並ぶ権能を有していると聞く。


「あなたが巫女……では、以前お城でお会いしたことがあるかしら」


「覚えておられますか?」、コーデリアは硬い顔で言った。


「いいえ、ごめんなさい。まだ小さかったから……」


 赤の巫女が挨拶に来たことは覚えているが、顔までは覚えていなかった。たしか、私と年頃の似た娘がいたはずだ。一緒に遊んだことを覚えている。


「殿下、不肖ながら本日は私めが聖地のご案内をさせていただきたく存じます」


「よろしく」


「それでは早速ですが大聖堂へと皆様をお連れいたします」


「浮島が動いていたけど、大丈夫なの?」


「ええ、先ほど移動は完了致しました。浮島の回遊は聖地の名物とされています。殿下にぜひともお見せしたかった。いかがでしたでしょうか」


「ええ、とても素晴らしかったわ。感動してしまったもの」


 なるほど、私たちがあの丘を通るのに合わせて都市を動かしていたのだ。私はまんまと心を掴まれてしまったというわけだ。なかなかできる……。

 

 馬をコーデリアの侍従に預け、舟に乗り込んだ。幅の広い提道は、間に水路が走っていた。この水路は大聖堂まで直通で、訪れた巡礼者はみんなここで舟に乗るのだとコーデリアは説明した。舟は縦に細長く、湾曲した変わった形をしている。大聖堂専用の舟は一回り大きく、豪華に装飾がされていた。私はディオニカと並んで腰かける。背後に座るジャンヌとルシエルは、いまだに口喧嘩を続けていた。

 

 すぐに舟が出た。


 都市の中に入ると、空に花火が上がった。それとともに花吹雪が舞い、私たちの頭上から降り注いだ。ぼこぼこと水面が盛り上がり、一斉に噴き上がった。水は七色に変化し、やがて無数の鳥へと形を変え、空へと飛び上がった。魔法都市の名に違わぬ素敵な歓迎だった。


「ルチル殿下、ばんざーい!!」


 市民たちが水路に並び、総出で迎えてくれた。ディオニカとルシエルは手を上げたり、余所行きの笑みを浮かべたりして人々の声に応えていた。ジャンヌでさえニヤニヤとどこか皮肉的ではあるが、笑っていた。私も初めこそ口角を上げ、手を振っていたけれど、心情との乖離を自覚すればするほどに心の内が冷めていくのを感じた。ちゃんと笑えているのか、それだけが心配だった。


 その時、何かが水路に落ちた。飛沫が横から舟を襲った。身を乗り出して水路を見てみると、バシャバシャと水面でもがいている者が。女の子だ。すぐに水面が盛り上がり、少女の体が浮かび上がる。ジャンヌが手を伸ばし、舟の上に引っ張り上げた。


「ちょっと、何なの? 濡れちゃったじゃない!」


 思わず憤慨してしまった。ハッとして周囲を見ると、コーデリアたちが顔面蒼白で見ているのに気がついた。ふむ。


 すぐに、「申し訳ございません!」。コーデリアとその侍従たちが勢いよく頭を下げた。「私の屋敷の使用人でございます。本当に鈍くさい子でございまして……」


「名前は?」

 ジャンヌの足の間に座らされ、タオルで髪を拭かれている少女に向け、私は言う。


「ダリアです」と、コーデリアが答えた。


 ダリアはブルブル震えていた。貧相な子で、見ているだけで哀れを誘う。年頃は私と同じくらいだろうか。何か言おうと思ったが、これ以上怖がらせるのは酷に思えた。市民たちは息をのんで成り行きを見守っている。


 やれやれ。私はため息を吐くと、ダリアの手を取る。


「まあ、何て優しい子なの。水に飛び込んでまで私を歓迎してくれるのね」


 私がそう言うと、市民たちは笑い、手を叩いた。



 舟は再び動いた。

 水路をしばらく進むと、聖ゲブラー大聖堂の塔が見えて来た。

 街から大聖堂には橋が渡っている。現在は通行止めにされてあり、市民たちは橋の手前で見送ってくれた。ダリアも下ろされてしまった。


 祭祀区画に入った途端、都市の喧騒は消え去り、重みのある深い空気が私を包み込んだ。そういう魔法が施されているのだろう、突然の静寂に一瞬耳が痛んだ。私たちは船着き場で舟を下り、大聖堂へと歩いて向かった。

 

 聖ゲブラー大聖堂は無数の尖塔が空へと伸びる荘厳な建物だった。中央に巨大な一本の塔が伸びていて、まるで天を衝く剣のようである。その力強い外観は、数多くの勇猛な伝説を持つゲブラーを模しているかのようだ。王都のエリュテイア城やポーテスタス大聖堂とはまた異なる美しさをしていた。


 意外にも、胸が熱くなった。これまでの旅の苦労を思い――大したものではないけれど、それでも苦労は苦労だ――それなりに達成感を味わうことができた。


 ディオニカはチラリと私の顔をうかがう。またも涙腺が緩んだのか、慌てて手で顔を押さえた。ジャンヌは大きく伸びをして、ルシエルの裏腿に鋭い蹴りを入れると、気持ちよさそうにカラカラと笑った。ルシエルは塔を見上げ、目を輝かせていた。極度の陶酔のため、ジャンヌの蹴りにも気がついていないようだ。


 

 大聖堂の内部に入ると、大司教様が迎えてくれた。ふっくらとした優しそうな老人で、一つの単語ごとに空白を開けるのんびりとした話し方をする人だった。小さな子供に人気が出そうだな、と思った。


「ルチル殿下、今回の聖行事へのご参加、誠に感謝いたします。シュアンの民たちも喜んでいることでしょう」


 聖週間と呼ばれる聖誕祭までの五日間は、聖堂で様々な行事が行われる。洗身式に始まり、花冠の儀、洗心式、徹夜祭、そして聖誕祭。私はその全てに参加することになっていた。


「王国に生を受けた者として敬聖は当然のことです。喜んで参加させていただきます」


 私はそう言うと、感じが良いと自分で思っている笑みを浮かべた。表面だけでは心の中まで読めないのが人間のいいところだと思う。


 左右に巨大なアーチが続く、長い廊下を歩く。端にはたくさんの彫像が並び、私たちを迎えてくれる。世にも珍しい魔石でできた彫刻で、等身大で生々しいポーズをとっている彼らは今にも動き出しそうに見えた。これこそが匠の業と呼ばれるものなのだろう。


 薔薇窓と呼ばれる円形のステンドグラスからは、身震いしてしまうほどの穢れ無き光が射しこんでいた。その厳かな美は、まるで聖界に足を踏み入れたかのよう。文字の読めない民衆が聖人様の偉大さを理解できるよう、技術と敬虔を惜しみなくつぎ込んだ集大成がこの大聖堂なのだ。


 私たちは膝をつき、礼拝を済ませる。


 使徒たちの遺体はこの大聖堂に眠っているという話だが、聖人の遺体はここにはないと聞いた。なんでも、彼の遺体はいまだに発見されていないらしい。そのため赤の聖人の生涯には様々な尾ひれがついている。カルバンクルス王家に入り込んだとか、辺境の領主になったとか、何たらの丘に眠っているとか……。貴族たちが自分の血統を誇示するのにゲブラーを利用したこともあり、もはや収拾不能になっている。私に聖人様の血が流れているのが事実なら、こりゃめでたいと小躍りせざるを得ないが、悲しいかな、生まれてこの方自分に聖なる部分なんて感じたことはない。実際、現在は大本山のハルマテナ皝国こうこくによる見解が支持されており、聖人の遺体は当時の一般の人々と同じように湖葬されてしまったとされている。


疑わしい伝説の多いゲブラーだが、その剣は語り継がれている通りの威容を誇っていた。ゲブラーの剣は内陣の台座に突き刺さっていた。大司教様の許可を得て、私たちは可能な限り近くまで接近し、食い入るように眺めた。

 

 聖剣は長い歴史の流れを感じさせない、妖美な輝きを維持していた。湖を切り裂き、王国に害なす数多の巨悪を討った聖剣バーミリオン。私たちが今日も平和でいられるのもこの子のおかげである。感謝、感謝。


 ディオニカは「ほう、これがかの有名な……」などと口では冷静を装いつつ、弟子のルシエルと共にすっかり子供のようにはしゃいでいた。バーミリオンは剣身に多種の魔法陣が刻まれており、魔法マニアのルシエルは当然その効力もご存じのようで、早口で蘊蓄を語っていた。誰も聞いていないのに。ジャンヌは装飾品の彩鮮やかな魔石に魅入っていた。「一つくらいなくなっても……」、などと不穏なことを口走るものだから、大司教様が目を光らせていた。


「この剣に触れたものは命を吸われてしまう、という話は本当なのですか?」

 と、ルシエルは大司教様に尋ねた。


「ええ、本当です」

 大司教様はこくりと頷いた。口笛を吹きながら剣に手を伸ばしかけていたジャンヌが、素早く手をひっこめた。


「なにそれ。聖剣は呪われてるの?」と、ジャンヌ。


「呪いといえば、そうかもしれません。聖剣の力の源は、持ち主の生体活力と言われています。そのため、力のない者がこの剣を手に取ると、急速に消耗してしまうのです。過去に何人もの力自慢の者たちが聖剣に手をかけました。しかし、一人としてこの台座から抜けた者はおりません。この台座に剣を刺したのは聖人様で、彼が剣を手放したその日から今日に至るまで、変わらぬままにここにあるのです」


「へえ……」


 みんな、感心して剣を見つめる。話を聞いた後では、その美しい輝きに思わず背筋が冷たくなってしまう。この剣は、聖人様だけを主と認めているんだ。そして、待っているのかもしれない。彼に匹敵する力を持った者が現れる、その時を……。


 嫌な予感がした。

 そんな話を聞いてしまえば、黙っていられない人がいたような。


「なるほどね……」

 大きな息を吐き、ジャンヌは言った。「ずいぶん待たせちゃったわね、聖剣ちゃん。このアタシがアンタの新たな主人よ!」


 意気揚々と台座へと接近するジャンヌを、慌ててディオニカとルシエルが止める。荘厳な聖堂も、彼らの手にかかれば酔いに乱れた酒場に様変わり。それは聖人様に申し訳ないから、私は他人だと断言できるだけの距離をとった。


 厳かな空気をまとったまま、私は聖堂の中を見回した。

 いくつもの太い柱が地の底から伸び、天井を突き破っている。外観から見えていた尖塔だろう。大聖堂の中にはたくさんの彫像があったが、内陣の中にある巨大な聖人像が最もよくできているように思う。他の彫像のように魔石ではなく、白い石でできていた。聖人様の肩には大きな鳥がとまり、翼を広げている。彼を聖地に導いた赤い鳥だ。王国を象徴する存在で、王家の紋章にも使われている。


 近くまで行き、正面からじっくりと眺める。

 何だか懐かしいような、不思議な感じがした。王都にあるゲブラー像の記憶に引っ張られているからだろうか? それにしてはあまり似てはいないけれど。ゲブラー像は大抵凛々しい顔をしているが、本当にこんな人だったのだろうか。峻厳と呼ばれた人だ。あるいは、もっと怖い顔をしていたかもしれない。


「聖ゲブラーの像ですね」


 いつの間にかコーデリアが私の隣で像を見上げていた。その顔には、明らかな恍惚があった。さすがは聖地だ。ここの住人たちは聖人に対する尊敬の度合いが私たちとは違うのだろう。


「この像は聖人様の魂が宿っているといわれています。聖ゲブラーはこの像を通して聖界から人々を見守っているのです。幸運にも彼の目に留まった者は何らかの奇跡を体験する……と言い伝えられています」


「奇跡? それは一体なに?」


「さあ、私には分かりません」


 コーデリアはゆっくりと頭を振る。「なにぶん、そのようなものを体験したことも、体験した方とお会いしたこともございませんので。言い伝えは所詮言い伝えに過ぎません。人々の願望の集合体……彼らは大聖堂に多くのものを求め過ぎているのです」


 なるほど、リアリストというわけだ。聖人は崇拝するが、彼の奇跡など信じてはいない。現実において寄りかかるものとして宗教を傍に置いているのだ。ゲブラーに対する崇拝も、信仰というよりは勇猛な伝説の数々を物語として愛しているだけなのかもしれない。


「巫女とは聖人様に選ばれる存在だと聞いたことがあります。あなたもそうなのでしょう?」


 私が訊ねると、コーデリアは口の端を歪ませる。笑っているらしい。


「もちろんその通りでございます。しかし見ようによっては、私はゲブラー派の長老様方に選ばれたと言うこともできるでしょう」


 それはまあ、そうでしょうね。

 聖地を支えているという長老たち。実際に巫女を選定するのは彼らという話だ。

 笑っていいのか分からなかったので、とりあえず難しい顔をして頷いておいた。


「いずれにしても、聖人様はあなた様を見ています。いついかなる時も」と、コーデリアは言った。


 もう一度、聖人様の顔を見つめる。彼は相変わらずの怖い顔をしていたが、しかし今ではどこか頼りないものに見えた。


 この巨像が虚像であるならば、私は誰に祈ればいいの?


 ……誰でもいいのだ。言い伝えに縋っても、自分が望む人間にはなれない。祈りで手を塞がれてしまっては、理想を掴むことはできないから。結局のところ、頼れるのは聖人様ではなく自分自身だということだ。


 私は像に背を向ける。

 私の弱さは、全てこの聖地に置いて行ってやる。


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