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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第一章 ダリアの花冠
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大爆発

 私たちは聖域を出て、屋敷へと帰る。

 互いに無言で、床を歩く音だけが辺りに響いた。


 何も視界に入らなかった。

 喉が締め付けられたようで、声を上げることすらできない。

 助けを求めようにも、そんなことを考える意志さえ私の中からは消えていた。


 屋敷の扉を開けると、玄関ロビーに使用人たちが集合していた。

 みな、緊張を隠さず、背筋を正して直立している。ご主人様を出迎える常の姿だ。

 私は無言で彼らを見たが、顔を逸らされてしまう。


 一定の速度で歩くコーデリア様の後を、私はフラフラとついて行く。

 もはや頭は真っ白で、何も考えることができない。

 恐怖が頭にぎっしりと詰まり、気が狂いそうだった。


 笑顔の母も、ジャンヌ様もどこにもいなかった。


 西棟へとやって来ると、廊下を一番奥まで歩く。そこには貯蔵庫があるが、床には落とし戸がある。地下牢への入り口だ。


「入れ」


 コーデリア様は落とし戸を上げると、私に下りるように促した。地下のすえたような臭いが鼻につく。体が震える。


 言われた通り、階段を下りる。地下室は狭い空間で、壁がくり抜かれ、その中に祭壇のようなものがある。昔は何かを祀っていたのかも知れないが、今は誰かを断罪するための道具が置いてあるばかり。真っ暗な中を一番下まで降りると、すぐにコーデリア様も下りて来た。彼女は灯石を持っており、壁の金具に設置する。灯石の仄かな灯りが地下室を照らした。


 彼女は祭壇の鞭を手に取った。


「あんな小娘に媚を売ってどうするつもりだ」


 蔑みを込めた目で私を見る。「奴らが聖地を去るまで、お前はここに入っていろ」


「はあ……はあ……」


 息が荒くなる。


「服を脱いで壁に手を付けろ」


 指の震えが止まらないため、脱ぐのに苦労する。


「本当に王都に行けると思ったか。淡い期待を持たせて残酷な女だな」


「ふぅ……ふぅ……」


 ブラウスの閉じ紐を一つ一つ解いて行く。早く、早く脱がなきゃ……。


「今後、聖地の外の人間と口をきくことを禁じる。将来において何かになれると想像することも禁じる。お前は一生この屋敷で生活を送る。生涯にわたり、私が罰するためだけに存在することをしかと受け入れろ。まだ脱げないのか?」


 ダメだ、ほどけない。紐がほどけない。服が脱げない。怒られる、怒られる、怒られる。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。


「辛いなどと思うなよ。これは義務だ。お前の血は穢れている。定期的に出してやらなければいつまで経っても穢れた人間のままなのだ。巫女として聖地を汚す真似を許すわけにはいかない。分かっているな?」


「は、はい……」


「何が分かった? 言ってみろ」


「わ、わ、私は……ダリアは、け、け、汚れた人間でございます。い、い、卑しい卑しい人間でございます……。コ、コーデリア様がいなければ、聖地を、け、汚してしまう人間でございます。こ、こ、この聖地で暮らせるようにし、してくださるコーデリア様には、か、感謝しています」


 声を震わせつつも、何とか最後まで言うことができた。私は深く深く頭を下げる。


「それから?」


「そ、それから……」


 後に続く言葉を思い出す。声を出そうとしたが、しかし私の口はわなわなと震えるだけで、言葉は出て来なかった。心が拒否をしているのだ。


「忘れたのか」


「……」


 私は口をパクパクとさせ、コーデリア様を見上げる。


「私の母はこの世でもっとも醜く穢れに満ちた雌犬です。私はその売女の血を引いています。あの女の娘であることは何よりも深い罪であり、私は母を心の底から軽蔑しています」


 コーデリア様は私を睨み、「言え」と言った。


「わ、わ、私の、は、母は、こ、この世でもっとも……」


 言葉は、続かなかった。


「どうした? 言え。いつも言ってることだろう」


「もっとも、もっとも……」

 私はごくりとつばを飲み込む。「……もっとも、優しい人でした」


「何か、言ったか?」


 コーデリア様は静かに訊ねた。


 私はキッと顔を上げる。


「お母様は……とても立派な人でした!」


 声は狭い空間に何重にも反響した。最後の響きが消えてしまった時、コーデリア様は大きく息を吐いた。


「まだ教育が足りていないようだな」


 感情のない、無機質な声でコーデリア様は言った。


「わ、私はもうあなたの下では働けません……!」


 溢れる涙を拭い、私は言う。

 頭の中には母の優しい笑顔だけが浮かんでいた。


 もう言えない。

 母との大切な思い出を、塗りつぶしたくない。

 どんなにひどい目に遭っても、二度と母を汚したくない。

 涙が止まらないのは、恐怖のせいだけではない。

 自分が今までしてきたことが、コーデリア様にさせられてきたことが、とても罪深いことだと分かったから。


 この女は、コーデリアは、私に母を軽蔑させることで、憎悪させることで、私の中の母を殺していたんだ。


 私に母を殺させたんだ。


 何度も、何度も……。


「あなたは……あなたは酷い人です」


 コーデリアを見据え、声を震わせて私は言う。


「私の中のお母様を汚した。私はもう、純粋にお母様を愛することができなくなった……。それだけはしてはいけなかったのに……。私に残された最後の物を、あなたは奪った……。私はもうあなたの下で働きたくない……。し、死んだって構わない。この聖地から追い出され、地を這いずり回ることになろうとも、もうあなたの顔は見たくない!」


「まったく、困った子だな。私はお前を真人間にしてやりたいと願っているのだ。これまで私がどんなに骨を折って来たか……。所詮、馬鹿の子には人の言葉は通じないということか。そうだな、もういい。雌犬の子が人の言葉を話すな。これからは私の言葉には全て鳴き声で答えろ」


「お母様の悪口を言うな!」


 私は叫んだ。

 身体の中の全てを絞り出すように。


「あなたの雑言はもう聞き飽きた! 私はもう我慢しない! ずっと言いたかった! お母様はお前なんかよりもずっと立派な人だった! ずっと強い人だった! 私はそれを知っている! お前はなんだ? 赤の巫女? 名家の当主? ふざけるな! ただのいかれたサディストじゃないか! お前なんかが巫女であること自体がこの聖地に対する冒涜だと理解しろ! 聖地の恥はお前だ、コーデリア! 二度と私のお母様を馬鹿にするな! 私を馬鹿にするなッ! 分かったかこのクソババア!!」


「ワンと言えと言ったはずだが?」


「お前なんか死んでしまえ!」


 クソババアは顔を歪ませる。笑っているらしい。


「私を挑発して――殺してもらいたいのだろうが、残念だな。お前は殺さない。生涯この地下室で飼う。心配するな、大切に飼ってやる。衰弱死などつまらんからな。お前は老衰するまで私のはけ口となるのだ。ご褒美にまずは今日の鞭をやろう」


 一息にそう言うと、勢いよく鞭を振り上げた。


 後悔なんてしない。

 どんな目に遭っても、私はもう二度とお母様を殺しはしない。

 この鞭だって甘んじて受け入れてやる――。


 私は深く目をつむり、衝撃に備えた。



 その瞬間。


 天井が爆発した。

 直後、大きな穴から誰かが飛び降りて来て、私の前に立った。



「アハハ、グッドタイミング!」


 ジャンヌ様だった。


「ああ……」


 私はほうっと息を吐くと、膝から崩れ落ちた。体中の力が抜けてしまい、もう指を動かすこともできなかった。

 ジャンヌ様は私の頭を撫でると、振り返ってコーデリアに相対する。


「シューレイヒム卿はどうした」と、コーデリア。


「アンタが手回ししたわけね。うるさいからぶっ飛ばして来たわ」


 そう言うと、ジャンヌ様は親指を立てて私に見せる。

 とんだ過激派だ。でも頼もしい。


「巫女の正体見たりってね。とんだヒスババアだったわけだ。おまけに悪趣味。この子に指一本でも触れてみなさい。消し炭にしてやる」


「ここはサーベンス家の屋敷。そして私は赤の巫女。私に手を出すことが何を意味するのか分からないはずがあるまい?」


 コーデリアは穏やかに言った。


 ジャンヌ様はいた剣の柄に手をかける。本気だった。


「アンタこそ、アタシを誰だと思ってんの? ジャンヌ=マリア・ヴェアダルク様よ。今ここでこの子を見捨てるくらいなら、聖地とだって戦ってやる。そして絶対に勝つ」


「何を馬鹿げたことを。お前のような人間がどうして異端審問にかけられていないのか、王都の良識を疑う」


「それだけアタシに価値があるってこと。もちろん、この子にもね」


 ジャンヌ様はそう言うと、私にウィンクをした。鼻の頭がツンとなった。


「さあ、死にたくなかったらそこをどきなさい、コーデリア・サーベンス! ダリアはアタシがもらい受ける!」


「従騎士風情がほざくな……」


 低い声でコーデリアは言う。「騎士でもなんでも連れてこい。貴様らの力などこの聖地では何の意味も持たない。私はこのシュアンの巫女だ。貴様らを消してしまうことだってできるのだ」


 コーデリアの眉間の皺が広がっていく。額に放射状に延びる三本の太い皺。憤怒の化身とも呼べるすさまじい形相だった。


「アハハ、怖い顔。厚化粧が台無しじゃん」


 ジャンヌ様はケタケタと笑った。


「お前を異端審問にかける。この屋敷から出られると思うな。お前の存在は抹消され、その穢れた心も清らかに生まれ変わる。私に逆らったことを後悔するがいい」


「ハッ。傲慢もここまでくりゃ褒めるしかないわ。アタシやマスターの力が通じない? アンタは騎士よりも上ってわけ? それじゃ、この人よりも偉いのかな?」


 そう言うと、ジャンヌ様は天井の穴を見た。私も、コーデリアも後に続く。


 ひょこっと穴から顔を出したのは……赤毛の少女。


 カルバンクルス王国王女、ルチル・カルバンクルスその人だった。


「殿下……?」

 コーデリアは明らかな狼狽を見せた。「まさか……儀式の最中のはず……」


 ルチル殿下は床の扉を開けると、ゆっくりと階段を下りて来た。しかし途中で止まり、段に腰かけた。


「はぁぁあ……」


 殿下はうんざりしたような息を吐く。


「この聖地にもこんなのがいるのね。結局どこだって変わらないわけね。崇高な志を忘れ私欲と権力で肥えた豚……そんな人たちが偉そうに御託を並べて人々の上に立っている。根っこが腐っていてはどんな大木だって枯れてしまうわ」


「殿下、これは誤解です……」


 鞭を捨て、コーデリアは階段に足をかける。


「その方に近づくな!!」


 すぐにジャンヌ様が叫んだ。


「そのまま聞きなさい、コーデリア。あなたは一体何をやっているの。弱者に一番に寄り添うのが巫女の役目ではなかったの? それが……こんな地下で拷問まがいのことを行うなんて。あなたの存在は教義に反するとしか言えません。私の権限なんて知れたもの。この聖人領ではなおさらでしょう。でもね、私にだってあなたを批判することくらいはできるの。このことは国王陛下とハルマテナ皝国に報告します。あなたは赤の巫女にふさわしくない。私の国をこれ以上汚す真似は赦しません。あなたには失望しました。私は大変に怒っているということを伝えておきます。それでは御機嫌よう」


 そう言うと、殿下は階段を上って行った。


 コーデリアはがくんと首を垂れるしかなかった


「あー、それじゃダリアちゃんはアタシが預かるから。大事に育てるから安心して。ってことでー……御機嫌よう」


 ジャンヌ様が私を背負い、階段を上っても彼女は何も言わなかった。


 私は顔だけ向け、頭を下げる。「お世話になりました」


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