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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第一章 ダリアの花冠
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花冠

 居住区を出て、森に入る。

 木々の中を歩いていると、やがて開けた場所に出る。私たちは島の奥へと到達した。


 視界に赤が広がる。花畑を前に、ジャンヌ様は手を叩いて喜びを露わにした。


「殿下も喜ぶよ」


 彼女に手を引かれ、私たちは赤の絨毯に腰を下ろした。


 そこは小高い丘の上にあり、湖を見下ろすことができた。風が心地良い。嫌な気分も少し晴れた気がする。


 ハネズヒソウは茎が空へと長く伸び、天辺に爪のような形の花びらが密集し、球形になっている。朱華(はねず)色の火に見えることから、ハネズヒソウ。対してベニタエクサは似た形をしてはいるが、花弁のすぐ近くに葉っぱがある。また、ハネズヒソウに比べて一回り大きい。遠くから見れば同じに見えるが、よく見れば全く違う花だ。


 私たちはハネズヒソウを摘み取り、バスケットの中に入れていく。すぐにいっぱいになった。少し取り過ぎてしまった。


「せっかくだからさ、アタシたちも作ろうよ」


「はい」


 花冠は昔、母と一緒に作ったことがあるが、もうあまり覚えていない。ハネズヒソウの茎は千切れやすいこともあり、上手く編み込むことができなかった。失敗を続ける私とは違い、ジャンヌ様は実に巧みに編み込んでいる。ガサツな言動の割に、意外と器用だった。率直に言ってしまえば、似合わない。


 食い入るように手元を見つめている私に気づき、ジャンヌ様は苦笑する。


「上手いもんでしょ。お母様が敬虔な信徒だったからね、聖誕祭は大事にしていたんだよ。妹たちとか近所の子とかにも作ってあげてたからさ。お茶の子さいさいってわけ」


「へえ……」


「ダリアちゃんの家はどうだったの?」


「母はよく作っていました。私は母に頼りきりだったので、満足に編むこともできないのですが……」


 私の稚拙な冠を受け取り、ジャンヌ様は穏やかな笑みを浮かべる。


「殿下もね、一人で編めないんだよ。不器用なの」


「意外です」と、思わず口にしてしまう。「何でも卒なくこなす方のようにお見受けしました」


「アハハ。聞いたら喜ぶよ」


「とても……立派な方でした。私とあまり歳も変わらないのに……」


 自分で言って、なんだか悲しくなってくる。


「そういう風になろうとしているからね。本当はキミと変わらない普通の女の子だよ。歳相応のね」


「とてもそうには……」


「無理してるんだよ」


 ジャンヌ様は私に冠を返すと、キョロキョロと周囲を見回した。それから人差し指を口元に持ってくる。内緒の話?


「消えた王女の話、ここにも伝わってる?」


「消えた――聖別の話ですよね」


「そう」、ジャンヌ様はコクリと肯く。「本当は王家には二人の王女様がいた。だけど、お姉さんの方が聖人様に連れて行かれたから、今は一人だけ。お姉さんは名前を変えてこの国のどこかで生きている……」



 このカルムでは、それが良きことであれ悪しきことであれ、世の秩序を著しく乱し、大きな動きをもたらす運命にある者は聖人様によって間引かれてしまうと言われている。彼の者の生きた証は抹消され、人々の記憶からも消え去ってしまう。


 それが聖別。


 聖人様に選ばれた人間がどうなるのかは定かではない。殺されるとか、聖界へと連れて行かれるとか伝承は様々だが、全く違う人間としての人生を与えられるというのがゲブラー派では一般的な考えだ。人々の記憶から抹消されるはずなのにどうしてそんな話が残っているのかは不思議に思うところだけれど。


 実際のところ、聖別とは人さらいに遭ったり、死んでしまった人を何らかの理由で隠したりするために創作された話に過ぎないのだと思う。その証拠に、この辺境では突然姿を消した人間に対し、「あの人は聖別に遭った」という言葉が使われるから。


 消えた王女の話はこの聖地でも語られている。もちろんただの作り話に決まっている。決まっているが……どうしてそんな噂が流れたのだろう? どうして消えたのが姉でなくてはならないのだろう?


「殿下はね、自分が王女にふさわしくないからそんな噂が流れたんだって信じているの。王位継承の権利を持つ姉がどこかにいて、国民たちは彼女を求めているんだって。だから人一倍自分をよく見せようと頑張ってる。ありのままの自分じゃダメなんだって思ってるから」


「かわいそう……」


 言葉が漏れた。

 慌てて口を押える私に、ジャンヌ様は微笑を浮かべる。


「いいんだよ、本当に可哀想だからね」、そう言って深い息を吐いた。「いもしない理想の姉を作り上げてその人になりきってる。そうすればみんなに愛されると信じて。アタシは飾らない殿下が好きなんだけどなあ。妹みたいで可愛いから」


 お喋りのうちにジャンヌ様の冠が完成した。私はまだ半分もできていなかった。


「ちょっと大きいかな」

 そう言って、ジャンヌ様は私の頭に冠を授けてくれた。「キミにあげる」


 優しいジャンヌ様に、否応なく別の誰かが重なった。


 私は冠を手に取り、しげしげと眺める。


「以前にも冠を人からもらいました。その冠が萎びて行くのが、とても悲しかった。ずっと大事にしておきたかったのに、いつのまにか腐ってしまった……」


 こんなにも美しいのに、どうして枯れてしまうんだろう。腐ってしまったんだろう。綺麗なままにできなかったのだろう。


「そうだねぇ。時間ってのは無常だねぇ」


 湖を眺め、ジャンヌ様は言う。


「冠が永遠に美しいままだったら――」



 ――私は今でも母を愛していられたのだろうか。



「いつも笑ってる人だったって思われたかった……。病床でも、最期まで笑っていた人だって……」


 泣きながら、母は言った。


「私の可愛いダリア……。私がいなくなったら……あなたは本当に独りぼっちで……。こんな辛い世界に幼いあなたを残していかなければならないなんて……」


 母の涙を、私は初めて見た。どんな時でも、笑顔を絶やさない人だった。私のために笑ってくれていたのだ。辛い時も。苦しい時も。


「ごめんなさい。私を恨まないで、ダリア……」


「恨むわけない……お母様をそんな風に思ったりしません……」

 母の花冠を手でもてあそび、私もまた涙を流す。「だから、もっと一緒にいて……。お願いだから……」


「あなたは……これから辛い日々を送るかもしれない……。何も残せなかった私を憎むこともあるかもしれない……。でもお願い……どうか、思い出して……。私が病の中でさえ笑っていたことを……。弱い人間が、痛みの中であっても、それでも笑っていられたことを……。それがあなたの力になってくれれば……。私には、もうそれしか残せないから……」


 母の手をしっかりと握る。


 最後の瞬間、母は笑っていた。


「愛してるわ、私のダリア」


 その後、母は昏睡状態に入り、そのまま二度と目を覚まさなかった。


 幼い頃、母と一緒に花冠を作った時を思い出した。

 私が下手なりに編み込むと、母は嬉しそうに笑って褒めてくれた。


 あの頃は、それが当たり前だった。

 そんな当たり前の日々が、これからもずっと続くのだと思っていた。


「ダリアちゃん?」


 涙が頬を伝っていることに気づいたのは、ジャンヌ様に呼びかけられてからだった。



 母の真実を知らされ、私は彼女を憎んだ。


 私の苦しみは全て母に起因しているのだと。

 自分に流れる血は汚れているのだと。

 コーデリア様が私を迫害するのも、島で暮らすことになったのも、全て母のせい。

 私は何ひとつとして悪くないのに、母の娘に生まれてしまったせいでこんな酷い目に遭っているのだ――。


 憎しみは私の目を曇らせた。

 透き通る青空の中から見下ろせば、そこにはまた違う姿があった。


「花冠を作るのって、こんなに大変だったんですね。忘れていました」


 ぽつりと私は呟く。


「そうだねぇ」


「母が最期にくれたのも、花冠でした。ベッドから出ることもできなかったのに、私に内緒で作ってくれていたんです。きっと誰かが材料を用意してくれたのでしょう」


「そう」


 私は空を見上げ、目をつむる。

 頭の中には、痩せ細った母の姿が浮かんでいた。彼女の顔には笑みが浮かんで……。


「私は……母を許すことができません。憎んでさえいるのです。今、私が屋敷で働いているのも、そこで辱めを受けているのも、母に原因があったことを知ってしまったからです。私は、母を穢れた人だと思っています。そんな人の血が流れている自分が恥ずかしいとさえ……」


 私は口に手を当てる。嗚咽が漏れた。


「でも、それでもやっぱり……」

 絞り出すように、言った。「私はお母様が大好き……」


 途端、堰を切ったように涙が溢れた。


「ずっと一緒にいてほしかった……」



 どうして忘れていたんだろう。

 塗りつぶしてしまっていたのだろう。


 私は知っていたはずなのに。


 母が私を愛してくれたこと。

 精一杯の愛情で育ててくれたこと。

 自分の全てを私に捧げてくれたこと。

 私は知っていたはずなのに。

 本当に大切なことを憎しみで上書きしていた。

 母を恨むことを現実の逃げ場にしていた。


 でも、心の中に残っていた私の良心がそれを許さず、その正反対の二つの想いが日々私を消耗させた。


 苦しかった。

 本当に、苦しかった。


 何本もの編み込まれた花は強く結合し、花冠を形作る。

 同じように、母の愛が紡がれて今の私がいる。

 それだけは決して塗り潰せない真実だ。

 誰に何を言われようと、他者の現実がそこにあっても、それだけは決して否定してはいけなかったのに。


 ジャンヌ様は私を強く抱き締めてくれた。「辛かったね」


「うぇぇえん……」


 涙は溢れ続ける。

 湖の水が決して枯れないように、私の目からも水は尽きないだろうと思われた。


 母の笑顔さえ胸に留めていれば、どんなに辛い日々でも耐えられる。

 そんな気がした。

 それは母が私に残しておいてくれた、本当に大切なものだ。


 これからどんな人生を送っても、私はそれを胸に歩み続ける。


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