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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第一章 ダリアの花冠
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二回目の死

 舟は湖に出る。


 湖の表面は陽光を反射してキラキラと輝いていたが、身を乗り出して見てみると、底は真っ暗で見通せない。湖面は風や天気によって様々な表情を見せる。穏やかな日は波も立たないほど大人しいが、荒れた日には舟も出せないほど暴れ狂う。感情のようなものだ。


 ここは市民にとってのお墓でもある。昔からシュアンでは死者を湖葬に付してきた。湖底には死者たちの国があると言われている。


 母を乗せた黒い舟が燃えるのを、私は島から見つめ続けた。完全に燃え尽きる前に沈んでしまった。私の母も湖底で幸せに暮らしているのだろうか。一緒に連れて行ってくれればよかったのに。そうすれば私は何も知らずに済んだ。


 母のことも、好きなままでいられたのに。



 母が死んで数日後のことだった。

 その日はコーデリア様の言いつけで、彼女の所用に付き添っていた。

 どうして私をお供に選んだのか不思議だったが、その理由はすぐに分かった。


 通りを外れ、人気のない路地に入ると、突然水路に突き落とされた。何とか水から上がると、彼女は私の頬を叩き、腹を蹴飛ばした。


 それまで、そんなことは一度もなかった。コーデリア様は私にとても親身に接してくれていたのだ。だから私は混乱し、怯えることしかできなかった。小さくなって震える私を、なおもコーデリア様は蹴り続ける。


「お前がずっと気に入らなかった」と、彼女は言った。「あの女にそっくりだ」


 理不尽な行いには違いなかったが、私には耐えることしかできなかった。


 何ができよう? 誰に頼っても彼女に逆らえる者はなく、むしろ折檻で済むなら甘んじて受け入れる。ある時点を越えると身体の痛みはなくなり、全身が麻痺したように何も感じなくなった。私は震えながら、ただただ嵐が静まるのを待った。


 そして、コーデリア様は語る。


 母とコーデリア様は幼馴染の関係にあった。バーガンディ家がまだ上区画にあった時の話だ。しかし仲は良好とは言えず、というよりも母が一方的にコーデリア様に敵意をむき出しにしていたそうだ。


 何をやっても他人から褒められ、敬われてしまうコーデリア様に対し、生来の暗い性格から友人もろくにできず、不器用で性格のねじ曲がった母。母はコーデリア様に嫉妬し、讒言を周囲に言いふらしていたという。しかし他人と信頼関係にない母の言うことを信じる者はおらず、孤立していったのは母の方だった。


 その結果、ハニカム商会との提携により、都市の事業が様変わりした波にも乗ることができなかった。元からあまり裕福とはいえない家系であったこともあり、バーガンディ家はあえなく没落。下区画への移住を余儀なくされた。


 下区画での母の行いも問題だった。

 彼女は労働者たちに近づき、唆した。聖人様への信仰を放棄させ、怠惰な生活を送らせようとした。自分を助けてくれなかった大聖堂への復讐だったのだろう。それが大聖堂では問題となった。コーデリア様が何とか擁護してくれたため、審問にかけられることはなかったそうだが、バーガンディ家は大聖堂からも見放された。その結果、島へと追放されることになってしまった。


 島送りは聖地においての最大の罰だ。洗礼を解除され、信徒としての資格を失ってしまう。それは、大聖堂の加護が無くなることを意味する。その意味するところを、私と母もまだよく分かっていなかった。


 母は島で働き始めたが、貴族の娘が重労働に耐えられるわけはなかった。コーデリア様は困窮していた私たち母子を救うため、週に何度か私を屋敷で働かせてくださった。母は新しい仕事を始め、少しばかりのお金を稼ぐことができるようになった。屋敷での賃金と、母の島での稼ぎにより、私たちは何とか最悪の状況から抜け出せた。


 しかし、今度は母の稼ぎが問題となった。母は島民たちと関係し、お金を得ていたのだ。聖地においては禁忌とされる問題行動。母はコーデリア様の顔に泥を塗ったことになる。


「お前の母親は売女ばいただ」と、コーデリア様は言った。「多数の男どもと交わり、病気をもらい、醜く死んだ。聖地の恥め。お前は売女の子だ。卑しい卑しい売女の子、売女の子、売女の子。お前のような醜い娘をどうしてこれ以上私の屋敷に置かなければならない?」


 何も言葉を返すことができなかった。


「バーガンディ」


 感情のない、冷たい眼差しが私を射る。


 私は震える声で答えた。「はい……」


「お前が私の屋敷にいる限り、私はお前を迫害する」


「はい……」


「当然、他の者たちにも同じようにさせる」


「はい……」


「それが嫌ならば今すぐに屋敷を出て行け」


「はい……」


「ただし他所では働かせない。私の権限を持って、お前を受け入れぬよう通達する」


「はい……」


「屋敷に留まるか、聖地から出て行くか。好きな方を選べ」


「はい……」


 最後に、コーデリア様はもう一度私を水路に蹴り落とした。


「恨むならお前の母親を恨め。ろくでもない母親とろくでもない娘。分際をわきまえて卑しく生きろ。それが嫌なら死んでしまえ」


 そう吐き捨てると、コーデリア様は去って行った。


 なんとか路地に這い上がるが、もう動けなかった。薄暗い路地の片隅で、私は震えていた。恐怖が去ると、しばしの虚無感が訪れた。やがてはそれも去って行き、心にどす黒い感情が浮かび上がる。全てが塗り潰される。


 私は叫んだ。


 もうじっとはしていられず、狂ったように暴れ回った。


 深い悲しみも、地面の裂け目から湧き出て来る怒りに飲み込まれてしまう。

 心の底から母を憎らしいと思う。

 しかし私の渾身の叫びさえ、大気に響き渡る鐘の音にかき消されてしまった。


 その日、私の中で母は二回目の死を迎えた。


 〇


 湖には大小含めて三十以上の島が存在する。

 その中でもっとも大きい島が私の住んでいた島。

 通称、離れ島。

 島民の居住は一か所に固まっており、背後には小さな森がある。ハネズヒソウはそこに群生している。


 島の周辺には干拓された土地が広がっていて、集約的な農業が行われている。水路に囲まれた、盛り土をした長方形の耕地がずっと視界の端まで続く。都市の人々が食べる作物は、ほとんどがこの島で作られていると聞いた。島民たちはまだ日が昇る前から働き出し、日が沈んでしまってからようやく帰途に就く。今も、水路を通る私たちには目もくれず、一身に農作業に従事していた。


 船着き場に舟を停める。遠巻きに見ても、聖地の中心とは比べ物にならないみすぼらしい家々が並んでいる。都市の家は堅牢な石造りだが、この島の建物は木造。多くは腐食し、壊れてしまっている。住人たちも生気のない、貧相な顔をしているように思う。


 私は先を歩き、ジャンヌ様を花畑に導く。港の近くは露店が開かれており、人が集まっていた。聖週間ということもあり、この島でも祭の真似事が行われているのだろう。


 生前の母は島民たちと親しかったので、私を見かけると話しかけてくる者もいた。私が都市で働いている間、病床の母の面倒を見てくれたのは他でもない彼らだ。それは感謝しているが、同時に憎らしくも思う。彼らは母とともに、信仰をないがしろにした頽廃的な生活を送っていた。そんな人たちに話しかけて来てほしくはなかった。私に代わって人々と話すジャンヌ様を促し、私たちは足早にその場を離れた。しかしある邸宅の前を通った時、思わず足を止めてしまう。


 今や廃墟となっている、みすぼらしい二階建ての家。日当たりが悪く、地面にはコケが繁茂している。壁は薄汚れ、黴だらけ。見ているだけで憂鬱になる。


「ここが……私の家でした……」


 胸が苦しくなる。溢れる思い出の数々が、黴で汚染されていく。だからここには戻って来たくなかった。


「ふうん。ボロっちいね」


 特に感慨もなく、ジャンヌさんは言った。


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