不思議な都市と少女たち ―シュナ②—
私とダリアは見知らぬ都市を歩いていた。相変わらず建物は怪しい光を放っているし、シルヴィアとかいう女の人とそのツレの姿をそこかしこで見かけたけれど、もうどうでもよかった。
あの半円形の建物から出てからというもの、お互いに一言も口を利いていなかった。
最後に見た部屋。あれは……違う。これまで見て来たものとは、明らかに異質だった。茶化したりしたらいけない何かを感じた。
「なんだかすごいものを見ちゃったね……」
しばらくして、ダリアが呟いた。「私たち、こんな場所の上で祈っていたの……?」
「うん……」
あの後。私の叫び声を聞いて、ダリアもあの小部屋の中に入って来てくれた。彼女はきっちりと放心した後で、私の腕を引いて無理矢理に外に連れ出した。私たちは壁が外に飛び出すタイミングを待ち、脱出した。
「おかしいよ、ここ……。こんなの、聖地じゃない……。聖地じゃないよ……」と、ダリアは首を振りながら言った。
「うん……」
私は彼女の言葉に返事をしたが、実際は別のことを考えていた。
ダリアも気づいたようで、「どうしたの?」と、私の肩を叩く。
「いや、別に……」
「言ってよ」
私はぼんやりとダリアの顔を見つめる。
「あの女の人たちさ……何かされてたよね」
「うん、多分……」
「お腹が膨らんでた……」
私の言葉に、ダリアは泣きそうな顔になった。
しばらくして、消え入りそうな声で、「うん……」と答えた。
「私さ、あれ……」
「うん……」
「赤ちゃん……造ってたと思うんだ」
ダリアはぎゅっと目をつむった。
「人……造ってたんだよ……。シュラメみたいに……」
あの部屋を見てから、ぼんやりと考えていた。それは今では確信に変わっていた。あの部屋で本当に人が造られているんだとしたら。
私はあそこで生まれたんじゃないか?
なんだか、立っていられなくなった。足に力が入らないのだ。あの小部屋の空気がよくなかったせいかもしれない。あの甘い香りを吸ってから、頭のクラクラが治らない。良くない考えが頭に浮かんで、消えてくれない。
「シュナ!? 大丈夫!?」
地面に膝をついた私につられ、ダリアも地面に倒れ込んだ。彼女は必死で私を引っ張ってくれるが、痩せた彼女では力が足りなかった。何とか端っこまで歩き、壁を背に腰を下ろした。
「私も……あんな風にして生まれて来たのかも」
「何の話……?」
「私、母ちゃんの子供じゃないのかも……。あの訳わかんない部屋の中で生まれたんだよ……。あの容器の中のシュラメみたいに……。出来損ないで……」
「しっかりしてよ、シュナ。おかしなこと言ってるよ」
ダリアはそう言うと、私の肩を揺さぶる。
「分かってる……」
顔を手で覆う。「ずっと思ってた……。本当は……母ちゃんは俺なんて産みたくなかったんじゃないかって……」
言ってから、自分で驚いた。病人のように声に力がなかったから。「望まれて生まれて来たんじゃない……。間違って生まれて来たんだよ」
「何なの……? 急に……どうしたの?」
「だから殴ったんだ。いらない子だから。生まれてきてほしくなかったから……」
声に出すたび、みるみる体から血の気が引いていくのが自分で分かった。
「知ってるんだ……。俺は……私聖児って言われてる。父ちゃんがいなくても産まれる子のことだよ。母ちゃんが望んだとか関係なくて、勝手に産まれて来る子なんだ」
ダリアは何も言わなかった。言っていたのかもしれない。私の耳には何も聞こえていなかった。
「最初からいらなかったんだよ、俺なんか……。そうだよ、だからみんなに殴られて……。死んでほしかったんだ。俺が産まれちゃったから、母ちゃんはお金が足りなくなって……。だから湖に潜ったんだ。シュラメに食われて死ぬつもりだったから――」
胸が苦しくなった。震えが止まらない。寒い、寒い。
頭を殴る。殴る。本気で殴る。すぐにダリアに止められるが、彼女のか細い手を振りほどいて殴る。ダリアは私の手に覆いかぶさるようにして、それ以上殴るのを阻止した。
「ずっと嫌いだった……自分のことが。何度もこうやって殴った。みんなが殴る自分が本当に嫌いだったから……。良い子になりたかった……アテナみたいになれたらもう殴られないって思って……。でも、やっぱりそんなことなくて……」
劇団にいた頃は、全てを忘れられた。あの舞台の上では、私は何者にでもなることができた。大嫌いな自分を抜け出して、全く違う別の人間に。なりたかった自分に。だから、私は演技にのめり込んだ。才能なんかじゃない。ただの逃げだ。誰よりも強く、別の人間になりたかっただけなんだ。
「生きていちゃいけないってずっと思ってた。だから……アテナと友達になれて……嬉しかった。本当に……。生きていていい理由ができた気がしたから……。でも、アテナが求めてるのは友達なんかじゃなくて……。俺は……俺は……アテナが求める俺にはなれない。受け入れられない……」
肩を抱く。どうしてだろう、息が苦しい。こんな時こそ、演技をするべきなのは分かっているのに。楽観的で飄々とした人間なら、こんなことは考えないはずだ。そういう自分になろう。いつもみたいに。でも、笑おうと必死になればなるほど、顔から力が抜けて行ってしまう。
ダリアは私に身を寄せ、ギュッと手を握った。「シュナ、聞いて……。シュナ……!」
小さく囁くようなダリアの声だったけど、私のためだけに語ってくれるその声は、私の耳にはっきり聞こえた。
「私のお母様は……私のことをとても愛してくれた。だから、シュナに何を言えばいいのか……分からない。お母様は私を望んで産んでくれたんだって信じてるから……」
「うらやましいよ」
「シュナもそうだって……私は思う。ううん、思いたい。信じたいんだ……。お母さんはみんな子供のことを愛してるんだって……」
ダリアの目には涙が浮かんでいた。「私のお母様はね、最後まで笑ってくれたの。私が悲しくないように。この世界で生きていけるように。最後まで私のことを考えてくれた……。それがお母さんなんだって思う。だから、シュナのお母さんも、きっと……」
私は頭を振った。
「そうじゃない人もいるんだよ」
「そんなはずない……! 私は……シュナが好きだよ。今日初めて会ったのに、あなたの良いところいっぱい分かった。あなたはどんな時でも怖がったりしない勇気のある人で、強くて、カッコよくて、綺麗で……とっても優しい人……。私でさえこんなに知ってるんだから……ずっと一緒にいるお母さんが分からないはずないんだよ……」
「分かってるかもね。でも、嫌いな奴のいいところなんて嫌いに決まってるよ」
「違うッ!!」
途端、ダリアは私の頬をガッと掴んだ。
死んだように鈍い色だった彼女の目が、今では爛々と輝いていた。
「やっぱりどこかでは通じてると思う! そうじゃなければただの馬鹿野郎だ! シュナが気に病むことなんてない! そんな親ならこっちから願い下げだって言ってあげればいい! 産みたくなかった? そんなの知るか! 向こうの勝手な都合じゃないか! 子供だって親は選べないんだ! お母さんが本当にあなたのことを愛していないのなら、もう棄てちゃえ! そんなクソババアのことなんて忘れて私と一緒に王都に行こう!」
「急に大声出すなよ」
ダリアはなおも物凄い勢いで私の母を侮辱する。何だこいつ、凄いな。さっきまでの彼女とはまるで違うその剣幕、過激な言葉の数々に、私は面食らってしまう。普段の私なら思わずぶん殴ったかもしれない。でも、今の私は動けなかった。ダリアが必死に私の全てを肯定してくれようとしていることが分かるから。
私と母が通じ合っているわけがない。あいつの拳から感じるものといえば、純粋な悪意と強烈な痛みだけだ。小さな頃からお互いにずっと嫌い合っていた。
でも……。
でも、どうして私はあの家にいたのだろう? 母はどうして私を孤児院に入れなかった? 労働力だからには違いないが、小さな頃の私は彼女の足を引っ張ってばかりいた。捨てられない方がおかしいくらいに。その方がお互いに幸せだったろうに。
頭に浮かぶ、遠い記憶……。
満点の星空、物を壊す大きな音、折れた鼻から流れる血の味。
ずっと疑問だった。
どうしてあの夜、母は私を抱き締めてくれたんだろう?
考えたこともなかった。
いや、考えないようにしていた。
あの人が私を――そこまで嫌いじゃないかもなんて。
「なんで……殴ったんだろ……私のこと……」
自分自身に訊ねるように、私は呟いた。
「殴ることしか知らない人なんだよ。嫌いとかじゃなくて……!」と、ダリアは答えた。
「なんで……捨てないで――育てたんだろ……」
「大切だって分かってたからだよ……!」
「なんで……褒めてくれたんだろ……」
私は顔を上げ、ダリアを見る。「俺が劇で……みんなに認められた時、お前は俺の子だって頭を撫でた……」
「そう……」
「あいつは酷い奴で……本当に大嫌いなんだけど……でも、あの時……嬉しかったんだ……。生まれてきてもよかったんだって……思えたんだ……」
答えを求めて、ダリアに訊ねる。「母ちゃんはあの時……何考えてたのかな?」
「決まってるじゃない」
ダリアは私の手を握った。「シュナのお母さんでよかったって、そう思ったんだよ」
頭をガツンと殴られたような衝撃が走った。
参った。
私は奥歯を食いしばる。でも、無駄だった。嗚咽が出る。たまらず、私はダリアを力いっぱい抱き締めた。ミシッと小さな音がして、彼女がハッと息をのむのが聞こえた。でも、力が抑えられなかった。誰にも見られたくなかった。きっと、とてもみっともない顔をしているだろうから。
私たちは再び歩き出した。
心は嘘のように晴れ渡っていた。醜い汚れがさっぱり洗い流され、本来の綺麗な心に戻ったような。
「なんかごめんね~」
私はダリアの頬を撫でる。
「死ぬかと思った……」
彼女はふーっと息を吐いた。
「ひひっ。泣いたらさ、なんかすっきりしちゃった」
大きく伸びをする。
母が私をどう思っているのかなんて、やっぱり私には分からない。私が思うのは、ただ、普通に暮らしたかったということだけ。殴ったりせず、普通に愛してもらいたかった。でも、それはもう叶わない。私は母の拳しか知らない。普通の母子のように愛して愛されることなんてできない。
あの人を恨む気持ちはないけれど……涙が枯れた時、もう気づいていた。
母と離れる時が来たんだ。
今はただ、もう一度あの舞台の上に立ちたい。満員の観客たちの前に立ち、全ての人々の目の中に入りたい。自分以外の自分になりたい。この小さな体を空っぽにして、大きな世界でいっぱいに満たしたい!
さあっと頭に浮かんできたのは、夢で見た聖マルクト大劇場!
「真聖大ハルマテナにさ、劇場があるの知ってる?」
「え? 知らない」
ダリアは頭を振った。
「カルムで一番の劇場でね、そこで演じるのは全ての劇団員の憧れなんだ!」
「この聖地の劇場よりも凄いの?」
「比べ物になんないよ!」、私はわーっと手を広げる。うわーっ!「つってもさ、俺も見たことないんだけど!」
「そこがどうしたの?」
「ひひっ! 俺さ、いつか絶対にあの舞台の上に立つよ! カルムで一番の俳優になる!」
想像しただけで胸がワクワクして仕方がない。私はダリアの脇に手を入れると、ひょいっと彼女の体を持ち上げ、その場で回った。
「うわわ……」
ダリアの悲鳴も気にしない。
そうだ! 私はあの劇場の舞台の上に立つために生まれて来たんだ!
それはとても狭き門だ。あそこで演じることができるのは、特別な劇団だけ。カルムの頂点に位置する俳優だけがそこに所属することが許される。今の私では話にならない。
「決めたぁ!」
私は回るのをやめ、ダリアをギュッと抱き締める。「俺も王都に行く! 王立劇団に入るんだ! そこで鍛えて有名になって、もっと上の劇団に入って、いつかはマルクト大劇場に行ってやる!」
「わ~……すご~い」
ダリアは目をグルグル回していた。慌てて、地面に下ろしてやる。
「アテナも一緒に行ってくれるかな? そういえば、あいつの夢って聞いたことないな。合流したら聞いてみよ。みんな一緒の方が楽しいもんね!」
「う、うん……」
頭を押さえ、ダリアは死にそうな声を出した。
「そういや、お前って夢とかあんの?」
「あるよ」
ダリアは息を整えると、グッと背筋を伸ばして私を見た。「騎士になりたいの」
「騎士!? そうなんだ!」
「うん。ジャンヌさんって人の弟子になって、強くなるの。シュナよりもずっと強くなるわ」
「そりゃそうだよ! 騎士になるんなら俺なんか一発でぶっ殺せるぐらいにならないと!」
「覚えててよ。いつか絶対グルグル回してやるから。私、さっきの忘れないからね」
「ひひっ、楽しみ! お互い頑張ろうよ!」
私たちはゴツンと拳を合わせた。
ダリアとは今日初めて会ったのに、ずっと前から友達だったみたいだ。馬が合うってのはこういうことをいうんだろうなと思う。
そんな感じでダリアと笑い合っていると。
「あー!!」
甲高い声がした。振り返ると、突き出した足場の向こう側でルージュが手を振っているのが見えた。少し離れたところにアテナの姿も見える。私とダリアは顔を見合わせて笑い、向こう側に渡る道を探した。




