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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第五章 少女たちの聖誕祭
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ワーミーと大長老

 昨夜、ヴィクトリアが連れて行ってくれた道を逆に辿っていく。二、三歩も進めばもう今いる場所さえ分からなくなるような迷宮だけれど、私は迷うことなく進むことができた。物覚えには自信があるのだ。なんてね。モモがしっかりと脳裏に刻み込んでくれていたおかげだろう。

 審問官はみな、とても優秀だ。記憶力はもとより、思考、判断力にも秀でている。それは決して持って生まれたものではなく、後天的に獲得したものだと思う。独自の記憶・思考術があるのだ。一日だけとはいえモモに成り代わっていた私には、その覚えがある。今はまだ扱うことはできないが、訓練すれば体得することができるだろう。それはきっと、良き女王になるための力となってくれるはずだ。この聖週間は、これからの私の人生にとって珠玉の時間になるかもしれない。


 その後も、私たちは黙々と進んだ。この迷宮の先で待っているのが、温かい拍手と歓迎のケーキではない以上、顔を強張らせるのは至極当然のことだった。まあ、それは私だけなのだけど。クーバートは相変わらずヘラヘラと得体の知れない笑みを浮かべているし、ルビーは笑ってこそいないが、この世に怖いものなんてあるはずがないと感じさせる涼しい顔をしていた。彼らは常人ではない変人だから、この態度も当然なのだが、困ったことにこの場において常人は肩身が狭い。だから、私も負けじと胸を張り、頬を叩いて無理矢理にでも笑ってやるのだ。怪訝なルビーの顔だって気にしてやるもんか。


 隠し通路を抜けた先にある、荘厳な扉の前で私は立ち止まった。

「ここだな」

 私がコクリと肯くと、ルビーはノックもなしにドアを蹴り開けた。ルビーを先頭に、長い通路を歩く。ずらりと並ぶ魔石の像たちを、もう私は直視することができなかった。傑作のはずだ。生々しいはずだ。恐怖や苦悩が生まれたままの姿でここにあるのだから。

 何も知らないルビーとクーバートは興味深げに像を眺めていた。


「……この像は人間よ。魔法で石に変えられたの」


 私がそう言うと、「ほー」、二人は像に手を当て、熱心に調べ始めた。


「ふむ。完全な魔石だ。魔力でコーティングしているのか」


 彼らの様子を察するに、マギアトピアでさえも珍しいものなのだろう。


「元に戻せる?」


「どうかな。普通の方法では不可能だろうな」と、ルビーは言った。


「普通じゃない方法って?」


 ルビーは私を見て、片目を閉じる。「聖別だ。世界を弄る改変魔法なら可能だろう」


「そうか……聖別……。その力があれば、全てもとに戻せるんだ……」


 希望が出て来た。エスメラルダだけじゃない。他の傷ついた人たちも、みんなもとに戻すことができる。聖別を行うことができれば……!


「……誰かが、石に変えられたんだな」

 私の態度を見て、ルビーは察したらしい。


「俺たちは魔力が桁外れだからね。いい魔石になるだろうさ」と、知らないおじさんの像を撫でながらクーバートは言った。


「メルか」

 どういう思考の結果か、ルビーは正解にたどり着いた。


「ええ……。この先にある魔法陣で、彼女は石にされた。昨日のことよ」


「そうか」と、短くルビーは言った。


「どーりでなあ。昨日いないなあって思ってたんだよ」と、クーバート。


「この並びにはいないようだな」

 私たちはしばらくその場でエスメラルダの姿がないか探した。しかし、その場に獣の耳をした像はなかった。


「聖別を必ず行いましょう。メルを助けるためにも……きっと……!」


「言われるまでもない」

 ルビーは私の頭に手を置くと、そのままずんずんと一人で先に進んで行った。


「どのみちそれが俺たちの目的だしね」と、クーバートは眼鏡をくいくいと小刻みに動かし、ルビーに続いた。

 私も小走りに後に続く。二人の背中は、さっきまでよりもずっと大きく見えた。


 すぐに通路を抜け、魔石の工房へと出た。そこに広がっていたのは、惨劇だった。

 長老たちが無残な姿で床に倒れている。全身を焼かれた者、手足を失くした者も……半身がどこかに行っている者さえいた。気絶しかけた私を、ルビーが受け止めてくれた。あまりにも酷い有様だから、どこか作り物のような現実感の喪失さえあった。ルビーが顎で合図を送ると、クーバートは悪趣味な絵柄の大きな布を創り出し、全てを覆い隠した。


「ここは聖堂の真下に位置するのか。コーデリアはちょうどこの部屋に下りて来たのだろう」

 と、真上を指してルビーは言った。天井からはいくつもの柱が伸びていた。


 下降してきたコーデリアは、そのまま長老たちを虐殺してしまった。当然、彼女の怒りがこれで収まるはずがない。


「大長老はあっちよ」と、私は破壊されて開けっ放しになっている扉を指した。扉の奥は、真っ暗だった。


 ルビーは光を放った。光の塊が扉の先へと飛んで行き、扉の先を明るく照らした。それから、彼を先頭にして私たちは扉をくぐった。

 昨日にも来た通り、扉の先は巨大な吹き抜けで、私たちは崖の上から辺りを眺めた。光の塊が頭上から部屋を照らし出していた。眼前には大聖堂の主塔があった。


「それで、大長老とやらはどこにいるんだ?」

 ルビーは怪訝に辺りを見回した。


「あそこ」と、私は塔を指した。


 先の部屋の惨劇を見て予感していたが、やはり「柱の方々」も悲惨な状態にあった。小さな老人の顔のレリーフは全て無残に切断され、ほとんどが地面へと落下している。大長老の顔にも致命的な亀裂が生じていた。


「あの顔が……大長老?」

 ルビーは疑わし気に凝視する。


「ええ、彼を取り囲むように小さな長老たちの顔があったのだけれど、酷いものね」


「こりゃよっぽど恨みを持った者の犯行ですわな」と、クーバートは見事な推理を披露した。


 すると、大長老の瞼がゆっくりと動き、目が開いた。


「やあ、来たのだね」と、大長老は言った。


「おお、喋った」

 ルビーとクーバートは目を輝かせる。


「怪物が暴れたようね」と、私は言った。


「ふふふ、魔女が一人ね」

 大長老はほうっと息を吐いた。「長き時をもって築き上げてきたものが一瞬で崩れ果てるその儚さ……美しいとは思わないかね」

 彼は恍惚の表情を浮かべていた。


「変態め」

 ルビーは呆れたように頭を振った。「貴様がボルドーだな」


「いかにも」と、大長老は言った。「私がエマニュエル・ボルドーだ。君がルビウスだね」


 大長老は審美するような顔でルビーを見る。石でできている割には表情が豊かだ。


「ふふふ、噂に聞く通り……何という美貌だろうか。さすがは世界の歪み――カルムの忌み子、アステル……」


 何?

 今、何と言った? アステ……いや、悪魔アスベル

 ルビーをチラリと見ると、微かにこめかみ辺りがピクリと動いた。


「実際にこの目で見るのは初めてだが……驚いた。こんな石造りの身でさえ感動を覚えるよ。できれば肉体があった頃に会いたかったね。もっとよく顔を見せておくれ」


 何やら物音がしたと思うと、大長老の顔が浮き出て来た。首を伸ばしてこちらに近づいて来るではないか。


「やめろ、気持ち悪い!」


 ルビーが嫌悪を剥き出しにすると、大長老の顔は止まった。


「おお、かくも……かくも美しいものなのか……。多くの者たちが堕落した理由を我が身として実感できた」

 大長老の顔はそのままぐるぐると回り出す。「ほしい。君がほしい……ルビウス」


「貴様が石でなければ殴っている」


 ルビーは怒りで頬を紅潮させた。大長老はゆっくりと首を縮め、戻って行く。


「さて、この死に体に何を求めるのだね。時間が許す限り相手をしよう」


 私は一歩前に出て、真正面から大長老を見据える。

「聖女再誕計画の話は聞きました。ミラの心についてもね。あなたたちはミラの心を四つに分け、少女たちに受け継がせた。そしてその心を器となる少女に戻し、聖女ミラを蘇らせようとしている。その器が私。ここまでは合っていますか?」


「ええ、その通りです」


「この計画は……今回が初めてではないのでしょう?」


「最初の計画は十五年前に実行されました。しかし、結果は失敗。その原因を、我々は器にあると判断しました。我々の造る私聖児では、聖女の心が耐えられないのです」


「だから私が選ばれた……。どうして?」


「無論、あなた様に聖なる御血が流れているからです」


 至極簡潔に彼は言った。聖なる血……。カルバンクルス王家が聖人ゲブラーの末裔であるとは、巷間で語られる有名な噂話だ。本当だったのだ。しかし特に感慨はなかった。薄々そうではないかと思っていたから。それよりも気になることがあった。


「はっきりさせたいことがある。私にお父様はいるの? 私は……私聖児なの?」


 私はお父様を知らない。お母様は未婚のままに母となり、私の出産の際に命を落とした。お父様についてはハルマテナの皝子おうじや、カルム騎士団の十字騎士など錚々たる面子が候補に挙がってはいるが、未だに明らかになってはいない。お母様が亡くなっている以上、明らかになることはないのかもしれない。私聖児だとしたら、むしろ納得してしまう。


「私の口から語るのはおこがましいことだと存じます、殿下」


「そういうのはいいから」


「分からない、というのが実際のところでございます」


「どういうこと?」


「我々は度重なる聖別により現実を塗り替えてまいりました。しかしながら、我々においても新たな現実が真に正しい現実であるかどうかは立証できないのでございます」


「つまり……聖別はあなたたちにも作用するから、自分たちの記憶も信じられないということ?」


「左様です」、大長老は頷く代わりに大きく瞬きをした。「我々の記憶が正しければ、殿下、あなた様は私聖児ではございません。少なくとも、この都市で生み出された子ではない」


「そう。よかったわ」


「私聖児を生み出すのも聖絶技法によるものか?」と、ルビーが訊ねる。


「この都市では、そうだ。私聖児たちはカルムの各地に存在するが、その誕生方法は様々と聞く」


「人が人を作るなんて……」


「倫理なんて今さらの話じゃないか」と、クーバートは言った。

「あなただけよ」と、私は彼に冷めた目を向ける。


「こいつがここに来ることになったのも貴様らの差し金だろう?」と、ルビーは私の頭に無遠慮に手を置いた。無礼な奴め。こちとら聖女の血を引いてるんだぞ。


「その通り。我々はカルバンクルス王、あなた様の祖父君に働きかけ、巡礼を決定させました。そしてあなた様がこの地に訪れたその日、記録では聖別が行われました」


「聖週間の前日ね。一体何をしたの?」


「私聖児の心とあなた様の心を入れ替えました。心と肉体の同化、その準備と言ったところでしょうか。あなた様の肉体に心を馴染ませる必要があったのです。聖週間の儀式を覚えておられますか?」


「もちろんよ。清心式、花冠の儀、清心式、徹夜祭……。実際に行ったのは私じゃないけれど、記憶は私の記憶として残っている」


「どういうことだ?」


「つまり、ルージュとして活動していた私の記憶と、私として活動していたルージュの記憶が両方あるの」


「そりゃ大変だ。頭パンクしないのかい?」と、私の頭をさすりながらクーバートは言う。


 確かに、五人分の人生の記憶が頭の中に詰まっているわけだけれど、不思議と苦痛は感じなかった。


「これも儀式とやらのおかげか。脳が肥大化し、記憶の容量が増えているのか」と、顎に手を当て、検めるように私を見てルビーは言った。


 え、頭がよくなったってこと? わーい。


「聖女となるには全ての面で人間を超えてもらわなければなりません。そのために、肉体も心も、限りなく聖化する必要があるのです。重要なのは実際に儀式を受けていた私聖児たちではありません。聖儀式は都市で活動するルチル殿下、あなた様のために行われていました。清身式によりその御身は清められ、花冠の儀により聖人ゲブラーとの制約を交わします。そして清心式で心を清め、徹夜祭で器として完成させる」


「聖儀式は私を強化するためのものだったというわけ?」


「なるほど、納得だな」

 ルビーは顎に手を当て、ジロジロと無遠慮に私を眺める。「実際に形として現れていたのは四日目、モモと代わっていた時だが……徹夜祭を経た今、さらに力は向上している。騎士にも匹敵するんじゃないか?」


 え、そうなの? 全然自覚なかったけど。


「どうして聖女が一介の騎士と比べものになるでしょうか」


 え、私ディオニカ超えちゃったってこと? わーい。


「だが、儀式は失敗だろう? ルチルはまだルチルのままだ」

 ルビーはバシバシと遠慮なく私の頭を叩く。るか……?


「聖女とは何を意味するの? 私が私ではなくなるというわけ?」


「聖女なるものは……主なき現在のカルムに君臨せしめし聖なるお方です。人界を超越した『聖絶魔法』を操り、偽りの王を葬り、世に真の秩序をもたらしてくださるのです」


「まるで聖人だな。貴様らは聖人を生み出そうとしていたわけだ」

 ルビーは馬鹿馬鹿しいと言いたげに頭を振った。「偽りの王とはハルマテナの真聖皝帝か? つまるところ貴様らの目的は玉座の簒奪……自らでカルムを支配しようとしていたわけか」


「俗世に興味などありはしない。聖女様が降臨なされば、もはや我らなど不要。全ての者は等しく救われるだろう。人は信仰という楔から解き放たれる。私はそれを確信している。儀式は失敗などしていない」

 そして、大長老は初めて敬意のこもった目を私に向けた。ゾクリと背筋に冷たいものが駆け抜ける。


「……こんなところに籠っているからそんな危ないことを考えてしまうのよ」と、私は冷たく言い放った。「たまにはお日様の光を浴びなさい、おじいちゃん」


「聖女様のお言葉とあれば、喜んで」、大長老は瞬きをした。


 ダメだこりゃ。

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